〇28 ケーキ食べ損ねたやつ!
私の愛する人は、幼い頃から病弱だった。
「ねえママ、おみまいにいくのもいけないの?」
いつもは朗らかに微笑む優しい母が、彼に対しては少し暗い表情を見せた。幼い私に母は、言い聞かすように彼に近づかないよう言いつけた。私は彼のことを気にしながらも、母の言いつけを守った。時折、小さな窓から視線を感じる時があった。こちらが目をやればすぐに顔をひっこめてしまうので、彼の顔を見たのはあの時がはじめてだった。
骨しかないような細い体に小柄な体型。風が吹いただけで折れて死んでしまいそうだと思った。否、彼はすでに死を望んでいた。感情の死んだその面差しは酷くやつれていて、悲しむことも笑うことも、まるですべてが失われたように感じた。
小説の中の正義のヒーローはカッコイイ。きっと、こんな時にこそ、彼のような人にこそ、誰かがヒーローになるべきだと思った。誰もやらないのなら、私がヒーローになろう。言いつけを破るのは怖い。彼をかくまって彼の母親に心配をかけるのも怖い。あとで何を言われるか怖い。
でも、それでも私は彼のヒーローになりたかった。窓際で盗み見るようにこちらを窺っていたあの寂しい男の子を助けたかった。
私は本当に彼を救えたのだろうか?
私は本当に彼のヒーローとなれたのだろうか?
今でも本当は怖いのだ。彼を追いかけてばかりだったからだろうか。私が追いかけなかったら、きっと彼は私の隣にいはしなかった。今もきっと好奇心旺盛な瞳で大好きな研究を続けていただろう。彼は優しいから、だからダミアンの求婚から逃げてきた私に、手を差し伸べたのではないかと。
愛していると、言われた。ずっと一緒にいたいと言ってくれた。
疑ってない。疑ってなんていない。
でも、ありえたはずの彼の別の人生を、私は想像してしまう。
--私は、母と私以外知らない事実を知っている。だからこそ、私は覚悟を決めなくてはいけない。
「サラ様、お支度を」
戸惑いと混乱を顔ににじませながらも仕事を全うしようとメイド長のアナベルがそう告げた。窓の外では騒ぎが起きている。おそらくは、レオ達が話を聞きつけて駆け付けたのだろう。
私はいったん、アナベル達を下がらせると隠し持っていた別の腕輪を装着した。
「……諦めたくない。でも、けじめはつけなくちゃね……」
私は伯爵が用意したウエディングドレスを乱暴にひっつかんで部屋を出た。
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「式が決行されるのは城の聖堂で間違いないか?」
「うん、潜入した時に知り合ったメイドさん達に聞いたから確かだと思う」
「ふふ、こんなこともあろうかとアギ君の変装道具持ってきて正解だったわね!」
「可愛いねぇ~」
「……もう二度とやりたくなかったのに……」
アギは、マリアお嬢様に再び扮して一度メイドの中に紛れ込み情報を調達していた。メイド長のアナベルならともかくマリアとリリが突然城から消えた詳しい理由を知る下っ端はあまりいない。なによりマリアお嬢様を可愛がり隊のメイド達はマリアに激甘だったので、口が軽く滑りまくっていた。口に戸が立てられないとはよく言ったものだ。
レオルド達は、シア達よりも早く予定通り領主城へと辿り着いていた。アギはすぐさま用意していたボヤ騒ぎを起こし、シアに頼まれていた魔力の循環を終え、一仕事をこなし。その間にレオルド、ベック、キャリーはルートを割り出していた。
「屋根伝いに行くのが最短で邪魔も入りにくそうだな」
「そうね。私とベックは身軽だし、木登りも得意だから大丈夫だけど、レオのガタイでいけるの?」
「大丈夫だ、アギがいる」
「超重量オーバーだけどね……やるしかないよね」
風を操る暴風の魔導士は、頭を抱えながら頷いた。
「ほーんと、レオは重くなったよね。子供の頃は--っていうかわりと十年くらい前までは細身だったよね」
「あー、俺もそれは不思議。王立の研究室にレオおじさんの在学中の写真あったけど、もはや別人だよね?」
「そりゃあ……バルザン師からみっちり鍛えられたしな」
「どういう鍛え方したら、あれがこうなるんだろう……色んな意味で気になるなぁ」
あとで血液サンプルちょうだいと無邪気な子供の顔でねだるアギにレオルドは苦笑いしながら後ろに引いた。
「でも本当に不思議だよね~。あーでも、レオが健康体になりはじめた境目はわりとはっきりしてるよね」
「え? なんかあったかしら?」
「忘れたの~? レオの十二歳の誕生日、レオ一週間くらい行方不明になったじゃない」
「あー! あったあった! ケーキ食べ損ねたやつ!」
「キャリー……お前、そういう覚え方かよ……。俺が行方不明だというのに」
「だってねぇ? ふらっといなくなって、一週間後に何事もなかったかのようにふらっと帰ってきたしね」
一週間の間、行方知れずとなったレオルド。村では神隠しにでもあったのかと一時騒ぎになった。しかしレオルドにその時の記憶がまったくなかったのと、外傷もなにもなかったことからしだいに忘れられていった話だった。
だが、確かにその頃から病弱だった体が嘘のように健康になったのだ。普通に外で遊びまわれるくらいになった。
「まあ健康になって、立派な体も作れたし良い事だろ?」
「そうね。すごく不思議だけどね」
「……七日間行方不明? --で、記憶がなくて健康体に……ねぇ……」
アギがなにかひっかかりを覚えたのか、考え込んでしまった。
「アギ、今はそれじゃないぞ」
「あぁうん。でも待って、今じゃないかもしれないけどそれってかなり重要なんじゃないかな。ただでさえアレハンドル村の近くには変な森があるんだし、無関係とは思えないんだけど」
「あそこは呪いの森だぞ? 災いはあっても良いことは起きないだろ」
「レオおじさんが健康体になるイコール災いじゃないって考えるのも早急かもしれないよ。捉え方によってはニアリーイコールになりかねない。完全に等しくないなら、小さな別の可能性が生まれる。その可能性が看過できないものであった場合、俺達にとって別の形の致命傷になりかねない。俺、そういうの見つけると落ち着かない性分なんだよ……」
ぶつぶつとなにやら難しい計算をしだしたアギをレオルドはいったん置いておくことにした。そこそこの付き合いでも彼の人となりは分かる。ここは下手に思考を止めるより、こっちはこっちで話を進めた方がいい。それにレオルドとしてもアギに指摘されてはじめて別の考えが芽生えた。
本当に、あの空白の七日間を不思議な奇跡ととらえていいのかどうか。
(そういや、行方不明になる直前--サラの母親と会ってたんだよな。何年か経って思い出して、でもなに話してたかは思い出せない。結局、俺が帰還してすぐにサラの母親は亡くなってるしな……)
救出ルートの絞り込み作業中も、今までに得られた情報を整理してみた。
レオルドが知るのは、アレハンドル村の近くの森は大昔から呪われた森として知られ、立ち入りを禁じられていること。
詳しくはベルナールからの調べて知ったが、あそこは元々ラミリス伯爵家の前身であるベルフォマ伯爵家が治め、守り人として存在していた。それがいつしか呪いや悪魔の話は伝承となり欲をかいたベルフォマ伯爵家は悪魔を封じていたとされる楔を破壊してしまう。そこからはもう転がり落ちるように転落し、現在直系は塔の化け物として幽閉されるリーゼロッテのみとなった。落ち目のベルフォマ伯爵家になりかわったのは、ラミリス伯爵家だ。土地を引き継いだラミリス伯爵は、ことあるごとにアレハンドル村を掌握しようとしていた。しかしただ潰すとかではなく、なぜかサラを欲しがっていた節がある。
ダミアンがサラに気が合ったのは確かだったが、伯爵家が貴族の血が少しだけ入っているとはいえ小さな村の村長の娘をそれほど欲しがるだろうか?
悪魔と呪い。
その二つの関係性について、古代書を漁っていたときのことを思い出した。聖教会の聖典は教えによる偏りが大きい。信仰宗教によって女神の扱いは若干違うし、伝承も異なる部分がある。それでも最初はほぼ共通していた。
この大陸は遥か昔、悪魔によって支配されていた。苦境に立たされた人間は女神ラメラスの降臨によって救われる。光り輝く槍を携えた美しき戦女神ラメラスは、悪魔を滅ぼした。しかし最後の一体、悪魔の始祖アルベナだけは倒すことができず、その四肢をバラバラに砕いて大陸各地に封じたという。その一つが呪いの森にあったアレなのではないかという話。
砕かれたアルベナの欠片には、それぞれに魂が宿り、それ自体が大罪を司るという。
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。
確か、この七つだったと記憶している。
古い文献によると、アレハンドル村近くの呪いの森は『憤怒』のアルベナが封じられているとされていた。
悪魔と書いて聖典ではアルベナと読ませるのは、悪魔の始祖の名がアルベナだからだそうだ。その容姿は、人間とほぼ変わりないが真っ白な髪に血のように真っ赤な瞳を持つという。悪魔病がそういう姿になるので、こう呼ばれる。これは完全に蔑称で正式名称は、体内循環弊害性魔力枯渇症のはずだ。
(呪いの森の楔には、封じられたとされるアルベナの欠片のようなものはなかった。だが、なにかがあった形跡は残っていた……。欠片が解き放たれたのだと仮定して、その欠片はどこへ向かったのか。俺と関係があるかもしれないとしても、楔が破壊されたのはもっと前だ)
時系列順に並べてみよう。
ベルフォマ伯爵家の守り人時代(およそ今から数百年以上前)→ベルフォマ伯爵家によって楔が破壊される(およそ今から二百年ほど前)→レオルドの誕生(今から三十五年前)→ベルフォマ伯爵家の衰退でラミリス伯爵家の台頭(およそ今から三十年ほど前)→レオルド十二歳の誕生日に七日間失踪(今から二十三年前)→帰還後数年で健康体に。
(楔破壊から俺が生まれるまで百年以上の空白。その間、ベルフォマ伯爵家の当主のほとんどが狂気におかされている。じゃあ今は? 突き詰めるなら俺の失踪の前後、ベルフォマ伯爵家はどうなっている? リーゼロッテが最後のベルフォマ伯爵家直系だとしても、二十三年前に彼女は産まれていないし、親がいるはず。その当時はどうなっていたんだ? それによく考えてみたら、そんなヤバすぎる場所に村があるのはおかしくないか? 新たな守り人だとしても村長がなにも知らないのは違和感がある)
これはマズイ。レオルド自身も思った。レオルドもアギと同じく一度気になりだすと、とことんまで知りたくなる質だ。だが、リーゼロッテに話を聞こうにも、ここから塔は離れているし、シアの話では彼女の幻覚にひっかかる可能性が高い。
「いや、迷う隙間なんかない。最優先はサラの救出だ、そこは揺らがない」
とにもかくにも、サラが戻らなければなにも解決しない。サラが自分以外と再婚するというのが見過ごせないのは間違いないが、どこかで別のなにかが警鐘を鳴らす。
(サラは、たぶん--鍵だ)




