小人の世界へ、ようこそ
『はーい! お疲れっ』
突然、視界の右側にウィンドゥが開き、拍子抜けするほど明るい声が響いた。
「だ、誰?」
『菜々香博士……!』
珠希と遠矢が互いに同じウィンドゥを凝視する。お互いの目線の先には同じ人物が映っている。
それは白衣をラフに羽織り、赤いセルフレームの眼鏡をかけた少女……いや、年齢不詳の人物だった。
幼い顔立ちに、小さな背丈。黒水晶のような瞳がキラリと瞬く。長い黒髪は綺麗で、見た目は博士というより、白衣とメガネが印象的な「科学部の部長」という風だった。
『二人ともよく戦ったわ! でも、もう大丈。敵はこちらの主力部隊の反撃を察知して、引き揚げたわ。連中……威力偵察だったようね』
『よかった……』
可愛らしい博士の声に、珠希がホッと胸を撫でおろす。
『いきなりの実戦で大変だったわね。でも、ここまで戦えちゃうなんて、びっくりだよっ!』
眼鏡博士はくりくりと表情をかえながら、心底感心した様子で頷いている。
「は……はぁ、どうも」
わけがわからないまま、遠矢もとりあえず頭を下げる。
珠希はウィンドゥの向うで、何故か気まずそうに苦笑いを浮かべている。
『あ、自己紹介しなきゃね。私は虹野菜々香。トーヤ君研究の第一人者で……巨神装機の開発責任者って感じかな』
えへん、とでも言いそうに身体の割に大きな胸を張る。
「開発、研究?」
『んー、正確には巨神族の研究、生態の研究、遺物の分析。そして……兵器への転用まで一貫して、ずーっと君を研究させて貰っているの』
ぱちん、と片目をつぶる。
少女のような爛漫さを見せてはいるが、年齢不詳、そしてメガネの奥で光る瞳は油断が出来ない気がした。
「僕の研究ってどういうことですか? 詳しく、なんでもいいから教えてください!」
珠希よりも事情通なのは間違いなさそうだ。
『そうねぇ。キミの研究は今年で三年目になるわ。もう長い付き合いよ、私達。トーヤ君の体は、隅々まで知ってるんだから、うふふ』
色っぽい笑みを浮かべる。
「ちょっ!? あれ……? 今、三年って言いました?」
『トーヤ君がとある場所で発見されてから三年間ずっと眠っていたの。その間、肉体の衰えも無ければ汚れもしなかったわ。異世界から飛び出た『特異点』として、この世界とは違う物理的な摂理が働いていたのね……』
「え、えぇ……? えと、得意な……点数は、物理じゃないけど……? え?」
『あはは! 思った通り、面白い子ね』
そう笑ったところで、菜々香博士は何かの通信音が聞こえたらしく、横を向いて部下に指示を出しはじめた。
『――第三秘密工廠は、現時刻を持って破棄。敵に場所を知られちゃった。後始末はお任せするわ。あと、外のゾマットの機体は忘れずに回収して。大事な戦利品よ』
菜々香博士は指示を出し終えると、ウィンドゥの向うから遠矢に視線を戻した。
『さて、ごめんねトーヤ君。話は途中だけど、そっちに支援部隊のトレーラーが行くわ。それに乗って頂戴。疲れたでしょ?』
にこりと優しげな笑みを浮かべる。その顔は同い年程の少女にしか見えなかった。
はたして信用してよいのだろうか? 珠希のほうにちらりと視線を向けると、先ほどよりも更に緊張したかのように俯いていた。
「……珠希?」
そんな珠希の様子を気にかけながらも、菜々香の顔に視線を移す。
『珠希ちゃんには、お礼を言わなくちゃね』
『わ、私はただ……無我夢中で』
珠希が何かを言おうとして口ごもった。
『いいのよ。珠希ちゃんの事、悪いようにはしないから。なんたって、トーヤ君を目覚めさせた功労者ですものね。さて、私はまだ仕事があるの。敵も完全に撤退したわけじゃないみたいだしね。じゃ、基地で会いましょ』
菜々香博士の声はそこで途切れた。
視界のウィンドゥが閉じると、再び静寂が訪れた。気がつくと巨神装機の外観は、初期状態に戻り、半円形のガラスで覆われた、珠希のいるコックピットが露出していた。
空はいつの間にか陽が沈み、山並みの稜線に沿って、不穏な赤と黒のグラデーションを描いている。
銃声は今はもう聞こえない。
縮小世界に小人の少女、そして機械人形との戦い。新たに突きつけられた情報は「三年間眠っていた」という菜々香博士の言葉だ。
「あーもう! 訳がわからないよ! これからどうすりゃいいのさ……」
いろいろな事がありすぎて、頭が酷く混乱していた。疲労感が遠矢の全身を苛む。
珠希は黙ったまま、シートで蹲っていた。
かける言葉も見つからないまま、呆然と立ち尽くしていると、程なくして、重いエンジン音を響かせて、一台のトレーラーが山道を登ってくるのが見えた。
どうやら、あれが菜々香博士が言っていた「迎え」らしい。遠矢には遊園地の乗用カートを平たくしたような、走る「台車」のようにも見えた。
トレーラーは遠矢の目の前で停車すると、作業着を着た小人の男たちがワラワラと降りて、驚きつつもライトを振り回した。荷台に座れ、という事らしかった。
遠矢は戸惑いながらも指示に従い、半畳ほどの広さの荷台にどっかりと腰を下ろした。無理やり玩具の車に座り込んだような居心地の悪さだ。
荷台が狭いので仕方なしに胡坐をかいて座る。尻の下でタイヤとシャシーがミシミシと悲鳴を上げている。
見た目は人型ロボットなのだから、もう少しかっこよく座るべきかな? なんて考えたが、結局この姿勢が一番落ち着く。
「せめて新鮮な空気を吸いたい。このマスク、外れないのかな……?」
遠矢は腕を動かし、頭を覆っているフルフェイスのヘルメットを手で探ってみた。
その様子に珠希が気が付いて、心配そうな表情を浮かべてコックピットの中から遠矢を見上げた。
『トーヤ、どうかしたの?』
「いや、これ、外れないかなと思ってさ」
珠希と小人の作業員達が、目を丸くして見守る中、遠矢の指先がカチリと後頭部の押し込み式の留め金を探り当てた。
プシュ、と与圧が解ける音がして、顔を覆うマスク状の装甲が前後に分かれた。
遠矢はそれを落とさないように慎重に両腕で抱え、ゆっくりと外した。
「ぷ――はぁ! 外れた!」
「うそ! トーヤ」
珠希の瞳に映るのは、意外なほど普通な、黒髪の少年の顔だった。
すっきりとした顔立ちに、澄んだ鳶色の瞳。長めの前髪に柔和な口元。
現れたのは『巨神』という荘厳な響きとは無縁の、ごく普通の少年だった。
遠矢は思い切り新鮮な空気を吸い込む。夜の湿り気と、森の匂いがした。
「トーヤ……!」
バシュン、とロックを解除してキャノピーを開放し、珠希が立ち上がる。
声のする胸の上に視線を向けると、珠希が瞳を丸くして見上げていた。
珠希と遠矢は、初めて肉眼で視線を交わしたことになる。
珠希をその目で確認した遠矢の顔に、複雑な表情が浮かんだ。10センチほどの身長に、燃えるような紅の瞳と赤毛のツインテール。それは疑いようもなく、先ほどまでウィンドゥ越しに会話を交わしていた、珠希だった。
「はじめまして、珠希。……って、なんだか変だね」
「そうね、こうして直接話すのって、なんだか不思議……」
空気を伝う生の声。
二人は互いに照れ笑いを浮かべた。
珠希は何故か、唖然としたような、どこか熱のこもった眼差しで遠矢を見上げている。
その表情に遠矢は一抹の不安を覚えた。
まさか……改造されて脳味噌が露出しているとか、実は変な顔だったりして? と、恐る恐る甲冑に覆われた指先で顔と頭を触ってみても別に大丈夫のようだ。
「な、なんだよ? 顔とか頭まで改造されてるかと思うじゃんか」
「いやその……あの、あんまり普通の顔だったから、驚いちゃって」
「イケメンじゃなくて残念だったな」
「ち、違うよ、その、全然いい! 顔が大きいだけで、普通に……いい」
珠希が頬を桜色に染めて、最後はうつむき加減でぼそりと呟く。
「はぁ……?」
「顔が大きいのは……個性だから、ね、あんまり気にしないで」
「お前もフィギュアみたいだな。ちっちゃい……。本物(の小人)なんだよな? ちょこっと摘んでいい?」
その手のひらサイズの姿に、思わず手のひらに乗せたい衝動に駆られる。
右手をそっと珠希の背後から近づける。
「ちょっ!? やめなさいよこの変態巨神!」
珠希がコックピットの奥に身を滑り込ませ、操縦桿を引っ張った途端――遠矢の左腕がゴスン! と遠矢の剥き出しの側頭部をなぐりつけた。
「おごぁっ!?」
「いつでも巨神装機は、こっちから割り込み操作できるんだからね!」
「ちょ! おまっ……これは首が折れちゃうだろうが!」
「今度変な事しようとしたら、自分のパンチを避けきれるか、全力で試すハメになるからね!」
「ぐぬぬ……」
遠矢と珠希が睨み合う。けれどすぐに二人は肩をすくめ、笑う。
巨神と少女のやり取りを見守っていた小人達も、ほっとしたかのように顔を見合わせるとトレーラーを発車させた。
珠希はキャノピーをあけたまま、コックピットのシートに寝そべった。そしてぼんやりと空を見上げていた。
「珠希、さっきの博士、知ってるの?」
「……うん、まぁね」
ヒビ割れたキャノピー越しに遠矢が声をかけた。
珠希の口元は小さく結ばれていて、瞳にはどこか沈んだ色が浮かんでいた。
遠矢は話題を変える。
「まぁ、難しい話は後でいいよ。もうさ……頭の中ごちゃごちゃで、ヘトヘトだよ」
遠矢は力なく笑う。珠希もそっか、と少しだけ微笑んだ。
「私も……なんだかお腹すいちゃった」
珠希がシートの上で伸びをすると、風が髪を梳いた。
小人の世界では、自分だけが巨人なのだ。
寒気にも似た孤独感がこみ上げる。
胸の奥では何か、とても大切な事を忘れているような、もやもやとした焦燥感ともつかない感覚が渦巻いていた。
「トーヤ!」
不意に、凛とした声が夜風になびいた。
遠矢は唯一の話し相手となってしまった小さな戦友の珠希に、視線を落とした。
「……なに?」
「私たちの世界へ、ようこそ!」
一呼吸おいて、弾むような声で珠希が声を張り上げた。
珠希の可憐な唇が弧を描いた。
遠矢の胸の奥がトクンと強く脈打つ。
「あ……うん!」
花咲くような笑みに遠矢は戸惑いを覚え、そして曖昧に頷くばかりだった。
<つづく……>