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〇45 私でいたい

「あら、女神の力なくしても、なかなかやるものね」


 聖女の力の有無を感じることができるのか、クイーンは感心したように言葉をもらした。同時に女神の力を感じられなくなったためか、暴走状態のリーゼロッテの力が少し薄らぎ、戸惑うような気配すらあった。


「なるほど。やはり、彼女を狂わせる鍵は女神の存在有無か」

「そうみたいですね。私が術で彼女の精神に同調して、なんとかスイッチを切り替えます。なので--」

「護衛は任せてもらおう。周囲は気にせずやるといい」

「はい! ルークもね!」

「わかってる!」


 フィールドの無敵効果は、リーゼロッテには完全に反映されていない。攻撃はそこそこ通るが、彼女を傷つけるのが目的じゃない。できるだけ穏便に、彼女の意識を取り戻す。それが第一だ。


「リーナは、アギ君の妨害解析(ジャミング)の手伝いを!」

「はいです!」


 リーゼロッテに向かうのは、私とルーク、そしてベルナール様。他はアギ君と共に妨害解析(ジャミング)とクイーン達の足止めだ。


 私はひとつ深呼吸した。

 聖魔法の本質は、癒しと安定。精神が蝕まれ、苦しむものの精神世界へ潜り治療する手も存在する。術者の精神も切り離すのでかなり危険な手ではあるが、何度も悪夢に苦しむ人々を救ってきた方法だ。

 私にどれくらいのことができるかはわからない。だが、なにもせずになんていられない。彼女の人となりに触れて、あの子が愛らしいと思ったから。容姿とか関係なく。いびつな怪物だとかも関係なく。

 私達ギルドの普通を楽しいと笑った彼女を、もう一度笑顔にするために。


 私はあの笑顔にたどり着くために、行こう。


精神治癒(ヒーリングコール)!」


 二人に守られながら、私は至近距離にまで迫ったリーゼロッテの、苦しみに歪む顔へと手を伸ばし--意識を失った。






 ------------------------------





 記憶の中のお父様は、いつもなにかに怯え……そして耐えるようにモノにあたっていた。

 響き渡る怒声と、家財が破損する音。その強烈な音に、私はいつも怯えていた。


 記憶の中に、お母様はいなかった。いつからいなかったのか、それはわからない。誰も教えてはくれない。だだっ広いお屋敷で、私は怖いモノに触れないように注意深く生きていた。


「リゼ、大丈夫だよ。庭に降りておいで」


 唯一の心のよりどころだったのは、時折私達の様子を見に来てくれていたアズラエル叔父様だった。広すぎるほどのお屋敷なのに、使用人はほとんどいない。先祖代々から受け継がれる屋敷で古い建物だが、信じられないくらいに綺麗なままだった。おそらくは、なんらかの魔術がかかっていたに違いない。

 それと同時に屋敷そのものにも、私は恐怖を抱いていた。

 ここにいることに固執することなんてない。そう思っていた。


 でもどうやら私の一族は、とある墓守らしかった。だからここから動くこともできない。過去の過ちを償わなくてはならないと、お父様は呪言のように呟いていた。


「リゼ、コーラルが……お父さんが怖いかい?」


 アズラエル叔父様が最後に会いに来たそのとき、叔父様はそんなことを聞いてきた。私は迷いながらも正直に頷いた。叔父様は、そうかと一言呟いて寂しそうに微笑んだ。

 悪いことをしてしまったような気がして俯くと、叔父様は優しく頭を撫でてくれた。


「それでもいい。どのような理由があったとしても、リゼが寂しく怖い思いをしているのは事実なのだから……。でも、一つだけ忘れないで。君のお父さんは、ずっと戦っている。恐ろしいものから……いつか可愛い娘を脅かす存在と」


 私は膝を抱えた。

 なんとなく分かっていた。

 次は----自分の番なのだと。


 私達の血筋を脅かすなにか。幼い私にはそれがなんなのか、わからなかったけれど。寂しくて、怖くて、家族なんていないと思いながらも……どこかで理由を察していた。

 だって、お父様は狂いながらも、直接私に手を下したことはなかった。

 ひとりで、ひとりぼっちで耐えている。抗っている。

 じょじょに失われていく自我に恐怖を抱きながら。


「おしえて、おじさま。こわいものがずっといっしょにいる、このちをつなぐいみはあるの?」


 こんなことになるのなら、私はこの世に生まれてきたくなどなかった。恐ろしいものにとりつかれて、確実に狂い死ぬ運命に、なんの意味がある。ただただ、恐怖を抱えながら生きることに、なんの。


「……昔、私達の数代前の当主がとある禁忌を起こしてしまった。目覚めさせてはいけない存在を、起こしてしまった。呪いは広く大地を穢し、呪いにあてられた人々は憤怒に侵され狂乱した。血にまみれた大地は魔物を生み、瘴気を生み、一時は生命の活動ができないほどにまでなったという」


 罪を知った次代の当主が、呪いそのものを己の血に封じた。それは完全ではなく一部をとある巫女になすりつけざるを得なかったが、穢れた大地はなんとか戻り、はた目からは平和が戻ったように感じられた。けれどその代償に呪いを受け継いだ当主は、呪いによって気が狂い死んでいくことになったのだ。

 呪いの血族が絶えれば、血に封じられた呪いが再び解き放たれる。そうならないために、生き地獄のような血のつなぎがはじまったのだ。


「おじさま……こわいよ。わたし、きっとたえられない。こわいものといっしょにいることも、じぶんのことをわすれちゃうのも、だいじなものがわからなくなるのも----つぎにつなぐことも」


 泣きじゃくれば、叔父様は強く私を抱きしめてくれた。

 それでもなにも言ってはくれない。

 どうしようもないことに、私は泣き続けた。




 ------------------



 どこからか、女の子の泣き声が聞こえた。

 叫ぶように、助けを求めるように、それは響いていた。


 広すぎる屋敷。

 寂しすぎる屋敷。

 豪華で、古い様式美をみせながらも真新しさも感じる不自然な屋敷。


 そんな屋敷の中庭で、女の子が泣いていた。

 私は静かに、その子に歩み寄った。

 少女の髪は、綺麗な銀色。絹のように綺麗で、さらさらな長い髪が震える肩に揺れている。


「……リーゼロッテ」


 少女は泣き続ける。私の声が聞こえないのだろうか。

 潜ったときに見えた、彼女の深層の記憶を思い出して、違う呼び名で呼んでみた。


「リゼ」


 少女はその言葉に反応したのか、体をびくりと震わせた。


「……こわいよ。みんないなくなってしまったの。わたしをそうよぶひとも、もうメリルくらい。でも、あのこもとてもとおくへいってしまった。あのこのてをとることも、できない」

「メリルの手、とりたくないんだ?」


 私はしゃがんで、小さなリーゼロッテと同じくらいの目線に合わせて言った。


「あのこはどうかしらないけれど、わたしは【りかい】をもとめていないから。【りかい】をもとめてしまったら、わたしは【かいぶつ】であるじぶんをこうていしてしまう。わたしは、わたしでありたい。ずっと、さいごまでそうありたいと、ねがっているから」

「そっか」


 リーゼロッテは、少し意地っ張りなところがある。弱い自分をできるだけ見せないように虚勢をはって、ツンツンしてみせる。私にも覚えはあるから、なんとなく心情は察せられた。

 精神の中では、虚勢をはることもできない。素直な言葉がこぼれる。


「いつも、そう。わたしがここにいるときは、おもてに【こわいもの】がでている。わたしじゃない、わたしが、わたしのからだをうごかしている。わたしのからだは、わたしだけのものなのに」


 リーゼロッテが、はじめて顔をあげた。綺麗で可愛らしい容姿、儚げなのに強い意思を宿した青い瞳は透き通りそうなほど美しい。でも、その表情は恐怖にかげる。それを必死に振り払うように、リーゼロッテは私に抱きついて、強く私のローブを握りしめた。


「わたしをかえして! 屋敷(いばしょ)を奪って、(こころ)までぬりつぶさないで! こわい、こわい--!」


 私は訴える彼女に応えるように強く抱きしめ返した。


「リゼ、私にどうして欲しい?」


 リーゼロッテは声を震わせ、全身から絞り出すように叫んだ。


「助けて!」


 世界は揺れた。

 私の体、精神体から光が溢れる。それは聖魔法の光。他人の精神世界で、私が自由に動くは世界の主の許可がいる。

 私は彼女を支えながらも立ち上がった。


「その依頼、引き受けた!」


 その宣言と共に屋敷は黒い炎のようなものに包まれた。火ではない、黒い瘴気のような……呪いそのものの形なのか、それは溢れてひとつの姿に形作られた。

 白髪の長い髪、血のような真っ赤な瞳……人の、女性の形をしたそれに、私は見覚えがあった。


 アルベナ。


 リーゼロッテに触れた時に、白昼夢のように見た光景に彼女はいた。

 それと同じ姿をして、同じような暗い瞳で私を見つめた。


【ニクイ ニクイ】

【ワガコ ヲ ワガ ハラカラ ヲ ウバイツクシタ】

【カエセ カエセ】

【コノヨ 二 ヒロガル メガミ ノ ケンゾク】

【コロセ コロセ】

【ウラメシキ ハ サツリクシャ】


 彼女の顔は美しい。

 だが、憎悪と怒りに歪んだそれは悲しくも醜く映る。

 祖なるアルベナが、アルベナの魂の血肉を別けて生まれたシリウスさんとほぼ同一というのなら、彼女もまた人と同じようなものであったと考えられる。

 そんなアルベナが、こうして自我ももたぬ憤怒の魂--呪いと化した原因はなんなのか。

 繰り返される怨嗟の声が、そのわけを示しているようなものだった。


 ますます女神の真の所業が気になるところである。


「光りよ、我らを守りたまえ」


 光のカーテンが私とリーゼロッテを包み込む。

 呪いは、瘴気のかたまりのようなもので聖魔法の光は聖女の力ほどではないが、侵入を防いでくれる。


 しかし呪いは、こちらがなにをしようともあまり反応をみせない。延々と怨嗟を吐き出し続け、瘴気が広がり続ける。精神世界でこうならば、人など容易く自我を崩壊させてしまうだろう。話が通じる相手ではない。そもそも会話ができるようなものでもない。あれはただの憤怒の感情である。祖なるアルベナが大昔に抱いたのであろう感情が、呪いという魂の存在となったもの。そこにアルベナ自身はいない。


「リゼ、力をかして」

「……わたし、が?」

「そう、ここはあなたの世界。あなただけの世界。ここから本当にあれを追い出せるのは、真の意味であなただけ。大丈夫、私が全力で協力するから」


 手を握って彼女をしっかりと立たせた。


「戦おう、一緒に。あの恐怖と!」

「!」


 リーゼロッテは、驚きに目を見開き、そして唇を引き結んで頷いた。

 彼女はきっと、本当はずっとこうしたかったに違いない。

 怖くて怖くて、膝を抱えて泣いているしかなかった弱い自分。自分の精神(せかい)を守りたいと思いながらも勇気がでなかった。本当は、誰かに【戦おう】と言って欲しかったのだろう。

 怪物であることを受け入れるんじゃなくて、戦ってそれに打ち勝つことを。


 次の瞬間には、リーゼロッテは今の姿に戻り、その手には華奢な四肢に似合わぬ戦斧が握られていた。


「お父様も、おじいさまも、もっともっと前の先祖も。誰もなしえなかった。だけど私は、私を守りたい。私でいたい……だから」


 リーゼロッテの戦斧が力強く大地を抉り、憤怒のアルベナへと向かった。


「自分の最後の砦、奪わせない。引きこもりなめるなあぁぁぁ!!」


 引きこもりの気持ちは残念ながら全部はわからないが、勝手に部屋に入ってゴミと間違えてお宝を捨てた母親にあたるような凄まじい勢いで、リーゼロッテの戦斧は空を斬った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] オカンは大体子供の浅知恵なんか見通してるからな… ああいえ、引きこもりの気持ちは分かりませんけどね! [気になる点] 女神が何をやったのか…? この辺で話が難しくなってる気がー
[一言] 引きこもりの気持ちは確かにわからないが、リゼの気持ちはよーくわかった! さぁ!決着をつけよう!
[一言] わかる…わかるぞリゼ。母親が勝手に部屋に入って隠し持っていた秘蔵の薄いアレを処分された時の怒りと悲しみを!
2020/09/01 23:44 退会済み
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