〇33 愛用の釘バット
「アルベナ……っていうと……」
「悪魔病ではないよ。正真正銘、始祖の血と魂を持つ者だ。ベルフォマのお嬢さんに触れたときに見えた光景は、かつて本当にあったこと。アルベナというのは、この大陸を元々治めていた始祖の種族、アルベナは女神の加護の元生まれた人間とは違って、自らの魂を分割させ肉体を与えることで新たな生命を作り出し増える種族だったんだ。だからすべてがアルベナと同一ともいえる。性別、容姿、性格はそれぞれあったけれどね」
シリウスさんの話が本当だとすると、女神のせいでアルベナの一族は滅ぼされて、それが原因でアルベナの呪いがふりまかれることになったのか。
ああ、頭がこんがらがる。
「それでどうしてシリウスさんがアルベナなんです? その話が本当だとしてもアルベナはかなり昔にバラバラにされちゃってますよね?」
「普通の人間ならそれで終わりだけどね、アルベナは魂の欠片さえあれば新たなアルベナを作れる。ラメラスは個々に封じたけれど、人間は数が多くてすべてを完璧に御しきれるわけじゃない。この土地に封じられた欠片も、かつてのベルフォマ伯爵によって解かれている。そうして漏れでた欠片が新たな種を増やそうとしたのは、おかしな話じゃないんですよ」
帝国のとある外れの地で、シリウスさんは目を覚ましたらしい。姿は七歳くらいの幼い少年として、記憶もなくしばらくふらふらと土地をさ迷った。そうして出会ったのだ、司教様--ガードナー家に。
「己が何者かも知らずに、私はガードナー家に温かく迎えいれられました。なにも持たない人形のような私に、人の感情を教えてくれたのは優しい母さんで。生きる術や知識、技術を叩き込んでくれたのは厳しくも尊敬する父さんで。他人との距離や関わり方を根気よく教えてくれたのは--兄さんでした」
シリウスさんは、懐かしい記憶を思い出しながら笑顔を浮かべた。
「幸せでした。人間ではない私ですから、当時はそれが幸せというものであるのだと分からなかったのですが、今ならはっきりとそう言えます。人の姿でありながら、別の存在であることを互いに知らぬまま、人を学びながら育った私ですが……まあ、そんなに簡単に人ならざる者が人になることはできないもので。十歳ほどの姿に成長した頃でしょうか、運悪く別のアルベナの欠片に近づいた結果、暴走。私は……父さんと母さんを殺してしまったのです」
暴走の勢いはすさまじかったらしい。
自身すら傷つくほどの暴走に、ガードナー夫妻は必死にシリウスさんを助けようとして……帰らぬ人となった。夫妻によって守られた司教様、レヴィオスは無事だったが気絶しており、その隙にシリウスさんはその場から逃げ出した。大事な人達を自分の手で殺めてしまった事実に正気ではいられなかったようだ。
その後は、人里を避け、隠れ暮らした。自害も考えたようだが、アルベナの因子により自由に自分の体を扱えない場合がある。それは自害にも及んでいた。シリウスさんは、アルベナとは別の個体ではあるがアルベナの分裂体にすぎない。どうしても始祖とのつながりはきれないのだ。
「一年後に兄さんに見つかってぶん殴られるわけですが……その辺は割愛します。その際に、兄さんは自分の目を贄にして私のアルベナの片目と交換しました。私の身に人の要素が入ったことで意識を奪われるほどの暴走はなくなった……代わりに兄さんが人外になってしまったわけですが。兄さんが必要以上に他人に威圧感を与えたり、怖がられたりするのは彼の眼帯の奥にアルベナの瞳があるからなんですよ」
確かに、司教様から感じる恐怖感はどこか不自然だった。元大海賊頭で殺気だったり、目つきが悪かったりで怖い要素はあったけど、体が動かなくなったり呼吸ができないほどまで怖いと思うのはなんでなんだろうかと。
司教様が、一部人外になっているのならその恐怖感も納得だ。
シリウスさんの黄金の右目が司教様の目。左目は、元々のアルベナの目で半身人間になったときに光が失われアルベナの力と共に封じられたそうだ。
「それからはまあ、色々とありましたね。罪の意識からガードナー姓が名乗れなかった私にリフィーノ姓を与えてくれた方とか、帝国に狙われていたセラさんを誘拐したりとか、そのときに地方騎士見習いだったイヴァースを追っ手と間違えて殺しかけたりとか--」
まってー! 色々が多すぎる! 一つ一つ気になっちゃうやつ!
「ジオ君とジュリアス君は元気かな。ジオ君は騎士団を退団しちゃったみたいだけど、ジュリアス君は順調に出世しているみたいで嬉しいよ。昔は私にボコボコにされてベソかいてたのにね、感慨深いね。何度か会いに行ったことはあったんだけど、私の顔を見るなり泣きながら逃げるからまともに話ができなかったのが心残りだなぁ。あんなに可愛がったのに、愛情が伝わらなかったのかな?」
「突っ込みたーい! 突っ込みたいけど時間なーい!」
ジュリアスさんが昔言っていた『シリウス兄ちゃんの愛情は腕一本分』の意味がちら見えしたけど時間がなーい!
「驚愕の事実が目白押しですが、目下現実問題、今我々は窮地に立たされてます」
「そうだね」
「アギ君は優秀だけど、間に合わない可能性もあります」
「そうだね」
「聖女の力は解放できませんか!?」
「できません」
笑顔で! 断言!
「解放したら一瞬で全滅だよ。敵の超必殺が発動するキーが聖女の力なんだから」
「でもじゃあどうやって戦ったらいいんです! 聖女の力が封じられた影響で聖魔法も不調なんですよ私!」
「それはごめんね。私もうまく聖女の力だけを封じることはできなくて。私だってシアやシアの大切な仲間を守りたいと思っているよ。だから私なりに色々と考えてはいたんだ」
シリウスさんは少々申し訳なさそうに、私の頭の上にぽんと手を乗せた。
「シアの体、ちょっと借りていいかな?」
「ふぁっ!?」
「娘の体を借りるのはアレかなぁとは思うんだけどね。どう考えても打開策がこれしかなくてね」
「ええぇぇぇぇ!?」
「大丈夫、シアの体がちぎれないように気を付けるから」
私の体がちぎれるかもしれないことするの!?
「えっと……それしか、ないんですね?」
「シアが今、誰かを救おうというのなら」
「……わかりました。お願いします--シリウスさん、みんなを助けてください」
「うん。愛し子の大切なものを守護しよう、それが今の私の役目だ」
シリウスさんの意識が中に入ってくる変な感覚がした。
私の見たことのない光景、記憶、言葉、人がとぎれとぎれに見えた。それは悲しい事か、辛い事か、楽しい事か、愛しい事か。シリウスさんが経験してきた時間が目まぐるしく流れて--。
あの日、笑顔を失敗した私の泣き顔で途切れる。
『--シア、私は決して優しい人でも穏やかな人でもない。それを君に知られるのが怖くて、ずっとそういうフリをしてきた』
若干、ばつの悪そうな声が聞こえて私は溜息を吐いた。
「知ってますよ。私の観察眼をなめないでください。短い時間でもシリウスさんが無理して丁寧口調していたのは分かってます。だって、わりと安定してないですもんシリウスさんの口調」
『……そっか。でも付け焼刃でもシアは私の傍にいてくれたね。ありがとう、大丈夫--今の私は兄さんにかなり鍛えられたから、アルベナの因子に引きずられずに守ろう』
気がつくと私は、私でありながら私ではないという奇妙な状況にいた。体を動かしているのも、言葉をしゃべるのも今はシリウスさんの制御下だ。
「ベルフォマのお嬢さん、ありがとう。君は大丈夫だよ。君の中にあるアルベナの欠片を君なら制御できるはずだ。お嬢さんは、私と違って優しい人間なのだから」
「え?」
私の顔で、声で、目を開けた私にそんなことを言われたリーゼロッテ嬢は疑問符を浮かべるしかない。リーナはなんとなく【中身が違う】ことに気がついたのか、じっと私を見つめた。
シリウスさんが、そんなリーナの頭を優しく撫でた。
そして、瘴気あたりしていた私とは違い、まっすぐに戦いの中へと歩みを進めた。
「シア!? ちょ、危ねぇーからこっちくんなって!」
前線のルークが慌てたが、ベルナール様は私の雰囲気が違うのがすぐにわかったのか少々怪訝な顔でこっちを見た。
シリウスさんは、そんな二人を視界にいれながらも周囲を見回した。
「えーっと、なにか適当な武器は……ああ、これでいっか」
そう言ってシリウスさんが拾ったのは----マグロ。
私の生魚召喚魔法で呼び出したお魚さんの一匹。あれは確か、なぜかベルナール様が投擲していたやつだ。所持していたにも関わらずイケメン消臭されたマグロ。それをシリウスさんは確かめるようにぶんぶん振った。
「強度が足りないかな? 冷凍しちゃうか」
言うや否や、マグロは強度抜群の冷凍マグロへ早変わり。
ぶんと振って、聖堂の長椅子を木っ端みじんにしたのを見てシリウスさんは満足げに微笑んだ。
「愛用の釘バットがないのか残念だけど----」
ぶんっ!
一薙ぎだけで、迫っていた素体人形を五体まとめて吹き飛ばした。いつの間にか、敵は怪物伯爵だけではなくあの人形や精神傀儡兵まで集い始めている。
「兄貴以上にオレは単騎特攻が得意だ。遊んでやるから、かかってこいよ」
私の声帯が出せるギリギリの低音でドスの効いたセリフが聖堂に響き渡り、ショックでルークが剣を落とした。