*0 泣かない聖女と笑わない騎士
――君に優しい友人のふりをして、かまい倒すふりをして、今でもしつこいくらいにかまい続ける理由が、自分の残酷さに、傷つき倒れた弟へ対する―――――自己満足に過ぎない贖罪だったとしたら
君は、怒るだろうか?
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『そなたに、騎士の加護を与えることはできぬ』
王国を守護する精霊、騎士王オルディエスはそう言った。
順調に成果を上げ、王国騎士の中でも隊長候補になるまでに上りつめた俺は、いよいよ王国の正騎士たる証ともなる王国の守護精霊、騎士を騎士たらしめる栄誉と加護を与える精霊、騎士王オルディエスの顕現の間に通ることを許された。
しかし、騎士の加護を与えるという精霊は、俺を見ると開口一番そう告げた。
俺、ベルナール・リィ・クレメンテは、少々驚きながらも……なんとなく察した。
そうなるかもしれないとも、思っていたから。
王国の守護精霊だとしても、加護を得るには多少の資格はいるらしい。今回の場合は、誓いだ。騎士としていったい自分はなにを守っていくのか。
大抵は、王国のため――と答える。それが気持ちの中で大小なれど、平均的にそう思えていればオルディエスは応えるらしい。だから、騎士団の中堅にもなればほとんどの人間が加護を得られる。というよりも、加護を得られなかった騎士の方がほぼほぼいない。
守る誓いが、その人間の中で強く大きく、純粋に輝いていればいるほどオルディエスは強い加護を与えるそうだが、そうでない者も弱くとも加護は得られる。オルディエスはそういう精霊で、そういう契約を王国と結び守護している存在なのである。
「私は……少なくとも王国を敵視しておらず、守りたいと願う者もいます」
予感はあったが、それでも加護が得られず帰れば嘲笑しか待っていない。家のためにも……兄上のためにも恥はあまりかきたくはなく、俺はそう口にした。
『否。そなたの心は虚ろ。まるで穴があいたかのような空虚。人のようであって、人のような様を模する不出来な人形のようである。
そなたは、何者か?』
その答えを自分で持っているならば、俺はとっくに≪もっとらしく≫振舞えただろうに。
俺は首を振った。
振り返ってみても、俺は物心がつくころから……いや、それはおかしな表現だな。心など今もついている気はしない。
言い直そう。
一番古い記憶を辿ってみれば、俺の世界は白と黒と赤で構成されていた。
植物の色は、白と黒。
建物の色は、白と黒。
動物の色は、白と黒……時々、赤。
俺は結構な間、人間というものの存在を認知できなかった。だから、周囲の大人は声をかけても反応しない俺を口もきけず、意思もない奇病持ちと判断していた。重度の障害を持った子供。貴族にしてみれば、クレメンテ子爵家という貴族の中でも古い意識を持つその家では、俺はまったくもって歓迎されなかった。しかし、それでも俺が手酷い目に合わなかったのは、誰もが見惚れる美しい容姿を持っていたから、そしてなによりも兄上の庇護があったからだった。
兄上は、ずっと俺に話しかけ続けていた。
一年、二年、三年……話しかけても、話しかけても、反応を示さない弟に根気よく、話しかけ続けた。そんな事実を俺は大人になってから使用人から聞いた。兄上は俺が生まれたとき、とても喜んだそうだ。弟ができて、兄として弟に誇れるような人間になるのだと子供ながらに兄上はそう言ったそうだ。
正直、俺は兄上の弟として生まれるには失敗作だった。
父上も、母上も捨て置いた俺を兄上だけはずっと守り、かまい、愛してくれていた。兄上がいなかったら、俺は今も人間を認知できていなかったかもしれない。
五歳くらいのとき、俺はようやく人間を認知するようになってきた。それでも最初は兄上だけだった。兄上の優しい声にだけ、俺は反応できるようになった。
はじめて人を認知し、兄上の声に返事をしたとき
――兄上が、泣いていたのを思い出す。
はじめて見えた兄上の顔は、うれし泣きの顔だった。
兄上の元で色々なことを学んだ俺は、なんとなく工作に興味を示したら兄上が喜んで書籍を揃えてくれた。それは今も実家の部屋の本棚にたくさん収まっている。だが、結局俺が選んだのは騎士の道だった。騎士を選んだ理由は、それほど大したものではない。騎士は栄誉ある職であり、給料も高く、実力を認められれば騎士爵もいただける。将来の安定、兄上に迷惑をかけない足場のしっかりとした職。
そういう理由で選んだ。
見習いとしてさっさと実家を出たかったのもある。あの頃は、兄上はまだ家督を継いでおらず父上が権威を振るっていた。うかうかしていると、どうでもいい女の所へ売り飛ばされるように婿入りさせられそうだったのだ。
政略結婚は、なんとも思わないタイプではあった。人を認識できるようになったとはいえ、人としての感情は乏しく、まさしく兄上を模倣するように人間のまねごとをしている感覚だった。
それは俺の感情ではなく、兄上ならば、まっとうな人間ならば、こういうとき、こういう反応をするだろう。そうした、今までの経験則で反応を作り、そう感じているかのように動く。そうすれば、立派な騎士ができあがった。
兄上に迷惑をかけない、人間のふりができた。
俺の感情は、今でもどこにあるのかわからない。
そもそも存在しているのかも、わからない。
騎士王オルディエスの言う通り、俺は人間ではなく、本当に人形なのかもしれなかった。
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結局、俺は騎士の加護を得られなかった。
誓いをたてられぬ騎士など、正騎士になる資格なし。
いくら力を磨こうとも、強い騎士にはなれど、正しき騎士にはなれない。オルディエスはそう告げた。俺は残念に思いながらも、まあいいかとその場から離れた。加護がなくても強い騎士にはなれる。正しき騎士になる必要はまったくない。俺が求めるのは、兄上に迷惑をかけぬよう、一人で生きていけることである。
嘲笑の影はあったが、そのあたりは実力でねじ伏せた。加護など必要ないといわんばかりに、適当な誓いで適当な加護を得た中途半端な騎士は、俺に敵うことなく敗れ去った。
そして俺はいつしか、王国騎士第一部隊隊長への昇格試験を受けられるまでになっていた。
「……オルディエスの加護なくして、まさかここまでくるとはな」
王城の一画にある王宮騎士団の詰め所で、俺は副団長であるイヴァース副団長と対面していた。強面で厳格な男だが、内面は実に穏やかで優しい人である。
「加護なしの隊長は、今までで例がない。しかも精鋭とされる第一部隊ともなるとなおさらな」
それでも部隊長候補を選出する武闘大会で優勝を果たした男に、適当な配役を当てるわけにもいかない。イヴァース副団長は苦い感情を隠さず、溜息を吐いた。
「なまじ、精神の追い付かぬ才と実力ばかりある者は、面倒だ」
「そうですね」
それは俺もそう思う。素行に難があろうとも、実力さえあればなんとかなる場面も多い。そういう手合いが一番厄介だ。
「はっきり言えば、今ここで部隊長を認めるようなことはできん。円卓会議でもこの議題は難航していてな」
地方騎士団、王国騎士団、王宮騎士団の代表が一堂に会する円卓会議。そこでは重要な議題が議論されている。俺の隊長昇格に対する議論も激しく交わされたようだ。
「どうすれば認められますか? やはり加護は必須なのでしょうか」
隊長になると給料が跳ねあがるので、できれば昇格したいところではある。お金の使い道をあまり考えつかないが、ひとり暮らしにかかる費用以外はすべて兄上孝行に使っていいと思っている。というかそれにつぎ込むことしか考えていない。
イヴァース副団長はしばらく黙って考えていたようだったが、急に立ち上がって奥からなにか持ってくると、突然なにかを俺に投げた。
嫌な予感がして、咄嗟に避ける。
床に落ちたのは……虫の模型だった。かなり精巧な。
「お前はあまり感情をみせないし、オルディエスにすら心なしと言わしめた男だが……それは昔から苦手だな?」
「……唯一、兄上を恨んだ対象ですね」
儚げな印象を与える、一見女性にも見える美しい兄上だが、その中身はただの野生児である。穏やかな笑顔で手のひらよりも大きなモンスターの幼虫を掴んではしゃいでいた姿は今でも悪夢として見るくらいである。
兄上は、生態系とか生物とかの勉強をさせる名目だったのだが俺はその野性的な勉強法のせいで虫類が嫌いになった。
「お前は心がないわけじゃない。兄を慕う気持ちも疑う余地はないし、好き嫌いもある。だが、兄以外に対するものほとんどが希薄であるだけだ」
イヴァース副団長が、俺のことを人形と揶揄したことはない。厳しい物言いはするが、俺を否定したことはない。≪そういう人間もいる≫そう言っているようだった。
「お前にとって唯一の人間、兄であるスィード殿はおそらく守る対象とはみていないのではないか?」
「兄上は、俺などより強い人です。喧嘩……したことはないですが、武でも知でも勝てる気はまったくしません」
俺の兄上への感情は、敬意と尊敬である。守護対象など恐れ多い。
はっきりと答えた俺に、イヴァース副団長は再びため息を吐いた。
「お前に一つ、課題を出す。その課題に俺を認めさせるような成果を出せたら……円卓会議でお前の隊長昇格を強く推奨しよう」
副団長たる人が強く推奨などしたら、ほとんどの議題は通るだろう。それは信頼のあついイヴァース殿だからというのもあるが。
俺は給料アップのため、その課題に挑むことにした。
課題は。
『聖女殿のお世話係を務めること』
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「……面倒くさい」
俺は、訓練終わりにシャワーを浴びたあと中庭へ続く道の途中でそう呟いた。
向かう先は、聖女に選ばれたばかりだという少女の部屋のある区画。昇格のための課題だとしても、少女の世話係など騎士のすることではないし、子供の面倒などはみたことがない。
話に聞けば、聖女は子供ながら聞き分けのいい子で大人しいらしい。
菓子か、適当な装飾品で機嫌でもとって適当に懐かせて上手くやろう。見た目の良さだけはそれなりに自信があったので、少女ならば簡単にあしらえるかと思った。
それが、とんでもない間違いだった。
ばしゃっ!
「…………」
予想していなかった突然の展開に、さすがの俺も思考がいったん停止した。
「あ、こんにちは騎士様。あなたが新しいお世話係の人ですか? はじめまして、シアです」
つらつらと何事もなかったかのように少女、シアがあいさつした。俺は頭から水をかぶってびしゃびしゃの状態のまま突っ立っている。
「騎士様ともあろう方が、お返事もしないんです?」
丁寧な物腰だが、少女は冷たい眼差しを隠しもしなかった。
「……失礼、突然の落水に驚きました。はじめまして、聖女シア。俺は王国騎士団第四部隊に所属する騎士、ベルナール・リィ・クレメンテと申します」
「……本当に驚いたんですか?」
聖女は、本を片手に横目で俺を見た。少し、怪訝そうに。
「まあ、少しは」
「それだけです?」
「それだけ、とは?」
俺の反応が、期待していたものと違ったのか、聖女は少し不満そうだった。
「そう、変な騎士様ですね」
……それは、俺が言いたいセリフなのだが。とも言い返せなかったので、俺は課題をきっちりこなすべく、世話係として仕事した。聖女は、始終ずっと不満げだった。優しくしたつもりだったが、なにがいけなかったのだろうか。年頃の少女とは難しいものだ。
髪がほつれていたので、直そうとした。髪に触れられるのは嫌がられるかと途中で思ったが、聖女は口を尖らせたまま黙っていた。
黒髪なのか?
俺はいまだに重度の色弱が残り、白と黒、そして赤しか鮮明に認識できない。他の色も少しわかるが色があせる。だが、聖女の髪は綺麗な黒だった。だからきっと、普通の眼からみても彼女の髪色は黒に違いない。
黒。
黒。
黒。
――――赤。
脳裏に呼び起こされるのは、遠い昔に犯した赦されざる罪。
兄上、ときっと俺をずっと呼び続けていたであろう弟。
今は≪存在自体をなかったこと≫にされた弟。
綺麗な黒髪に、赤い瞳。
俺が唯一識別できた色でありながら、あの頃はまだ兄上しか人間を認識できていなかった。だから、助けを求める弟の声に気がつかなかった。
気がついたとき、弟は、弟の手は、すがるように俺のシャツを掴んでいた。弟の体は真っ赤に染まり、床も白い絨毯が赤くなって。
母上が、甲高い声でなにかを叫び。
兄上が、赤いナイフを捨てて、なにが起こったか理解していない俺を抱きしめた。
俺のせいだ。
全部、俺が招いた。
俺が、『普通の人間』だったならこんなことにはならなかった。
弟は俺を恨んでいるだろうか。
行き場所を失ったあの子は今、どうしているだろうか。
罪を償う機会も赦しを乞う機会も、なにもかも失った。
それと同時に、俺ははじめてそのとき感情を得た。
『罪悪感』という感情を。
「綺麗な黒髪だな」
無意識に口走った言葉に、聖女は驚いた様子だった。俺も少し、驚いた。人間の美醜を気にしたことは一度もない。なにかを綺麗だと思ったこともない。兄上は別格だから除外する。
綺麗。
綺麗か。
しっかりと認識できる数少ない色だから、そう思ったのだろうか。なぜ、綺麗などと口走ったのだろうか。ゆっくりと聖女の三つ編みを編み終わると、なぜか、
「イケメンなんか滅べーー!!」
という捨て台詞を吐いて、聖女は脱兎のごとく立ち去った。
そんなこんなで、今日のお役目は終了した。
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「誰だ、聖女が聞き分けのいい子で大人しいとか言ったやつ」
俺は泥だらけになった服を洗濯籠にぶち込んだ。まさか泥水ダイブするとは思わなかった。湿地帯の戦闘訓練中でもあるまいし、まさか泥水の味をこんなところで味わわされるとは。
「あはははは! やっだ、ベルナール様ったらイケメンが台無しね!」
……ここは、男性用の更衣室のはずだがいつの間にか扉付近にここにいちゃいけない女性が立っていた。金髪にルビーの瞳の美しい娘で、衣装は彼女の魅力を引き出す見事なデザインのドレスだ。
「……マリー姫様、騎士団用の男子更衣室に入らないでください」
「入ってないわよ」
「じゃあ、のぞかないで」
「男の裸体なんて見られてなんぼでしょ」
半裸ですが。
これが逆セクハラというやつだろうか。訴えたら勝てるだろうか。
「シアちゃんと遊んでたんですって?」
「遊んでいたというか、罠にはまったというか……」
「騎士が十五になったばかりの女の子の罠に引っ掛かるとか、たるんでないかしら?」
それは面目次第もないのだが、なんというか彼女はいたずらに関して一種の才能のようなものを感じる。だんだん手口がつかめてきたので、いつまでも引っ掛かるような無様な真似はしないが。
「……楽しい?」
「なにがですか。この状況が楽しめるとでも?」
マリー姫様からの変な問いに俺は、首を傾げた。
「じゃあ、怒っている?」
「別に、特に。子供ならあんなものでしょう」
その返答に、マリー姫様は興味を失ったように「あっそ」と言うと、さっさと行ってしまった。
一体なんだったのだろう。
そういえば、三つ子の姫達は末の王子と一緒に聖女と親しくしていると聞いた。世話係になった俺の様子を見に来ただけだったんだろうか?
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明らかに、聖女の俺に対する態度と他の人間への態度が違う。
俺は茶菓子を持って、聖女の部屋を訪ねようとしていた。その前に、目的の人物を見つけたのだが、彼女は姫様達と茶会をしているようだった。
聖女は、楽しそうに笑っていた。
俺はあんなの見たことがなかったが、ああいう顔もできるのだと思いながらも少し違和感を感じた。笑い方は人それぞれだ。だから違うのも不思議ではないはずであるし、そもそも俺は人の顔を認識しづらい。人間の存在を認識できても、顔はいまだにちゃんとわからないのである。
それでも確かに、違和感はずっと残り続けた。
ばしゃっ!
「……ついに避けましたね」
「さすがに、何度も同じ手には引っ掛からないさ」
ようやく手口をしっかりと掴めたので、避けてみると俺が想像した聖女の反応とは少し違ったものを見せた。
「そうですね、これはもっと手の込んだものに改良をくわえないと」
なんだかわくわくしているような。
いたずらっこのそれに、俺は呆けた感じになった。
やっぱり変な子だ。
次の日、俺は約束の時間を大幅に遅刻した。
俺のせいではない。新入りのヘマがなぜか俺に回ってきてしまったのだ。面倒だと思いながらも、聖女も約束など特に気にしてはいないだろう。約束といってもいつもの世話役として少し話をする時間を決めただけだ。あの子も、それほど気にいってもいない相手と言葉を交わすのはわずらわしいはず。
課題は上手くいっているか怪しいが、こればかりはもうどうしようもない気がした。
一応、もう待ってはいないだろうと思いつつも早足で中庭の奥にある東屋まで足を向けた。東屋には……やはり誰もいないようだった。
息を吐く。
……なんだか、少し物悲しいような気になるのはなぜだろうか。そこに誰もいないのが、なんだか寂しい。そんなものは、兄上に対して少々抱くくらいの子供じみたものだったが。
俺は踵を返して、王城の自室に戻ることにした。後日、聖女には詫びの品でも贈ればいい。そう考えたが、ふともう一度東屋を見た。誰もいないはずだ。だが、なんとなく気になって死角ものぞいてみた。やはり誰もいない……いや。
ひとつ、なにかの気配を感じて足を止めた。東屋には、王家の人間もくつろぐスペースがありカップを収める大きな棚がある。その一番下の戸を開けると。
「……なんでこんなところに」
聖女が猫のように体を丸めて、戸棚の中ですやすやと寝息を立てていた。
「遅いと思います! 今何時だと!?」
「二十二時ですね」
「約束の時間は何時だったでしょう!?」
「十五時ですね」
「何時間遅れですか!?」
「七時間遅れですね」
ぷんすかと、起きた聖女は怒った。
なぜか戸棚の中にいた聖女を抱っこして、近くのソファに寝転がせて起きるまで待っていたらこの時間になったので、実際の遅刻時間は四時間だ。
「聖女、クッキーを持ってきたが食べるか?」
「反省の色がみえないんですけど!?」
「いらないか?」
「いりますっ!」
バリバリバリ。
乙女失格の咀嚼音が響き渡る。怒っていながらも、甘いものは大好きな聖女は頬をリスのように膨らませてクッキーを頬張っていた。
突っつきたくなったが、突っついたらもっと怒られそうだったのでやめておいた。
「しかし、まだいるとは思わなかったな。あやうくいないと思って帰るところだったよ」
「べ、べつに騎士様を待ってたわけじゃないです! ここは私のお気に入りで! 本を読んでいたらこんな時間で! 暗くて怖くなって戸棚の中に逃げたわけじゃないです!」
全部言ったなぁ。
俺は自分でいれたお茶を飲んだ。
これほど暗い中で会うのははじめてだ。聖女は、闇を嫌うらしい。聖女らしいといったらそうだが、彼女の場合違う理由がありそうだ。俺はお化けとかは見えない性質なので信じる信じないとか言えないが、怖いと思うこともない。だが、聖女は敏感なのか気丈なふりをするが怖がっているのは丸わかりである。
「お詫びに部屋まで送るよ」
なんともなしに言ったが、聖女の顔がぱあっと明るくなった。はじめて見たかもしれない。
「やった――じゃなくて! お願いしてあげなくもないです」
なんで急に偉そうな物言いにしたのか。最初のやつがたぶん本音だろう。俺は言った通り、聖女を部屋まで送り届けた。途中で、怪談話をしたら怒られてしばらく口をきいてくれなくなった。
「ベル君?」
「あ、兄上。お仕事ご苦労様です」
王宮に務める兄上とたまたま遭遇した。兄上は、なんだか不思議そうに俺の顔を見た。
「なにか?」
「……いや。でも……ベル君、なんだか楽しそうだね?」
兄上は、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「? 楽しい……?」
「顔がね、そう言ってるよ。よかった、ベル君にも気の合う友人ができたのかな」
思い当たるものがなく、俺は兄上の言った意味がよくわからなかった。
だから鏡をみた。
毎日見る顔だから、認識していないというわけじゃない。兄上にも似ている整った顔。
楽しそうな顔とはなんだろう。俺は鏡としばらくにらめっこしたが、やはりわからなかった。
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「つまらないなぁ。君は人間なのに、喜怒哀楽をどこで落としてきたの? 感情あってこそ、人ではないの? とりあえず、喜と楽は死に物狂いで手に入れるといい。人生の半分はそれでできているから」
誰の言葉だったけ?
「ベルナール? じゃあ、ベル坊やかな」
ああ、ソラさんだ。
失礼なあだ名ばかりつける兄上の友人。思えば、一番最初に俺を人形よばわりしたのはあの人だった。人を認識しづらい俺ですら、一回でその存在をみた男。
「君って本当に笑わないなぁ」
「笑ってますが」
「口角をあげて、目を少し細めて笑顔を作ってるだけだね。綺麗だけどうすら寒い」
笑う。という行為はさまざまな場面で必要だった。愛想笑いも必要。兄上と特訓して、笑顔を身につけた。だが、成人しても笑うという行為の意味が理解できなかった。だから、顔で必死に笑顔を作ってその場を乗り切るしかなかった。
そんな俺をソラさんは、つまらないと言い切った。
今もまだ、笑うというものを俺はわからない。
「うんしょ……うんしょ……」
木の裏で小柄な影がコソコソとなにかしていた。聖女だ。彼女は十五歳にしては少し華奢で小さく、もっと下に見える。おそらくは情報にあった通り、幼少期に十分な栄養をとれなかったせいだろう。
そんな聖女が、一生懸命なにかしている。
俺はこっそりと気づかれないよう背後に回って観察してみた。
「こうして、こうして……ふふふふ、完璧! さすが私、天才! これならあのノーリアクション騎士をあっと言わせられるわ!」
……どうやらイタズラの仕込み中だったらしい。舞台裏をのぞいてしまったな。種と仕掛けがわかってしまったが、わざと踏むのもあれだし、どうしようか。
しばらく悩みながら観察を続けていると。
「あ! でももうちょっとここをこうして、こうすれば?」
改善点を見つけたのか、俺が見ているとも知らずに聖女は楽しそうに罠を作っていく。
……楽しそう。
本当に楽しそう。
あんなに楽しそうに罠を作る人間をはじめてみた。
楽しそうな人間というのは、ああいう顔なのか。
?
あれ? 俺、聖女の顔がみえてる……?
焦点が完璧にあった瞬間だった。兄上ですら、パーツ分けでしかわからないのに、聖女の顔はしっかりとわかった。
前にみかけた茶会での笑顔とは違うように感じた。その細かな違いすら、今は理解できる。
人は、あんな風に笑うのか。
それとも彼女だから、ああいう笑顔なのか。
「ん? あれ? ちょ、おかしいな!?」
どかんっ!
なにかをミスったのだろうか、聖女の作っていた罠は爆発を起こし、聖女の顔はすすで真っ黒になってしまった。ぽかんとした顔がなんとも間抜けで……。
「――ぶっ」
口から飛び出すように息が出た。
なんだこれ?
「くっ、はっはははは!」
お腹が痙攣したかのようだ。
とまらない声に、さすがに聖女も気がついた。
「き、騎士様!? いつからそこに!?」
真っ黒になった顔を恥ずかしさに赤くして、わたわたと言いつくろい始める聖女が、なんともアホで。お腹の痙攣がとまらなくて、大きくなった声が通りがかった人の足を止めるくらいになってしまった。
「おや、珍しい。笑わない騎士が、笑ってる」
誰かが、俺にそう言った。
「あんなに笑うなんて……」
今までで一番口を尖らせた聖女が、ぶすっとした顔で座っている。
「悪かったと言っている。ほら、ハチミツティーだ。そろそろ機嫌を直してくれ、顔がぶっさいくだぞ」
「ぶぅ」
俺は全力で笑い過ぎたせいで、腹が痛い。はじめての笑いが、ああとは思わなかった。笑い初心者にはきつい初笑いだ。だがさっきのことを思い出しただけでも笑えてくる。どうしよう。
なんとか聖女の機嫌をとろうと四苦八苦。使いの者が、手配していた茶が届いたと知らせに来たので一度席を外すことになった。こうなることを予見していたわけではもちろんないが、聖女の気に入りそうな甘いお茶だったので、これなら機嫌も直るだろうと急いで戻った……のだが。
すでに聖女は、貴族の令嬢らしき娘達に取り囲まれていた。
こういう光景はなんどか見たことがある。姫様や王子達とも仲が良い聖女は、令嬢達にやっかみをかいやすかった。普段は大人しいふりをしている聖女なので、少しからんで終わるのだが、今回はやけに長い。俺が途中で乱入するより、穏便に終わるだろうと思っていたのだが……。
ここからだと細かい会話までは聞こえない。だが、令嬢達は明らかに激高していた。どうするか迷っている間に、事態は悪い方へと早々と進みつに一人の令嬢が聖女の頬を打ったのだった。
高い音が鳴った。
その光景を目にした俺は、目の前が真っ白になった。行われたできごとをすぐに頭で処理できない。頬を打たれた聖女は、それでもひるむ様子はなかった。俺の対するように、いや少し違う……虚勢をはるように弱みをみせない顔をしていた。
あのときのことをちゃんと思い出せない。
気がついたら終わっていた。なぜか俺は聖女の手を引いていて、近くにいた女官に聖女を任せて、部屋の外で待っていた。
俺、なにしたんだっけ?
暴力的なことはなかったはずだ。令嬢達が蜘蛛の子を散らすように逃げていったのは覚えている。それからなんで俺は聖女の手をひいた? 頬の腫れをおさえなくてはいけないと思ったからだったか。
頭の中で、ぷっつんとなにかキレたような気がした。
手当てをされて戻ってきた聖女は、おろおろしていた。額などにも少し怪我があったのか、そちらも手当てされている。
「……大丈夫か?」
「お、おおげさなくらいですよ! 令嬢の猫パンチなんてたいしたことないんですから!」
「血が出てたが?」
「爪がちょっとひっかかっただけです。野良ちゃんの方がよほど殺傷能力ありますよ!」
「デートでもするか」
「なんで!?」
なんでだろう。
ああ、そうだ。女性に対する何か条かでそういう項目が騎士にあった。傷ついた女性の手当ては素早く的確穏便に。その後もケアも紳士的に。とかなんとか、騎士道と男としてなんたるかとかそういう講義を受けたような。
どうでもいい。
つぎはぎだらけのそんなことを、ショートした頭で組み上げたせいか、おかしなことになった。デートっぽいことをしながらも、話した内容はただの説教だった気がする。
もう色々飛んでて、はっきりいってなにを言ったのか細かいところは覚えてない。
ただその後、聖女――シアは俺のデート発言を絶望の単語として認識してしまった。
聖女は泣かない。
たまたま聞いたその言葉に、そういえばと俺は思った。
出会ってから今まで泣いた姿を見たことがない。なにを言われようと、それこそ令嬢達にからまれて罵詈雑言、ときには猫パンチが飛び出そうとも彼女は泣かなかった。
気が強いのか、とも思ったがそれは少し違う気がした。気丈ではあるが、虚勢をはるくらいにはもろいところもある。
騎士、何か条……だったかな、うろ覚えのものを引っ張り出す。
女性は、泣かすべからず。
泣いた姿を見たことがないなら、それはいいことだろう。
俺、遅刻、やべぇ。
ただ今、全速力で中庭の東屋へ向かっている。俺のせいじゃないって、なんで俺に後輩のツケが回ってくるんだ。あいつら覚えていろ。
さすがに今回はもういないか?
前回の遅刻は、七時間遅れ(本当は四時間遅れ)。今回は……。
「八時間遅れっ、記録を更新したっ」
聖女に知らせはいったはずだ。
『適当に本読んでます』
と返事が来たから受け取っているはずだ。
だが、八時間はまずい。いないとは思うが、なんとなくいる気もする。
「聖女――」
誰もいない。
と見えるが。
俺はそっと戸棚に近づいて、ゆっくりと開いた。
ふたつのジト目とぶつかった。
「い・ま・な・ん・じ・で・す・か・ね?」
「……すみません、二十三時です」
バタンと、戸棚が閉められた。中からも閉口可能なんだな。
「今回は本当にすまない。だが遅れることは伝えたはずだし、帰ってもよかったと――」
いくつか言葉を並べたが、聖女は返事をしてくれなかった。
正座して待った。今回は、罪悪感が強い。反省の色をみせておく。
しばらくして戸棚が小さく開いた。
「二回目」
「本当に申し訳なく」
「……一回目は、遅くても来てくれた……でも二回目は」
そこで俺は首を傾げた。
二回目も俺は遅くはなったが来た。だが、彼女は違うことを言っている。
「くれなかった……来なかった、帰ってこなかった」
震えた声が聞こえた。
「騎士様、苦手。だって、養父さんに似てないのにそっくり……同じようなこと言うし、遅刻の言い訳も同じだし……」
時折、鼻をすする音が聞こえた。
泣いてる……?
そういえば、資料の情報だと聖女は孤児で聖教会の神官に引き取られたはずだ。しかし養父となった神官は、事故により死亡したことになっている。
俺はまだ、哀がよくわからない。なにかを失って、泣くほど感情を乱したことがない。
泣かない聖女なんて嘘だ。
彼女はこんなにも感情豊かで、大事なものをたくさん抱えている。
不謹慎にも、少し羨ましいと思った。
俺は閉ざされた戸棚の前で正座したまま、声をかけることなく静かに待った。無理やり戸を開けることもしない。泣いている女の子の対処法、色々と講義があったはずだがなんの役にも立たない。これが他の適当な女子ならば、講義通りの行動で終わったと思うのに。
たっぷりと時間がたった頃、聖女は戸棚からでてきた。
「すっきりしました」
「確かに、すっきりした顔してるな」
「私は元気です」
「みたいだな」
気の利いたセリフはでない。だが、聖女はそれがいいと言わんばかりの顔だった。
「詫びは、おいしいケーキワンホールで頼みます」
「聖女様の仰せのままに」
弱みをみせない虚勢ばかりはる泣かない(ふりした)聖女と、笑わない……笑えなかった騎士。
あれから三年、それぞれの道を歩いているとはいえ、なんとも数奇なめぐり合わせだろうか。
いつの間にか、互いを名前で呼ぶようになった。
おかしな追いかけっこをするようになったのは、あのあとすぐだっただろうか。シアに『ベルナール様は意地悪です』と言われるようになったのもきっとこの頃からだ。
意地悪、とは言われたことは今まで一度もなかったはずなのに。
今は、少し遠い。
きっと、彼女の仲間ならば。
暁の獅子の家族ならば。
ふりばかりの俺よりも、きっと彼女の支えとなるだろう。
俺が勇者との旅に同行できなかったのは、まさしく運命の分岐点――――
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目が覚めた。
埃臭い。そうか、倉庫を漁っているうちに疲れて眠ってしまったのか。
懐かしい夢を見た。
そして、残酷な現実を思い出した。
『んー? おとなのにおいじゃないとおもう。こども? シャーリーやリーナとおなじくらいの』
言われて全身が震えた。
思い出されるのは、すべてを消された弟。
この邸にいた頃、あの子達と同じ年頃だったはず。あれほど小さかった。幼かった。そんな弟を俺は……。
倉庫の埃をはらいながら、俺は探し物を再開した。
いくら書類上から消せても、人の記憶からは消えない。犯した罪も消えない。暴けば暴くほど、おそらくこの家の業は深いものばかりだろう。だが前回のラミリス伯爵の件、予感だがクレメンテ家の……大きく括れば貴族社会全体が関わる闇だった可能性がある。
クレメンテ家のように古い家柄になればなるほど、その闇は色濃いものだ。
クレメンテ家の業は、兄上が行った処断でほとんどは洗えたはずだが……。それでも膿はとりきれない。まさしく消えた弟の件がそれにあてはまる。掘り起こすことがはばかられるもの。
そこに、隠されている気がしてならなかった。
倉庫の奥底を探して数日。
偶然にも、天井から落ちてきたひとつのとあるものに俺の手は止まった。
「まさか……これは」
知ることのなかった、知ってはいけなかったような事柄が並ぶ。
「ならば、では聖女とは――」
ひとつの結論のような、あらたな疑問が生じたとき。
静かだった倉庫に、土足でいくつもの人間が突入してきた。
白銀の甲冑に、星をかたどった文様、ユニコーンの紋章。彼らが掲げる聖なる紋の旗に、その正体をすぐに理解した。
「……聖騎士か」
このタイミングで登場とは、あまりにも作為めいている。
「ベルナール・リィ・クレメンテ殿とお見受けする。こたび、貴殿に教義違反の疑いがかけられている。取り調べのため、聖教会本山ガリオン大聖堂までご同行願う。なお、貴殿に拒否権はない」
教義違反……か。
たしかに、これは≪聖教会にとって不都合なもの≫であるのは確かだろう。
問答無用の聖騎士達に、俺は抵抗はせず……そっと術をほどこした。
たぶん、彼女は気づくだろう。
それを期待して、俺は聖騎士団に拘束された。




