*13 気になること
私は、クレメンテ家の長男として今から二十九年前に生を受けた。跡継ぎの男児として、誕生したときは喜ばれたらしい。私も微かに残る幼子の記憶に、それなりに両親に愛されたような思い出がある。
けれど、それはあまり長くは続かなかった。
今でもよくわからないのだけれど、私は『違った』らしい。
なにが? どこか?
クレメンテ当主とその正妻の間に生まれた、不純な血など入っていない男児。母上に不義があったはずもない。確かに私は母上の腹から生まれ、父上の血を継いでいる。それを疑う者はいなかった。
なのに。
父上は、私が『違う』ことを知ると私の相手をまったくしなくなった。母上は、父上の気持ちが離れるのが恐ろしくなったのか私の育児は途中で放り出された。乳母がいなければ、私はまともに育たなかったに違いない。
父上のことばかり気にする母上を、私は幼いながらに疑問を抱いていた。成長し、その理由はすぐに理解できた。父上は、とても女性にモテる人だったのだ。容姿はさることながら、うわべをとりつくろう口のうまさには舌を巻いた。父上の周囲には、妻も子もいるというのに不特定多数の女性が常に入り乱れる状態だったのだ。それが異様だということは子供でもわかる。
母上もまた、父上の得体の知れない魅力に飲まれた一人だった。
これほどまでに女性にだらしないというのに、嫌気がささないのだろうか。
そう、考えるのは私が男だからだろうか。
女性関係のいざこざが多すぎて、私は家にいるのが地獄のような心地だった。あまり口にしたくはないけれど、私が『クレメンテにふさわしく美しい』とモノのように扱われることもあったし、変な目で見られることも多々あった、事に及ばれそうになったこともあったから必死に護身術を覚えたくらいだ。
誘拐未遂も日常茶飯事、家の中だというのに安全な場所は一つもない。
私はどこかに行ってしまいたかった。とにかく家の中が苦しかった。実際、何度か家出して野宿したりもしたかな。貴族なのにサバイバルスキルが高い理由はそこからだよ。
家にいる意味もなくて、両親も家出をした私を熱心に探すこともなかった。だからしばらくふらふらしていた時期があったね。でも長く家を空けることはそれでもなかったよ。
小さな弟がいたから。
ベルナールは、私が四つのときに生まれた。息苦しい家の中で、唯一純粋無垢な命で赤子のあの子の手を握ったときに感じた温かさを今でも覚えている。
両親はこの子にどう接するのかが不安だったけど、父上はベルナールを腕に抱いたときに『この子が継いだ。本物だ』と言った。私は違ったが、ベルナールは本物だと。
それの意味するところはわからない。だが、父上はベルナールを大切に扱っていた。だからこの子は大丈夫だろうと、そう思ってしまったんだ。それが最初の間違いと油断だった。
あるとき、ベルナールが死んだ。
私は突然そう聞いた。理由や死因は聞かされなかった。ただ、死んだと告げられた。母上はそこから少しずつ精神が崩壊しはじめた。私は弟の死を悼み、傍にいなかった自分を責めた。
けれど、君も不思議に思うだろう? だって今、あの子は生きている。
そう、不可思議なことに『死んだ』と告げられた弟が生きていた。生き返った。その方法がいかなるものだったのか……一度死の淵に落ちた反動なのか、ベルナールは重い障害をもった。人を認知できず、感情もなく、ただただ美しいだけのお人形。
父上は残念そうに言った。
『器だけあっても意味がない』と。
あれだけ贔屓していたのに、父上はベルナールを放置し、徐々に気が狂い始めた母上は部屋に閉じこもるようになった。それからは私が傍にいたよ。もう、後悔はしたくなかったから。
年月は瞬く間に過ぎて、そしてリクは現れた。
リクの母親は、私達と同じではない。父上の不義で生まれた愛人の子だ。いつかはこんなときが来るかもしれないとは思っていた。隠し子はもしかしたらもっといたのかもしれない。しかし父上が認知し、家に迎えたのはリクだけだった。
母上は、今度こそ発狂した。
浮気はわかっていただろう、だが目の前に自分以外の女が生んだ子がいれば正気が保てるはずもない。しかし父上は母上の状態など関係ないといわんばかりに、リクを後継として屋敷に住まわせた。
『上手く育てられれば、本物になるかもしれない』と。
リクは、黒髪だった。黒髪は東方の血が入っている証拠。古い貴族ほど血に混ぜることを嫌うが、父上はそんなことを気にしなかった。逆に母上は、黒髪と血のように濡れた赤い瞳に『この子は悪魔の子だ』と罵った。
私はベルナールとリクを抱えて、あちこち家の中を逃げ回る生活を続けることになった。広い屋敷の中をなにを考えているかわからぬ父と、気が狂った母から弟達を守ろうと必死に。
馬鹿げているだろう?
とても異様な日々だった。味方と言えるのはロランスくらい。長年この家に仕える彼は、父上の信頼が厚い。だからこそ、彼の言葉だけが父上に届き、私達三兄弟は無事にいられたといっても過言ではなかった。
しばらくを無事に過ごした私達だったが、最後はあっけなく訪れた。
私が少し、目を離したすきに……母上の侵入を許してしまったのだ。すでに正気を失っている状態の母上は、意味不明な言葉で金切り声をあげて、何度も何度も――ナイフでリクを刺していた。
真っ赤に染まった絨毯に、私の頭は真っ白だった。
なにが起こったのか理解したくなかった。だが、体は自然に動いていた。
私は母上からナイフをとりあげて、なおもリクを害しようとする恐ろしい執念に震えながらも母上を斬った。母上の顔に残る傷は、私がつけたものだ。
顔を傷つけられた母上は、リクに対する憎悪よりも綺麗な顔が損なわれたことを一番気にして、のたうち回りながらも顔を元に戻せとロランスに訴えていた。
呆然とした頭で部屋を見た。
真っ赤な血の海に沈むリクはぴくりとも動かない。その小さな手は、茫然自失となったベルナールに延ばされたまま。ベルナールは救いを求める弟の手をとることもできなかったのだろう。人をうまく認識できないベルナールは、目の前で助けを求めるリクの声すら届いていなかったに違いない。
だが今、動かなくなったリクを見つめるその瞳は……弟を認識している。
最後まで、認識しなければ自分が『見捨てるのに等しい行いをした』ことに気がつかなかったはずだ。最悪のタイミングで、ベルナールは弟を見てしまった。
ベルナールがはじめてみせた感情が『後悔』や『罪悪感』だったのなら、それほど悲しいものはない。世界はもっと別の感情に満たされている場所があるのだと、伝えてやりたかった。
リクは……かろうじて生きてはいた。だが父上は『器も使い物にならなくなった』として、リクを廃棄することにした。
意味がわからなかった。人間の処遇に対して『廃棄』という言葉が出ること自体異様だ。
私は様々な伝手を頼って、リクをなかったことにした父上からリクの命を助けるため、とある人に弟を託した。それからの行方は、私も誰も知らない。知ってはいけない。あの子が自由に生きていくためにも。
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ベルナール様が、ずっと頑なに隠していた理由がわかった気がした。
あまりにも異様すぎる。夫人が私を見て、執拗な態度をみせたのは愛人の子供であったリクと同じ髪の色だったからだろう。
リクは、本当に東方の人間だったのだろうか? 黒髪には別の理由があることを先日知ってしまった。もしも彼が覚醒者だったのなら、なにか特殊な能力があったのかもしれない。だから、迎え入れることにしたのだとしたら。
七つに分けられた悪魔の心臓を受け継ぐ、七家。
断絶、封印、呪い。
嫌な予感しかない。同じく七家に名を連ねるベルフォマと同じく、その血のどこかに悪魔がいるのだとしたら、クレメンテもまたベルフォマと同様の結末を迎えるのではないだろうか?
聖教会は古の時代からずっと、悪魔と敵対している。始祖なる悪魔の分離体であるシリウスさんを殺したのが聖教会なのだとしたら、ずっと教会は悪魔を探していた、または監視していたはずである。
ルークは、レティシャさんやシャーリーちゃんを監視していた者と聖騎士に同じ気配を感じとっていた。そしてとあるときからいなくなっている。
そもそもが彼らの目的としてラミリス伯爵の周囲を探るものだったのだとしたら? 本当の目的はリゼだった可能性がある。……これは飛躍過ぎる想像でしかないけど。
司教様の話が本当なら、クレメンテ家もまた教会の監視があったはずだ。ベルナール様を特に気にしていたという。七家のほとんどは王都にあり、王家がその一つでもある場所。そこにはサンマリアベージュ大聖堂があり、聖教会の教えが浸透している。
七家はずっと監視されているのではないだろうか?
そしてなにかのきっかけで『本拠地』に捕らえる必要がでてきたから、ベルナール様は連れて行かれたのではないだろうか?
クレメンテ前子爵の言葉が気になる。
クレメンテ子爵は『違う』。
ベルナール様は『本物』。
リクは『本物になる可能性』。
ベルフォマ家と違って、悪魔が宿る人間がまばらだとしたら……長子が必ずしも後継になるわけではなかった? ベルフォマと同じなら、悪魔は代々血に封じ続けなければ大災厄が起こる。クレメンテが古の封印をどこかで解いてしまっているならば、その手段をとった可能性が高い。
封印し、受け継がなくてはならない悪魔がこの代で不完全なものになってしまっている……?
子爵は最初から受け継がず、正規に継いだはずのベルナール様は一度落命したことで完全ではなくなり、リクは器ごと破壊された。
封印が完全でないなら、呪いは大きく広がっていくことになる。
「……シア?」
「っは!?」
「なんだかぼーっとしているね。ごめんね、母上がわずらわせてしまって」
「い、いえ。……色々と気になることがありまして」
ぐるぐると嫌な想像ばかりがはかどってしまう。これはすでに、ギルドの存続どうこういう規模の話でもなくなっているのではと。下手をすると誰にも気づかれずに大災厄が起ころうとしているのではないだろうか……。
背筋がゾッとする。
「とりあえず家系図だ。あれがなにかヒントになっているはず」
そうだ。まずはベルナール様が示したものを読み解かなくては。想像の域をでないことをぐるぐる考えても時間の無駄である。
『――――』
え?
なにかの歌のような、言葉のようなものが風に流れて耳に届いた。立ち止まって振り返っても誰もいない。子爵も不思議な顔で私を見ていた。
気のせい?
もう一度歩き出して、ふと足が勝手に動いていることに気がついた。
え? あれ!?
『――――』
聞こえる。確かに、誰かの声が。綺麗な女性の声が。
導く。
誰?
子爵が呼び掛けているが、私の意識はそちらにしかいかない。返事もできない。足は勝手に動く。
戸惑いながらも導かれるままに進んだ。なぜだか嫌な感じがしない。この屋敷の漂っていた重い空気すらも今は澄んでいる気がする。
しばらくして足が止まった。視線を前にすれば、そこには一人の女性が立っていた。
真っ白な長い髪に、濡れた血のような赤い瞳。白い肌は、しかし血が通っている生命を感じ出せる色で憂いを帯びた表情が少しだけ痛ましく感じる。
彼女はすっと、細い指を伸ばして私が進むべき方向を示した。
「あなた……は……」
見覚えがある。
それに白い髪と赤い瞳は悪魔の特徴だ。リゼに触れたときに見た女性、そしてリゼの中に潜む影……そっくりで、そしてまったく違った雰囲気。
『――時間ガ――ナイ、ノ。クロ ノ コ――光カラ、ドウカ 救ッテ』
優しい声。
懐かしい声。
よぎるのは、シリウスさんの姿。重なる。
強い風に瞳を閉じて、再び開いたときには女性の姿はなく。
「シア?」
私に追い付いた子爵が不思議そうにしている中、私は彼女が示した場所を見つけていた。