〇31 クマさんみたいな
シャンデリアの光を反射し美しく輝くステンドグラスを蹴破って、お姫様を助けにカッコよく王子様が乱入!
--と、したいところですが、実際はロープにしがみつきながら巨体のおっさんが必死の形相でステンドグラスを蹴破るシーンは、賊の襲撃にしか見えなかった。心のフィルターが必要だったので、レオルドの衣装を白のタキシードにでも変換しておきましょう。
「ちょ、騒ぎに乗じて賊が侵入してるわよ!?」
少し慌ててるリーゼロッテ嬢がかわい--じゃなくて。
「大丈夫、彼こそがサラさんの王子様だから」
「あのクマさんみたいな方が!?」
彼女には道中、花嫁強奪作戦は伝えてある。伝えてはあるが、おそらく別の絵面を想像していたに違いない。さらいに来る王子様のキャストがベルナール様だったらはまったのかもしれないが、王子様はひとそれぞれですよ。顔じゃない顔じゃ。レオルドも別に容姿が悪いわけじゃないんだけどね、体躯がでかいから初対面の人は怖いだろう。
勢いよくロープにしがみついて、ターザンしたレオルドはそのままの勢いで見事にダミアンにタックルしてサラさんを確保した。
ここがタイミングだろう。私は、リーナにリーゼロッテ嬢を任せて飛び出した。同時に別の扉からアギ君、キャリーさん、ベックさんも突入する。
「レオルドはサラさんを連れて離脱して!」
「わかってる!」
私の言葉に、すでにレオルドは出口に向かって走り出していた。私はそれを邪魔されないように伯爵一家の動向を探ろうと視線を移した--が。
ダミアンは、レオルドにタックルされた衝撃で尻餅をついていて動かない。レオルドは明らかに手加減していたので怪我はしていないだろうが、強引にでも結婚しようとしていた相手が連れ去られたというのに慌てるそぶりもない。
一番不気味なのは、突っ立たままのラミリス伯爵だが……。
「ねずみがちょろちょろしているのは知っていた。狙いが巫女であることもな」
巫女?
聞きなれない単語に首を傾げる暇もなく、ラミリス伯爵は右手をあげた。その中指には指輪がはまっている。お世辞にもセンスがいいとはいえない装飾がほどこされた黒い指輪が、赤黒く光る。
「レオっ、離れて!」
レオルドに抱えられていたサラさんが、暴れて強引に彼の腕から降りて離れると、サラさんがはめていた腕輪がラミリス伯爵の指輪と反応するように赤黒く光はじめる。
「サラ!」
苦しみもがくサラさんに、レオルドが近づこうとするが黒いもやのようなものが行く手を阻んだ。この感覚、瘴気だ。触れていいことは一つもない。近づくことすら危ないものである。
「みんな離れて! 瘴気に近づきすぎると危ないわ」
「だが、サラがっ」
「浄化--もうっ、なんでこんなときに力が使えないのよ!」
もしかしたらもう使えるかもしれないと試してみたが、ダメだった。私の聖女としての力を封じているのは、私についているという守護霊らしいがいったいいつまで使用不可にするつもりなんだろうか。緊急事態なのに!
「だい、じょうぶっよ!」
「サラ!」
「私、瘴気には耐性があるのっ! それに私は伯爵にとって大事な贄っ、命まではとられない! シアちゃんっ、お願いダミアンを!」
サラさんの叫びに、私は背筋が震える感覚がしてダミアンの方を振り返った。全身が黒い人の形をしたものがダミアンの体に絡みついている。
「うわあっ!?」
なにがどうなってるのか分からない。
ダミアンは伯爵の仲間だろうと思っていた。現に伯爵と共謀してサラさんをさらった様子だし、サラさんにセンスのない贈り物をしたり、頻繁に会いに行ったりしていたようだったから。だが、振り返るときに見たのは、ダミアンがラミリス伯爵からなにかを奪いとろうとした瞬間だった。それに怒った伯爵が、黒いなにかを襲わせた、そう見えた。
「違うのっ、ダミアンは違ったのよっ!」
サラさんの言わんとしているところは理解しきれないが、現状ダミアンが死ぬのはマズイ状況になる予感がして、ダミアンのところへ走った。ろくな魔法が使えない状況だけど--。
「シールド!」
聖魔法の一つの盾を使ってみた。
「少し、でた!?」
威力は微々たるものだったが、魔法自体は発動できた。少し聖魔法に関しては力が戻りつつあるようだ。聖女の特殊能力である浄化は使えないままみたいだが。
黒い人型のなにかを退けて、ダミアンを助け起こした。
「なにがどうなってるのか説明してもらいたいんですけど!?」
「うっ、すまない……」
「あやまんなくていいので、説明っ! 簡潔にっ!」
ぐだぐだしてるとラミリス伯爵に次の行動をとられてしまう。
「父上の様子がおかしいことに気づいていたっ、その原因もおそらく分かっている。とにかくあの赤黒い指輪を破壊してくれ! あの盲目の娘が渡したあの指輪を!」
盲目の娘。
もはや一人しか思い当たらない。やはり彼女がこの事態を招いた黒幕のようだ。
しかし、指輪の破壊か。ダミアンが奪い取ろうとしたのは、ソレだったようだ。確かに、ものすごく嫌な気配をその指輪から感じ取れる。普通の魔力じゃない。瘴気の塊のようなものが、その指輪からは感じられた。
「なぜ邪魔をするダミアン。お前のかねてよりの願い、今こそ叶えられるというのに」
「確かに僕は、サラのことが好きだったよ。馬鹿すぎて彼女に迷惑までかけたくらいに。でも! 僕は馬鹿で世間知らずのボンボンでも、妻に来てくれた人を悲しませることも、子供に引け目を作ることも絶対にやっちゃいけないと知っているっ」
ダミアンは震える手で懐から小型の銃を取り出して、父親であるラミリス伯爵に向けた。
「おかしいんだ。なにもかも。この土地に来てから、少しずつなにかおかしいんだ。父上は野心家で、お世辞にもいい人じゃなかった。それでも僕にとっては大切な父上だ。おかした罪も僕は背負う覚悟でいるよ。でも今の状況はどう考えても異常だ! だから--」
銃声が響いた。
ダミアンの銃じゃない。
いつの間にか、ラミリス伯爵の手には銃が握られ、その先からは白く煙があがっていた。
「がっ!」
ダミアンが仰向けに倒れ、血が流れていく様を私はただ、なにもできずに眺めるしかなかった。
ち、治療を……。
働かない頭で、聖魔法がまだ本調子でないことも忘れ、ダミアンに近づこうとしたが。
「ああ、ダミアン。私の大切な息子、殺しはしない。巫女を贄とする為の誓約が終わるまで、お前は必要だ」
ラミリス伯爵は、すでにダミアンのそばにまで来ていた。おかしい、先ほどまでは祭壇の上にいたはずだ。瞬きのうちにダミアンのところまで移動することは不可能だ。しかも、平均的な成人男性の体格であるダミアンを片手で持ち上げた。
ボタボタとダミアンの肩口から血が流れ落ちる。急所は外れているようだが、はやく手当てをしないと失血死の恐れがある。
けれど、私はその場から動けなかった。
この感覚は、司教様と出会ったときと似ていた。得体の知れない重い恐怖心。司教様は見るものすべてに言いようのない恐怖を与える。それは隻眼の顔が怖いから--だけでは決してない。それだけなら、イヴァース副団長の顔の方がよっぽど怖い。まとう雰囲気とか、元大海賊という経歴から殺気が身についているだけとも解釈できるが、私としてはそれだけでは説明できないと思っていた。
人を気絶させるほどの怖さとは、いったいなにか。
「捧げなければ。巫女を贄を。そして解放するのだ、アルベナに呪われしこの土地を」
ラミリス伯爵の顔が歪む。
はめられた赤黒い指輪が明々(めいめい)する。濃い瘴気をまとうラミリス伯爵の姿は、もはや人の形を成していなかった。黒い肉の塊のようなものが、ラミリス伯爵の声で物を言う。
【ミコ ヲ ヨコセ】
【ラメラス ヲ コロセ】
【アルベナ ヲ ガイシタ ラメラス ノ ムクロ ヲ ササゲヨ】
【サツリク ノ シンリャクシャ】
【ササゲヨ ワガ アルジ ノア ノ モトヘ】
ラミリス伯爵だったものの声なき声が、頭に響く。
伯爵は、もう手の施しようがないところまで来ていたらしい。いつから人ではなくなっていたのだろうか。人外になったのはどうして。
頭に響く、言葉の意味もわからない。
けど、なんとなく前後の言動で巫女や贄という言葉が示すのはサラさんだろうと思った。レオルド達もそう判断したのか、サラさんに近づけなくとも化け物となった伯爵から彼女を守ろうと彼らはサラさんの壁になって立ちふさがっている。
サラさんはなんとかなるだろう。
で、実は今、一番危険地帯にいるのは私だ。怪物となり果てた伯爵のすぐ近くに私は立っている。そしてなさけないことに腰が抜けそうである。聖女の力というのは、瘴気や魔力圧などに強い耐性をつけてくれる。私が今まで肝が据わった態度でいられたのは、この力があることが大きい。いくら人間として度胸があっても、怪物相手に立ちふさがって震えない者はいない。なにごとにも耐性が一番必要なのだ。
これだけ近くにいて、気絶していないだけ私は人間として耐性がついているということだけど、やはり聖女の力がないのは非常にマズい。
--お願い。お願い、守護霊さん。私に聖女の力を返して!
……うんともすんとも反応がない。守護霊と意思疎通できるとは思わないが、この緊急事態で力を戻してくれないのはなんでなの。
「マスター!」
レオルドの叫びに私はハッとした。
思考しているうちに、怪物は目の前まで迫っていた。狙いはサラさんだとしても、進行方向に邪魔なものがあれば攻撃していくスタイルらしい。
なにができる?
トリッキー魔法なんて、しょせん戦闘では使い物にならない。今のシールドの防御力では防ぎきれない。
--シリウスさんっ!
ガシャンッ!
本日何度目かになるガラスの破裂音が響いた。同時に風をきる音と誰かに抱き抱えられる感覚がした。そして次の瞬間には、鈍い音と衝撃音、怪物が発したであろうつんざく悲鳴が轟く。
少し間をおいて、ようやく私が顔をあげると、そこにはすごく綺麗な顔があった。
「ロープがいいところにもう一本あって助かった」
レオルドが蹴破ってきたステンドグラスの隣のものを破壊して乱入したのは--誰もが理想として想像するであろう王子様のような騎士様でした。