魔法使い 悩む
旅装をといて、お湯に浸かってゆっくりして。リラックスして戻ってきたはずの魔法使いは、しかしいまだきょろきょろと室内を見回す。
まるで、知らない部屋に連れてこられた仔犬のように。
四つ並んだベッドの手近なひとつに腰かけていた剣士は苦笑する。
「まーだ気にしてるの?」
「そんなんじゃありませんけど…」
「いいじゃないの。あたしたちはベッドで休める、彼らは空き部屋でお金が稼げる。ね?」
「まあ…はい」
でも、その姿勢はどうかと思うんです。ふくらはぎを揉むあなたの穿くスカートは、動きやすさが第一でかなり短くて、僕には刺激が強すぎます…
言うに言えない言葉を呑み込んで、少年はただ頷いた。
つらつらと面白可笑しく剣士は喋る。
知らないことを知ることが好きな少年には、師とは違う表現で語られる事柄に目を輝かす。
足は見ないようにしながら。
右足を終わって左足を揉み始めた頃、ようやく賢者が部屋に戻ってきた。
「経済の話題か?」
「何の役にたつかはわからないけどね。それより、あなたお風呂長すぎ」
「それでもお前よりは短いだろう」
「湯船に浸かって一万なんて数えられませんよ僕…」
「だから長いのね…」
「それでもお前よりは短いだろう」
少年には目の毒な剣士の脚線美は賢者には感銘を与えないのか、いつしか会話はただの言い合いになる。
いつもこんな感じの二人は、そういえばどうやって知り合ったのだろう?
ほんの少し前に仲間として迎えられた魔法使いは、まだそれを訊いたことがなかった。
「そのうちふやけてぶよんぶよんになっちゃうんだわ、ヤダー」
「ぶよんぶよんなのは、お前の腹の」
「!! なんってこと言うのよこの――」
さすがに聞き捨てならない賢者の発言に、剣士が言い返そうと口を開く。
魂が抉られるような単語が出る前にと、涙目の魔法使いが開けたドアの向こうで。
宿の女将が目をキラキラさせていた。
「あらやだ」
女将――どう見てもおばちゃん――は一瞬愛想笑いを浮かべたあと、闖入者にばつの悪い顏をして口を閉じた剣士に問いかける。
「お客さん、2年前にこの宿に泊まっていなかったかい? 男の剣士と一緒に」
「…ええ。以前は、お世話になりました」
「ああ、やっぱり! 前とは違う感じのイケメンを連れてるし、子連れだし、よく似た他人かとも思ったんだけどねぇ」
むふむふと口元を綻ばせているおばちゃん女将は、ワケアリかい? と今にも問いそうだ。
「彼とはパーティを解消していますが、なにか」
「あら…やだ。違うのよぉ。別れた原因とかそのイケメンとか連れ子のことが訊きたいわけじゃないのよ?」
「連れ子…」
呆然と呟く魔法使いに、賢者が計算が合わんから安心しろと返す。
そういう問題じゃないんですけど、と弟子が力の抜けた視線を向ければ、無表情な師匠は我関せずと髪を拭く。
「実はねえ、その彼が一週間前にふらっとこの村に現れてね、ウチに泊まったはいいんだけど、三日前から戻って来ないのよぉ。まあ、お代は先にいただいてるけど。
そしたらお客さんが来たじゃない? なにか知ってるんじゃないかと思いましてねぇ」
「先ほども言いましたけど、彼とはパーティを解消しています」
それは女将よりも彼女の仲間へと向けた言葉。
冷たい言い回しは女将への会話への拒絶。
しかし気づかないのか女将は、心配だわ、と続ける。
「帰って来るって言ったんだけど…」
「…彼、帰って来るって言ってたんですか? だったら、間違いなく戻ってきますよ」
剣士の確信に満ちた言葉に、賢者の眉が寄るのを魔法使いは気づいてしまった。
女将も気づいたか、あらまあ、と声を漏らす。
「ごめんなさいねぇ、今の仲間さんの前で昔のヒトの話しちゃって。じゃあ、ごゆっくり」
おばちゃんの最後の嫌がらせにしか思えない言葉に、無表情な顏で本気で不機嫌の賢者は、執拗に髪を拭きながら剣士を風呂へ促す。
「そうする…」
ぐじゃぐじゃと髪をかき回して、答えた彼女は部屋を出ていった。
剣士が部屋を出たあと。がしがしと髪を拭いていた賢者は何事もなかったように無表情でタオルをハンガーに掛けた。
たまに言い合いの喧嘩はあるけれど、と魔法書(入門編)を開いて読む振りをしながら、魔法使いは賢者を観察する。
早口で捲し立てる剣士と、単発の、しかし重たい一言で攻撃する賢者と。
割り込めずハラハラしていると、大抵剣士が、もういい! とそっぽを向いて喧嘩が終わる。
その数分後には、賢者(たまに剣士)が相手に話しかけ、喧嘩なんてしていなかったように時間を過ごすのだから、よけい魔法使いは混乱する。
もしかして、これはなにかの修練なのかと最初は思ったけれど…なんのことはない、ただじゃれてるだけなんだよね。
「イチャつくのは、あのひとと二人だけの時にして欲しいですよ…」
ため息だってでちゃいます。ぼやきは声になっていた。
「あれが、イチャついているように見えるのか?」
「えっ……あ〜、はい。おそらく、たぶん」
無表情の師に問われ、しどろもどろになる魔法使いは、そうか、と『微笑む』彼に驚愕する。
「ならば、おまえも私と『イチャ』つくか」
楽しげにそう言って歩み寄る師に、弟子は涙声で乞う。
「魔法理論問答は勘弁してくださいぃぃっ」
思考時間僅か五秒の問答は、魔法使いの大の苦手。
答えられなければ、みっちり復習させられる…正座というらしい、拷問姿勢で座らされて。
「出題範囲は入門編のすべてだ。クリアできたなら中級へ進もう」
「嬉しいけど嬉しくないー!!」
望んでいたステップアップがこんな形で試されるとか!
てゆーかこれ『イチャイチャ』じゃないですよねええ!?
魂からの叫びは、矢継ぎ早に与えられる問いに抹殺された。