Penpal In Underground
どうも、ワミングウェイです。
今回は、2017夏コミ(C92)で出した物を載せます。
題名はまんま「Alice In Wonderland」のもじりです。
夏コミでは「地下のペンパル」としましたが、改定してます。
「既読無視」と「老人」というキーワードを元に書いてみました。
約10,000字、サッと10分程で読めるので、どうぞ~。
【1】
これはとても大事な記憶だ。今際の際に、文字に起こしておこうと思う。
まだ私が子供の頃の話。季節は確か、特にやる事も無い夏休みだった。私は父に連れられ、親戚の家へ遊びに来ていた。父は仕事があるので、近所の小高い山へ虫取りに出ていった時の事。樹に蜜を塗りつけ、赤い紐を巻きつけて準備をしていると、例のアレが目に飛び込んできた。
草木が生い茂る奥の方に、どこまでも続いていそうな洞窟が口を開けていた。虫取りの準備も終わり、まだ実際に虫を取る夜までは時間もあるし、子供心に未知の領域に興奮を覚えた事もあり、洞窟へと足を踏み入れる事にした。
虫取りの為に持ってきていた懐中電灯のスイッチを入れ、足元に注意しながら進んでいく。夏真っ盛りだというのに、その洞窟の中はとても涼しかった。流石に吐く息まで白くなる程では無かったが、むしろ寒いとすら感じたくらいだ。
しばらく一本道を進んでいくと、広い空洞に到達する。鍾乳石が天井から何本も垂れ下がり、悠久の歳月を感じさせた。地面からは水が染み出していて滑りやすくなっており、二回転んで尻もちをついてしまったのは、恥ずかしい思い出だ。
空洞を抜け、再び長い一本道。突き当りに差し掛かると、ここで初めて分かれ道が現れた。うーん、と悩んでいると足元に古びたノートのような物がある事に気づく。手に取り、中身を覗いてみると、こう書いてあった。
『おなまえをおしえてください』
平仮名だけだったので、多分子供の文字だったのかもしれない。思えば、そんな奇妙な物に対して反応するなんて、今では考えられない蛮行だったと思う。だが、ご丁寧にペンがノートに挟まっていたので、私はその質問の下にこう書いた。
『わたなべしげおです』
人のことは言えない。私もまた子供だったのだ。垢抜けない感じの文字はノートに刻まれており、動かぬ証拠となっている。
質問に答えて満足した私は右方向へ進路を取り、どんどん暗さを増していく洞窟の道をひたすらに進んでいった。だが行き止まり。分岐点まで足早に戻っていくと、私は衝撃を受けた。懐中電灯に照らされたノートに、新たに文字が書き込まれていたのである。慌ててノートを拾い上げてみると、そこにはこう書いてあった。
『ありがとうございます。わたなべさん』
正直に言うと、ゾッとした。これは明らかに私に対するメッセージだ。恐怖を覚えた私は、一目散に洞窟を出た。だが、無我夢中だったのか、宝物にしていたお守り代わりの光る石を落としてしまったのだ。
【2】
明くる日。宝物を無くした事に気がついた私は、またもや顔を蒼くした。勿論、無くした事にもだが、一番はあの不気味な場所まで戻らなくてはいけない可能性がある事に、だ。どこか道中で落ちていて欲しい。外で無くても良い、せめてあのノートが置いてある場所であって欲しくない。そう願いながら、昨日歩いた場所を悉皆探索したが、外で見つける事は出来なかった。
観念して、私は再びあの洞窟へと足を踏み入れる事にした。今回は万全を期し、上着(お気に入りだ)・滑りにくい靴(これもお気に入りだった)・食料(当時流行っていたスナック菓子だったと思う)・飲料水・父の使っていた業務用の強力な懐中電灯や頭に巻くタイプのライト(ごめんなさい)等、洞窟探索に必要な装備を揃えていた。父には『そんなに重装備で、一体どこに行くつもりか』と聞かれたが、はぐらかした。今になって思うと、私は心配ばかりかけた親不孝な子供だったように思う。後悔はいつも後に立つ。
上着のお陰で寒さは解消出来たが、身体の震えは別の意味で止まらなかった。それでも宝物を諦められなかった私は、汗に塗れた手で大きな懐中電灯をしっかりと握り、一歩一歩奥へと進んでいった。装備が充実し、視界がハッキリしたお陰で、洞窟内の様子が見えやすくなった。あの広い空洞は、どうやら左の奥の方に水源があるようで、その水が地面にしみ出していたのだ。一つ新たな発見をしつつ、私は勇気を振り絞り、あの分かれ道までの道を進んでいった。
しかし、分かれ道の場所にあったのは相も変わらずノートのみであった。骨折り損かと落胆したが、そこで私に一つの嫌な予感がよぎった。この左方向の道は下り道になっている。もしや、そちらへ落ちていってしまったのではないか、と。そうなってしまうと、私はこの恐怖空間のさらに奥への進行を余儀なくされる事となる。だが天秤は容易に片方へと傾いた。
コツゴツした岩肌のお陰で滑落せずに下っていくと、そこはまたもや行き止まり。勿論、光る石などある訳もなく、私は再び落胆し、踵を返して今度は来た道を登り始める。その時、先の方、分岐点の所で懐中電灯の光を反射する何かを見つけた。まさかと思い、駆け出すと、それは紛れもなく私の宝物だった。慌てて拾い上げようとしたが、私は躊躇した。何故気づかなかったのか、と最初は思ったが、間違いなく最初はそこにノート以外何も無かった。それが突然現れた。ノートを下敷きにして。まるで誰かがポン、と置いたかのように。
謎過ぎる。おかしな事が起きているのは確かだ。しかし天秤は、またもや勢い良く腕を振り上げた。その勢いで宝物を拾い上げると、私は不用意にもノートの中身を見てしまった。そして気づいてしまった。昨日の『ありがとうございます』の下に、また新たに何かが書かれている事に。怖い。怖いが、怖いもの見たさというのは人の行動をかくも捻じ曲げるものらしい。全くもって『因果』なものだ。いや、運命と言うべきか。
『とってもきれいだったからひろってしまいましたが、そんなにだいじなものならかえしてあげるね』
三度、顔面蒼白。だが、子供心は単純だった。自分の宝物を褒められた嬉しさが勝り、顔色は歓喜と照れの赤に染まった。不安から一転、安堵がこみ上げた私は、上機嫌でノートにこう書いた。
『ぼくのたからもの、ありがと。きれいでしょ』
次の日、私はまた洞窟を訪れていた。無論、あのノートを見る為だ。どんな返事が書いてあるのだろうか。それが楽しみになっていたのだ。そう思えるようになると、あの洞窟のなんと心躍る場所か。冒険心をくすぐる造形に、夏でも涼しい空間、そして少し奇妙な友達。転ばぬように、しかし足早に分かれ道のノートの所へ向かっていく。
『うん。とってもきれい。わたしもほしいなぁ』
『わたし』というからには女の子だろう、と当時の私は思ったらしく、さらに嬉しくなったのは言うまでもない。私も男の子だったという事だ。
だが困った。こんな綺麗な石は、どこを探しても無いかもしれない。だからと言って、今手にしているこれをそのまま渡す訳にもいかない。これは大事な物だ。その石が何かも知らない私は、考え抜いた結果をこう書いた。
『こんどもうひとつみつけたらあげる。ぼくのはとてもだいじなものだから。ごめんね』
それに続く一連の流れはこうだ。
『それじゃあみつかったらね。ところでなんでわたなべさんのはだいじなの?』
『ぼくのおかあさんがくれたものなんだ。おかあさんはしんじゃったけど』
『それじゃあぜったいにもってないとね。もうぜったいてばなしたりしちゃだめだよ』
『わかった。みつけてくれてほんとうにありがとう』
一日毎に繰り返されるやり取り。当時こそ、子供の連絡手段は手紙くらいに限られていたので当たり前のスパンだったが、今ではインターネットを介してリアルタイムでやり取りが出来る。時代は変わったのだ。
【3】
ある日、私は一つの事に気がついた。私の名前は明かしたにも関わらず、彼女の名前は未だ明かされていないのだ。私は自由研究を割り箸製戦闘機にしていたが、裏の自由研究として『彼女の正体を明かす』という事にし、プロジェクトを開始させた。
方法は単純だ。ノートを遠くからじっと監視するだけだ。シンプルイズザベスト、というのは私の座右の銘だ。入学式では毎年決まってそう言った。自慢では無いが、その座右の銘のお陰で学長にまで登り詰めたと自負している。
だが当時の私は詰めが甘かったらしい。分かれ道から少し離れた場所で懐中電灯と目をギラギラに光らせて監視をしていたのである。当然、誰も現れない。当たり前だ。監視されている事が明らかな状態でノコノコと出て来る者など、そうそう居ない。その状況に業を煮やした私は、次の手段(既に最終手段である)に出る。直接聞いてみる作戦だ。
『あなたのおなまえはなに?』
それだけをノートに書き、明くる日、またノートの元を訪れると、そこにはシンプルに一言だけ。
『ひみつです。おしえられません』
最終手段はいとも簡単に失敗した。平等主義の私は、返す刀に激しく書き殴った。その証拠に、その部分のノートには少しだけ破れたあとがある。
『ぼくはわたなべしげお(名前は特に大きな文字で書いた)だけど、あなたは?』
全くもって子供じみた返しだ。だが、実際子供だったのだから、という言い訳は今更大人げない。大変失礼な真似をした。案の定、次の日。
『すてきなおなまえですね』
私もそうだが、彼女も相当に人を煽るのが好きだったらしい。だからこそウマが合ったのかもしれないが、幼き私は年相応にこれに応え、強硬手段に出る事となった。ノートを洞窟から持ち出し、自室にて始終監視する事にしたのである。そうすれば流石に取り戻しに来るだろう、とでも判断したのだろう。そう思ってノートを乱暴に拾い上げ、勝ち誇った顔で自分の家まで戻っていった。
それに対して彼女のとった反撃は、籠城作戦だった。当然である。私は本当に頭が悪かったように思う。3日待っても未だ返事は書き込まれないし、人影が現れる事も無かった。遂に根負けした私は、ノートを再び例の場所へ戻す事にした。そんな私の敗北宣言を受け、彼女は高らかに勝利宣言を書き連ねた。
『わたしのだいじなものをもっていかないでください』
まさに「手の上で踊らされていた」という心地だった。
『ごめんなさい』
しかしこの時、私は変に素直だった。大方、名前を褒められた事を思い出し、上機嫌にでもなっていたのだろう。その後、私は彼女の正体を突き止めることをぱったりと止め、彼女との文通を楽しむ事になった。
『そとはとてもあついけど、ここはすずしいね』
『うん。すこしさむいくらいよ。うわぎがほしいなぁ』
会話の基本は天気から。そう言っていたのは、外交官だった私の母だ。
『ぼくのでよければかしてあげる。くろいのとちゃいろいの』
『じゃあちゃいろいのがほしい』
『あげないよ。かすだけ』
『なんねんかしてくれるの? 50ねん?』
この素っ頓狂な返しには結構面食らったらしく、横に書いてある日付を見ると、返事を返すのに3日かかっていた。今、若者に流行りの「既読無視」という奴だ。そんな調子で、顔も名前も知らない彼女は、私の初めてのペンパルとなった。
彼女との不思議な文通を始めてから1ヶ月程経った頃、もうここでの滞在も終わりを迎えようという頃だ。
『わたしのおへやにきませんか』
実を言うと、私はこの申し出に沸きに沸いた。というのも、私は彼女の容姿にとてつもない期待を寄せていたからだ。ある日、彼女が私の似顔絵を見てみたいというので、拙いながらも頑張って格好良く描いた事がある。すると彼女は大層喜び、逆に自分のも描いて見せたいと言ったのだ。2日かかるというから余程力を入れて描くのだろうと期待していたが、実際見た時は驚いた。字の拙さからは想像も出来ない程の美麗な絵。きらびやかな白い帽子に、黒く長い髪、赤を基調とした色鮮やかなドレス。どこぞの華族の出を思わせる高貴な出で立ち。本当か、と尋ねた次の日に、このように部屋へと招待されたものだから、私の興奮も無理からぬ事だ。
『みぎにかくしとびらがあります。そこからはいってください』
ノートに書かれた指示に従い、よく目を凝らしてみると、石を敷き詰めて隠した鉄製の扉があった。子供の力で開けるには、少々重厚で堅牢な扉だった。開けてみると、その先は階段になっていた。滑らないようにゆっくりと一歩ずつ降りていく。久しぶりの未知の領域に、私の興奮はさらなる高みへ向かっていた。右に左に、地中に張り巡らされた迷路のような道を、私はこのたった一冊のノートを頼りに突き進んでいった。
やがて到達したのは、居住空間を思わせる空洞。その最も奥まった場所にある小部屋のような場所が、彼女が指定した「わたしのおへや」だった。ごくり。緊張と期待と、様々な感情を一気に飲み込み、子供一人分の穴をくぐり、中を光で照らした。
その時、私が見たものは死体だった。白骨化し、部屋の片隅で横たわっていたそれを見た私は、急に恐ろしくなり、大声をあげて逃げ出した。それから私は、その洞窟を訪れなくなったのだ。
90回目の夏。白い天井を眺めながら、私は今、ただ死を待つ身となっている。幸福な事に、子にも孫にも恵まれた。私自身も大学の学長にまで上り詰め、余生も穏やかに過ごさせてもらった。もう後悔は一つしか無い。80年前にやり残した自由研究だ。といっても、彼女の正体を知りたい訳ではない。ただ私の大事な、たった一人の地下のペンパルと今一度文字を交わしたい、いやまずは突然姿を消した無礼を詫びたい。
もし、もし彼女が私と同じ歳の女の子だったとしたら、今頃私と同じく寝たきりになっているかもしれない。いや、女性の方が平均年齢も高いし、今は女性が元気な時代だ。今でも背筋を真っ直ぐにして、壮健かもしれない。そうであって欲しい。
8月18日 渡部重雄
【4】
そう書き終えるとノートを閉じ、箱の中へ大事にしまう。箱の上部には宝箱と書いてある。昔の私の宝物が入っていた箱だ。家族の者には、これだけは絶対に開けるなと言ってある。これは私だけの秘密だ。特に、妻には絶対に内緒だ。
一息ついて、再びベッドへ横たわると、書ききった疲れからか、瞼が急速に重くなり、視界は静かに狭まっていき、意識も遠のいていった。
あれから後、多分彼女にとってはつまらない、というより不都合な真実かもしれないのでノートには記さなかったが、私は多くの事実を知る事になった。
高等部の時、あの奇妙な夏休みから10年後、再び親戚の家を訪れた際の事だ。気付いたら私はあの洞窟の前に居た。だがそこは既に立入禁止になっていた。落盤騒ぎがあったらしく、事故防止の為に閉鎖されていたようだ。それが単なる事故なのか、彼女の癇癪なのかはわからない。どちらにせよ、私とあの洞窟の関係はここで再び断たれたのだった。
詳しい話を親戚に聞いた所、例の洞窟が戦時中に用いられた防空壕である事を知った。私は再びあの光景を思い出す。自分の部屋だと聞かされ着いたその先に居た死体。それが彼女だとでも言うのだろうか。となるとあのノートに書き込んでいたのは、その亡霊か。様々な憶測が懐かしい記憶と共に駆け巡ったが、それを確かめる術は無かった。
その後、私は都内某所の大学にて考古学を専攻する事になる。大学自体、家に近いからという一心で選んだだけの無礼者だったが、考古学を専攻したのにはそれなりの動機があった。私の知らぬ戦時中、一体何があり、誰が何を思ったのか、それを知りたいと思ったのだ。間違いなくあの洞窟との、もっと言えば彼女との出会いがきっかけだった。
色々な資料を当たってみて知った事実は、どれも凄惨なものだった。あの防空壕は、実際には軍の前線基地とされ、本来そこに避難していた者達は負傷した兵の看護にあたる事になった。勿論、住みよい環境では無いので、傷からは蛆や膿が湧き、悲痛なうめき声が防空壕内に響いたと言う。時折、敵軍の兵が防空壕内に攻め入ってくる事もあったという。その時に犠牲になった民間人も多数居た。中にはまだ年端もいかぬ、輝かしい未来を生きる筈だった者も居たとの事だった。高等部の頃聞かされた話はかなりマイルドに希釈されていたのだと、その時気付いた。確かにこの事実は、余りに重いかもしれない。
博士課程を終え、研究費が出るようになった私は、三度あの防空壕を訪れた。その目的は無論、改めてその調査を行う為。そして彼女ともう一度向き合う為。防空壕に着くと、立入禁止の札は取り払われていた。代わりにそこにあったのは、献花と墓標、そしてそこにうずくまり祈りを捧げる一人の御老人だった。御老人は泣いていた。私だけが生き残ってしまった、と嗚咽をあげて泣いていた。しばし待ち、落ち着いた所で声をかけると、どうやら当時この防空壕にて治療を受けていた兵の唯一の生き残りだと言う。
資料にも勝る生々しい当時の状況を聞かされ、私は意識を失いかけたのを今でも覚えている。だがある一つの絵を見せられた時、私はハッとなった。そこに描かれていたのは、紛れもなく彼女だった。老人曰く、看護をしてくれた内の一人だったらしく、可憐な少女だったそうだ。だが忽然と姿を消した彼女は、敵軍に防空壕が見つかった時も発見に至らず、とうとう行方不明扱いになったと言う。
「もし良ければ、あなたも祈りを捧げてやってはくれませんか?」
御老人はそう言った。無念の内に亡くなった方々、そして行方不明になったという彼女に対する哀悼の意を示し、深く黙祷。その時、彼女の言葉を思い出す。私は懐から巾着を取り出し、中に入っていた月長石を手に取り墓標の所に置いた。いつも肌身離さず持っていた母の形見。彼女に持っていてもらえるならば、本望だろう。
「御老人。もしご存知であればなのですが、この防空壕にノートが落ちてはいませんでしたか?」
「ノート……ですか。すみません。私ももうここには足を踏み入れておりませんで、わかりません」
「そうですか」
「ただ、資料館にあるかもしれません。数年前に地元の先生が調査に入り、いくつかの遺留品が出土したと聞きます」
「わかりました。ありがとうございます」
私は御老人と資料館までの道中を共にした。聞いたのは彼女の話。気立ての良い子で、一生懸命看護をするその姿から、防空壕内では東洋のナイチンゲールとまで呼ばれたとか。御老人にとっても、彼女は命の恩人であり、行方不明となったのは大変ショックだったらしい。
「彼女です。嶺井テルさん」
「この子が……」
生前の嶺井さんの写真が飾られていた。その姿はまさしくあの絵で見た通りの物だ。
「綺麗な方ですね」
「えぇ、本当に。実は私はファンだったのです」
「……あっ」
「どうしました? あ、これが?」
「えぇ、間違いありません」
その横、ショーケースの中に大切に保管されていたのは土に塗れた懐かしいノートだった。忘れもしない、あの日々が綴られたあのノートが、今私の目の前に再び姿を現してくれた。
「すみません。私、こういう者なのですが、こちらを拝見させて頂けないでしょうか?」
「あ、東京の……わかりました。ちょっと待って下さい」
しばし待つと、若き学芸員が奥から鍵を持って戻ってきて、ショーケースの鍵を開けてくれた。
「手袋どうぞ。状態良くないので、お気をつけて」
「心得てます。では失礼します」
ノートを開き、私は思わず「あっ」と声が出た。御老人と若き学芸員も釣られて驚いていたと思う。
「どうかなさいましたか?」
「このノート、何か書かれていませんでしたか?」
「いえ、出土された時から何も」
「そう……ですか」
「先生はこちらをご覧になった事が?」
「はい、子供の頃に。その時は文字が書いてあったのですが」
「もしかしたら、あの落盤の時に破れてしまった……とか?」
ノートに切り離された痕は無い。それは私が一番良く知っている。そうわかってしまったからこそ、衝撃も大きかった。全ては夢幻だったのだろうか。私がいくら文字を綴っても、それに対する返事が書き込まれる事は二度と無かった。
【5】
シワだらけの瞼に閉ざされた視界に、強い光が差し込んできた。懐かしい輝きに思わず瞼が持ち上がる。光っているのは宝箱だった。蘇るのはあの時の興奮。左の道に行って、戻る途中で見たあの光が、今ここにあった。
震える手で宝箱を開くと、そこには確かに宝物が二つあった。宝箱を胸元に置き、中から石を取り出す。間違いなく母の形見の月長石だった。私の誕生石でもあるその石は、変わらぬ輝きを放っていた。そしてもう一つ。土にまみれたノートを開く。私が綴っていた今までの文章を塗りつぶすかのように、夥しい量の文章が上書きされていった。
『ごめんなさい。おどろいた?』
『おへんじください』
『もうきてくれないの?』
数ページに亘り、罪悪感と不安と寂寞が書き込まれていた。めくればめくるほど、それは勢いを増していた。端から見れば完全に恐怖映像だが、私はただ食い入るように見ていた。そして最後まで読み終えた所で、新たにノートに文字が書き込まれ始める。もう何も気にならない。原理も何もかもがどうでもいい。ただ、彼女と再び文通が出来た事が、何よりも嬉しい。そんな彼女の文字は相変わらずの平仮名だったが、その筆跡は垢抜けていた。
『ぜんぶよんだよ。おもしろかった』
月長石の輝きが、次第に万華鏡のような形に変容しだした。得も言われぬ美しさに、年甲斐も無く興奮を覚えた。そして去来するあの夏の日々。最後の最後まで名を明かさなかった彼女からの、数十年来の返事。
『ごめんなさい』
『わたしこそごめんなさい。あれからどうなった?』
『がっこうのがくちょうになりました。いちばんえらいひとです』
『すごい。わたしのめにくるいはなかったのね』
『あなたのおかげです』
『ところでいまだいじょうぶ? つらそう』
『だいじょうぶ。へいきです。もうすぐいきますので』
『どこに?』
『あなたのそばに』
『そのひつようはないわ。ずっといたじゃない。あなたのそばにずっと』
万華鏡を手で拭い、傍らに目を向けると、来客用の椅子に一人の貴婦人が座っていた。きらびやかな白い帽子を目深に被り、黒く長い髪が風に揺られている。赤を基調とした色鮮やかなドレスを纏ったその姿は、品の良さを感じさせた。一方で、少し悪戯そうに笑う口元には、子供らしいあどけなさが残っている。その口が何かを伝えようとして動く。もう何も聞こえなかったが、私にはわかった。
『わたし、きれいでしょ』
それは紛れもなく彼女だった。名前を聞く必要も無い、私の愛しい人。
『だからもう、きどくむししないでね』
『はい……まごにもいいます』
『次代の若者達へ。既読無視は止めよう。長生き老人からのアドバイスだ』
ノートは、そう締めくくられていた。
段々小説っぽい文法が身についてきた感があります。幽霊っぽい描写を入れてみる事で、夏っぽく仕上げられたのではないかなー、と自己評価。
ちなみに、ここで出て来る洞窟のモデルは「糸数アブチラガマ」という沖縄の防空壕です。
この時期はちょうど終戦の日という事もあり、ちょっとそれっぽい要素を入れてみました。
当時、戦場となった沖縄では、負傷兵を治療する「ひめゆり部隊」が動員されましたが、このアブチラガマにも配属されました。
過酷な環境の中で恐怖に怯えながらも、心身の傷を癒やし続けた彼女達への祈りを込めて、この作品を綴りました!