*1 誰にも利用できぬ場所まで至ってみせましょう
ベルナール様が聖教会に拘束されたという報を聞く数時間前。
私は、緊張しつつ王城へと足を踏み入れていた。お城を訪れること自体は、それほど緊張を伴うものでもない。普通は緊張するのかもしれないが、私の場合はしばらくの間、生活の場にしていたこともあったり、気心の知れた知り合いが多いこともあって気軽に……とまではいかないまでも、それなりに緊張しすぎることもなく入れる場所ではあった。
しかし今回は、かなり緊張している。心臓がバクバクいっている。司教様に絶対に酷い目に合わされるとわかっているのにイタズラしちゃったときの心境に似ている。(それでもイタズラはやめられねぇ、止まらねぇ)
城に呼び出した人物が、姫様達やリンス王子、副団長あたりならばこうはならない。接触する機会も多かった彼らとはよく話もするから。だが、今回は本当にどうして私が呼び出されたのかよくわからない人物からの直接的な招致だった。お断り不可の。
私は慣れた廊下を迷うことなく歩いていく。広いお城だけど、道順は覚えている。王族が生活している奥の区画まではあまり行かないがその手前の建物に私がお世話になっていた部屋があった。今、その部屋はどうなっているのだろうか。少ない荷物を撤収してから、あの部屋がどうなったかは知らない。一応、客室ではあったようだから元の用途に戻っただけだろうか。
少し気になったが、時間に遅れるわけにはいかない。少し早歩きで王族の居住区入口で見張りをしている騎士の前まで辿り着いた。彼らは私の姿を確かめると、片方が案内についてきてくれることになった。話は通っているようだ。美しい回廊を少し行くと、道が二手に分かれる。右手の方へ行けば、何度か訪ねたことのある姫様達の部屋があるが、騎士が案内するのは左手の方だ。
左手の方角の先。そこは王様とお妃様、そして王子達が暮らす部屋が並ぶ。王位継承権を放棄したリンス王子の部屋もこちらにまだ残っており、成人するまでのあと少しの間をここで過ごすらしい。リンス王子とは親しいが、さすがに王子様の部屋に遊びに行くのはまずいのでこちらの方へ足を踏み入れたことはなかった。
――ああ、頭がクラクラしてきた。
司教様とは違った重圧感がのしかかってくる。あの人、司教様と違って怖いオーラをまとっているわけでもなく、今にも殺されそうな殺気を放っているわけでもない。だが、一つの言葉、一つの行動次第で破滅すら引き起こされかねないような怖さを持つ人である。
「どうぞ、こちらへ。殿下がお待ちです」
殿下。殿下……かぁ。
なんで私、呼び出されたのか。なにか彼に対してやらかした覚えはないんだけどな。
何度か深呼吸をして落ち着かせると、慎重にノックした。
「入れ」
「……失礼します」
部屋の中から主の入室許可が下りたので、私はマナーと猫をかぶって扉を開けた。中に少し入ると、案内してくれた騎士が扉を閉めた。もう逃げられない。部屋の主と二人きりである。
部屋の中央付近まで歩いていく。部屋の調度品などをざっと見るに執務室あたりだろうか。しかしこの建物は王族の居住区であって仕事する場所ではないはずだが。
大きな机の上に、どっさりと乗せられた書類と思われる紙の山が今にも崩れそうである。その中から、一人の男性が立ち上がり、こちらへと姿を見せた。
「突然の招致、悪かったな」
「いえ……」
問答無用の文面での招致だったが、一応詫びてくる彼に私は頭を下げた。
「暁の獅子ギルドマスター、シア・リフィーノ。ライオネル殿下の招致により参上いたしました」
私の礼に、今回私を呼び出したライオネル王子は頷いた。
彼と顔を合わせたのは、ギルド大会前の勇者や、聖女の件で王様と話したとき以来だ。王城で聖女の修業を続けていたときも、そのあとも私はライオネル殿下とだけはあまり親しくならなかった。常日頃からお忙しい人で私にかまう暇がなかったのだろうし、次の王様としてあまり下々と仲良くしすぎるのもいけないものなのかもしれない。外国へ留学中で、たまにしか王城へ帰ってこなかった第二王子フェルディナンド殿下との方が、まだ親しいくらいだ。
「適当に座ってくれ。なにか出す」
適当に……と言われましても。
周囲を見回したが、とても普通に座れそうな場所がない。椅子やソファーはあるのだが、物がとっちらかっておりどかさないと尻に敷いたり、踏んだりしなければならなくなる。王子の物と思われるものをそんな不敬なことできるわけがない。
私が迷っていると、ライオネル王子は慣れた様子で床に散乱しているものを足でどけ、ソファーの上を占拠していたものを横へ投げた。
どさっ。
ばさばさばさ。
「この辺で」
「……」
前に姫様達から聞いたことがあったな。
『ライオネル兄様って、実はお片付けがちょっと苦手なのよね』
と。
片付けがちょっと苦手レベルじゃない気がするが、突っ込んだら不敬になるだろうか?
とりあえず、物を踏まないように気をつけつつ、物を横に崩してできた小スペースに腰かけた。テーブルの上のものもライオネル王子が全部床に落とした。
やっぱり片付けない。
「いつもはもう少し片付いているんだが、数日立て込んでいてな。掃除を頼む暇もなかった。今回のことは非公式ゆえ、人払いをしてしまったし俺がもてなすしかないわけだが……茶と茶請けがどこかわからんな。ここか?」
がっしゃーーん!
……悲惨な音が聞こえたなぁ。
立っていいのか、手伝いを申し出るのはセーフなのか、ライオネル王子をよく知らない私は思考停止状態で大人しく座っていた。
なんどかの悲惨な音を聞いたあと、ようやくお茶とお菓子がでてきたが王族が嗜むにはずぼらすぎるティーパックにお湯をぶっこんだものが出た。クッキーは美味しそうだが、残念なことに飛び散ったお茶の被害にあって、少しふやけている。
「フェルディナンドの土産ものだ。俺も食べたが、なかなか美味いぞ」
すすめられたので、食べてみる。
……見た目どおりふやけておられる。
ドジっ子レオルドはあっちに置いておいて、ルークもこういうのは苦手だけど私の周囲の男どもはできる人とできない人の落差が激しい気がする。真ん中いないもんかね。
お部屋を綺麗にしたい衝動で震える体を抑えながら、私は一般市民御用達の慣れ親しんだお安い味のお茶を飲んだ。
「今回非公式に呼び出したのは他でもない。君ともう少し親交を深めようと思ってな」
「しんこうをふかめる?」
思いもよらない言葉に、はじめて聞く単語のような反応をしてしまった。ずーーーーーっと私単体としては興味がなかったようだったが、どういう風の吹き回しだろうか。
「俺は君を『聖女』としてではなく『ギルドのマスター』として呼び出したことについては理解しているな?」
「え、ええ……」
ライオネル王子とは聖女関連でしか話したことはなかった。それも報告とか業務連絡とかだ。彼にとって私と話すことは、そういう義務的なものでしかなかったんだろう。だから私も今回の招致に、『暁の獅子ギルドマスター』という文面に首を傾げたのだ。
「去年に立ち上がったばかりの新興ギルド。その成長ぶりは聞き及んでいる。ギルド大会での活躍、優勝も見事だった。先日の事件解決への助力も含めてな」
なるほど。成長目覚ましい私達ギルドが気になる……ということか。だが、それでも疑問だ。基本的にライオネル王子は、国を左右するようなものにしか興味を持たない感じがしていた。外国にも影響力があるような大きな高ランクギルドならば興味があってもおかしくないが、話題性はあれど私達のギルドはまだそこまで至っていない。
可能性を感じて、接触してみようということだろうか?
……対応を間違えると、ライオネル王子に潰される可能性がでてきた。この人、元勇者であるクレフトとは違う意味で慈悲がない。国のためなら、恋人や親友すら殺せるだろう。そういう怖さがあるのが、よくも悪くもライオネル王子という第一王位継承者なのである。
手が震えてきたんですけど。
お片付け衝動と共に、恐怖も募る。リーナの事件のときにもベルナール様との会話で言葉選びを間違えたら踏み外し場面があったが、今はあのときの比ではない。
でも、あまり深読みもよくない。考えても、私達が国の仇となるようなところはないはずだ。リーゼロッテの件だって、多方面から条件付きではあるが許可が下りている。それはライオネル殿下の許可も入っているはずだ。
「親交を深めたいと言っただけで変な汗を流すな。一応言葉通りに受け取って大丈夫だぞ」
話半分に聞いておく。信用はしてない。
あくまで警戒は怠らず、私はライオネル王子と話をはじめた。最初は共通の姫様やリンス王子の話題から入って、ギルドの近況についてなど。この部屋が私室の一つで、雑に積まれた書類は重要なものではなくほとんど趣味の範囲のものが散っているだけだという話。
そんな雑多な会話が流れていく。
「しかし、縁とは妙なものだな。まさか、レオルド先輩が君のギルドに入るとは」
「レオルド……先輩?」
話の途中で気になるところがあり、まぬけな声で反応してしまった。
「王族男子は代々、王立に入る習わしがある。もちろん俺も王立に入った。俺が入学して一年でレオルド先輩は卒業したが、彼はたびたび王立を行き来していたから顔は知っていた」
「そ、そうでしたか」
レオルドが王立の出で実はかなり有能な人であったことは聞きかじっていたけど。あのライオネル王子の口から聞くとは思わなかった。
「彼が就職先として教員を選んだことには驚いたが、まあそれも向いているだろうと彼の講義をとって授業の日を楽しみにしていたんだが……悲運なことにその授業の日が訪れる前に彼は退職してしまってな」
あー……前に聞いた学長ヅラ飛ばし事件かな。レオルドがいかんなくドジっ子を発揮したトラブルだったはず。
「前々から問題のある学長だったのだが、社会の闇というか慢性的な怠惰が招いた悲劇だった。貴族出身だろうが、教育者として相応しくないのならば学長という立場に置いておくわけにはいかない。『とある人物』によって学長は公平な裁きを受け、退職となった。現在は別の人物が学長になっている」
「そ、そうですか……」
とある人物って誰だろう……。
「学長のヅラが門前で晒したき火された様は今思い出しても笑えてくるな。楽しみにしていた先輩の講義をつぶしてくれた礼としてはたりないくらいだと思ったが」
ヅラファイアーしたのこの人だろ。絶対この人だろ。
「まあ、昔の話はいい。俺もこの立場になってもはや彼の講義を受けることもできないだろうからな。色々と大変だったと風の噂では聞いていた。そんな彼が今は家族と平穏を取り戻せたと聞いて、これでも安堵している」
少し優し顔つきだった。だからこれは嘘じゃないだろう。レオルドのおかげでライオネル王子の知らない一面が見えた気がした。
「他のメンバーも興味深い者が多いな。ベルフォマの娘の件は前に伝えた通りだが密輸事件にかかわっていた女の娘もいたな」
リーナのことか。
「騎士団が調べた情報の報告は、逐一受けている。君より俺の方が事情には通じているだろう。君に伝えられないようなものもこの件には多いからな」
そうだろう。そういった意味の言葉をベルナール様からも受け取っている。
「まだ伝えていなかった情報の一部を解禁しよう。確定部分が増えたら、後日ベルナールあたりに伝えさせる予定だったが、今言っても問題あるまい」
「それは……」
リーナの件については、未だわからない部分も多い。リーナの母親がどうして密輸組織に入ることになったのか、彼女が関わっていた物はどこからきたのか。そしてリーナの母親の最期について……。
「女の名は判明している。シーア・メディカ。王国辺境の出身らしい。くわしい身元がわからないようだから幼少期から転々としていたのだろう。偶然か、君と名の響きがほとんど一緒だな」
シーア。確かに私の名の間を伸ばしただけの響きだ。リーナが初対面のときからなんとなく懐いたのはそういう理由もあったのかな。あまり気にならなかったから、リーナから母親の名前は聞いたことがなかった。
「女の夫の方も、未確定ではあるがほぼほぼ間違いないだろう人物があがっている」
「本当ですか!?」
こちらでも情報は調べていたし、司教様方面からも情報待ちをしていた。だが、まだ父親に関するものはあがっていなかった。
「黄金の星姫からの情報だ。こちらはサービスだと言っていたな」
ありがとう、姫様達!
「夫の名は、アレン・メディカ。地方貴族出身だが、のちに行方がわからなくなっている。メディカ男爵家の長男で将来を嘱望されていたが、平民と思われる女性と恋に落ち駆け落ちしたようだ。相手はおそらくシーアだろう。駆け落ち後の二人の姿は目撃情報が少ないが、男爵家からの追っ手から逃げ回りながら生活していたようだ。子供が生まれてからはそれ以外にも追われる理由ができたようだが」
「それってもしかして、リーナの特殊な能力のことでしょうか?」
「おそらくは。メディカ男爵家として女児だとしても正当な血筋の後継は欲しかっただろうし、子供の能力は利用価値も高いものであった……想像は難くないだろう。駆け落ちしてからの逃亡生活、そして今度は子供を利用しようとしてくる追っ手からの逃亡。逃げても地獄、捕まっても地獄だ。最終的には、アレンの方は二人を逃そうとして追っ手と対峙し、大けがを負って橋から転落。川に流され、生死不明だ」
ライオネル王子は息を吐いた。
「アレンが駆け落ちなどしなければ、と俺は思わなくもないが昔の貴族は今よりもっと内実酷いものがあってな。自由などなにもない、そこからうまれる悲劇は決して少なくなかった」
私には遠い話ではあるが、今のラディス王国の貴族の恋愛結婚推奨派ができたのはここ数年のできごとで、そのきっかけもとある貴族令嬢の悲劇だったらしい。
「あの……リーナがメディカ男爵家の血筋だと知られたら、まずいことになりますよね?」
リーナの周囲にもう黒い影はない。母親の方も騎士を警戒はしていたが、他の追っ手に気をつけていた様子はなかった。
「数年前から、シーアとリーナを追っていた者達は消え去った。メディカ男爵家のとり潰しと同時に」
「とり潰された?」
「ああ、当主家人使用人まとめて惨殺され、血筋がリーナ以外断絶。屋敷や所有していた主要な建物はすべて燃やされ灰になったそうだ」
「そ、それは……まさか母親の方が?」
「いや、それはない。あのころは小さな娘を抱えて身動きが取れなかっただろう。鮮やかな手口で犯行に及んだ人物は未だに特定されていない。しかし、一切迷いのない行動と、素早さから推察して犯人はこの屋敷や屋敷にいる人物に詳しい者。そして並々ならぬ殺意があった人物だと思われる。……さて、誰だろうな?」
予想はできているんだろう。
私もついている。
前々から疑問だった。どうして、死んだ可能性が高いはずの夫との再会を彼女は最期にリーナに願ったのだろうか。どうしてそれを『約束』としたのだろうか。
彼女は、もしかしたら知っていたのかもしれない。夫が、アレンが生きていることを。
「これ以上は俺の語ることでもないな。もっと詳しいことは有料になるだろう。金が払えないなら、大人しく教会方面を頼るがいい」
黄金の星姫、世知辛い。
けど、ここでまさかこれほど貴重な情報を得られるとは思わなかった。有益な収穫だ。
さて、これを生きて持ち帰れれば万々歳なんですけど。
「君のギルドメンバーの中で、俺が一番注目しているのは……ルークだな」
へ、へぇー。
心の中でなんだか変な汗が出始めた。なんかここからが本番であるかのようだ。声音が少し下がったのに気づいた。
「彼の出自に関しては、調べはついているが『終わったこと』であるし、さして重要なものでもない。彼もほとんど覚えていないようだし、今更蒸し返す話でもあるまい。とある貴族の醜聞の一つ、さして珍しくもない」
ここでも貴族でるか。貴族厄介。実はうちのメンバー、私(たぶん)とレオルド以外、貴族の血筋だったりするのか。
「無名の浮浪者であった彼だが、ギルド大会決勝での活躍により今や王都においては話題に上らない日はないくらいだ。取材はほとんど断り、文面のみでの回答らしいがそれがまた彼への興味を引き上げているといっても過言ではあるまい」
確かに、ギルド大会が終わった直後は酷かった。一時、ギルドの外へ出ることもできず、ベルナール様に案をいただいたくらいだった。現在は落ち着いてはいるが、尾行されたりはするらしくルークもがんばって巻いている。元々気配察知能力に優れているから、素人の尾行などすぐに知れるし巻くのも簡単らしい。そこそこスキルのある人間すら、今では巻ける。ルークの器用なスキルがどんどん上がってくな。
「それに彼は人がいい。少し不愛想なところもあるが、話してみれば普通の好青年であるし、お年寄りの荷物を持ったり、道案内したり、高い木に引っ掛かった風船をとってあげたり、降りられなくなった子猫を救出したり……聞けば聞くほど普通に良い人だ。裏の顔がないかそれなりに個人的に調べもしたが、まったくなかった。ひっかけようとしたが、ひっかかりもしなかった」
「ちょ、なにやってるんですか!?」
ルークへのアクションが激しい。まさか本当に個人的に調べたのか? 注目株なのは確かだが、ライオネル王子にとってそれほどひっかかるだろうか、ルークは。
「……まあ、うちの妹の一人が彼にやたらと詳しいのでな」
納得した。さすがエリー姫様。姉姫二人からの情報によると彼女の自室はすごいことになっているらしい。なんでもルークの写真が祭壇に飾られているとか。エリー姫様はなにを信仰していらっしゃられるのか。
「聖剣の再生までまだ時間がある。魔王が倒されていない以上、聖剣は新たな勇者を選ぶだろう。前例のほとんどない選定のやり直し。王国中が、いやそれどころか大陸中の各国が注目するだろう。『勇者は誰になるのか』」
私は押し黙った。
ライオネル王子がなにを言いたいのか、私をここに呼んだ本当の理由がちらつく。
「どの国も思うだろう。今度こそ、勇者は我が国から……と。国王が、前勇者に対して強く出られなかったように、自国民から勇者が出現するのは誉れ。高い国益につながる。そうそう手放せないものだ」
「……」
手足の先から冷える感覚がする。私も考えなかったわけじゃない。聖剣を折る、あれだけ大それたことを大きな場面でやってのけた。その反響のすさまじさは、身をもって感じている。
「誰が次の勇者になるか、聖剣と女神以外に知る由はない。だが、多くの者達が想像しているだろう。聖剣を折った人物が、次の勇者なのではないだろうか? と。前例はほぼない。だが数少ない例の中では、聖剣を折った人物が勇者になった記述が残っている。正式な文書ではないことから、信憑性は疑うところもあるが、実際ほとんどの人間は次にふさわしいとは感じるだろう」
私は、ルークと出会ってすぐに彼が勇者になれるかもしれないと少し期待をした。それだけの力を彼は秘めていた。イヴァース副団長もその話に乗ったからこそ、ルークに老師がついた。当初の狙いが、あたったはず。けれど実際直面してみれば、本人や私達からしてみれば問題が高く積もっただけだった。
私の考えが甘かった。
「俺からすれば狙い通り、ルークが勇者になってくれればこれほど喜ばしいことはない。彼は確かに王国民だからな。人格は問題なく、能力もこれからまだまだ伸びるだろう。頼もしい仲間もいる、君も聖女として存分に力を発揮できるだろう」
「……代わりに、ギルドメンバーではなくなる……そうですよね?」
私の言葉に、ライオネル王子は微笑んだ。
「勇者の職に関する制限はほとんどない。後ろ暗いものでない限り、自由だ。もちろんギルドに所属したままでもいい。クレフトがそうだったように。だが、今回は事情が違う。次が誰か『予想できる』。各国が、次こそはと狙う中で誰が選ばれるかわからない状況とは違うんだ。王国民は歓迎するだろう。だが、他国はどうだ? スパイがいないとも限らない。暗殺者を仕向けられないとも限らない。ならば国としては、彼を早急に『保護』したいわけだ」
そうなるか、やっぱり。
私達はまだ自由にさせてもらっている。ギルド大会からも。でも常に目はあったはずだ。ライオネル王子はずっとルークを監視していた。泳がせていた。本当に人格に問題はないか。魔王を倒せるまでに成長するか。今度は失敗しないように慎重に。それは次が『予想できる』からだ。ライオネル王子のようなことを他の国がしないとは言い切れない。
ライオネル王子が『使える』と判断したならば、小さな一ギルドにいつまでも『次の勇者候補』を置いておかない。
「俺個人としては、ルークは問題ないと思っている。勇者になれる人材だろう。聖剣がどう判断するか未知とはいえ、先手をとられることは避けたい」
「殿下……」
口が渇く。うまく言葉がでない。
「だが、今はあくまで俺個人の判断だ。俺は王ではなく、そしてこの国は独裁国家ではない。議会があり、協議がある。しかしそうなる可能性は決して低くないことを頭に入れておいてくれ」
「……はい」
もしかして、今回私を呼んだのはそのことについてしっかりとルークと話し合えということだったのだろうか。時間をくれたのだろうか。ライオネル王子は、国政には厳しい考えを持つが一個人としては嫌な人ではない。妹や弟達と親交の深い私へ対する、少しの優しさなのかもしれなかった。
「悲観することはない。保護となっても扱いは手厚いはずだ。そうだな、おそらく彼は騎士団に籍を置くことになるだろう。彼の実力ならば王宮騎士配属となっても問題ない」
「え、でもそれだと他の王宮騎士から反発がでるのでは?」
王宮騎士は実力は必要だが、ほとんどは貴族が務めている。一応貴族の血筋だとしても元浮浪者であるルークを受け入れるとは考え難い。平民のイヴァース副団長がその座につけたのは功績が大きいのだ。
「そちらも考えてある。ようは大義名分と肩書があればいい。大義名分はいいとして、肩書は……そうだな、『王族の伴侶』でいいだろう。ちょうどいいことに彼と同年代の妹が三人もいるしな」
口から汚い液体が飛び出るところだった。
「妹達は誰も拒否しないだろう。そういう身分であることは承知しているし、彼に対して一切嫌悪感を抱いていない……どころか約一名は部屋に祭壇まであるしな」
突っ込めない。その一名を突っ込めない。
「まあ、これはあくまで『もしも』の話だ」
早く帰りたい。早く帰って荷物をまとめて夜逃げしたいほどの心境。
「シア・リフィーノ」
フルネームで呼ばれて、背筋が伸びる。
「俺はそれなりに君に期待してる。それは『聖女』だからなどではない。君自身の可能性として、君に期待している。第一王子、ライオネル・ヴァニス・スーラントは国の為に生き、国の為に死ぬ者だ。国がそうあるべきと判断すれば、『ライオネル王子』は一切遠慮はしないだろう。けれど『俺』としては別に君に期待をかけているんだ。妹達の親しき友人としての君をな」
私は立ち上がった。そして深く頭を下げる。
「お話、ありがとうございました。身が引き締まる思いです」
ゆっくりと頭をあげて、ライオネル王子を見た。今はまだ、個人的な立ち位置で私を見つめている。
「暁の獅子ギルドマスター、シア・リフィーノ。ギルドメンバーを守るため、誰にも利用できぬ場所まで至ってみせましょう。たとえ守るべき王国からであろうとも」
ライオネル王子は、楽しそうに笑った。
「それでこそ、だ。近い未来、君達とぶつかることを楽しみにしている」
私は王族に対する礼だけは忘れず、急く気持ちを抑えて部屋をあとにした。
ルークと話す必要はあるが、彼の答えはそもそも決まっているようなものだった。クレフトとの一戦以降、彼は勇者扱いされるようなことを嫌っていた。周囲からそう持ち上げられていることくらい、彼は肌で感じていることだろう。
それでも彼は『勇者であること』を忌避している。色んなことを受け入れる器の大きめな彼にしては珍しい拒絶の反応。それはクレフトに対して、なにがしか複雑な思いがあるからだろうと予想できた。
クレフトが勇者の資格を失って、ルークか誰かが勇者になって魔王を倒す手伝いができれば上出来。そう、前は考えられたのに。
まだまだ私達の力が足りない。誰にも利用されないように、私達は今一度、上を目指す為に考えなければいけなかった。司教様との約束の件もある。A級ギルド以上になること。そのタイムリミットは意外にも短かったことを私はしっかりと実感した。