*7 どんな手を使ってでも
「お久しぶりですね、レヴィオス。会えて嬉しいわ」
教皇様は私に一度微笑んだだけで、すぐに視線を司教様の方へ移した。
「はっ、どーも。俺は会いたくなかったがな」
と、とんでもなく悪い口調とセリフを司教様が吐いたので私は背中に冷や汗をかいた。
「ふふふふふ」
「ははははは」
二人とも笑顔のはずだよねぇ!?
ねぇ、なんでこんなに寒いんですかねぇ!?
一気に寒気が体中を襲ってくるような錯覚に陥って、ガタガタと体が震えてしまう。そこにそっと寄り添うようにして距離を詰めたのはルークだった。彼はソファーには座っていないので後ろ側からだが、人間の温かさが伝わってきて、自然と落ち着く。
ルークの匂いは、だいたい石鹸だ。あとは汗と、草っぽい匂い。とても自然。高貴な感じも、不潔な感じもない。本当にただただ安心する。
ちょっと見上げれば、彼は少し心配そうな顔をしていた。
色々なことに鈍感ではあるが、他人の心の機微には絶妙に勘がいい。というか、ギルド大会で無理しすぎたこともあって、あれからさらに私へ対する対応が早くなった気がする。ついつい普段は同世代か年下のようにからかって遊んでしまうが、緊急事態にはしっかりと対応するのだからさすがのお兄ちゃん力である。彼の元の家族構成は知らないが、もしかしたら下に兄弟がいたのかもしれない。子供の扱いは最初から慣れている感があったしね。
「シア、あなたにも会えて嬉しいわ」
「ど、どうも……」
この氷河の上にぽつりと置いていかれた雛みたいな気分はなんなんだろう。右手に司教様、背後にルークがいるものの、吹雪の中にいる怪物には対抗できない怖さ。
「あら、どうしたの? そんなに震えて。初夏にかかる季節、それほど寒くはないでしょう?」
理由をわかったうえで言っているのか、それとも本当にわかっていないのか判断できない。表情は穏やかで、優しい印象を受ける。なのに心の底から溢れてくるような恐怖感。絶対的なものに、押し流され飲み込まれそうな予感。動物的な本能が、この人は怖い人なのだと警鐘を鳴らすのだ。
教皇様になにか返事をしようと口を開いた。だが、のどがからっからに渇き言葉がでない。教皇様が可愛らしい仕草で首を傾げている。
なにか言いなさい。
表には出していないが、悪気のない命令をする教育ママのようにどこか高圧的な感じがした。
「――ぶわっ!?」
急に視界が途切れた。
なに!?
「教皇、長旅でこいつも疲れている。だらだら適当なことをくっちゃべるだけなら、部屋に通せ」
「あら、つれない。長い長い間、ずっと待っていた時だというのに……」
偉い立場の人間とは思えないような、拗ねた女性の声が聞こえた。視界が真っ暗になってしまったので、はっきりとはわからないが部屋の中に他の女性は教皇様しかいないので彼女だろう。先ほどの穏やかな印象が少し変わっている。
さっきから頭をガシガシと乱暴に撫でられているが、この遠慮を知らない力加減は司教様だ。どうやら司教様は自分のコートを私の頭にかぶせたらしい。
小さな溜息が聞こえた。
「残念だわ、でも仕方がないわね。気がつかなくてごめんなさい。今、部屋へ案内するわ」
私は司教様に支えられて立った。司教様は私からコートを外す気はないらしい。私もなぜか教皇様の顔を見ることが嫌でそのまま司教様にしがみついた。
歩きにくいかな、そう司教様への遠慮が少しわいたタイミングで私は荷物のように手荒に小脇に抱えられることになってしまった。雑すぎて腹にダメージ。部屋に辿り着く前にスリップダメージでHPがゼロになりそう。
「せめておんぶ! できるなら格調高くお姫様抱っこ希望ですー!」
「あん? わがまま言うんじゃねぇ、転がすぞ」
「るぅーくぅー!!」
「し、司教様! シアは俺が運ぶっす!!」
ルークの目にも、なかなか司教様の運び方が雑に映ったのか同情の混じる声で慌てて荷物を引き取ってくれた。
ルークのおんぶがヒール並に優しくて泣いた。
「私とルークの部屋が同室じゃないだと!?」
「シア、逆になんで俺と同室だと思ったんだ……?」
いやいや、普通男女別室なのはわかってる。混乱してる。
なんでこんなセリフが飛び出てしまったのか、前の話の流れを聞いて欲しい。
教皇様は私達の滞在先として大聖堂の客室に通してくれた。立派な部屋で一室だけで今のギルドが全部まるまる入りそうな大きさだった。ベッドも一度に二人は寝られそうな大きさで、それがツイン。
そういう部屋が等間隔にいくつか並んでいた。
「こちらがシア、あなたの部屋です。レヴィオスとルークさんは別棟の――」
ここからさらに奥にある別棟にルークと司教様の部屋も用意してあると。ここで私はゾゾッとした。こんな敵陣ともいえる場所で二人と部屋が離れるのは命の危機にも等しい。教皇様はあからさまにこちらを引き離そうとしている。
そしてさっきのセリフになるのだ。
やだー、二人と離れたくないー!
「教皇、今は祭りで客も多いだろう。俺らに部屋を三つ割り当てるなんて贅沢する余裕はねぇーだろ?」
「お気遣いありがとうございます。でしたらレヴィオスとルークさんが同室でも……」
「いいや、三人で一部屋使わせてもらう」
三人で一部屋か。広さは十分、ただプライバシーはない。そしてベッドが一つ足りない。
「女性と男性二人なんて、ご一緒させられませんわ」
ですよね。
「よーく考えろよ教皇。俺はこのぺちゃ小娘の伯父だ。どうあがいてもなんにもならんだろ」
世間体はー?
養子縁組だから血は繋がってないよー?
あと誰がぺちゃだ、ぺちゃってなんだ。
教皇様は少し悩むそぶりをした。
え? なんでちょっと悩んだの?
「それもそうですね」
それもそうですね!?
「実は別棟は、他の来賓で埋まる予定でした。……まあいいでしょう」
ということで、三人一部屋が決定した。
あれ?
離れるのは嫌だったけど、できるなら隣がよかった。同室をお願いした覚えはない。
教皇様が呼び出され、渋々退出すると司教様はようやくコートを外してくれた。
「俺、右のベッドな」
なんの相談もなくベッドが一つ足りない部屋の右側を確保する司教様。
「司教様~、見ての通りツインなんですけど?」
「お前らが一緒に寝りゃいいだろ」
「「とんでもないんですけど!?」」
たとえ同じお布団で寝てもなーんにもない自信あるけど!
「ああ? じゃあ、どっちか俺と一緒に寝るかよ」
「ルーク、一緒に寝よう」
「シア、そこは男らしくならなくていいぞ……」
キリッと振り向けば、ルークが頭を抱えていた。
結局、ベッドは私と司教様が使い、ルークはソファーで寝ることになった。すまない。だが、そんな後ろめたさはさっさとなくなった。ルークはどこでも寝れる子だった。
「おはよー、おはよーございまーす。朝ですよ。朝、朝。ぐっもーにん、いい朝ですよーーーー! ええい、起きろ二人とも!!」
ルークはソファーから蹴落とし、司教様は布団をひっぺ返してベッドから落とした。
「……ねみぃ……あと五分」
「て、てきしゅうか……? けん、えーっと俺の剣……」
ほんっとに朝に弱いなこの二人!
もう七時過ぎてるんだよ。朝食の時間に遅れちゃう。ルークはいつも朝ごはんの匂いで覚醒を促されるみたいだから、時計で起きられないんだろう。司教様に至っては日頃の不摂生のせいもあり、だらだら昼まで寝ていることもある。
私は二人の尻を叩くようにがんばって身支度をさせて朝食が振舞われる大食堂へと向かった。
「ああぁ……食った気しねぇ」
司教様はあくびをしながらぼやく。
まさしく精進料理だったなぁ。
ぐぅーーーー。
乙女らしからぬ腹の虫は私じゃない。私は乙女だから。鳴らしたのはルークだ。育ち盛り(そろそろ21歳)なのにモリモリ食べられないのは辛い。
「俺、餓死するかもしれない」
「うーん、どこか台所を使わせてもらえたらなにか作るんだけど」
祭りの参加者や来賓は、こういうのを楽しむためにも来ているらしく文句を言う人はいない。司教様的には来賓も来賓と吐き捨てている。酒のない祭りなんざ滅べとは司教様は過激派だ。
「そういえばお料理にはお米が使われてたけど」
余ってないかな?
そうわずかな希望を抱いて厨房を訪ねた。厨房の人に頼むと、いくらか余りはあるらしくお腹を空かせているルークを見て、あまりものをわけてくれた。話がまったく通じないわけではないらしい。
「いや、あの料理人、祭りの為に一時増員したヤツだろ。教会独特の匂いがしねぇ」
ということで、話がすぐに通じるのは外の人間だからのようだ。
まあ、なんとかお米をもらっておにぎりを作りルークに振舞った。
「い、生き返る」
「大げさだなぁ」
聖堂の厨房には肉や魚がないので、山菜を濃く味付けした煮つけがおにぎりの具材として入っている。まさかここまで食べ物の制限が厳しいとは。そういうのは祭りの間だけらしく、普段は教会の人間も肉や魚は食べるらしい。積極的ではないそうだが。
「で、お前らはこれからどうすんだ?」
司教様も足りなかった様子で、ルークにあげたおにぎりを一つだけとって食べている。
「ベルナール様の情報を集めたいですけど、歩けば歩くほど、ほんっとに異様なとこですよね」
綺麗なのにおぞましい。そんな表現がしっくりくる。
「神を信じる者の独特の空気ってやつだな。信仰心のない人間にゃ理解の及ばないとこではある。神を信じるなとは言わねぇーが、それで狭量になんのもどーかと思うのは俺の一個人の感想な」
宗教問題は大昔から多くの人間の頭を悩ませてきた問題でもある。簡単に解決するようなものでもない。人は弱い。だからこそあまたの神と信仰が作られた。心のよりどころを得るのはいいだろう。そうでないと生きていけないときもある。
だけど、信仰心はときに血なまぐさい事件を引き起こす。
神が赦すというのなら、神の名の下でなら……なんでもしていい。狂信者となれば、これがまかり通ってしまう。
「祈りを捧げる信者が悪いとは思わねぇーけど。俺も大事なときは、教会行って女神に祈ったりしてたし」
ルークがもぐもぐしながら言う。
神頼みなんて、誰もがやるだろう。バチがあたるとかそういう考えも、そういうもの。そのくらいのかるーい信仰で私はいい。考え方はひとそれぞれだ。
「……俺はねぇな」
司教様はぺろりと大きなおにぎりを食べ終わった。
「俺はない」
いつも以上に、司教様には、女神に仕える者には見えない声音で。
「神が殺せるなら、どんな手を使ってでも殺してやりたい」
それは復讐だろうか。
私は、司教様のことを全部知ってるわけじゃない。
その感情の正確な答えを知らない。
でも、もしも、本当に神様……女神がシリウスさんを殺したのなら――私もきっと、司教様と同じ顔をしただろう。




