*10 似てんなって
己の失われた過去が、こんなにも気になったことはない。
ないならない。
今は今。そんな感じであまり過去を知りたいと思ったことはなかった。どうせろくでもないものだと思っていたし。
過去の残滓がちらつくようなできごともなく、唯一あるのはあの女の姿のみだ。たいして深く考えることもなく十九年を過ごしてきた。まさかこんなところで、教皇様に過去を匂わせるようなことを言われるとは思わなかった。
初対面でよぎった、あの女の姿……似ているのか、似ていないのか判断もつかないような曖昧なもの。けれど背筋が震える。怖い、と感じとっている。教皇様は、私の失われた過去を知っているのだろうか。
『今度こそ、私の娘になって』
彼女が私を欲する理由とはなんだろう? 聖女だから? けれど彼女の話を聞いていると、聖女うんぬんの話題はでてきていない。まるで自分が私の産みの親を知っているかのような含みで話してくる。
懐かしい香りを漂わせる紅茶が、ゆらゆらと動揺にゆれる私の気持ちを表すかのように波打った。
「大丈夫か? シア」
私は無事に部屋に戻ってきていた。
教皇様は、強硬な手段には出ずに気持ちを伝えるのみに終わって、帰してくれた。返事が欲しいとは言われたけれど。
部屋に戻って早々、ぐったりと私はベッドに横たわってしまった。土地柄の影響も受けて、体調は万全とはいえない状況の中、心労がたまり過ぎた。でかけていたらしいルークが戻ってきて、ベッドに倒れている私を見て、慌ててかけよってきたのだった。
「色々……疲れた」
「そ、そうか。教皇様となにか話したのか?」
「んー……」
一人でぐるぐる悩むより、口に出して誰かに話した方が落ち着くかもと思い、ルークに教皇様との会話の内容を伝えた。
「なんか、それってかなり匂わせてきてるよな?」
「だよねぇ。はったりかもしれないけど……」
私が孤児である情報は当たり前のようにあるだろうし、それっぽくでっちあげるくらいはできるだろう。だが、紅茶の匂いや好きなコーヒーのメーカーの話とか……なによりパイの味がそっくりなのが気にかかる。
「……変なこと言っていいか?」
「なに、変なことって」
「はじめて教皇様の顔を見たときから、ちょっと思ってたことがあったんだ。……なんか、シアと教皇様の顔って似てんなって」
「…………ほんと?」
ルークが頷いた。
似てる……かなぁ。自分ではよくわからない。教皇様は金髪で、私は黒だ。目の色なども含めて遺伝的な共通点はないように思えるけど。
あー、でも私って司教様によると覚醒者というものらしいから、色の遺伝は無意味に等しいのかも。
「まさかの実の母親オチ?」
自分で口にしてみて嫌な気分になった。なんでこんなに嫌悪感を感じるんだろうか。
「うーん……顔は確かに似てると思ったが、俺はどちらかというと可能性として親戚筋なのかなって思ったが。会話からしても、なんか自分のことを言っているというより親しい他人の話をしているっていうか」
そういえば、そうか。
教皇様は、私は色々知っているのよって顔をしながらも、親しき他人事を語っていた。
「女って見た目で年齢よくわかんねぇーこと多いけど、たぶん教皇様ってシアの母親というには歳が若すぎると思うんだよな」
「確かに、見た目は二十代半ばくらいに見えるよね。ちょうどベルナール様と同じくらいに」
年齢不詳の美魔女代表ラミィ様とかいるけども。クウェイス領の領主は代々女性で、容姿が同じ、どの年代を見ても若く美しい姿のままとされ、噂では不老の魔女ではないかともいわれるラミィ様。真実は、追わない方がいい類の筆頭である。
「くっそ、ここ酒がねぇ……。さすがにもう帰りてぇな」
うんざりとした声で文句を言いつつ戻ってきたのは司教様だった。数日間、禁酒状態でイライラが加速している。私としてはもう少しひかえて欲しいと思っていたのでいい休肝日だったと思う。
司教様は手に持ってきた紙袋からゴソゴソとビンをとりだすと、ポットからカップへお湯を注いだ。しばらくして漂ってきたのは、嗅ぎなれたコーヒーの匂いだった。
「……司教様ってコーヒー飲むんですか?」
「紅茶よりは飲むな。もっぱら酒ばっか飲んでるが、昔はコーヒー派だったしな」
大好きなお酒がないので、しかたなくそれなりに嗜んできたコーヒーを飲むことにしたらしい。
「そのコーヒーのメーカー……」
「大陸で有名なブランドだ。どこの国でも飲まれてるだろ。飲みやすいしリーズナブルだしで、俺は昔からコレ」
そう、そうだ。私の好んでいるコーヒーのメーカーは大陸でも有名なものでどこの国でも飲まれている。特別なものでもなんでもない。それを好んで飲んでいる人なんて司教様含めてごまんといるだろう。でっちあげもしやすい。
でも、紅茶は?
「司教様って……帝国人、なんですよね?」
「ん、ああ。そういや教えてたっけな」
生まれは帝国と王国の境にある町だったらしい。ちらりとそんな話を昔にしていたのを思い出した。縁あってシリウスさんにリフィーノ姓を与えた『おじいさま』も帝国人だ。二人は帝国に所縁深い。
「帝国産の紅茶は、お好きですか?」
「俺、コーヒー派だっつたろ。紅茶は飲まねぇ。そもそも帝国人は八割くらいがコーヒー派で、コーヒーが主流なんだよ。だから帝国産の紅茶は一種類しかないんだが、俺は好きじゃねぇ」
帝国産の紅茶って一種類なんだ……。
その匂いに懐かしさを覚える私って、どうなってんだ。
司教様は眉間に皺を寄せて、こちらを見た。
「そういや、ずいぶんと怠けた格好してやがんな。教皇に精気でも吸われたかよ」
「まぁ、ほぼほぼ正解ですね」
司教様はため息を吐いた。
「教えといてやるが、あいつが言う言葉は全部意味も価値もなにもねぇーぞ。目的のための手段に、いちいち気持ちは込めないもんだ」
飲み干したカップを置いて、もう一度お湯を注ぐ。あまり味わって飲んでいる風には思えない。
「じわじわ追い詰めてしとめるのが、あいつのいつものやり方だ。人畜無害みたいな顔して、えぐいドS女だから気をつけろよ」
言葉の端々に鋭いトゲがある。やっぱり二人はかなり仲が悪いようだ。でも、司教様を司教様の地位にしたのは教皇様なんだよなぁ。どういう意図と経緯があったのだろう。
「はぁー、早くなんか手掛かり見つけてベルナール様をなんとかできる手が欠片でも見いだせたら、戻って相談もできるんだけど……」
このままだと、そのドS教皇様にチェックメイトされて狩られる未来がやってきてしまう。私としてもギルドのメンバーの気持ちとしても、ベルナール様の件はなんとか解決したい問題なのだ。
「そのことだが、少し手を見つけられたぞ」
「えっ!? 本当ですか!?」
私は倒れていた上半身を起こした。
「酒を求めてウロウロしてたら、偶然な。空から鍵が降って来てよ」
司教様が見せてくれたのは銀色の鍵だった。
「よく見たらこの鍵、クレメンテ家の紋章が入ってんだよ。ルークが見当つけてた塔の近くだったし、もしかしたらな?」
ぽいっと雑に放り投げられたので、慌ててキャッチした。
「お前の体も限界が近い。教皇にからめとられる前に一度帰れ」
「……この鍵、なんの鍵なんでしょうか? 今回の件で手掛かりが?」
「こんなタイミングで意味のねぇ鍵あいつがとらせるか。黒歴史の日記帳を開ける鍵だったら遠慮なくやつをぶん殴りにいけ」
冗談が辛辣。
銀の鍵を見つめていると、
「終わった過去と、これからの未来。お前はどっちを手にしたい?」
司教様のぶっきらぼうな質問に、私は深く息を吐いてから膝を打った。
「帰ります、ギルドに」
はっきりとそう言った。
思わせぶりな教皇様の言葉に動揺してしまっていたが、その一言で気持ちがすっと落ち着いた。どうせろくでもないと分かっている過去だ。そんな話にぐらぐらしている暇があったらよりよい未来のために動いた方が建設的である。
私は司教様の協力の元、ルークと共に大聖堂を脱出した。
あっさりと。
誰に見咎められることもなく。警備の穴をついて、出ることができた。少しだけそのことが引っ掛かったが、今は横に置いておく。
私は鍵を握りしめて、手掛かりが残る王都へ引き返して行った。




