〇40 いい子いい子
リーゼロッテに対する私の心境は、もしかしたらあのときのリーナに近いものがあるかもしれない。なにが正解かわからない。手を差し伸べるのがいいのか、そのまま去るのがいいのか。
リーナは母親を心から愛していた。一緒にいたいと願っていた。けれど他人だった私からすれば、どう考えたってあのときのリーナの母親とリーナを一緒にするのはよくないことだった。しかし、リーナ本人からしたらどうなのだろう?
双方納得のいく方法を探すのには時間がかかる。あのときは、一度リーナを置いていくしかなかった。騎士団に任せた。でもその後の私とルークは、酷く思い悩んだ。ずっとずっと心が晴れずに、置き去りにしてきた大切ななにかに引っ掛かりを覚えて。
結果的に、リーナも母親を失うこととなり、互いにそれぞれ傷を負いながら私達は一緒に行くことを決められた。なにかを選択するとき、間違えない方法なんて誰も知らない。自分がこうしたいから、こうする。相手にとってそれが迷惑でも、後で後悔するくらいなら少々強引になることも必要かもしれない。
でも強引にするにも、私とリーゼロッテの間にはまだまだ距離がある。なんでもかんでも受け入れられる聖母やそれこそ歴代に語り継がれる本物の聖女様のようならば、まだ違っただろうけど。私はそうじゃない。そうだったのならあの勇者とだってもう少しなんとかなっただろう。
私も努力はした。だけど勇者側もアレであったのは否めないが、最悪と言っていいほど私と勇者は相性が悪かった。勇者は自分良ければすべて良しタイプ、私はそこまでじゃないけど自分の利にならないようなことは極力避ける傾向にある。これは孤児時代にそうしないと生き残れなかったから身に着いたような癖のようなものである。つまり私と勇者は互いに自分の利を求め、そうならない度にお互いにイライラしたのだ。
勇者が顕著すぎただけで、私もそれなりに性格はよろしいとも言えない。私に敵が少ないのは、外面がいいからに他ならないのである。他人の顔色を見るのは病的に上手いから。
他人の顔色を見誤ったのは、司教様くらいである。あの人、私が良い顔するたびに絶対零度の顔するからあの頃の私からすれば恐怖の大王だった。あんなに心の中が見えない人も珍しい。
嗚呼、一つ思い出したな。シリウスさんが出張でいなくて、夜の聖堂が怖すぎて一人でトイレに行けずに思わず泣いたら、司教様にたまたま見つかってめちゃくちゃ動揺してた。あの人が、柱に頭をぶつけるのをはじめて見た。あの頃はもう私十四歳ほどだったんだけど、それでも震えあがって泣くほど聖堂は怖かったのだ。私は分かる方であったし、実際司教様によるとよくないモノがうろつきやすい場所ではあったのだ。神官達は自衛してて大丈夫だけど、私は半人前のようなものだったし寄り付かれやすかったのだそう。
今でも司教様は怖いっちゃ怖いけど、あの人も『人間』なんだなぁって思ったな。結局あの後、おんぶしてトイレまで連れて行ってくれたし。お化け撃退呪文も--これは前にサンドリナさんのところで試したな。失敗したけど(司教様の名前ド忘れで)。
などということをリーゼロッテが見せる恐怖の幻影を見ながら思っています。
≪鬼のような形相の女≫を見つめながら、思考。私の怖いモノってなんだろうなって漠然と考えてたらそんなことを思い出してしまった。
結局のところ、怖いモノの対象に司教様って意外と入ってこないっていう事実に驚く。この女の人、本当に何者なんだろうか。司教様より怖いというイメージがあるということは、本当にヤバイ人だったのだろうか。でも、なんとなく思い出す言葉はそれほど恐ろしげでもないのだ。
ずっと疑問だった。
小さい頃の記憶なんてみんな曖昧なもんだけど、孤児院に来る前までの記憶はすっぽりと言っていいほどない。確か、記録っぽいものでは私が孤児院に来たのは五、六歳くらいなんだよね。親や家族、家の風景とか若干残ってそうだけど、綺麗さっぱりない。唯一思い出せるのが、誰かも知らない≪鬼のような形相の女≫というイメージで残された顔も見えない女だけ。
生きて欲しいと言う。なにがなんでも。死にたいと思っても。生きろと言う。
繰り返されるその言葉は、ひとつひとつは怖いものではないように思える。だけど何度も何度も繰り返されると、呪詛みたいに響いてくるから不思議だ。
まるで『絶対に死ぬな』『死ぬことは許されない』そう脅迫めいたもののように感じてくる。
言葉って不思議だ。
言われ過ぎると、逆の印象になったりもするのかな。
レオルドが言っていたことがある。
俺はとても幸せな家庭で生まれたと。私やルークのように捨てられることもなく、リーナのように虐待されたこともなく、愛されて、守られて、育てられた。
だけどレオルドも一度、強く死にたいと思った瞬間があったのだと。
呪いの影響で体が弱く、死と生の狭間で揺れていた幼い時代。貧しい家計を火の車にし、母親は体も精神もすり減らし、父親も過酷な労働を強いられた。
確かに愛されていた。酷い言葉をぶつけられたこともほとんどなく、暴力を奮われたこともない。ただただ、大切な息子を助ける為に身を粉にしてやせ細っていく両親を見ていた。
愛されれば愛されるほど、苦しい。
大切にされればされるほど、苦しい。
そういうこともあったのだと。
それは愛されていることが前提で起きる苦しさだ。自分の価値を見出せず、大好きな人達を殺しているような自分を死にたくなるほど責めた。
死にたくなるほど愛された記憶のない私には、想像することしかできないが、それはあの≪鬼のような形相の女≫が繰り返し言う言葉と似ているのかもしれない。
もしかしたら、それで私はこの人が怖いのかもしれない。
今となっては、真意のほどは分からないけれど。
リーゼロッテも、もしかしたら愛されていた子なのかもしれない。今や引きこもりでツンツンしているけれど、守られることに大きな動揺と抵抗をみせている。他人を傷つけるしかできない化け物の自分をなぜ守るのだと。
リーゼロッテは、諦めている。まっとうに生きることを。死にたいと思いながら生きるのは、誰かのためであることをなんとなく今までの言動で察せられる。だから伯爵のところで塔の中に飼われることを選んだ。
そして今、命を守られたことに動揺と混乱をみせている。
私は再び、難しい選択を強いられる。リーナのときですら、正解なんか出せなかった問題。しかも今回はリーゼロッテをここで伯爵からただ解き放っても意味がないという事実。スイッチが入れば、本当に彼女は化け物なのかもしれない。そしてそのスイッチに私--というか聖女、または女神が関連すること。ただ解放するだけじゃ、ただの危険物になってしまう。
そろそろ伯爵が動き出してしまう。
どうしよう。どうするべき?
彼女の意にそおうとすると、伯爵を倒すと面倒になる。私達がなすべきことを通すと、リーゼロッテの命は守られるがその後にいい想像ができない。
うーん、うーん。
まずい頭が爆発しそう。
「ぎんのおねーさん、よしよし」
「--ふぁえ?」
私の頭が噴火しそうになっていると、可愛い声が可愛いことを言っていた。
よく見ればリーナがリーゼロッテの頭を撫でていた。
「だいじょうぶです。りーなはしっているのです。さいきょうのじゅもんを!」
リーナはリーゼロッテの頭を抱えるように抱きしめる。
「いいこいいこ」
「……! ……? ……!?」
リーゼロッテは目を白黒させて混乱している。
ああー、えーっと、これはぁ?
私は首を傾げたが、なぜかルークは納得顔だった。
「ああ、なるほどなあ……その手があったか」
「え? なに?」
「なんだ、覚えてないのか? 自分でもやってただろ」
やってた? 私が? 誰に?
「りーなは、おねーさんにいいこいいこされました。おかーさんをなくしたときも、こうしてぎゅーってしてくれました。そしたらりーな、ここにいてもいいのかなっておもえて、あったかくなりました」
リーナは少しリーゼロッテから腕を離すと笑顔で言った。
「ぎんのおねーさんは、いーこいーこです。りーなよりも、もっともっといーこです。だからぎゅーってします」
未だ混乱中のリーゼロッテが戸惑う中、リーナが私に笑顔を向けた。
言わんとしていることを理解した。
「お嬢っ!」
「ぐうえぇっ!?」
なんかカエルがつぶれたような声が聞こえたような気がしたけど気にしない。ぎゅーっと抱きしめて、艶やかな銀色の髪の頭部を優しく撫でた。
「お嬢のことは正直まだよくわかんないよ。知り合ってちょびっとだし、当たり前だよね。なんか色々と頭で考えたけど、やっぱり正解なんてわかんないし、今後のことを考え出すとキリなくて胃がキリキリだけどさ。これだけはハッキリ言えたわ。リーナのおかげで気づけた」
ぐりぐりと遠慮なく可愛がり撫で。
「いい子いい子」
「な、な、なっ!? ば、ばばば馬鹿なこと言わないで! なにがいい子よ、何も知らない癖にっ」
「知らないけど、なんとなくは伝わるよね。だってお嬢ってば、めっちゃ可愛いのよ。顔だけじゃない、内面からもう可愛さが溢れだすのよ。これはもう構わない方が無理だわー」
「ほぎゃああああーー!」
私とリーナに挟まれて、甘やかされるリーゼロッテは悲鳴のような声をあげたが白い頬が赤くなって恥ずかしさと戸惑いで思考が爆発しているだけのようだ。嫌がっている様子はなくて、ただただこういう扱いが慣れていないだけのような気がする。もしくは、遠い昔にはあって、いつしか忘れてしまったもの。
「リーゼのお嬢、観念した方がいいぞ。その二人にかかったら逃げられねぇーから」
「逃げられないよなぁ」
いつの間にかリーゼロッテの呼び方がリーゼのお嬢になっているルークがしみじみと言い、隣でベルナール様が納得している。
「もうなんなのよぉぉ! そんなことより伯爵が襲ってくるわよ!?」
「よーし男ども! 伯爵を頼んだ。私達はお嬢を甘やかすので忙しい」
「まだやる気なの!?」
ツッコミの鬼と化すリーゼロッテがやっぱり可愛い。私にはない圧倒的な可愛さ。リーナとも別の種類の可愛さである。この問題に正解がない以上、やはり手探りだけれど少しでもリーゼロッテの心身が軽くなればいいと思う。まさか私がリーナに以前したいい子いい子がリーナにとって己の存在価値を少しでも見出すきっかけになっていたとは思わなかったけど……。
リーゼロッテの様子をみるに、あながちすべてが的外れ--というわけではなさそうだ。
問題は山積み、だけど一個一個切り崩していくしかない。
その為には、伯爵をどうにかして呪いをなんとかする手段の一つだと思われる指輪を手にいれるしかない。
リーゼロッテを構いながらも、私は伯爵への注意は怠らなかった。いつチャンスが訪れるかわからないのだから。
--しかし、長丁場を覚悟していた矢先。
「え?」
伯爵の体ががくんと崩れて地面にひれ伏した。
「なんだ?」
ルークとベルナール様が怪訝な様子で伯爵を見ると。
【オノレ -- ! メリル シクジッタ ノカ !?】
その言葉でその場の全員が察した。
アギ君が、仕事を達成した--と。