主人公席の少女と、舞い降りた巨神
教室の窓に巨大な鉄腕が迫ってくる。
校舎の脇に突如として降り立った巨大な機械人形は、駆動装置の音を響かせながら、三階の教室に向けてゆっくりと腕を動かした。
輝く金属の装甲に包まれた動きは、まるで人間のように滑らかだ。
窓の前で手の先を静止させると、淑女をエスコートするかのような仕草で五指をひらく。
『――迎えに来たよ、珠希』
穏やかな少年の声が響いた。
意外にも普通の声を発した巨大な機械人形は、珠希――たまき――と少女の名を呼んだ。
装甲で覆われた巨大なロボットが、教室の窓から見えていた午後の気だるい風景を一変させると、突然の闖入者に、生徒たちが驚きの声と悲鳴をあげた。
「嘘だろ!? 敵襲かよ!?」
「違う、あれは……俺たち蝦夷州軍の機械人形だ……!」
「テレビで見た! 確か新型の……!」
「それがなんでこんなところに!?」
「ま、窓から離れなさい!」
突然の闖入者に騒然となる生徒たち。倒れる椅子の音と歓声で教室が騒然となる。
中年の教師がとりあえず避難を呼び掛けるが、1年C組と書かれた教室のクラスメイト達は大騒ぎで話なんて聞きやしない。騒ぎはやがて学校全体へと広がってゆく。
ただ、窓辺の席に座っていた少女だけは違っていた。
教室の窓側、後ろから二番目の座席――赤毛の髪をツインテールに結わえた女子生徒。
その前には、巨大な機械人形が差し伸べた「手のひら」があった。
「どうして……ここに!?」
『――いた、珠希!』
珠希と呼ばれたツインテールの少女は、怖がる様子もなく、ただ信じられないという驚きの表情を浮かべつつ、椅子から静かに立ち上がった。
開け放していた教室の窓から風が吹き込むと、制服のスカートがはためき、ふわりと長い髪が舞う。
机の上に広げられた社会科の教科書のページが風でパラパラとめくれてゆく。
――『蝦夷州共和国とヤマト皇国との百年戦争史』
――『聖地・天ヶ原、主権は我が蝦夷州に』
――『原子間縮小金属の利用と第三次工業革命――』。
珠希は緋色の瞳を大きくして、鉄の巨人を見上げていた。
人間をそのまま大きくしたような姿をした機械の巨人は、鉄筋3階建ての校舎よりも高いだろうか。
顔面に配置されたデュアルセンサーアレイの双眸が、機能美と精悍さを感じさせる。
陽光を跳ね返し青白く輝くメタリックブルーの装甲は、鋭角と曲面で構成され、最先端テクノロジーによって製造された兵器であることを印象づける。
背中にはリュックサック状のジェットパック――空中機動装備を備え、折りたたみ式の翼が、まるで天使の羽のように展開している。
兵器でありながら、英雄物語に出てくるような伝説の騎士のような、雄々しさと神々しさを感じさせずにはいられない。
――巨神用・強化外骨格装甲兵装、通称『巨神装機』。
「遠矢……!」
珠希は鉄の巨人を見上げ、その名を呼ぶ。
卵型の輪郭に、意志の強さを感じさせる切れ長の大きな目に、きりりとした眉。唇はやがて弧を描き、微笑みへと変わってゆく。
そこにあるのは恐怖ではなく驚きと困惑、そして嬉しさだった。
『って……珠希って主人公席ってやつなんだね? 窓際の後ろから二番目って、巨大ロボとか美少女とか降ってこないかなーって夢想する席じゃん。……アッハハハ、出来過ぎだろ』
巨大な機械人形がおどけた少年のように笑い声をあげる。まるで人間のように肩を揺らした。中に人でも入っているかのような、ごく自然な仕草を見せる。
「そんなバカ話をしに戻って来たの!? 信じられない。てっきり向こうの世界に帰ったんだとばかり……」
『珠希、僕には君が必要なんだ』
「……えっ!? ちょっ……!?」
まるでプロポーズ。みるみるうちに珠希の顔が赤くなってゆく。
「こ、心の準備が、まだその……」
『いや、一緒に戦ってほしいんだけど……。ダメかな? こんなこと、もう……言うつもりじゃなかったけれど』
「……あ!? 戦うのね、ってそっちかい!」
『え? 何?』
「い、いえ、なんでも。そ、そうよね、戦う。だって私が居ないと、トーヤってば、全ッ然だものね」
真っ赤な顔を逸しながら腕を組み、ふん! とツインテールを振り払う。
怒ったような、嬉しいような、そんな複雑な表情で、遠矢を見据える。
『お願い』
「いいわ」
まるで、友人同士のように会話を交わす巨神と少女に、クラスメイトたちはただ唖然とするばかりだ。
まるで、友人同士のように巨神を会話を交わす珠希。やがて細くしなやかな腕を、呼びかけに応えるようにすっと、空へと向けて伸ばした。愛しい人が迎えに来てくれた嬉しさに満ちた、そんな面持ちで。
「きましょう! トーヤ」
『ありがとう珠希! じゃぁ乗って! 時間がないんだ。ゲートが開く。それが多分、最後のチャンスだって、菜々香さんが言ったんだ』
「ゲート。それってトーヤが居た巨神族の世界への扉なんだよね」
珠希は理解した。
最後の――戦いの時が来たのだ、と。
この戦いが終われば、遠矢は元の世界へと帰還することを。
『……わからない。けれど行かなきゃ。みんなが敵の大部隊と戦ってる! 奈々香さんや轟さんが必死で! だから……珠希の力が必要なんだ』
機械の巨人の手が、感情とともに揺れた。教室の窓枠の外へ手のひらが接触する。まるでゴンドラのように、珠希が飛び乗れるような位置で。
「待ってて、支度するわ」
意を決したように珠希は頷くと、教科書やノートを手提げカバンに詰めた。そして椅子に足をのせ、そのまま窓枠へとよじ登った。
教室の窓の外を塞ぐほどに大きい精悍な鉄面が、その様子をじっと見守っている。
――私だけの巨神……遠矢。
珠希は巨大な友人の訪問に内心喜びつつ、胸が締め付けられるような、万感の想いがこみ上げていた。
それは二人にとって辛く苦しい、戦いの日々の終わりを意味していたから。
「靴、どうしよう。上履きのままだわ」
『むしろ上履きでいいだろ!? 僕は土足禁止なんだから』
「それもそうね」
『跳んで!』
遠矢とよばれた機械人形――巨神と会話を交わしながら珠希は、ぴょんと巨神の手に跳び移った。
あっ! と、クラスメイト達が叫んだ。
風が制服のスカートをめくりあげる。顕になる太ももも気にせず、珠希は自分の身体ほどもある大きな「親指」にしがみつく。
そして、教室のほうを振り返って、担任やクラスメイトたちに手を振る。
「先生! 早退します! それと……さよなら、みんな」
よく通る声で叫ぶと、担任教師は口をぱくぱくさせたまま頷いた。
珠希を乗せた遠矢の手は、ゆっくりと窓から離れはじめた。
左右の教室から顔をのぞかせていた他の教室の生徒達が、驚きと興奮の声をあげる。そして、突然の巨大な来訪者、機械人形に選ばれた少女――珠希に驚き羨望の視線を注ぐ。
教室や、クラスメイトたちの顔が遠ざかる。
珠希を乗せた手のひらが胸の分厚い部分に近づくと、装甲が展開。内側から更に強化ガラス製の「キャノピー」がせり出した。そしてプシュンと気密解除の音とともに口を開ける。
そこは幾つもの計器とモニターが並ぶ、戦闘機の操縦席のような座席だった。
『気をつけて、落ちるなよ』
「へーきよ!」
珠希はカバンを先に投げ込むと颯爽と飛び乗った。ぼふん! と狭いシートに見事に尻から着地、そのまま身を沈める。
「あ、あいつ機械人形のパイロットだったのかよ!?」
「嘘でしょ……! 信じられない!」
キャノピーが閉まると、そんなクラスメイト達の声はもう聞こえなかった。
ずらりと並んだモニターが、息を吹き返したかのように次々と灯る、珠希の帰還を歓迎するかのように電子音を奏で、遠矢と珠希のデータリンクが行われてゆく。
珠希は瞳を閉じて、鼻から小さく息を吸い込む。
――ここは、すごく落ち着くわ。
シートの背中から伝わるリズミカルな振動は、機械の駆動音だけではなく、遠矢の心臓の鼓動が混じっていた。
『飛ぶよ、珠希』
「いいわ、遠矢」
背面の浮遊機動装置が唸りを上げ始めた。徐々に推力を増し、凄まじい熱風が芝生を焦がす。校舎の周りにおいてあったボールや、三角コーンなどの備品が宙に舞った。
やがて、ゆっくりと浮上し始める巨大な機械の騎士を、クラスメイトたちは呆気にとられながら見送っていた。
◇
ここは――小人の世界。
すべてのものが小さい『縮小世界』と呼ばれる異郷。
そこに迷い込んだ16歳の少年、遠矢。
彼が身に纏うのは、小人たちが作り出した機械の甲冑。
巨神用・強化外骨格装甲兵装、通称『巨神装機』。
操縦士として乗り込むのは、選ばれし少女、珠希。
遠矢から見れば、珠希は小人の少女。
珠希から見れば、遠矢は巨神の少年。
20倍以上もの身長差のある二人が如何にして出会い、どんな戦いを経てきたのか。
語るには、時間を遡る必要があるだろう。
今から――半年前。
<つづく>