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泣きぼくろ  作者: tori
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一章

 一


 歳月が記憶の細部を奪い去っても、忘れられない場面が人生にはある。なにかの拍子で、そのときの声の調子や表情の変化、ちょっとした仕草がデフォルメされた絵のようにあざやかな色彩をおびて蘇る。


「輪廻転生って信じる?」

 ジュンが訊ねたことがあった。いつどんなきっかけでそんな話になったのかは思い出せないけれど、その時のジュンの様子は今でもはっきり覚えている。

「そんな話があるけれど、私は今ひとつ確信が持てない。あなたはどう思う?」というような調子ではなく、「自分はもうそれを体験してきたのだけれど、あなたはそれについてどう思う?」そんな訊ね方だった。

 私はどんな答えを返したのだろう。きっと曖昧に「そんなことが世の中にはあるかもしれないね」みたいなことを言ったのかもしれない。

 あの頃の私たちには今すぐ答えを出さなければならないような切羽詰まったことなど何もなかった。時間は無限にあると無邪気に信じていたのだから。


 高二の冬、クリスマスまであと二週間というとき、ジュンが突然学校で倒れた。

 体育の授業が終わり、グランドから教室に戻る道すがら、私たちはクリスマスイブの予定についてあれこれと話していた。

 中学生の頃から、その日は二人で映画を観にでかけるのが恒例になっていた。今年はどんな映画を観ようかと話していると、突然ジュンが膝から崩れ落ちてそのまま俯きに倒れてしまった。

 恐ろしさで、私はなにもできずに棒立ちのままジュンを見下ろしていた。近くにいたクラスメイトが異変に気づいて駆け寄ってきた。皆が騒然とする中、クラスメイトの一人がジュンを助け起こそうと頭の下に手を差し入れた。そのとき誰かが輪の中に割って入ってきた。

「今、動かしてはだめ、早く先生を呼んできて」 

 彼女はひどく冷静な口調で言うと、着ていたウィンドブレーカーを脱いでジュンの身体に掛けた。目を閉じたまま身じろぎもしないジュンの唇が微かに動いたように見えた。彼女はすぐに口元に耳を寄せた。

「ジュンは何か言ったの?」、そう訊こうとしたとき、数人の教師が校舎の方から走ってきた。保健の教諭がジュンの側に屈み、しきりに話しかけて反応を試みた。ジュンはうわごとのように「ダイジョウブ」とだけつぶやいた。

「救急車を呼んだ方がいいわね」

 保健の教諭はそう言った。


 午後の授業は永遠に続くのじゃないかというくらい長く感じた。少しでも早くジュンのもとに駆けつけたい。気持ちは焦り続けた。

 あの時、どうして私は救急車に同乗しなかったのだろう。たとえ認められなくても、ジュンならきっとそうしたに違いない。それどころか私はあの場でただオロオロとするばかりで、教師から事情を聞かれてもなに一つまともに答えられなかった。

 ようやく終鈴が鳴り、私は教科書を鞄に放り込むと席を立った。

 教室を出ようとしたあたりで、病院に行くのか?と声をかけられた。隣のクラスの若宮さつきさんだった。

 背が高く、首の辺りで切り揃えた髪と切れ長の目がクールな印象を与える。陸上部のエースでボーイッシュな外見からこの女子校でもファンが多い。

 私が肯くと、今日行っても面会謝絶で会えないだろうという意味のことを彼女は言った。

「それでもいい、とにかく傍にいてあげたいの」

 今日初めて私は自分の意思をはっきりと口にした。

「そうね。あなたたちは親友なのだからきっとそれがいいわ。余計なことを言ってごめんなさい」

 彼女はジュンが運ばれた病院を教えてくれた。私はそんなことすら確かめずに出て行こうとしていたのだ。そして彼女が先生を呼んでくるように指示していた冷静な生徒であることを今更ながら気づいた。

 私の頼りなげな様子を見て取ったのか、若宮さつきは同行を申し出てくれた。


 私たちは学校の近くのバス停から病院行きのバスに乗った。

「今の時間帯なら四十分くらいかかるわ。座りましょう」

 若宮さんは空いている最後尾の席に向かい、私もそれに続いた。

 彼女は窓際の席を私に勧めると、紺色のスクールコートを脱ぎ、持っていた大きなスポーツバッグを網棚に押し込んだ。

 私はその姿をぼんやりと見上げていた。彼女は女子高生の平均からすればかなりの長身だ。細身のしなやかな身体の線が制服の上からでもはっきりとわかる。無駄な装飾を一切削ぎ落とし、走る目的のためだけに創りあげた身体なのだろう。

 私は裸で草原を駈けていく彼女を想像した。まぶしい太陽の光を受けて、黄金色の汗を燦めかせながら、地平線に向かってたったひとりで黙々と走り続ける姿を。孤高で高貴で、そしてそれはひどく胸を突かれる光景だった。

「あなたの荷物はいい?」

 端正な顔を少し緩ませて彼女は訊ねた。

 私は自分のとりとめない妄想を気づかれたのではないかと、一瞬びくっとした。彼女の黒い瞳は私の心の隅々まで照らしてしまいそうで、慌てて目を伏せた。

 若宮さんは「そう」とだけ言い、隣に腰を下ろすと文庫本を広げた。私は暮れていく窓の外を眺めていた。


 林間の道路を抜けると、バスは大きな角を曲がり病院の敷地に入った。表玄関の前がターミナルになっていて、バスはそこで停まった。

「着いたわ」、促されてタラップを降りると、冬の冷たい空気と草の匂いが鼻腔に流れ込んできた。

 ターミナルの中央には芝生が植えられている。夕闇が周囲の色を奪っていく中で、その一画だけは時間の流れが止まったように鮮やかな色合いを留めていた。

「冬でも枯れない種類の芝生なのよ。西洋芝の一種でこの病院のあちこちに植えられているの」

「ここに来たことあるの?」

「怪我をしたとき、二カ月ほど通ったことがあるわ。スポーツ外科があるのはこの街ではここだけだから」

 そう言われて、私は初めて彼女が部活を休んだことに気がついた。

「部活休んでよかったの?」

「こんな時なんだし、一日くらい休んでも平気よ」

 そうでしょ?という感じで、彼女は少し小首を傾げた。



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