〇35 幸せにする覚悟
サラさんの話をレオルドは静かに聞いていた。
その表情は、いつもに比べて険しいものだった。難しい魔導書を読んでいるときと似ているが、その瞳からは複雑な心境をみてとれる。
サラさんの話が本当だとすると、察するにその生贄にされた少年というのがレオルドのことなんだろう。あの場所に村があることに少々疑問を感じてはいたが、サラさんの先祖が代々、不思議な力で呪いを抑える役目を負っていたと考えると納得がいく。
私は呪術的な知識はまったくない。祈祷などは魔法とはまた違う系統の術で、遥か東方の魔道形態である。サラさんのご先祖は、元々は東方の人間か、東方の人間に術を習った者だったのだろう。当時のベルフォマ伯爵が、強引に巫女にこの地に留まり、呪いを抑える役目を命じた為に、不本意にこの地に根を下ろし、孤独に呪いと戦い続けなくてはならなくなった巫女達を不憫に思う。
けれど、サラさんのお母さんは、絶対にしてはいけないことをしてしまった。自分の娘を守る為に、他の子供にそれをなすりつけるなんて……。やはり無理のあるやり方だったようだし、それでレオルドはかなり辛い幼少期を過ごしただろう。それに今代はどうにかなったとしても、その先はどうするつもりだったのか。巫女の受け皿を変えたところで、また継ぐべきものを探さなくてはならない。
ここまでの話を聞くと、サラさんのお母さんは、サラさんさえ無事ならいいと思っていた節がある。その先のことは考えなかったのかもしれない。
そういえば、シャーリーちゃんってリーナのように変わった特殊な能力があった。あの子は、魔力の匂いを嗅ぎ分けることができる。それでレオルドの居場所をつきとめていた。あの力は、もしかすると巫女としての血筋が関係あるのかもしれない。
なんにせよ、サラさんの告白は驚くべきものだった。
ベックさんもキャリーさんもさすがに絶句している。
レオルドはサラさんが話し終わると、静かに目を閉じた。
「ずっと、不思議には思っていた。だが、失踪したときの記憶は残ってなかったし、おばさんと話した内容もまったく思い出せない」
サラさんは俯いたまま、顔をあげられない様子でレオルドの言葉に耳を傾けている。
「けど、なんでだろうな。あんなに……一時は、自殺まで考えていたこともあったが、あの日を境にまったくそんなことは考えなくなった。自然と体が丈夫になっていたからかもしれないが、あれだけ嫌っていた自分の体に向き合う心づもりができてた」
レオルドは、そっとしゃがみ込むとサラさんに優しく笑いかけた。手を伸ばしたが、瘴気が壁になって触れることはできない。
「色々と抜けている部分は確かにある。だけどこれだけは確信をもって言える。俺は、サラに救われた。原因がサラを助けようとしたあの人だとしても、俺はあの人を恨むことはできないし、サラからもらった多くのものをなかったことにもできない。だから大丈夫だ。今度は、ちゃんと助ける」
ガンッと瘴気の壁を拳で叩くように出して、いつもの少し情けなくも見える顔には、清々しいほどに影がない。
サラさんは、少しだけ顔をあげてその顔を見た。見て、泣き笑いのように苦笑した。
「そういう人よね、あなたは昔から。お母さんが唯一読み誤ったのはそこ。レオが、レオじゃなかったら、私は好きにならなかったし、お母さんの目論見通りに村を出たかもしれない。--でも、そうならなかった。私は生贄の少年を愛して、結婚して……巫女の血と、巫女の力を併せ持った娘が生まれた。ただ、因果が巡っただけ、元通りに」
サラさんのお母さんは、巫女の代が続かないように巫女の力をレオルドに移し、サラさんは巫女の血だけを継いだ。力の継承がなければ、巫女としては成立しない。けど、一つ飛びで結局はシャーリーちゃんにその条件が揃ってしまったのだ。
そのことをサラさんは、たぶん知っていたはずだ。
「サラ……おまえ、もしかして今回大人しく伯爵のところへ来たのは、村のこと以外にそのことがあったからか?」
「……そう。なにごともなければいいと、自分自身のことを棚にあげて祈ってた。でもやっぱり、どこかで清算しなきゃいけない。責任を果たさなきゃいけない」
サラさんは幸せになりたかった。レオルドと一緒に。
その気持ちを責めることはできない。でもシャーリーちゃんに危険が残ることを考えると、どうしても複雑な気持ちになる。
サラさん自身が、きっと一番そう感じていただろう。
サラさんは、腕をあげた。腕にはまった二つの腕輪がかちりと鳴る。
「この腕輪、一つは私の格闘術を封じるものだけど、もう一つは代々巫女に伝わるものなの。伯爵は、私の血を使って、この土地の呪いを操ろうと考えた。誰の入れ知恵かは知らないけど、それができる術と指輪を持っていた。結婚という契約で私をラミリス家に入れ、その主の権限で指輪の効力が発動するみたい。だから私は、それを逆に利用しようと考えた……巫女の血が指輪の発動条件ならば、私の血を浴びた指輪を壊せば呪いもろとも消せるかもしれないと」
そうすれば、巫女の役割は失われる。シャーリーちゃんが万が一、巫女を継いだとしても呪いを抑えるという危険がなければそれが原因で命を失うこともない。
あの指輪に関しては、まったく知識がないし、賭けるにしては分が悪いとは思うが結局のところ望みはそこしかなかったんだろう。
「それは……血を使うって、サラは無事に済むのか?」
レオルドの心配そうな声に、サラさんは首を振った。
「わからないわ。それで呪いがどうにかなるかもわからない」
それでも諦めたくなかった。
サラさんは、母親の慈愛に満ちた最後の顔すら恨んだという。自分勝手な優しさに、サラさんは振り回された。すでに仲良くなっていたレオルドに、罪悪感をずっと抱きながら、己もまた自分勝手にならざるを得ないほど後戻りができなくなっていた。
幸せになりたいと、誰もが思うことに後ろめたさを感じ続ける。
その後ろめたさに決着をつけるには、最後を迎えるにはどうしたらいいのか。
選ばれた道は、ここに繋がっていた。
レオルドは一言、「そうか」と言った。
そして。
「……マスター、その状態のとこ悪いんだが、聖獣様って呼べるか?」
ふえっ!?
急に話しかけられて、変な声が出た。
だが、私の姿は今、見えないし声も聞こえないはずだ。リーナはもしかしたらわかるかもしれないけど。ああ、でもレオルドもわかる方なんだっけか。
カピバラ様、呼べるかな。前に試した時はダメだったけど。
『あの聖獣様なら、聖女として呼ぶ必要はないんじゃないかな』
え?
向こう側で戦っているはずのシリウスさんが助言をくれる。
『聖獣様は契約にこだわってたけど、実は彼、いつも精霊界じゃなくて狭間にいるから、助けて欲しいと願えば来てくれると思うよ』
ま、まさか……悲しいことに、私カピバラ様とはあまり仲が良くなくてですね……。
『そう? なんかずっと向こうで≪あいつまだ呼ばねぇ!≫ってイライラしている雰囲気を感じるんだけど』
…………。
『彼も素直じゃないよねぇ。誰かさんを思い出させるなぁ』
盛大なくしゃみを今頃、司教様がしているのだろうか。
私は、神経を集中させた。聖女としてのカピバラ様との契約は今、途絶えている。道筋はまったく見えない。でも、助けを呼んでくれるのを待っていてくれている(らしい)。
あれだけ私には文句を言いながらも、きっといつの間にかすっかりギルドの仲間だったんだろう。
「カピバラ様! レオルドとサラさんを助けて!」
力の限り叫んだ。
すると、暗い空がカッと強い閃光でまばゆく輝く。
「待ちくたびれたぜーー!」
ぴょんっと軽やかにレオルドの頭に上に着地したのは、やる気満々のカピバラ様だった。
「もう出番ねぇーっと思ったじゃねぇーか!」
だって、最初に試した時にダメだったし。
「気持ちがこもらなきゃ通じねぇーんだよ、あんぽんまな板!」
カピバラ様の私専用罵りが絶好調である。
「美人な奥様を救うなんて、こんな役得を嫌がるわけねぇーだろ。よぉーし、この俺様が精霊界一のいい男であることを証明しようじゃねぇーか」
うらぁっ!
と、カピバラ様が気合をいれて小さな後ろ脚でサラさんを囲んでいた瘴気を蹴ると瘴気はあっという間に霧散して消え去った。
「どうだ、聖獣として俺様にもちょびっとは浄化の力があるからな! この程度の瘴気ならわけねぇーぜ」
「おお、さすが聖獣様。頼りになるな」
「褒めろ褒めろ、もっと褒めろ」
カピバラ様は、ふふんっと鼻を上に向けて上機嫌である。褒めてのびるタイプなんだろうな。
「サラ」
「……レオ」
レオルドはサラさんを抱き起した。
「俺はなにも失いたくない。一番の幸せを知ったら、もう昔みたいに死んでもいいとか思えない。サラが今の幸せを諦めたくないと思ったのと同じく、俺もサラのいる幸せを諦めたくないんだ」
熱いレオルドの言葉に、サラさんは涙を流した。
その光景に、カピバラ様が奮えた。
「おうおう、おっさんよう! 美人な嫁さんを幸せにする覚悟はできてんだろうなー!?」
「とっくの昔に」
「上出来だぜ! よかったなぁ、お前ら。ようやくお役目が果たせるぜ」
カピバラ様の言葉の意味に首を傾げていると、どこからか。
「なー!」
「なうー!」
という、聞きなれつつも少し懐かしさを感じる可愛い鳴き声が響いた。
カピバラ様の前に降り立ったのは----。
「ラムとリリ!?」
我がギルドのマスコット的存在、子猫のラムとリリだった。
「お前らまったく気づいてなかったけどよ、こいつら精霊だぞ。まだまだ半人前だがな」
「え? え? えぇ!?」
レオルドが慌てふためいているが、私も同じ状態である。
ふ、普通の子猫だとしか思っていなかった。
「おっさんと強い結びつきを感じるし、まーたぶん、おっさんが過去に精霊界に失踪したときにでも契約したんじゃねぇーの? でなきゃ、こっちに帰れるわけねーし」
ラムとリリは、いつも通り大好きなレオルドにすりよって上機嫌に喉を鳴らしている。どうみても、普通の猫ちゃん。
「じゃあ、まさかラムとリリが俺の体を丈夫にしてくれてたのか?」
「というよりは、こいつら巫女の力で呪いを吸い寄せてたおっさんの体内に溜まった呪いを食べてたんだろうよ」
驚愕の事実に、開いた口がふさがらない。
「さーて、精霊もそろい踏みしたし、おっさん--ガキのころにできなかった後片付け。きっちりつけてこい」
カピバラ様のいつになく真剣な声音、レオルドは頷いた。
「あと、そこの今回役立たず第一位」
それは私のことかーー!!
「都合いいことに霊体なんだから、ちょいと手伝え」
不遜な態度のカピバラ様に、いつものように腹をたてながらも私は気合をいれて頷いた。
私は今、猛烈に仕事が欲しい。