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『神世渡りの聖女』


 宇宙の暗闇へ吸い込まれていくような恐怖だった。


 地面が消えた途端に、強烈な落下感に包まれる。遠矢の手はいつしか離れ、暗黒の世界を堕ちてゆく。

 身体の感覚はとうに失われていた。だが、意識だけはあった。


 やがて、視界に無数の光が見えはじめた。


「う、宇宙……!?」


 千穂は自分の目を疑った。目に映るのは、満天を埋めつくす星の群れだった。星々はやがて前方に集まり、徐々に虹色の光に変化してゆく。更に一つの光の点へと収束しながらまばゆいばかりの光へと変わる。

 爆発的に飛び散った渦巻き状銀河が一斉に通り過ぎ、花火が消えるように淡い光へと変化してゆく。気がつくと、巨大な虚無(ヴォイド)の中心にいた。彼方に目を凝らすと、まるで脳細胞のネットワークのように繋がり連鎖する、無数の淡い泡のような光の帯が見えた。


 ――死んだんだ、私。きっと魂が宇宙を渡っているのね……。


 隣りにいたはずの遠矢の姿は、無い。

 絶望と諦観、解脱にも似た気持ちのなか、宇宙の巨大構造体さえも超えて意識が飛ぶ。やがて境界面を滑ってゆくような、奇妙な感覚に囚われる。


 途方もない時間と空間の旅の果て、光が目の前で爆発し衝撃に飲み込まれた。それは全身を激しく揺らし、再び身体の重みと目もくらむような閃光を感じた。


 生ぬるい風が頬を撫で、感覚を取り戻したことを知る。

 徐々に視界に周囲の光景が見えはじめた。


 そこは、青黒い空に星が見える、見渡す限りの荒野だった。どうやらすり鉢状のクレーター地形の中心部、爆心地(・・・)のような場所だとわかる。


「こ、ここは……何処?」


 千穂は一人だった。


 どれくらい気を失っていたのだろうか?


「と、遠矢……トーヤ? 遠矢!」


 慌ててその名を呼ぶ。当然、いくら呼びかけても返事は無かった。

 見知らぬ異界に放り出された恐怖よりも、遠矢が居ない事への不安と、湧き上がる絶望感が心をギリギリと締め付けた。

 あたりをよろける足で探し回り、声が枯れるまで叫び続け、やがて涙が尽きるまで泣いた。


 遠矢に逢いたい。その一心だった。いまの千穂にとってそれが唯一の心の拠り所であり、ヨスガだったからだ。


 涙が枯れ果てた頃、千穂は信じられないものを見つけた。


 それは地面に半ば埋もれた「巨大な」自分の持ち物だった。見覚えのある学生カバンとその中身が散らかっている。教科書とペンケースから飛び出したシャープペンシルも見覚えがある。だが、そのどれもが途方もなく大きかった。

 足元に転がっていたシャープペンシルなど、物干し竿のような長さだ。カバンも冗談のような大きさで、中を覗いてみるとトラックの荷台のような広さだ。


「ど、どうして!? 一体何、これ……どうして大きいの?」


 全てが手では持てないほどに巨大。元の大きさの何十倍にもなっていた。

 子供の頃に訪れた「トリックアート展」のシュールな悪夢か絵画のように、それらが荒野の窪地のような場所に、転々と転がっていた。


「あ、ゾーマ……くん!?」


 最も衝撃を与えたのは、自らが作ったロボットキットだ。

 大型の乗用車よりも大きな姿に変わったそれは、半分砂の中に埋まっていた。だが間違いなく、手製のロボットキット『ゾーマくん』なのだ。

 

 そこで初めて千穂は、自分自身だけが「小さくなってしまった」ということを理解した。


「嘘でしょ……こんなの……何が、なんで……」


 千穂は、ロボットキットの傍らに座り込み途方に暮れた。乾いた風が、髪と綺麗なままの制服のスカートを揺らしてゆく。空を見上げると、見慣れない星々がきらめく夜空が見えた。


 不思議と、疲れも喉の渇きも飢えも感じなかった。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 明かりが見えた。それがヘッドライトを灯した車輌だとすぐにわかった。


 何かを探しているのか、サーチライトを照らしながら、車高の高い4WDのような車輌が二台、クレーターの内壁を慎重に走ってくる。


 千穂は戸惑いながらも立ち上がった。

 

 助かるかもしれない、と思った。だが、恐ろしい目にあうのではないか、という不安も脳裏をよぎる。


 やがて、車輌の上でサーチライトを操る人物の、声が漏れ聞こえてきた。


『――聖地、新爆心地、内壁第一次調査隊より! 送る! 遺物を発見……! 繰り返す、遺物を発見! 大きい……! 間違いなく巨神族の……う、わあっ!?』


『人間!? しょ、少女のような……生きた人間がいます!』


『――遺物……! いや、に……人間だ!?』


 それはヤマト皇国の調査隊だった。

 装甲された車輌の1台が千穂の近くで停車すると、後部のハッチが開き、防護服に身を固めた兵士のような人間たちがワラワラと降り立った。

 顔をマスクで覆い、背中には空気ボンベを背負っている。完全な機密服だ。


「あ、あの……」


 千穂は、精一杯の勇気を振り絞り、声を出した。

 ざわっ……と防護服の兵士たちが後ずさり、顔を見合わせる。


『ここは爆心地……超高濃度のRM粒子汚染区域だぞ……! 生きていられるはずが』

『人間じゃないのか……!?』

『本部の指示は!? 捕獲……!? 何? 無力化……!?』


 不穏な言葉に千穂が後ずさる。


「やだ……」

 手には何か武器を持っているのが見えた。千穂は踵を返すと走り、逃げ出したがすぐに転んでしまう。


『捕獲しろ……!』

『生きた標本だ!』


「や、やめて……嫌っ!」

 男たちが千穂に袋を被せようとした、その時。


 ドゥン! と地面が揺れ、巨大な何かが薙ぎ払うように、防護服の男たちを吹き飛ばした。ぎゃっと悲鳴を上げて装甲車のところへと転がり倒れる。


『な、なんだ!?』


「ゾーマ、くん!?」

 それは、千穂のロボットキットだった。声に反応し起動する機能が組み込まれた、機械じかけの人形。

 ギュィン、ギュィン……と多軸制御サーボモータが唸りを上げて、地面から起き上がった。四肢を持つ機械は二本の足で立ち上がると、見上げるような大きさがあった。


『機械の人型……!? これも……遺物だというのか!?』


 驚愕し、慌てる防護服の男たちを尻目に、ゾーマは千穂を守るように相手に向かい合うと、戦闘用のポーズを決めた。意志など無いはずの機械の人形。プログラムに沿って動くだけの機械がまるで自らの意思を持ったかのように。


「助けて……くれたの? ゾーマくん……」


 思わず、涙が溢れた。

 だが、その緊迫した均衡状態は長くは続かなかった。

 

 もう1台の装甲車が猛スピードで現場に到達すると、急停止。巨大な機械の人形と一緒に、途方にくれて座り込む少女に、隊長とおぼしき人物が近づいてきた。


 他の隊員たちを制し、一人近づいてくる。

 

 プシュッ……と気密を開放、防護服のバイザーを外す。


 青い瞳、そして金髪が美しい女性だった。


「私は、ヤマト皇国特殊作戦群、四式中尉。この隊の……いや、聖地(・・)に生じた新爆心地の調査を任された指揮官だ。部下たちがぶしつけで、失礼なことをしたようだ」


「あ……あの」

「大丈夫だ。危害は加えない。我々と共に来て欲しい」

 四式中尉は、千穂の目線に合わせて身をかがめ、そっと手を伸ばした。その美しい金髪に目を奪われながら、千穂も応じるように手を伸ばした。


 だが――その指先は「光の壁」にはじかれ、触れることは叶わなかった。


「こ、これは……!」


 光の波紋が千穂の周囲に広がり、見えないヴェールのように覆っている。


『生きた特異点(・・・)だ……!』

『し、信じられん』

『奇跡だ……!』

 背後で隊員たちが色めきたち、何人かは地面に膝を折り祈るような仕草を見せた。


 四式と名乗った女性将校は、やがて何かを悟ったように静かな微笑みを浮かべる。そして一歩下がり、恭しく礼をした。

 突然のことに千穂は戸惑い、どうしていいかわからなかった。


「あ、あの……何が……?」


「貴女は、生きた特異点(・・・)だ。世界と世界をつなぐ鍵。この瞬間から『神世渡(かみよわた)りの聖女』であらせられます貴女様は、わが皇国の創世神話の伝承の通り、我らの新しき象徴、生きた神となりましょう」


 四式はそう言うと千穂の前で片膝をつき、深々と頭を垂れた。


 他の者たちもいっせいに傅く。


 この瞬間、千穂は神聖ヤマト皇国の伝承にあるという『神世渡(かみよわた)りの聖女』、つまり生き神様へと祀り上げられた。


 聖地、ゲートを開く鍵として、永遠の命を約束された存在。


 飢えを感じることもなく、傷つくこともない。だがそれは成長する事も、変化することも出来ないことを意味していた。特異点として、死ぬことさえないのだ。

 もはや誰一人として()れる()すらできない不可侵(・・・)の、不死身の肉体を手に入れていた。


 世界にはもう、千穂の手を取ってくれる者は誰一人として居なかった。


 手に入れたのは、ヤマト皇国の神聖皇帝としての、地位。


 あらゆる最高の待遇が与えられた。とはいえ、衣食住の「食」を除いては。食べ物を口にする必要がなかったので、何の喜びも感じなかった。


 それは千穂にとって永久(とわ)の牢獄に閉じ込められたに等しかった。


 凍りついた時間に何の痛痒も感じない身体。苦痛と寂しさも消えなかった。遠矢に逢えないという、孤独という責苦を感じ続けねばならなかった。


 それは途方もない、拷問のようだった。


 ――わたしは、こんなもの欲しくない……。


 いつからか、千穂はそう思うようになった。


 ――こんな……遠矢の居ない世界なんて、意味が無いよ。


 だから、壊しても構わない、と思った。


 世界の全てを手に入れて、壊してしまえば、もしかして自分は自由になれるのではないか?

 そしてまた、いつか遠矢に逢える! そんな馬鹿げた妄想と予兆めいたものだけを頼りに、世界を変えようと試みることにした。

 

 なぜなら、時間だけは永遠にあるのだから。


 千穂の神聖皇帝としての地位を確固たるものにしたのは、爆心地の遺物……持ち込んだロボットが源泉技術(・・・・)となった。

 炭素繊維素材のフレーム、搭載された希少金属を用いた電源、制御用のマイクロチップに光ファイバー。そして高度な制御プログラム技術。

 全てが、小人の世界――神聖ヤマト皇国の電子工学、素材工学、ロボット工学の技術を飛躍的に向上させ、革新的な発明をもたらした。


 それだけではない。


 可憐な口から紡がれる、聞いたことも無いような異世界の物語の数々に、千穂を祀り上げる統治者たちは熱狂し、酔いしれた。

 巨大な機械の人形が戦場を駆け抜け、英雄が世界を救う。

 その物語の舞台は宇宙や、時には未来の世界だった。千穂が語るのは、好きだったアニメやマンガ、ゲームの話だっただろう。

 だがそれは、ヤマト皇国の統治者や軍の首脳にとっては新たなる神話と、外的な脅威の演出という、福音となった。

 世界の裏側(・・)にあるという、恐るべき巨神の世界の情報だったからだ。


 ヤマト皇国の技術者たちは先を争って、新しい発明と武器の開発に傾倒していった。やがて起こり得る巨神族の侵略(・・)に対する、備えとして。


 巨神族に対抗しうる、巨大人型兵器(・・・・・・)の開発を推し進めた。


 多くの天才達が研究にしのぎを削ってゆく。機械工学の天才、萬田博士。巨神の生体研究の第一人者、虹野(にじの)八蔵(はちぞう)、数多くの研究者が切磋琢磨した。

 やがて、千穂の語る夢物語を形にしたような巨大な機械人形(マシンドール)、ゾマットが完成した。

 量産初号機がロールアウトされたとき、ゼロ世代の機械人形、『ゾーマくん』は軍事博物館へと寄贈された。


 それを見上げながら、千穂は密やかに語りかけた。


「遠矢。迎えに……行くね。必ず、いつか――」


 まるで()のように慈愛に満ちながらも、狂気に満ちた笑みをかべながら。


 ――この世界を、壊してでも。


<◆Ⅴ章 千穂のセカイ 了>



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