〇43 私にとっての光
私は詳しくは知らないのだが、ラディス王国は女神の他に精霊信仰も根付いている。聖教会の教義では精霊の扱いは女神の隣人という位置づけだ。こちらが礼節をもって接すれば、精霊も同じように返すとされる。精霊の力を借りることのできる精霊の愛し子だったり、試練を乗り越えることによって得られる加護など、精霊と人の関係は様々だ。
王国は、一国として一つの精霊と契約している。これは珍しいことではなく、国を守護する手段の一つとして色んな国が実践していることである。代々の国王が、毎年国が契約している精霊と契約の更新をする。そのための儀式があって、国ではその日は精霊祭というお祭りが開催されたりするのである。装いは、異世界由来のクリスマスというものらしいのだが。
そんなわけで、国とも関わりのある精霊だが我がラディス王国は騎士の精霊『オルディエス』と契約している。その力の加護は主に、騎士に与えられることになり、王国騎士の隊長格以上の位の者のほとんどがオルディエスと契約を交わし、守護の力を得て、誓いにならい国を守っているのだ。
--ということをうっすらと知識として知っている程度の私は、まさか王国騎士第一部隊隊長たるベルナール様が騎士の誓いを立てていないということに驚いた。
騎士の誓いは、騎士の精霊に守られる王国以外の国の騎士でも誓いをたてるものである。少なくとも、精霊に誓いを宣言することで騎士としての格も能力も上昇する。それをしないなんて選択肢はそもそもないというのに。
理由は気になるが、ゆっくり話している時間はなかった。
「エースは私の騎士。私を守護する、私だけの騎士。誓いすら交わせぬガラクタに私の騎士は倒せないわ」
【-- -- --】
上機嫌のクイーンだが、彼女の物言いに若干黒騎士がなにか言いたげな様子だった。なにも言わなかったけど。……どことなく背中に苦労人の影が見えるのは気のせいだろうか。
「くろきし、さん」
【?】
振り絞るような声で黒騎士を呼んだのは、リーナだった。胸にのんちゃんをぎゅっと抱きしめて、少々恐怖に体が震えていたが、勇気をこめて強い瞳で黒騎士を見上げた。
「あなたが、おかーさんを……ころしたのですか?」
「--っ!」
思い出した。
そうだ、ベルナール様の話によれば、牢獄の中でリーナの母親を殺したのは黒騎士だったはず。全身鎧で兜もかぶっている為に顔は分からないが、同一人物である可能性は高いだろう。
黒騎士は沈黙した。
そして。
【ソウ ダ】
簡潔に答えた。
リーナの瞳が揺れた。ぎゅっと、今度はなにかに耐えるように私のスカートを掴んだ。
「どうして、どうして、ですか? りーなのおかーさんは、わるいひとでした。でも、つみをつぐなうことになって、ろうやにはいって……いつか、りーなは……おかーさんと、なかなおりするはずでした」
【-- --】
兜の中で、確かに揺れ動く感情の波が見えた気がした。今まで出会ったジャックや、隣のクイーンにはまるで感じられなかった心が、この黒騎士にはあるような気がした。
「しきょーさまは! いってくれたんですっ。りーなのおかーさんをおこっていいのは、りーなだけ! ゆるしていいのは、りーなだけですっ!」
もしかしたら、はじめてかもしれない。リーナの叫ぶような悲痛な声が響き渡り、私達は魔人側含めて動けなくなった。
【-- …… ア】
「ダメ、応えないで」
なにか言葉を紡ごうとした黒騎士を制し、クイーンが前に立った。
「小さな可愛い子、エースは誰よりも誠実。だからこその私の騎士。魔人で唯一、まともに近い狂人。正常さをとっくの昔に失った私達とは違うの」
言葉を紡ぎながら、クイーンの体からは禍々しいほどの黒い力の奔流が渦巻き始めた。
「それでももう戻れない。魔人になったからには、等しく狂人。人への未練を思い出させないで。あなたの力、少し--怖いわ」
黒の力が形を成す。それは茨のような鋭い棘を持つ鞭のようにしなり、確実にリーナを狙っていた。私は咄嗟に調子が悪いことも忘れて、シールドを展開し--。
クイーンが、微笑んだ気がした。
「リーナ、大丈夫!?」
「--は、はい」
私は無事にクイーンの攻撃からリーナを守れていた。シールドはきちんと発動し、私達を強固に守ってくれていた。
聖魔法が通常に発動している?
力が弱まった気もしない。いつの間にか、魔人から放たれる瘴気に侵される感覚もなくなり、いつも通りにしっかりと地に足をつけて立っていられた。
どうして? シリウスさんが、危なすぎるからと聖女の力を封じていた影響で聖魔法もほとんど使い物にならないはずだ。
--嫌な予感がする。
力が戻って一瞬だけ安堵したけど、力が封じられていた理由を思い出せば、それは悪い兆候でしかない。
「あ……アァ--」
すぐ傍にいたはずの、リーゼロッテ。
鈴がなるようだと思った綺麗な声が、少しずつくぐもっていく。人の発する言葉が、別の生き物のような音に変わっていく。
「な、ナンデ? どう、して--」
戸惑うようなリーゼロッテの声に、クイーンが答えた。
「大丈夫よ、リゼ。あなたもエースと同じ、まともに近い狂人。いえ、怪物。自分が人間だと知っている、人への愛情と優しさを持っている。だからこそずっと苦しい。ええ、私も苦しかった。とても苦しかった」
クイーンは、変わりゆくリーゼロッテに語りかけるようにゆっくりと話した。
目の見えない、幼い少女。
両親に温かく見守られ、慈しまれて育てられたご令嬢。
家の中はとても優しかった。
しかし、一歩外に出れば、盲目をからかう心ない人間の醜悪な攻撃にさらされる。
わざと転ばされたこともあった。
違う道に誘われたこともあった。
こそこそと話す声が、嘲笑する声が聞こえた。
暗闇の中で、恐ろしくて、逃げも隠れもできない場所で。
光の意味も知らずに、方向を見失った。
「でも、私はオトモダチと出会ったわ。あれがきっと、私にとっての光。そう感じたら、苦しさなんかどこかへ行ってしまったの。魔人になるには、大好きなお父様やお母様とお別れしなくてはいけなかったけど、それでも私は、私でいられる場所を見つけられたの。それはとっても素敵なこと」
クイーンは、両手を広げて、受け入れるようにリーゼロッテに手を伸ばした。
「呪われた怪物を真の意味で理解できるのは、盲目の魔人である私だけ。私だけが、あなたの闇と寄り添える。ねえ、だから一緒に行こう? ずっと友達でいましょう。あなたの居場所は、きっとここ」
「あァ、わ、ワタシ--わたしっはっ!」
戸惑い、迷いながらも、リーゼロッテは必死に抗うように首を振った。苦しみ、頭を抱えて振り乱す姿は、痛々しく、濁り始めた青の瞳からは大粒の涙が零れていた。
「リーゼ--」
思わず手を伸ばしかけたが、それよりも早く黒い風が彼女を攫った。
「一緒に行きましょう、リゼ。呪いのままに、女神の下僕たる聖女を殺しましょう! それがあなた、生まれた時から、いいえ、生まれるずっと前から怪物であることを運命づけられたあなたという存在。女神に搾取されるだけの魂達も引き連れて、私達は美しい居場所を守るのよ」
黒い霧が晴れる。
リーゼロッテの手を掴もうと、前に出した私の手の先にはもう、リーゼロッテはいなかった。
--そこに立っていたのは、もはやリーゼロッテといえるような美しい令嬢ではなかった。
いや、姿形はあまり変わっていなかったかもしれない。それでも、冷ややかな視線も、実は笑い上戸だった恥ずかしがり屋な部分も、リーナや私に抱きしめられて戸惑う少女の姿はなかった。
この力の一端を私は感じたことがある。塔に上ったとき、最初に感じた圧倒的なまでの暴力的な力。魔法とは違う、純粋な力。
リーゼロッテの右手には、彼女の体躯ではおおよそ扱うことができないであろう巨大な戦斧が握られていた。
「アアアアアアアアアアア----!!」
言葉にならない言葉が、吠えたけるように響き渡る。
「ぎんの、おねーさん!?」
「ま、まもるですのーー!」
リーナは突然のことに判断が遅れたが、のんちゃんが自己判断でガードを発動させた。おかげで、様変わりしたリーゼロッテの力から守られた。
「ぐっ、なんて力だ」
「ぐあっ」
力を放つ衝撃波だけで、ルークとベルナール様は同時に飛ばされてしまった。アギ君が咄嗟に、風の魔法で二人を浮かせて、床に叩きつけられるのを防ぐ。
「そんな……でも、封印は? それに、もしものためにかけてた術--」
どうしてシリウスさんが封じていた力が解けているかはわからない。それに万が一のときにとかけていた魔法があったはずだ。スイッチが切り替わったら、彼女を封じる術が。
「フィールド魔法を使えるのは、そこのマレビトだけではないわ。私のフィールド、闇の茨庭へようこそ」
どうやらクイーンの舞台へ、強制的にあげられてしまったらしい。
シリウスさんの懸念が現実となった。
今回、私はほんとうに役に立たないどころか最悪の引き金を引く駒になってしまった。
女神がどうとか、呪いがどうとか、意味わかんないことばっか起きて、頭が痛いを通り越してだんだん腹が立ってきた。
結局私、無理やり納得しながらも、ああすればいいんだと指示通り動いてきただけのような気がする。そんなの私のやり方じゃないのに。
せっかく、珍しくベルナール様から自由にやれと言われていたのに。(これは手違いだった可能性もあるけど)
ずーーーーっと、もやもやしてたんだよ。
結局は、シリウスさんの力頼りだったし。
聖女がリーゼロッテを狂わせる。
でも、『私』はリーゼロッテと共にいられた。彼女は狂わなかった。害があるのは、聖女の『力』。信心深くなんてない私だけど、神頼みするときは女神に祈ったりもする。だけどそれすらもうすら寒くなるようなできごとが今回多すぎた。
--聖女の力、自分で使わなくできるかな。
そもそも覚醒する前までは、普通の女だった。聖女だと言われて、シリウスさんのところですごして覚醒するまで半年ほど、聖女の力は扱えなくても聖魔法は習得して鍛えらえた。その感覚を思い出せないだろうか?
それに私は、聖女の力を使わなくても聖魔法はかなり高いところまで極められている。
最初から、私は自分が聖女だなんて自覚は薄かった。だから勇者(元)に偽物扱いされても、腹は立ちはすれ、そうかもしれないなーとか思っていた。
聖女の力が消えることも念頭にいれていた。
シリウスさんは、私じゃない。私じゃないから聖女の力と聖魔法の部分を切り離して封じることができなかった。
でも、私自身なら?
やってやれないことはないのではないだろうか。
私の脳裏に、闇に飲まれる瞬間のリーゼロッテの顔が思い出される。
絶望に瞳を濁らせながらも、すがるように私の方を見た。
助けて。
そう、言われた気がした。
気のせいだろうと、なんだろうと、やってやる。
私は、聖女の前に一つの家族の主なのだから。