〇44 全力で受け止めるから
「闇の茨庭……特殊なフィールドみたいだね」
薔薇の庭園に作り変えられた空間を見渡して、ソラさんがため息をついた。
彼女のフィールドはかなり見た目にも特殊だった。『薔薇の庭園』だということはわかる。だが、そのすべてに色が存在しない。透明というわけではなく、色という認識がないというか、形はあるし、確かにそこに存在しているのに、ふちだけを切り取ったようにそこに色がないのだ。白、というには薄すぎて、透明、というには存在感があった。そんな不思議な感覚。
「私は色がわからない。触れれば、それがどんな形と質をしているのかは知ることができるけれど、瞳に光を持たない私にとって『色』は理解できないもの。知らないものを作ることは魔法でも不可能。人は……己と違うものを理解できない。大きく違えば、そこには恐怖と憎悪が生まれる。決して相容れぬものとなる」
入れ物は等しいというのにね。
クイーンはそう言って笑った。
「茨庭は、絶対防壁の力。相容れぬものには絶対に傷つけることのできない守り。さあ、リゼ……その力で命を刈り取ってしまいましょう。そうすれば、人への未練はなくなるでしょうから」
クイーンの闇に取り込まれてしまったリーゼロッテが悲鳴のような声をあげる。
「シア、手はあるか?」
私のところまで下がってきたベルナール様が問う。
「今はなにも。でも、リーゼロッテの暴走は十中八九、私の『聖女』の力のせいです」
「聖女の? 封じられたんじゃないのか?」
「たぶん、フィールドの影響でシリウスさんの力が遮断されたみたいです。でもピンチではありますが、逆にチャンスでもあるかもしれません」
私の真っすぐな視線を受けて、ベルナール様はリーゼロッテを見据えた。
「君のその目は信頼している。--ルーク、いけるか?」
「はい。でも、かなり堅そうっすね。ちょっとツルを叩いてみたんすけど、びくともしなかった」
「……まあ、クイーンの言葉通りならばクイーンとの認識に差があればあるほど力を発揮される空間だ。言ってしまえば、遠い他者への……常人への絶対拒絶。君とは相性が悪いだろう」
ベルナール様の言葉に、ルークは困ったように頬をかいた。
「んー、あんまよくわかんないんっすよね。たしかに、羨ましいとか悔しいとか思うけど……俺は俺、よそはよそって感じで」
どうやらルークは、他者との認識の差という意味そのものがあまりわかっていないらしい。そういえば、究極のところ色々と思うことがあったとは思うが、ルークは勇者(元)のことも否定することはなかった。思えば彼は、他者に対して自分の考えを押し付けるようなことはあまりないような気がする。
へー、そういうのもあるんだー。と、それはそれ、これはこれで処理している感じだ。もちろんルーク自身で自分の考えはしっかりあるんだろうし、納得いかない考えもあるだろうと思うが、それを別々の箱にそういうものとして分けて入れられる。
大雑把にいえば、かなり受け入れ容量の大きい『度量の広い』性格なのだ。
出会った頃は、今までの浮浪者生活からか少し手負いの獣な警戒心があったが、修行から帰ってきてからはそういう面がよく見られるようになった。きっと、これが彼本来の気質なのだろう。
「……なるほど、それもまた君の才か。だが、それは常人以上にこの空間と相性が悪いな。理解できないものからの攻撃を一切受け付けないフィールド。ルークとクイーンは一番遠い対岸同士にある」
だが、とベルナール様は剣を抜いた。
一薙ぎした剣は、茨を切り裂き、粉々に消えていく。ルークでは歯が立たなかった茨がいとも簡単に砕けた。
「……やはり、『俺』ならば攻撃が通りそうだな」
「あら」
クイーンが首を傾げた。
「あなた、本当におかしな人ね。『こちら側』でもないのに、『そちら側』でもないのかしら?」
「さあ、細かいことは知らない……ただ、俺は生まれた時から重度の色弱だ。医学的には正確じゃないが、他に適当な疾患名もないからそう診断された。今ではそれとなくわかるが、幼少期は本当になにもわからなかった」
「なるほど、一応あなたの認識は私とはそう遠くないのね。でも私のところへ来れるかしら、リゼを退けて」
リーゼロッテの振るった戦斧がベルナール様を襲う。すさまじい力と破壊力だが、そこは技量の差があるのか上手く受け流して回避した。
「うーん、攻撃が通るのがベル坊やしかいないなら、こちらがいくら参戦しても意味がないねぇ」
「えーっと、私達全員ダメなんですか? やってみないことには」
サラさんが、なんとか力になろうと声をあげるが、ソラさんは首を振った。
「少し見てればわかるよ、君達は常人。優しい常人だ、どうやったって近くはならない。僕はそもそも誰とも相容れないものだからねぇ」
「だが、ただ黙って見ているわけにも」
レオルドも拳を握り、ルークも剣の柄を強く握った。ミレディアさんもベックさんやキャリーさん達も歯がゆそうな顔だ。
「ねえ、フィールド魔法なら妨害解析できるよね?」
「ん? そうだねぇ、理論上可能だけどこの規模と技量をみると処理が追い付かないと思うね。魔法は構築構造さえ解析できれば、一つの楔だけで崩壊させられるけど、高等魔法であればあるほどそれはとてつもなく難しい。--けど」
ちらりとソラさんはアギ君の顔を見下ろした。アギ君は自信に溢れる生意気そうな顔で笑っていた。
「そうだねぇ、古代術式が組み込まれていたあの制御装置を妨害解析で破壊できた君なら、不可能が可能になってしまうかもね」
「やってやるよ。でも時間かかるだろうから、あんたも手伝って。あとレオおじさんも」
「え? 俺?」
いきなり指名がきてレオルドはきょとんとした。
「妨害解析補助、レオおじさんなら適任でしょ。魔法コードの引き出しは俺より多いだろうし」
「あはは、楽しくなってきたね。仕事をするのは嫌いな僕だけど、楽しそうなことは好きだよ」
「姉ちゃん、フィールド魔法の解除は俺達に任せて。なんかやれることがあるなら、やりなよ」
アギ君と目を合わせれば、しっかりね。と目で言われた。
私はそんなにわかりやすいだろうか? 考えが読まれている気がする。
「おねーさん、りーなにもできること、ありますか?」
「リーナ」
黒騎士の件で、揺らぐことがあったがリーナはもう頭を切り替えているようだった。ぎゅっと手を握って見上げてくる。
「ぎんのおねーさんの、きれいなぎんいろ、もどしたいです!」
「ですのー!」
私は頷いて、リーナの手を握り返した。
茨庭のフィールド効果は、どうやらリーゼロッテには影響を与えていないらしく、攻撃は普通に通りそうであるが、すさまじい力に近寄ることすら叶わない。ベルナール様も茨に邪魔されながらも、なんとかくらいついている状態だ。
聖女としての力をなんとか切り離せない限り、私がいったところでリーゼロッテの暴走状態を過剰にしてしまうだけだろう。
私が、私として彼女に届くにはどうしたらいい?
そもそも聖女の力はどこからきているのだろうか。魔法は魔素を操ることで使用できる。難しく言えば、術式をくみ上げれば発動する。特殊な魔法は血を使うこともあるが、聖魔法のほとんどは術式がすべてで、才も魔力もなくても修行次第でいくらかのものは使用できるようになるものもある。
魔法を使う時、自動的に聖女の力が魔法を増幅させる形で私の場合は現れる。聖女しか使えない浄化の力を使う時は、若干異なる感覚だ。覚醒した時、自然と使えてしまったので今までどうやって使っているのかをちゃんと考えたことがなかった。
「リーナ、ちょっと試してみたいことがあるの。今からいくつか魔法を使うから私のオーラの変化を見て欲しい」
「はい」
最初は、普通に聖魔法を使う。小さなシールド。
「どう?」
「えっと、いつも通りのお姉さんの色です。きらきらです」
「じゃあ次は」
浄化魔法を使う。瘴気は、魔人が二人いることで十分あたりに充満しているから、浄化の力も発揮できた。
「どう?」
「さっきよりも、すごくきらきらでまぶしくて、めがいたいです」
「そう……」
最初の魔法も聖女の力で強化されたものだが、やはり聖女特有の力を使う時の方が、オーラの変化が大きいようだ。
「じゃあ次」
今度は、私の苦手な傀儡を使う。これは体が自由に動かせなくなった時に強制的に動かす魔法。聖魔法は関係なく、聖女の力の増幅効果も受けない。
「えっと、ふつう……です?」
「最初の魔法のときくらい?」
「それよりもっとまぶしくない、です」
なるほど、オーラ的には聖女の力が現れれば現れるほど眩しさを増すようだ。
「次は」
かなりの離れ業を使う。傀儡で体を動かした状態で、魂を別離させる。禁封技という特殊魔法で、本来は危険なので禁忌として使われず、使う意味もあまりない魔法だ。しかし特別な事情がある場合のみ使用されることもある。今回、クイーンが扱ったと思われる魂抜きの禁術とは違い、自分の魂しか動かせないが。
自分の魂をわずかに体からずらすと。
「おねーさんから、おーら、きえたです」
「そう」
オーラはどうやら魂からくるものらしい。
でもこれでなんとなく察しがついた。体になにも残らなかったということは、聖女としての力そのものは魂にくっついている可能性が高い。
「そうなると分離自体はかなり難しいうえに、危険か……」
うーんと頭を悩ませていると、リーナがおずおずと言った。
「あの、おねーさん」
「ん? どうかした?」
「えっと、うまくいえませんが、おねーさんには、いつものきらきらのおねーさんと、ちょっとちがうぎらぎらのおねーさんがいる、とおもいます」
きらきらの私とぎらぎらの私?
「きらきらのおねーさんは、とてもやさしくてあったかいです。でも、ぎらぎらのおねーさんは……すこし、こわい、です--あ、おねーさんがこわいんじゃなくてっ」
あわあわと慌てだしたので、頭を撫でてあげる。
「大丈夫、なんとなくいわんとしていることはわかるかな。そう……か」
つまり、聖女の力を使う時の私は--少し違うなにかが表にでているということだ。自覚はない、けどそれは大きなことのように感じる。
「もしかして、私にもスイッチと似たようなものがある?」
通常の自分と、聖女の自分のスイッチがもしかしたらあるかもしれない。それはリーゼロッテのように顕著なものではなく、力を使う時の一瞬のもの。
意識して、集中してみよう。
浄化の力ではなく、聖魔法を使う。こちらのわずかな切り替えに気づかなければ、私はリーゼロッテの前に立つことすら叶わない。
今までにないほど集中して、シールドを展開させた。
----掴んだ!
わずかに感じる、異質な意思。スイッチのありか、押される強さ。私はそこに、一時的に封をした。ユニーク魔法の一つだから、聖女の力には左右されない。
「ありがとうリーナ! 一時的にではあるけど、聖女の力に頼らずにいけそう!」
笑顔で言えば、リーナも嬉しそうに返してくれた。
「ベルナール様!」
私はリーナとルークに護衛されながらも、なんとかリーゼロッテと対峙するベルナール様のところまで駆け付けられた。
「遅かったな。手は考えられたか?」
「もちろんですとも!」
私は自分の全身に、そしてルーク、リーナ、ベルナール様にありったけの強化魔法をかけた。
「リーゼロッテ! 全力で受け止めるから、内にためこんだもの、全部出しちゃいなさい!」
彼女の周囲に渦巻く黒い瘴気を切り裂いて、私はリーゼロッテの元へと飛び出した。




