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「三題噺」 vol.1

三題噺。

お題:「熱中症」×「ライバル」×「輪」

 

 僕のライバルはもう16歳だった。

 みんなが熱中症に悩むようになったのは3カ月も前からだったけれど、その原因が彼の食欲が落ちたからだと気づくのには、少しばかり時間が掛かってしまった。

 彼は67個あるこの星の月が、みんないっぺんに満月になった晩に倒れた――でもその現象は3日おきに起こるので別に、それが特別な夜だったわけでもない。

 ただ僕にとって、忘れられない晩になったというだけの話で。


 そして、いま僕たちは〝洞窟〟にいる。


 この星の洞窟には、コウモリがいない。

 いるのはもっと実体の不確かなものばかりで、それはこの惑星全体にも当てはまった。

 幾世紀か前にこの星へと辿り着いた人類が直面したのは、この大地から噴き出す抽象性だった。


 宇宙はビッグ=バンへの成長過程で物理係数から虚数的な要素を綺麗に忘却したが、この惑星の内部にはマグマの代わりにそれらが保存され、対流していた。

 調査によれば地下深くでは虚数時間(imaginary time)さえ流れているらしい。


 辿り着いたばかりのころの人々は精密な電子機器によって生活を維持していた。でもやがて装置も劣化して、更にはこの星には科学技術を支えるだけの具体物がなかった。


 そして、彼らを熱中症が襲った。


 この星の平均気温は高い――人々は知りうる限りの夏の風物詩でこれに挑んだが、最後のかき氷機の刃がねじ折られたことで敗北を覚悟した。それでも20年を戦い抜いた彼らは、真の勇者だったのである。

 しかし彼らは――僕たちのご先祖は、敗北しなかった。

 できなかったと言ってもいいかもしれない。


 それくらいライバル達が現れたのは、ちょうどよいタイミングだったのだ。それまでこの惑星にはなかった熱中症という高エネルギー現象を前にして、それを食物にしようとする生物が進化するのは自然なことだったのだろう。


 彼らは、そうして人類と邂逅する。


 ――〈ライバル(RIVAL)〉。


 人類と同じ河を共有するもの。

 犬類以降、はじめて人間と生涯(RIVER)を共同することを選んだ種族。

〝哲学の硫黄〟と〝哲学の水銀〟から生まれたこの星の生命が辿りついた、進化樹形図の最外辺。


 彼らは、とても美しい姿をしていた。

 まるで天使とも見える少年少女の姿、そして恒星の最期みたいに、純白の白子(アルビノ)――瞳は、綺麗な青。



     ○




「大丈夫?」


 僕は彼に向けて声をかけた。

 洞窟の中はうっすらと、熱気が籠っている。

 大したことはないが、じっとりとして蒸した。


 彼の長い髪が垂れて、虚ろな頬に少し張り付いていた。

 彼はライバルで、可憐な少女の姿は老いても変化がない。見た目が少女であるからといって彼は女性ではなく、ライバルはみな両性具有(アンドロギュノス)の存在だった。


 洞窟の壁面はでこぼこしていて、所々にふわふわと発光するコケのような何かが群生していた。優しい光だった。ただそれに照らし出された壁面はまるで巨大な獣の食道のようで、僕たちは飲み下されていく冷たいラシミール錠みたいだった。


 彼の歩みは遅く、ふらふらと、いつ倒れてもおかしくはない。


「なんかここ、空気悪くない?」


 彼と同い年の僕は、開いてしまったこの身長差から声を投げかける。


「息がしにくいっていうかさ……」


 彼は心配いらないという風に微笑み、僕はそれを見るたびに唇を噛む。

 悲しい――僕は軽い熱中症を持ってきた冷水で飲み下しながら、幼い頃から今に至るまでの彼との思い出を、愛おしく反芻していた。


 僕がはじめて歩いたとき、そばにいたのは彼だった。

 彼はそのころ、もう元気にみんなの足下を駆け回っていたし、駆け回るのにも飽きて、空を見上げながら自分に羽ばたくための翼が無いことを、真剣に悔いたりしていたものだ。

 そんな昔のことを未だに憶えているのは、そのときの僕をのぞきこんだ彼の眼があまりにも、濡れて綺麗だったせいだろう。


 彼はもう老いてしまった。


 時間は巻き戻らない。


 できることなら、僕が彼のネジ巻きになって、無理にでも彼の時計を、終末から救いたいのに。

 



     ○



「ずっと変わらないものは、あると思う?」


 幼い僕はライバルに訊ねたものだ。その頃は彼も元気で、そんな僕の問いにも律儀に答えようとしてくれた。彼の声はどんな琴曲の調べよりも美しくて、また深い音階を持つようさえに感じられた。しかし、やはり、その声は少女のものだった。


「君はまた妙なことを訊く……」


 彼は困ったように笑って言った。当時の僕らはまだ、見た目も同い年の少年少女だった。でも彼の言葉は、大人びているを通り越して老成していて、そこがなんとも可笑しく、僕はいろいろと下らない質問を彼にしていたものである。


「永遠ではなく、永遠へと保存されるべき事柄を問うか――?」


 彼は僕の問いかけに少し考え込む仕草をするが、すぐに柔らかな笑いを回復し、僕の方を見た。

 彼は何でも知っていた。

 まるで、物語の賢者のように。


「――それは魅知(ミチ)だな」


 そう言って彼は、頭の後ろで結んでいた髪を(ほど)いた。真っ白くか細い髪は清水へと延ばされた菌糸のように艶やかに流れ、彼の輪郭を周囲の空間にぼかし込んでいくようだった。


「外に出ようか?」


 彼は訊きながらすでに歩き出していた。

 僕はそのあとを急いで追った。

 家の外はもう暗く、夜の闇を喰い破るようにして星が出ていた。


「あの、白い帯が何か分かるか?」


 唐突な彼の問いは僕の眼を天へ向けさせ、空に走る一筋の光のラインへと意識を誘った。


「あれはこの星の周りを公転してる、円盤状のわっかだよ」


 僕は難なくその質問に答えた。


「その通りだ」


 彼は満足げに頷いた。


「――あれは、この惑星のPlanetary Ringだ」


 でも、それが何?


 僕はそうやって彼が、質問から韜晦しようとしてるんだと思って、ちょっと不機嫌な調子で訊ねた。

 すると、


「多分、あれこそが永遠に残るべきもののひとつだよ」


 と彼は言った。

 白くて長い髪をそよそよと夜の風に乗せながら、彼は僕へと視線を向けてどこか祈るように、



「ずっと変わらなければいいと、私が願うもののひとつだ」


 そう、静かな調子で言い直した。




     ○



 金属の扉のように冷たい。

 その洞窟の壁には生気が無かった。

 そもそも洞窟には、温かみなどないのだろうか。


 空気は蒸しているのに、おかしな話だ。

 僕は彼をおぶろうとして断られ、それでも彼を支えるために手を貸そうとして、その手を彼に押し返されたことで、洞窟の壁へと倒れ込んでしまった。

 彼は自分の力だけで、洞窟の奥へと辿り着くつもりなのだ。


 息のしづらさが、段々と酷くなる。

 本当に空気が悪いのだろうか。


 この洞窟はライバルたちの墓場であり星中のライバルは死の直前には、必ずこの洞窟へとやってくる。 それ以外の場所でライバルが死んだということを、僕は一度も耳にした事が無い。


「ん? どうした?」


 僕の歩みが止まったことを気にしたのか、彼が不安そうにこちらを見上げてきた。

 さっき僕を押し退けたことでも、自責しているのだろうか。

 僕は壁面から離れて、彼の方へ歩み寄った。

 目線を合わせるために彼の前へとひざまずく。

 彼が手を伸ばしてきたことに少し驚いたが、何か言いたそうに口をふにゃふにゃと動かしていたのでそれを聞き取ろうと、顔をそちらへ少しばかり差し出した。


「……うぁ?」


 彼の舌が、僕の目じりを舐めた。

 にゅるりとした感触が、背筋の鳥肌を目覚めさせた。


 そこで僕は今までの息苦しさの正体に気付く。


 実はずっと、僕は泣いていたのだ。

 気付いてみれば、確かに頬は涙で濡れて冷たかった。

 彼は気だるげに肩を脱力していたが、何とか眼だけは笑顔に変えて声を絞り出そうとしていた。


「……、……心配、……する、な」


 彼は僕の手を取って、優しく握った。


「……………………女の子が、やたら泣くもん……じゃない」


 その言葉を聞いて、握られた手を、僕も同じ力で握り返した。

 "女の子"……僕は、彼の前ではいつも、女の子でありたくなかったのに。

 彼らの前では、人間は半分しか持たない、不完全な生、未完成な性なのだ。

 僕は……私は彼に縋り付いて嗚咽した。


「……やだよ、逝かないでよ、僕は、…ねぇ、……どうすれば、――」


 それでも"僕"が抜けない自分に苦笑した。

 でも今そんなことは、重要じゃない。


 僕は逆に彼に手を引かれながら、薄暗い洞窟を先へ先へと進んでいった。

 視界に彼の長い髪が揺らめくたびに、その白さが僕の心の中の鮮やかな思い出によって、彩られていくように錯覚する。 

 そしてその彩は、僕の涙にぼやけて染み込んでいくのである。


 どのくらい歩いたのか、光の乏しかったはずの洞窟に突然、明るい彼方が現れた。

 数十メートル先の辺りが、出口かと思えるほどに明るい。

 もちろん、この洞窟の入り口は一つだけである。


「あ、あれが……?」


 僕は彼に導かれるようにして、その光の中へと進んだ。

 そこはとてつもなく広かった。

 そして、


「天井がない」


 そこは、洞窟の中でありながらも、山にあいた噴火口のような竪穴とつながっている場所であり、おそらくそれは大昔の抽象性噴出の結果できた、天然のドームだった。


 そこは子供じみた狂気が支配していた。

 月夜に踊る魔術師にでもなった気分だった。


 辺り一面を埋め尽くしているのは、美しいブロンズ像たち。

 そしてそれらは、「あたかもプラクシテレスが造形したのかと思われるほどに」という形容の相応しくない、繊細で完璧な、少年少女たちだけだっだ。

 数千や数万ではない、いったいどれほどの数があるのか分からない。


 それらはつまりここで生涯を終えたライバルたちの、残され続けてきた亡骸なのだろう。


「これが、永遠に残るべきもの?」


 ぼんやりとしながら、僕はそんなことを呟いた。


「……いや、これは違う」


 彼が囁いた。


 洞窟の天井方向から差し込む光は、この星に存在する内のいくつかの月と、この星の周りを巡る白い帯=この惑星を周回する(リン)()からのものだった。


 白い光だった。まるでクラシカルな天国のようにも見える。

 彼はイスのようにすこし地面から高く突き出している場所へと腰を下ろし、握っていた僕の手を離した。


 月の匂いがした。

 彼は白亜の光に照らされて薄らいでいた。

 彼の温かさが、身体から離れようとしているのだと僕は悟った。


「ライバルはこれを、ずっと続けて来たっていうの?」


 僕は抽象性の圧力が増した彼の魂に向かって訊ねた。


《……そう、私たちの望みはこうして、〝ずっとつなげていく〟こと》


「それは、いったい何のために?」


《おそらくは、見守るために》


「そこに哲学的な意味はあるの?」


《そんなもの、あるわけないじゃないか?》


 魂が粒子波動に変換されるのは一瞬だった――彼は万華鏡のように(ひらめ)き弾ける中で、最期に、僕へと意識を指向した。



《我々は、死してなお、人と共に――》

 


 僕はそこに、彼の微笑を見た気がした。


 その言葉が終らないうちに、彼の体からは明晰な白皙の霧か霞のようなものがブアッと湧き出し、それは一瞬で音速を数倍超える勢いで天へと打ち上がった――衝撃で僕は吹き飛ばされて地面を数メートル転がった。


 起き上ったときには、彼はすでに美しさだけのブロンズ像と化していた。



     ○



 纐纈(ゆうはた)に君を (こひねか)はくは

 想ひ 留めし


 遥か(そら) 遠く(みはるか)したるにて

 燭火(ともしひ)を吹き 笑み含み

 

 持つ手の(さく)

 言の葉に

 想ひ留めん

 (たくひ)なき


 吹けよ風

 凪けよ星


 少女は別たれ

 ()を知るは


 天廻(あまめく)りたる

 (たい)なる輪虹(リンク)



     ○




 この星の輪っかは、ライバルたちが吐き出した、

 最期の熱中症で出来ている。

 

 

 

 

 初出:『天然水』Vol.49(2013年10月発行)

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