*15 なにを信じたらいいの
「子爵! 援護は任せてください!」
「頼りにしているね」
単独ではたいして強くはない私だが、前衛がいてくれるなら何倍も強くすることができる。一人でも頭を回して乗り越えることも多かったが、仲間がいてこその私の力である。
「攻撃上昇!」
強化効果の重ね掛けは得意。詠唱もいらない。だが、少しだけ違和感を覚えた。
……あれ? いつも通りにはできたと思ったけど……。
魔法は発動した。だが、どこかやりにくさを感じる。この感覚は、以前シリウスさんに危険だからと聖女の力を封じられたときに似ている。だけど魔法は発動した。力も失われてはいない。
あれからシリウスさんの気配を自分の中に感じなくなった。言葉を聞くこともない。シリウスさんはまだ私の中にいるのか、司教様に聞いてみたが『さあな』で終わらせられてしまって、どうなったかわからないままだ。
人は死ねば、生者と会うことはない。
永遠のお別れ、それが死というものだ。だが、私は死んだシリウスさんと話した。すぐそばに確かに存在を感じた。それができたのは、彼が特殊な人だったからだろう。悪魔と等しい存在。
……そういえば、シリウスさんは封印がとかれたアルベナの魂の欠片によって分離した存在。じゃあ、シリウスさんの元になったのは、どの悪魔だったの?
『――くっ!』
鈍い音と共にくぐもった声が聞こえて、意識を現実に戻した。子爵は武器を使わない戦闘スタイルの格闘だ。貴族といえば、剣術が主流なイメージだが子爵は泥くさい、貴族が好まないスタイルを好んでいる節がある。それは自分の生まれた環境に対する反抗心からくるものだろうか。
美しく儚げな見た目に反して、誰よりもタフな人だ。相手も相当の技量だと見受けられるが、子爵の敵ではなさそうだった。これほどまでの研鑽を得るのに、いったいどれだけの苦労をしてきたのだろう。
『……さすがは、悪魔の血筋か。器でなくとも、その才覚は人からはずれるとみえる』
「昔から、それこそ親しい友人にすら、人間であり続けているのが不思議だと言われているけど」
子爵の鋭い蹴りが相手に繰り出される。防御をとったが、暗殺者は壁までとばされ、古い木板を巻き込んで崩れ落ちた。
「私にとって、私というものが『人間』であろうが『悪魔』であろうが『それ以外』であろうが、まったく関係がない。自分にとって大切なものをどれだけ慈しみ、守り、支えられる存在であるかどうか……それだけが、私が悩み続ける問題だ」
その言葉に、暗殺者は恨めしそうにうめいた。『悪魔め』という掠れるような言葉も聞こえたような気がした。
『天啓は下る。そう遠くないうちに、裁きは等しく卑しい悪魔の身に。光あれ、光こそが人の歩み道である……』
くらりと意識が回ったような気がした。
なんだろう、この言葉。お酒に酔うかのような感覚。ふとすれば、教会でよく聞くような賛美のような気がしたが、続いていくうちに狂信の影が落ちる。
光は美しく、正しきもの。
闇は醜く、滅するもの。
女神は慈悲と慈愛の満ちる導。
悪魔は堕落と罪の堕ちる場所。
ろくな教育も受けられないような子供でも、幼いころから教え込まされるもの。
歴史とは、何度も書き変えられる自由帳。
遺跡に人はロマンをのせて、妄想と空想を繰り広げ、教えに結び付き広がっていく。
すべてが正しいとは思っていなかった。だけど、全部が間違っているとも思っていなかった。遥か昔の出来事を正確に伝えられるものなどいない。研究するからこその価値。
狂信の言葉が恐ろしい。
ずっと聞いていると、それが正しいもののように思えてくる。大多数がそうであると教えられるように、少しだけ狂ったこの言葉が人として進むべきもののように感じてしまう。
『悪魔は滅せよ、滅せよ、滅せよ――』
悪魔と名の付くものが、すべて赦せないといわんばかりの憎悪が仮面の中から見える気がした。子爵は、罪らしい罪を起こしたことはない。彼は、なにも悪くない。だが、この仮面の暗殺者にとってはその血筋が悪魔であるという考えだけで、子爵に深い憎しみと怒りをもっている。
殺していい相手だと、殺さなければいけない相手だと思っている。
それに、なんの疑問も抱いていない。
激しい猛攻にあったが、子爵の実力と私の強化魔法に不利をさとったのか、狂信的な言動を繰り返してはいたが、仮面の暗殺者は冷静に引き際を見誤ることはなかった。
なにごとか呪文を唱えると、霧のように消えてしまったのだった。
しばらく周囲を警戒したが、他に気配はなく……家系図の方も沈黙していたのでようやくほっと息をついた。
あまりにも濃い一日となった。
「え? なにそれコワッ」
ギルドへ戻り、メンバーの一人である王国騎士団へ仕事の手伝いに行っていたルークが戻ってきたので、簡潔にクレメンテ子爵家別邸での話をしたら引かれた。私だって色々ありすぎて頭が爆発しそうだし、思い出しただけで怖すぎて夢に見そうだ。
「細かいことは後で聞くとして、そのいわくありげな家系図はどうしたんだ?」
「子爵に許可をとってこっそり持ち帰え……ろうとして怖くなってとりあえずエルフレドさんのところへ相談に行った」
「蒼天の刃のギルドマスターに?」
うちが親しくさせてもらっているギルドの一つ、蒼天の刃のギルドマスター、エルフレドさん。アギ君のところのギルドだ。エルフレドさんは、色んなところに顔がきくのを思い出して相談しに行ったのだ。
「そう、で、そういう系に詳しい人に頼んでいったんの封印を施して貰ったの。だから家系図は特別な箱にいれて持ち帰ってる。アギ君にも見てもらったけど、なにかの魔道具で間違いないみたい」
ただ、相当複雑な術式が組み込まれているうえに言葉で表すには難しい『いわくもの』があるらしく調査するには怖すぎる、とのことだ。
「もうそれ呪いの家系図じゃん……」
「泣きたい、私はすごく泣きたい。こんなときに限って、司教様はいない」
司教様はまだ教皇様のところから帰ってきていない。こういうのは司教様になんとかしてもらうのが一番なのだが。
「あまりにも色々ありすぎたの……全部今日の夜の話し合いで言うけどいまだに夢でもみてるかのように現実味がないのよね」
「……だが、怖いモノ苦手なはずのお前の目は据わってるんだよなぁ」
洗い物を進める私の横で、ルークが皿の水けをとってくれる。この流れ作業はなにか言わなくても自然に行われる。家事の手伝いもちょっとはしなさいと、日頃男どもを教育しているたまものであろうか。
「まあ、ほんと今更かなって思うが。子爵から依頼を受けたときからギルドの意見は誰も変わってねぇーんだし」
「……」
マスターとして踏ん切りがつかなかったのは私だけだ。あまりにも色んな意味で恐ろしいものと対面することになりそうな気がする。
「……私、ずっと疑問に思ってたことがあるの」
「? なんだ?」
「…………なんで、私だったんだろうね?」
シリウスさんに助けられたあの日から、自分が聖女であると言われたあの日から、思わなかった日はないくらいに。
どうして、私が聖女だったのだろうか。
「歴代の人物を紐解いても、明らかに私って異質なのよ」
勇者はそれなりに色んな特性の人がいた。それこそクレフトのように人格に問題がありそうな人も。だが聖女に至っては、それがない。裏を疑いたくなるくらいの清廉潔白な美しい心の持ち主ばかり。優しくて平等で……それこそ聖女のイメージにぴったりな人物ばかり。
「それは……」
「みーんな言うじゃない? え? あんたが聖女!? って。そりゃーそうよね、聖職者にもみえない普通の小娘で、それなりに意地の悪いところもあって、好意的に言っても聖女的な性格じゃない」
だからこそ、誰もが私が聖女と一目で気がつかないし、しょっぱなクレフト達には聖女であることを疑われた。聖なるオーラもまるで感じられない。証はただ、『司教様』にそう言われたというだけ。教皇様がなにも言わなかったところをみると、教皇様も同じなのだろうか。
聖女として確かな力も授かったが……。それは元々私にあったものではなく、与えられたものだ。選ばれる基準ってなに?
「あんまりにも胡散臭すぎて、もうなにを信じたらいいの状態よ」
無理やりに聖女であることを受け入れ、背負って、勇者に見限られ、ギルドを作った。魔王さえ倒せば、すべてから解放されると思った。世界は一応の平穏が訪れると。そういう風にできている。そういう風に道がしかれている。
それすらも歪に思えてしまったのは……私の思い込みすぎるゆえだろうか。
でも、さ。
聖女を選定するのも、勇者を決める聖剣も――――全部、女神の手のひらのうち……なんだ。