〇38 どうして守るの?
私達が無事に精霊界から帰ってくると、状況は一変していた。
「これはなんというか……どうなってるの?」
私達はあちこち戦いで破損していたとはいえ建物内にいたはずだ。だがどうだろう、戻ってきたら天井がなかった。見上げれば空が広がっている。
「シアの中の人が吹っ飛ばした……」
ルークが若干怯え気味なのはなんでだろう。
というか、シリウスさん……私の姿で冷凍マグロを振り回して建物木っ端みじんにするとか絵面がやばいことになっているのでは。私は決して腕力自慢の馬鹿力女ではない。
「あと、リーゼロッテが地面抉った」
「えぇ……」
どうやら伯爵の抵抗が激しく、無差別にリーゼロッテ嬢達まで攻撃したらしい。リーゼロッテはリーナを守ろうとしたようで、彼女の攻撃が地面をぐりっと抉ったようだ。
リーゼロッテは、銀の美しい長い髪をなびかせ、颯爽と立っているように――見えたけども。
「もうなんなのよ私は関係ないじゃないずっと引きこもっていたかったのに連れ出したのはあの人よ私は静かに閉じこもっていればそれでよかったのになんでこんなことになってるのこうなったら伯爵の人形にも戻れない」
息継ぎも忘れる動揺っぷり。
混乱している彼女の姿は、その妖精のような容姿もあいまって可憐だが、その右手には大きな戦斧が握られていた。彼女の能力については、なんとなく聖女の力で感じていた部分もあって、魔法を使う魔力はあまりなさそうだったが、強い力は感じていたのだ。それは彼女の血によるものか、アルベナの呪いの影響か。
なんにせよ、リーゼロッテはおそらく物理特化。
リーゼロッテのスイッチが判然としないが、シリウスさんが限界まで私の女神との接点を抑えているからか、いまだリーゼロッテが変貌する様子はみられない。
「とりあえず、戦闘は激化しているようだが……」
レオルドが足元を見るとラムとリリが一鳴きした。任せろーということなのか。火の王の鐘の力でラムとリリも影響を受けているのか、彼らからはただの動物ではない力を確かに感じられた。
「サラ! レオ!」
キャリーさん達が、心配そうに二人の元へ駆け寄った。
「心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」
「うんうん! その太陽みたいな笑顔こそ、サラだよね。よーし、私達もいっちょ前にでますか」
「調子に乗って怪我しないようにね~」
キャリーさんとベックさん夫婦は、互いに銃をかまえる。
サラさんは、パンっと両手を打ち合わせた。彼女の腕にはまっていた力を抑える腕輪の方がいつの間にか外れている。
「私もようやく本領発揮できそうよ」
「俺も、火の王のおかげでものすごい力が内から漲ってくるのがわかる……」
レオルドの体から炎のエネルギーが発生し、皮膚が赤く染まっていく。その姿はまさに、ギルド大会バルザン戦でみせたものだ。あの時は、追い詰められての無我の境地というやつか、眠れる力が偶然に引き出された感じだったが、今は火の王の邂逅により自分で発現できるようになったようだ。
【オノレ モウスコシ モウスコシ デ ワガ ネガイガ カナウトイウノニ! アア、アルジ アルジニササゲル ニエ ガ タリヌ!】
化け物となり果てた伯爵の咆哮が響き渡る。
だが、最前線にはベルナール様(剣物理・遊撃援護)、シリウスさん(格闘物理特化・攻撃専門)、ルーク(剣物理、防御カウンター)、中衛にリーゼロッテ嬢(戦斧物理特化・リーナ守護)、リーナ(のんちゃんアタック支援)、ミレディアさん(剣、魔法両用・支援)、後衛にベックさん(防御的射撃援護)、キャリーさん(攻撃的射撃援護)がいてなかなか頑丈な壁ができあがっていた。
そして精霊界から帰還し、本領発揮ができると息巻くサラさん(物理特化、攻撃専門)と精霊の力を得たレオルド(魔法特化、攻防両用)が加わりさらにすきがない。
ここでヒーラーがいたらなぁ。
優秀なヒーラーがいたらもう本当完璧なんだけどなぁ。
ちら、ちら。
「死にたくなかったら大人しくしていなさい」
シリウスさんに怒られた。
「でもっ、私は元々ヒーラーなんです! 聖女の力で強化はされてましたけどかなり練度の高い聖魔法使いなんですよ!」
「わかっているけれどね……聖女の力と密接な関係にある聖魔法と聖女の力をきりはなすのは難しいんだ--っつ」
「シリウスさん?」
力いっぱい暴れていたシリウスさんの動きが少し鈍った気がした。
ベルナール様も気がついたのか、戦い方を少し変えてきている。
「やはり、他人の体を動かすのは負担が大きいな。……シア、聞いて。これ以上は互いに危険だ、今から体を返すけど、絶対に力は使わないように」
「それだと戦力にならな--」
「そうだな、じゃあ私の力の一部をいったん置いていく。戦い方が違うから難しいだろうけど、護身用にと教えた格闘術は、覚えているね?」
万が一のときの為にとシリウスさんが生前、私に仕込んでくれていた護身術。そのおかげで私は体の動かし方をなんとなくわかっており、ダメージの通りやすい蹴りなどを放てる。聖魔法で強化してやるとなかなかの破壊力があるのだ。ラクリスに化けていたジャック戦でもちょっと使ったことがある。
頷くと、私は吸い込まれるように自分の体に戻った。
--右手に冷凍マグロ。
体、あちこち痛い。
服、埃まみれ。あとちょっと血の跡があるけど、おそらく返り血。
なんか歴戦の戦士になった気分なんだけど……。
とりあえず、冷凍マグロは放り投げた。初心者に上手く扱える武器ではない。
目の前には、化け物の伯爵が高い壁のように立ちふさがっていた。最前線ではなかなかの恐ろしい光景が広がる。
多勢の前に伯爵一人だが、やはり化け物かなり頑丈。アギ君が伯爵に力を与えているであろう魔道具を破壊しに向かったが、まだ目的達成はできていないようだ。
「シア、戻ったか?」
「はい。養父がエネルギー切れになったので。でも聖女の力も聖魔法もしっかり扱えません。まぁ、マイナー魔法となんちゃって格闘でしのぎ切ります。アギ君なら、しっかり仕事をすると思うので」
蒼天の刃のエース、暴風の魔導士アギ君ならやってくれる。それまで私達は死なないように切り抜けなければならない。
伯爵の指輪があれば、アルベナの呪い関係になにがしかの区切りをつけられる可能性がある。リーゼロッテも、アルベナの呪いに振り回されている者である以上、彼女にとっても好機となるかもしれない。女神との繋がりが深い私は、リーゼロッテには地雷になる可能性が非常に高いけど……なんかもう放っておけないしね。私が傍にいるのが危険なら、騎士団に相談してもいいし。本来ならこういうことは聖教会が専門だけど、女神が鬼門である以上頼れない。
【リーゼロッテ オチブレタオトコ ノ ザンガイ】
「……」
戦闘の合間に発せられる伯爵の言葉に、リーゼロッテは口をつぐむ。
【アルジ ノア ノ ケイヤク デ シュゴ シテ ヤッタ ト イウノニ】
【アルベナ ヲ アワレンダ ワガ オチド カ】
【コーラル アズラエル フタリ ノ イノチ ヲ ギセイニ シテモ オマエハ イキタイカ?】
「わたし――私……は――」
リーゼロッテの手が震える。
コーラルの方はわからないが、アズラエルには覚えがある。サンドリナさんの夫であるサフィリス伯爵の名がアズラエルだったはずだ。
化け物となっても伯爵の意識ははっきりとしている。その問いかけは、惑わそうという意図というよりは本当に疑問に思っているように感じられた。
「私は……本当は、生きたくなんてない。生きることが誰かの命を奪うことと同じなら、生きている方が辛いもの」
でも、とリーゼロッテは頭を抱えて蹲った。
「生きろと言う。お父様も、アズラエル叔父様も――みんなみんな、最期にそう言うの。なんとかしようとするの。もがいて、傷ついて、苦しんで、生きて欲しいと言って死んでいったの。だから私は生きている。生きているように死ぬしかない」
だから、塔の中に閉じこもり、伯爵の怪物となることを望んだ。
生きながら死ぬことを選んだ。
世の中には、死ぬより生きる方が辛いことがあるという。死んだ方がマシだという状況があるという。そんな時、私はどうするだろう? 結局のところ、そうならなければどうするかはわからない。
リーゼロッテの様子は気になったが、リーナがぎゅーっとリーゼロッテを抱きしめていた。あの子は、他人の心に敏いところがあるから、リーゼロッテが自身の精神に押しつぶされないようにしているのだろう。
【クダラナイ ソウ クダラナイ】
【ヤサシサ ガ アイジョウ ガ シヨリ オソロシイ モノ ヲ ツレテクルト シラヌ。コーラル モ アズラエル モ】
伯爵は黒に染まる空へと咆哮した。
【ノア ノ モトヘ カエソウ ソレガ ジヒ】
伯爵の狙いが一点に絞られた。
「ルーク! ベルナール様!」
私が叫ぶより前に、反応の早い二人がリーゼロッテの場所まで下がり伯爵の攻撃を防いだ。
伯爵は、リーゼロッテのスイッチを知っているだろう。ならば利用しようとすればできるはずだが、それよりも命を奪う方を選んだ。リーゼロッテは逃げようともせず、ぼうっとその場に立っている。
自分でもどうすればいいのか、頭が回らない様子だ。
「せいやっ!」
攻撃を止められた伯爵の動きが少し止まったのを狙って、思い切り蹴りをいれる。シリウスさんほどではないが、良い感じに伯爵がノックバックしてくれた。
「どうして守るの?」
茫然とした声でリーゼロッテが呟いた。
「みんな優しい、気遣って、守って、救おうとしてくれる」
震える声に、背筋がゾッとした。ルークもベルナール様も、そしてリーナも目の前にあるものが信じられないという顔で顔面が蒼白に変わる。
そして、私も。
聖女の力が封じられているせいか、私にも見えた。リーゼロッテが見せる恐怖の幻影。
鬼のような形相の女。
記憶の果ての果てにわずかに残る、私の最初の記憶にして恐怖の象徴のようなもの。
あの人が、誰なのかはわからない。母親と呼んだことがない。でもきっとかかわりは深かったはずの人。
『――生きて。――生きて。どれほど辛くても、死にたくても――生きて』
鬼のような形相の女が繰り返して言う。私はずっと記憶の果てにいる、この女が怖かった。思い出すのがどうしてか恐ろしかった。
鬼のような形相の女、と表現しているけれど本当はその顔をはっきりと思い出せない。どうして≪鬼のような形相の女≫だと思っているのだろう。
優しさや愛情が人を殺すこともある。
この言葉を私は別の場所で、別の人物から聞いたような気がする。
この人は、誰だったの?