☆14 またね
慎重に階段を上りきると、開けた場所に出た。どうやら二階は一階と違って大きな部屋が一つあるだけのようだ。職人街に多くある廃工場の一つなのか、あちらこちらに廃材が捨て置かれたままになり錆びついている様子が窺える。
その部屋の真ん中あたりに三人の男女が各々寛いでいるのが見える。
一人は細身の男。大き目の木箱の上に腰を降ろし煙草をふかしている。
もう一人は大柄の筋肉質の男。二人の人物から少し離れたところに立ち、周囲の様子を注意深く見回している。隙のなさそうな厳つい雰囲気で、おそらく武道の嗜みがあるだろう。二人の護衛的立ち位置なのかもしれない。
最後は、女性。
金色の長い髪に、青い瞳の美しい人だ。少々露出度が高い服を着ており、化粧も濃いめで爪も真っ赤、靴は高いヒールになっている……ものすごく派手な女性である。だが、どことなくリーナと面影が重なるところもあり、きっと彼女がリーナの母親なんだろうと想像できた。
リーナの手に再び力が籠る。
「どうする? 細身の男女はどうにかなるとして、あの大柄の男は俺じゃ難しいぞ」
「いえ、大丈夫よ」
大柄の男の能力を分析して、私は自信満々に頷いた。確かにあの男は現在のルークより強い。けど聖女の奇跡を付加した強化魔法なら勝てるだろう。そしてさらに勝率を上げる為に。
「ルーク、今回は格闘で戦いに打って出て欲しいの」
「剣じゃなくか?」
「そう、まだルークの剣の腕は格闘より低いから、強化魔法が乗りやすいのは格闘の方なのよ」
ルークの剣の才はE。拳の才はCである。鍛えれば才が高いのは剣だが、今は拳に軍配が上がるのだ。ルークは私の言葉に頷く。準備は整った、いざ打って出る!
「リーナ、ここでシーツ被って大人しくしててね」
「はい……です」
リーナの返事を聞くと、私とルークは勢いよくシーツから飛び出した。
突如現れた私達に真っ先に反応してきたのは大柄の男だ。だが、遅い。私はルークにありったけの強化魔法をかける。
攻撃力アップのテンション、防御力アップのシールド、速度加速のブースト。
瞬く間に大柄の男との距離を詰めたルークは、渾身の拳を彼の腹におみまいした。
「ぐっ!?」
大柄の男の分厚く固い筋肉をえぐり込むように入ったルークの拳は勢いつけて男を吹っ飛ばした。鉄くずの山に突っ込み、がらくたを巻き散らしながら男は床を転がる。
その光景に残りの二人はただ呆気にとられていた。
「うわ……すげ」
大柄の男を吹っ飛ばした当人であるルークでさえ、自分の拳を見ながら呟いた。私としては驚くこともなく予想通りなので次に行動を移す。
「チェーン・ロック!」
その魔法の言葉と共に細身の男女二人の体に魔法の鎖が巻きつき、拘束する。いまだ状況が呑み込めずにいる様子である二人に私は近づいた。男の方はとりあえず置いておいて、女性の方に視線を向ける。
彼女は忌々しそうにこちらを睨みつけてきた。
「なんなのよ、あんたたちは!」
「私達はギルドの者よ。とある人物からあなたの捜索を頼まれてね、あなたに『ごあいさつ』に伺ったの」
そこまで言うと、後ろから小さな気配が現れた。
「おかーさん……」
我慢できなかったんだろう、リーナがカバーの魔法がかかったシーツを脱ぎ去りすぐ傍まで来ていた。リーナの姿を見た、女性は目を大きく見開き、そして燃えるような憎悪の光を宿す。
「あれほど! あれほど部屋から出るなと言ったでしょう!? 一人で留守番してろって言ったよね!? なんで言うこと聞かないの! お前の好きなぬいぐるみや、甘いお菓子もいっぱい用意してあげたのに、なんでこんなことするの、お母さんのこと嫌いなの!?」
「ち、ちが――」
「なんて悪い子なんだろう! ああ、やっぱりお前は疫病神よ! お前を連れていると悪いことばかり起こる。もう少しで、あと少しでまとまった金が手に入ってようやく幸せを手にできたのに!」
わめきたてる女に私ははらわたがぐらぐらしてくるような熱いものを感じていた。
こいつは何を言っているんだろうか。理解することもしたくない。
「お、おかーさん、リーナは……リーナはおかーさんといっしょにいたくて――」
「うるさい、黙れ! なにが一緒によ、これ以上わずらわせるのはやめて!」
彼女の歪んだ叫びに、リーナの大きな瞳から涙が溢れてくる。小さな体は小刻みに震え、今にも倒れそうになっているのを気力だけで立っているようだ。
ちらりと視界に入ったルークの拳は、握り込みすぎて血が滴っている。今にも走り出して彼女に殴りかかっていきそうな雰囲気だが、ギリギリのところで堪えているんだろう。
私だって、そろそろ限界だ。
「ねえ、リーナのお母さん。あなた……ここでなにをしていたの?」
「なによ、知らずに来たの? ギルドの人間が」
「もちろん見当はついてるわよ。でもしっかりとあなたの口から聞きましょうか。密売人さん?」
女は忌々しげに唇を噛み、私を睨んだ。
少しの間、睨み合いが続き――――。
「私は……幸せになるべき人間よ」
ぼそりと女は呟くように言った。
私は油断はせず、じっと彼女を見下ろす。
「生まれも不幸、生い立ちも不幸――なんでこんなに不幸なんだろう。周りの人間はあんなに幸せそうに笑っているのに、私はちっとも幸せじゃない。ずるいじゃない、私だって本当ならあんた達に負けないくらい幸せになれるの。だから求めたのに、私はがんばったわ!! いらない子を捨ても殺しもしないで、食べ物も与えて、玩具も与えて、寝床も与えて、お菓子もやった! なのになんで私はまだ不幸なままなの!? おかしいじゃない!!」
「――おかあさ……」
「黙れ疫病神! お前のせいで私はもっと不幸になった! 二人分の生活費を稼ぐために散々悪事も働いて、密売だって……なのになんでお前は不幸な面をしないっ、なんで私を見て笑うの!?」
つんざくような金切り声。
思わず耳を塞ぎたくなるような音だが、唇を噛みしめながら耐えた。
一番、耳を塞ぎたいであろうリーナが、涙をこらえながらぐっと耐えているのが見えたから。
リーナがふらりと一歩前に出た。
いくら身動きを封じているといっても完全に安全というわけじゃない。私は制止しようとしたが、リーナは首を振った。そしてそっと母親の間にしゃがみ込む。
「……リーナは、しあわせです」
「――は……?」
女は意味が分からないという顔で、リーナを見上げた。
リーナは、涙ぐみながらも微笑んでいた。
「リーナは、おとーさんをしりません。でもリーナにはおかーさんがいます。リーナをすてないで、ころさないで、たべものをくれて、おもちゃもくれて、ねるばしょをくれて、おかしもくれます」
女は、黙り込んだ。
「おかーさんは、リーナをほめてくれません。いたいこともします。でもリーナは――」
「う、うるさい……うるさいっ」
その先は聞きたくないと、駄々をこねる子供のように女は震えながら首を振った。
だけど、リーナは断固とした決意を持ってそれを口にした。
「リーナは、おかーさんが……だいすきです」
だから、そう続けようとして。
ルークが何かに気付き、跳ねるように背後を振りかえった。
「シア! 騎士団に気付かれた、踏み込まれるぞ!」
言われて、すぐに耳をそばだてれば下の階で鎧のものであろう金属の足音が聞こえ始めている。
「リーナ!」
限界を悟った私は、リーナを連れて転移し、この場を離脱しようと考えた。
ここで騎士団に見つかると面倒なことになる。
だがリーナは、首を振った。
「リーナは、おかーさんといます。おかーさんが、わるいことをしたのならリーナもいっしょにあやまりにいきます。おかーさんをひとりにしません」
「リーナ……」
私には、どうして酷いことをする母親にそんなことができるのか分からなかった。
私は孤児で、親の顔を知らない。捨てられたのか、親が死んだのかも知らない。子供にとって親は重要で、必要なもので、特別なものなのだと知識で知ってはいても実感はできなかった。
最初から、いないのだもの。
知る由もない。
でも、リーナの顔をみていると無理をしているようにも見えなかった。
心の底から、そう思っているんだろう。
近づいてくる足音を聞きながら、私は胸が痛くなる思いだった。
置いて行きたくない、連れて行きたい。あの女から引き離したい。
でもそれは、私の自己満足に過ぎない。
リーナの決意は、リーナだけのものだ。
私は、リーナから目を反らすとルークの腕を掴んだ。
「シア?」
「――行くよ」
足元に転移魔法陣を展開する。その様にルークは慌てた。
「シア!!」
「――リーナ」
ルークの叫びを耳にしながら、リーナを最後に振り返る。
リーナは、にっこりと笑った。
「さよなら、おねーさん、おにーさん。おかーさんにあわせてくれて、ありがとうございます。おれい、ちゃんとできなくてごめんなさ――」
「いいえ、私達はギルドの者よ。報酬はきっちりいただくわ」
「……え?」
「だから――またね、リーナ!」
笑顔で手を振って、私は魔法陣を発動しその場から転移した――――。
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リーナは、その場に立っていた。
シアとルークが消えた場所をずっと見つめて。
「……なんで?」
ふいに声をかけられて母親を振り返る。
彼女は顔を伏せたまま、呟くように言う。
「懐いているんでしょう、あの生意気な子達に。なぜ、一緒に行かないのよ」
「……リーナはいいました。おかーさんといっしょにいるって。だからいきません」
「――意地っ張りね」
「それ、おかーさんにいわれたくありません」
その辺は、似た者同士だと容姿は母親似だけれど中身はぜんぜん違う母親と自分の唯一似ている内面の部分なんじゃないかとリーナは思っていた。
『またね』
リーナの頭の中に、シアのその言葉がずっと残る。
またね、は――再会の約束。
リーナは、またおねーさんたちにあえるのでしょうか?
騎士の足音が、すぐそこまで迫る。
あと、数秒もすればきっとここの扉を蹴破ってなだれ込んでくるんだろう。
そのときをじっと、待つ。
そんなリーナの背を、ちらりと母親は見上げて。
そして。
「リーナ――――」
紡がれたその言葉に、リーナは目を大きく見開き。
そして、ぼろぼろと大粒の涙を零した。
――それが、リーナと母親との最後の会話となったのだった。