湯けむり、混浴、巨神風呂
「じゃ、あとはごゆっくり。……ぐふふ」
菜々香博士の含み笑いに首を傾げながらも、遠矢は部屋を出ると渓谷を三メートルほど下り、(小人たちにとっては60メートルだろうが)仮設トイレで用を足した。
「本当にお湯だ……!」
そして、いよいよ身に着けるいたジャージのような黒い服を脱いで裸になる。そして爪先から温泉に入ってみた。
ザブァー! と溢れたお湯が、土石流となって谷を下ってゆく。下流に人がいないことを祈りつつ、ダムサイトのコンクリート壁にもたれ掛かる。
熱めのお湯が心底ありがたい。
「はぁ~! これ……最高」
ようやくひとごこちつく。考えてみれば長い一日だった。菜々香の言うとおりなら、三年ぶりの風呂ということなのだろうか? ぶくぶくと、お湯の中に遠矢は沈んでみる。
と――。声が聞こえてきた。
◇
「うっわぁ……! これ、ダム全部がお湯!? 露天風呂ってレベルじゃないわね!」
元気な声と共に現れたのは、珠希だった。
きょろきょろとあたりを見回す。
巨大ダムのような風呂に「男湯」「女湯」の看板は無い。超巨大な「トイレ」が建っているだけだった。
「トーヤ? いないの? ……トイレかな?」
ま、いっか! と言いながら、スポスポと躊躇なく身に着けているものを脱ぎ捨てた。そして全裸になると目の前に広がる露天風呂へと飛び込んだ。
「ひゃっは~~~~! こりゃすごい!」
珠希は泳ぐ。見上げれば満天の星、広大な完全貸切露天風呂! あのピンクの部屋の趣味は最悪だったけど、この露天風呂があれば些細なことは許せそうだ。
これは正規パイロットの特権よー! と博士は言っていた。なんて素晴らしい待遇!
その時、珠希の目の前で、水面がブクブクと波打ち、泡立つ。
巨大な気泡がボコワ、と膨らんで弾けた。
「……え? え……ぇばわわわわわぁああ!?」
水棲怪獣のように湯の中から現れたのは、潜水していた遠矢だった。露天のお湯が大波となって珠希を飲み込んだ。
「ちょっ、あばわわああああ!?」
「っぷっは! 危なく湯の中で寝るところだった……ん?」
遠矢は露天風呂を囲む岩の上で、伸びている肌色の生き物を見つけた。
肌色のトカゲ? 近づいてみると……全裸の珠希だった。
「た……珠希!? おま……なにしてんの?」
「げほっ! ト……トーヤ……この……ばかぁああああああああああああっ!」
珠希が風呂桶を投げつける。カコン、と遠矢のおでこに命中する。
「いて! 何キレてんだよ」
「うるさい! この変態巨神! なんで風呂の中から出てくるのよ!? ていうか、こっち見ないでよばかばか!」
珠希が顔を真っ赤にして岩の陰で丸くなる。
「いや、お湯に浸かってたらついウトウトしちゃってさ……」
水面に浮かぶ小さなタオルを見つけ、指先で摘み上げる。なるべく珠希のほうを見ないように頭の上に落としてやる。
「うぅ……菜々香さんは信用できないわ」
珠希はぶつぶつ言いながら、タオルを巻きつけた。結構肉付きの良い胸と腰まわり。大事なところは隠せても健康的な四肢がすらりと覗いている。
小人とはいっても年頃の女の子。
遠矢はおもわず赤面し、ぶくぶくと顔の半分を湯の中に沈めた。
「お、俺が入ってるって聞かされなかったのかよ? ゴボゴボ……」
「だって菜々香さんってば、何も言ってなかったし」
「混浴させられたわけか……」
遠矢はため息をつく。ぶくぶくと泡が立ち上る。何考えてんだあの人は。
「変態巨神と混浴なんて、ま、間違いが起きたらどうするのよ」
自分で言って益々顔を赤くする。
「万が一にもそれはねーよ」
遠矢が半眼で睨む。珠希はべーと舌を出すと、湯の中に身を滑り込ませた。
「……なぁ珠希。菜々香さんとここの人達、信用していいのかな?」
珠希は顔を岩陰からにゅっと出す。湯に濡れた赤毛の髪が艶めいている。
「菜々香さんはいい人よ。トーヤを改造する事に最後まで反対していたし」
「そうか……」
でも、あの黒服連中は珠希や菜々香さんを見逃してくれるのだろうか?
自分が戦わねば、珠希の運命もどうなるかわからない。そう考えると、途端に不安が心の奥で渦巻いた。
「トーヤ。あ……あのね」
珠希がお湯をかき混ぜながら囁いた。
「なに?」
「今日は……その、ありがとうね。連れていかれそうになった時」
珠希は岩陰からにゅっと頭半分だけを覗かせて遠矢を見つめる。
「え? あぁ……黒服の連中のこと?」
「うん。トーヤがあんなふうに助けてくれるんなんて、思ってもみなかったし。意外とむちゃくちゃするのね。……嬉しかったよ」
珠希の嬉しそうな声に遠矢は何と答えてよいかわからず、視線を泳がせた。
顔が火照るのは風呂に長く浸かり過ぎたせいだろうか?
夜風が火照った顔に心地よかった。
「それより、トーヤは黒髪に黒い瞳だよね。純血種なの? 向こうの世界も、エゾスと同じ感じなの?」
「純血種って何さ?」
「神代の時代から続くエゾス人の由緒正しい血族のこと。トーヤもそうなの?」
珠希は眉をまげて遠矢を見上げた。
「俺の居た日本は……あ、ニホンっていうのは俺の住んでいた国の名前なんだけどさ。そこに住んでる連中はみんな僕みたいな感じだよ。だけど純血種なんて言わない。みんな平等だったし、いろんな髪の色や肌の色が居て……それが当たり前だった」
「そうなんだ……。巨神の国にいつか、行ってみたいな」
珠希は目を瞬かせた後、どこか悲しげに目を細め空を見上げた。
「ゲートをくぐれば帰れるんだ。取り返せたら、一緒に行ってみる?」
「でも、向こうは全員トーヤみたいな巨神だらけなんでしょ? 私が行ったら捕まって見世物にされちゃうかもしれないじゃない……」
「珠希は僕が守るから」
遠矢の何気ない言葉に珠希は目を白黒させ、ぼふん、と頭から湯気をたてた。
「わ、私、髪の色も変だし瞳の色も皆と違うけど、巨神の国なら大丈夫……かな?」
長い赤髪を指で梳いた。絹糸のような艶やかな髪に目を奪われる。
「全然平気だよ。金髪とかピンクとか緑までいるから」
遠矢は笑うと、自分の世界の事を思い返してみる。
確かに嫌な事もあったけど、いろんなことに寛容で、雑多で、平和で……とてもいいところだった気がする。
だけど、胸が痛い。まるでぽっかりと穴が空いたみたいな気持ちがする。
「ここじゃ私みたいなのは珍しいから、学校では笑われるし。……嫌いよ」
「そうなんだ。綺麗だしいいと思うけどな」
遠矢はごく自然に感想を口にする。
「え? ちょ……ば、ばかじゃないの! ……だけど、その、あ」
珠希が目を逸らし顔を赤らめる。
「――ありがと」
珠希は小さく呟くと、柔らかく微笑んだ。
「よ、よっし! 身体洗うかな」
遠矢はすっかり茹で上がった顔をごしごしと擦った。
巨神用と書かれたシャンプーは、ポンプ車だった。気を取り直し、そのまま勢いよく、ダムの湯船から立ち上がる。
ズザザとお湯しぶきと共に、珠希の眼前に遠矢の股間が浮かび上がった。
「きゃぁあああぁあああっ!」
珠希が手で目を覆い叫ぶ。
「はわっ!? ご、ごめ……!」
「な、生でそんなの見せないでよっ! 隠しなさいよ! やっぱり変態巨神なの!?」
珠希の絶叫が、夜の渓谷に響き渡った。
<つづく>
次回、急展開のバトルシーン!
(5/19は休載となります)