*12 傲慢だよね
「……郊外、とは聞いてましたけど……」
思ったよりよほど辺鄙なところだった。
王都であることは変わりないが、本当に端っこの方だ。王都は住民の多くが住む場所を大きく外壁で囲まれている。東西南北に大きな門があって出入りを管理する騎士が待機している。たしかそこの担当は王国騎士団の第七部隊だったはずだ。
しかし門の外側が王都の外というわけでもなく、田園などが広がる場所も王都郊外に位置するし、以前ギルド大会が行われた会場も外壁の外側にある。とはいえ、隠居状態となった貴族だとしても外壁の外に屋敷を構えているとは想像していなかったのだ。てっきり、郊外でも外壁の隅っこのあたりだと思っていた。
ずいぶんと外壁内から離れたところに、前クレメンテ子爵の屋敷があった。なかなか立派な屋敷ではあるが、寂しい感じは否めない。よくいえば静かで、悪くいえば活気がない。王都にある屋敷は、華やかな白薔薇の生け垣のアーチや、カッコイイ紋章などが飾られているがこちらはかなり簡素だ。
クレメンテ子爵が屋敷に顔を出すと、使用人らしき女性が少し驚いた顔をしたが平静を装った風に無表情で屋敷内へと案内してくれた。
彼の家庭環境は、色々と複雑だと耳にしていたが本当に関わり合いになりたくはないくらいに、問題が多そうで息苦しい。使用人達も感情があまりみえないくらいに、常に平静をとりもとうと必死になっている気さえする。ガリオン大聖堂でみた聖騎士達は仕事に対して高い意識を持っている感じで、あえて無感情に仕事をこなしている風にみえたが、こちらは相当無理をしているように感じる。まるでこうしないと自分がどうにかなってしまいそう、という風に。
そう感じるくらい、クレメンテ子爵家別邸は異質な空気に包まれていた。
……なんか、気持ち悪い。
屋敷に近づくたびに感じていた。震えがくるほどの気味の悪さ。ゴーストが傍にいる感覚にも近いが、また別のもの。自然と体が震えてしまう。
「何度来ても空気が重いな。昔はこれが本家の方では当たり前だったけど……私が当主を引き継いだら『コレ』も引き継ぐのを覚悟していた。けど、結果は父上達が本家を離れると同時にこの重さも連れて行ったんだ」
クレメンテ子爵は家系に継がれる呪いめいたものをどこか感じ取っていたのだろう。伝承として残されているものの、どの程度が真実かはわからないにしても、己の家によくないものが付きまとっていること自体は理解しているようだった。
「スィード様……いらっしゃいましたか」
「ああ、すまない。父上達を逆なでするつもりはないから、目的のものをすぐに見せて欲しい」
初老の男性が静かに頷いた。
態度や恰好から、本家にいる老執事ロランスさんと同じ現場をまとめる執事だろう。
「あの、ご挨拶しなくても?」
「いい、気分が悪くなるだけだよ……お互いにね」
いつも優しい表情を浮かべる彼が珍しく固い表情だ。
まあ、色々あったようだし、そもそも家督も無理やり継いだらしいので確執も大きいのだろう。執事に案内されたのは離れの小さな建物だった。多くのクレメンテ家ゆかりの物が保管されている倉庫らしい。鍵が手渡され、子爵が扉を開けた。執事はついてこない。この中に使用人は入ってはいけないようだ。私は子爵に許可を得て入ることができた。
「倉庫はいくつかに分かれております。ここが一番大きな倉庫ですが、目的のものがない場合は別の方かもしれません」
探している家系図の正確なありかは、前当主しかしらない。しかし事を前当主に知られると面倒になることが子爵と執事の会話と態度から察せられる。こちらとしてはさっさと探して帰りたいところだが、所在がバレるのが一番まずいようだ。
しばらく広めの倉庫内を探ったが、あたりはなさそうだった。
「すまない、別のありそうな倉庫へ案内を頼む」
子爵はずっと居心地悪そうなままだ。親族がいるのに、顔も合わせたくないとは複雑すぎる。記憶がないゆえに家族に憧れのある私だが、一概に家族がいることが幸せというわけではないのが難しいところである。
うーん、とひとり家族というものの在り方なんぞをぐるぐる考えながら歩いていると。
「美しい銀が見えたからあの子だと思ったのに……」
引きつったような、上ずったような、高い女性の声が絶望にも、恨めしそうにも聞こえる声音で言葉を紡いだ。誰だろうと視線を合わせると、そこには栗色の長い髪をした女性が立っていた。
『幽鬼』ともあらわせるような、少々猫背の立ち方で、衣装は貴婦人のそれだが髪はざんばらにほどけてあまり整えられていない。
「――っ」
視線を目に合わせてしまったのがいけなかった。女性の焦点はまるであっていない。どこか虚空を見つめるようにゆらゆらとしている。容姿は、それなりに整っていたのであろうことがうかがえるが、やせ細った頬はそげており、肌の色つやが悪い。そしてひときわ目立つのが左頬に走った深い傷だった。
「……母上。お体が悪いのですから、あまり外にお出にならない方がいいですよ」
隣に立っていた子爵がそう言った。なんとなく、そうかもと思ったがあたったらしい。冷えた声音は、自分に向けられたものではないとわかっていても寒くなる。気遣うような単語の羅列だが、感情は一切こもっていなかった。
「盗人がぁ! 私の可愛いベルを返せえぇぇっ! お前は、お前は私からまたなにを盗ろうっていうの! 私の美しい顔も、可愛いベルナールも家も金も――! 私はもうなにも持っていない! 返して、全部返せぇっ!」
金切り声をあげて暴れ始めた夫人を執事が必死に抑えた。
「奥様! そのように興奮なされるとお体に障ります!」
まるで獣のようだった。人間の意識をどこかに捨ててしまったのかというほどの。
「母上の精神は、かなり前からほとんど壊れているんだ。もう私が息子ではなくただの盗人にしか見えないらしい」
母親に向けて、なにか感情を作り出すこともすらも億劫なのか、淡々と言った。母親と対することに疲れている、とも感じられる。
「人を認識できなかったあの子を『出来損ない』として相手にもしなかったくせに、傍に誰もいなくなって今更欲しくなるだなんて傲慢だよね」
耳につんざく言葉が痛い。耳鳴りが酷い。
「黒髪の死神も連れてきた! お前はどれだけ奪い壊せば気がすむのよぉ!!」
精神崩壊していても、深い部分では感情が鮮明なのか、子爵への感情と私の持つ黒に執拗に反応する夫人に、私の両耳がそっと塞がれた。子爵は私の耳を塞いだまま、屋敷の入口まで戻ったのだった。
「まったく、災難だ。いつもは部屋から出てこないんだけどね……。たぶん、窓から偶然私の髪色だけ見えたんだろう」
それでベルナール様の方と勘違いしたのか。
髪色、か。
「夫人、私の黒にすごく反応されてましたね」
「……まあ、あの人は生粋の貴族だからね。黒を忌み嫌う風習は古いとはいえ、残ってはいる」
「にしては、恨みの感情が深い気がするんですけど。貴族に知り合いはあまりいませんが、表向きはそれほど敵意をあらわにはしませんよ」
婚姻ともなれば話は別だろうが、昨今古い意識の強い老人でも黒をそれほどわかりやすい形で敵視したりはしない。多少馬鹿にはされるかもしれないが。
「子爵やベルナール様が、特に黒に対して特別な印象をお持ちなのではと思えるほど、なんだか優しい態度をとりますし」
初対面で、あまり感情の起伏がなかった頃のベルナール様だったが『黒』には、穏やかな表情を浮かべたほどだった。思えば、はじめて子爵と会ったときも、同じような態度だった気がする。
「……うん、そうだね。私やベル君にとって、黒はとても特別なもの……だったよ」
過去形か。
「黒、じゃなくても、あの子がどんな色をしていても……私達はあの子を愛していたからね」
「それは……」
脳裏に浮かぶのは、ベルナール様の部屋で見てしまった写真の少年。
黒い髪、赤い瞳の……二人によく似た美しい少年。
「その顔は、もしかしてなにか覚えがあるのかな?」
「す、すみません……実は」
私は部屋で見てしまったことを話した。
「そうか。そういえば、ベル君の部屋にはいくつか写真立てがあったけど……そう、今でも持っていてくれたんだね」
少しだけ穏やかな表情が浮かんだ。この屋敷に来てから、冷たく固まっていたから久しぶりにみたような気がしてしまう。いつだってこの人は、こんな優しい表情をみせる人だというのに。
「クレメンテ家は業が深い。それは貴族全体に言えることでもあるけれど、私達の家は特に。呪われているのではないかと思うほどに」
子爵は少しだけ語ってくれた。
クレメンテ家の、人の、あまりにも身勝手すぎる醜き業によって存在ごと葬り去られた末の弟――リク・ラウ・クレメンテのことを。




