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願う 叶わない 届けたい

作者: taler

今の日本に、不幸なやつなんていないって思ってた時代が、俺にはあった。

皆四苦八苦しながらも日々何かを確実に掴んでいただろう。

そんな常識は、この一週間とともに姿を消した。

紛れもなく幸せではない俺が、幸せになれた。

そんな、他愛もないのろけ話をしよう。



酷い頭痛に襲われ、目を覚ましたのは深夜近くの時間帯の電車の中だった。

「昨日確か、取引先との間に重大な亀裂入れちまって上司失望、俺失業、んで絶望した末にやけ酒で闇雲ってか。」

誰に話すわけでもない、というよりも誰もいない車両の中で一人、ラップ調でグチをこぼしていた。

普段はこんな性格しているつもりはない、しかし俺にとって、自ら辞表を出すということがとてつもなく大きな事件だったため、動転してしまっているのだと思う。

「あの上司も堅物だ、一体これからの日本はどうなってしまうのか…」

そうは言っていても結局悪いのは自分、理解しきれない自分に腹が立ってしまっていたのだ。

『次は〜荒木〜荒木〜。右側扉が開きます、ご注意ください。』

何を思ったのか世界情勢を考え始めていた俺は慌てて荷物をまとめ、電車から逃げるように降りていった。


帰り道、駅から歩いて5分の良物件への道のりの途中のコンビニで、いかにもといったケバい女子とガタイ

のいい男子がいちゃいちゃしていた、見せつけるように、24年間独り身の俺に見せつけるように。

「はぁ…、幸せな奴はみんな死ねばいいんだ…。」

もちろん本心ではない、嫉妬という名の嫌味だ。

虚しい、そんなことを考えても何か起こるわけでもない。

そもそも自分の立場を考えてみよう。

出生から幼稚園入学まではなんのドラマもない。

小学校入学、両親離婚。

親父の暴力が原因なのに、なぜか俺は親父の元へ残されてしまった。

このころの俺は何も知らず、明るく振る舞っており学校でも少々有名人。

中学校入学、親父の突然の病死。

酒が原因だ、それ以外は何も知らない。

必死に家事をやってた俺は誰の手を借りることなく一人暮らし開始。

生活に余裕が無いため付き合いが悪い奴と友人から罵られるようになり、クラスで浮き始める|(一人暮らしのことは友人たちには伝えなかった)

高校入学、悪評千里を渡る。

付き合いが悪く愛想も悪い陰湿な奴、そういったものが俺の評価だ|(正確には、誰かと遊んでいる時間が無く、毎日バイトが遅くまであったため眠くて誰に対しても適当な態度をとっていた、ということなのだが)

無事普通科の進学校を五年目で卒業、そしてサラリーマン生活を四年続けており、現在無職で浪人。

「波瀾万丈すぎる人生送ってるな…。」

結局のところ大概は自分の決断力、行動力不足が招いたものなのだけれど、それには触れないでおこう。

「人生の転機、来たれー。」


そんな間抜けな声を出していた自分に、衝撃が訪れた。

女の子が、それもこんな時間に見合わぬおとなしそうな子が、1人で公園のベンチで悩ましげに座っているではないか。

黒い少々長めでふわふわした髪、そろそろ夏も終わるというのに薄手のワンピース一枚といった、変わった格好だった。

(こういう状況は男としてナンパするべきなんだろうけど)

好機と悟りながらも帰ることに「こんな時間に1人で居たら危ないぞ」した。

思考よりも先に口が動いてしまった、反抗期なのかな。

こうなってしまったら仕方ない、と俺はその子の元へと近づいていく。

近くで見ると随分顔立ちも整っている、自分とはますます無縁な世界の人間なんだろうな、と自分に皮肉を思った。

少女がすうっと顔を上げ、警戒心丸丸だしの目でこちらを眺めていた。

無理もないな、怪しすぎだろ俺。

「…っくしゅ」

口を開いたと思えば少女はいきなりくしゃみ、なんだ寒いんじゃないか。

「あー、ええっと。…怪しいよな、俺。」

こくり、と少女は頷く。

「そんなはっきり肯定されると流石に傷つくな…。」

ああもういっそ死んでくれ、軽率な俺よ。

「…でも、悪い人じゃない、と思う。」

可愛らしい声で、そんなことを言った、俺は心底度肝を抜かれた気分だ。

そんなことを言ってもらえたのは、うまれてこのかた初めてだった。

「そ、そうか?いやいやお兄さん何しでかすか分からんよ?不審者かもしれんよ?」

そこまで言うと、少女はクスクスと小さく笑い、「…やっぱり、悪い人じゃない」と、少しだけ柔らかな笑みを浮かべ、俺にそういった。

「そいつはどーも…、酒入ってるから変にテンション高いんだよ…。」

それはそうと、と話を戻す。

「家、この辺なら送っていこうか?」

そういうと、少女はふるふると首を横に振った。

「…お家、無いの。」

少女が悲しそうにうつむく。

「あー、じゃあ俺の家、来るか?」

言ってから気付く、これでは不審者じゃないかと。

「い、今の取り消「…うん、行く。」」なんだって!?

言い切る前に少女は立ち上がって、嬉しそうにこっちを見ていたのだった。


「どうぞ、なんにもないことは無いけどゴミしか無い部屋でごめんな。」

遠慮しがちに部屋にあがる少女に座布団を渡し、テーブルを真ん中に対面するように座る。

「とりあえず、自己紹介しておこうかな。俺は多可タカ ホマレ、タカって呼んでくれ。」

…うん、と頷く少女。

「君は?」

自分からは名乗らなさそうなので手助けを入れる。

「…大空、明日オオゾラ アス。アスって呼んで。」

アス、か。

「自分が言うのもなんだけど、区切り悪い名前だな。」

そういうと、アスはこくりと頷く。

「それで、だ。君は家が無いんだって?」こくり。

「何か事情があるのか?」こくり。

「それは、俺には話し辛いか?」ふるふる。

なんだか事情聴取してるみたいでいたたまれない気持ちになってきた。

「…まあ、今日は疲れてるだろうし、俺の布団使いな。俺はそこらで雑魚寝するからさ。」

アスが返事をする前に寝転がり、眠りにつくことのにした。

布団は朝から敷きっぱなしだし、平気だろう。

後ろから小さくありがとう、と声がしたが聞こえていないことにた。

やば、風呂入ってないし服も仕事着のままだ。




朝、体のあちこちが痛むのを必死に耐えて、アスを起こさないようにして、朝食の準備を始める。

「…ん、んん。」

アスが寝返りをうつ声に若干驚きながら、いつも通りのラインナップをテーブルに並べていく。

「ふう、こんなもんかな。アス、起きろ、飯だぞ。」

その言葉に反応して、アスは大きくあくびをしながら体を起こした。

「…これ、タカが作ったの?」

男の飯なんぞ酷いものだと思いこんでる奴、見返してやるぞ。

「伊達に中学時代から一人暮らししてないさ。」

自慢げに言い、口に卵焼きを運んでいく。

先に食べてやるとなんか警戒させてたとき有効だしね、自分の飯にまで毒を盛るアホは流石にいないと思うが。

「…いただき、ます。」

おそるおそる口に運び、咀嚼。

「…おいしい。」

そりゃあ良かった、と俺は手短に返事し、米と味噌汁を胃に流し込む。

「ん、頬に米粒ついてるぞ。」

そういって手を伸ばしたとき、アスはビクッと体を震わせた。

「…、すまん、無神経だった。」

アスはふるふると首を左右に振り、あなたのせいじゃない、とつぶやく。

「…男の人が笑顔で手を伸ばしてきたとき、良いこと無かったから。」

…そうか、と呟き、不意打ちがてら頭を撫でてやった。

「俺はお前にひどいことなんかしない、不幸だったもの同士、仲良くしようぜ。」

…うん、とアスが頷き、真剣な顔をした。

「…私、死ねないの。」

…ふーん、としか返せなかった。

真面目に聞いていないわけではない、しかし、それ以外の言葉では返せなかったのだ。

「…神様って、信じる?」

傍から聞いたら素っ頓狂な台詞だ。

それでも、なぜか現実味があって不気味だ。

「信じてないことはないけど、信じたくない。」

神がいるなら俺たちはまだ幸せだっただろう。

「…私のお父さんは神主だったの。」

「神主って言えば、神社の?」

こくりと頷いて話を続ける。

「…私のお父さん、謎の病にかかってね、神社の経営は不可能だったの。それで神木を切り倒すことになって、神社内最後の血統の持ち主の私が木を切り倒したの。」

…それから?と俺は相づちを打つ。

「…私は、呪われちゃったの。」

そういうと服を上にあげ、腹部についた傷を見せてくる。

「…!」

俺が驚いたのは無理もないはずだ。

腹部には、まるでトラックと正面衝突したような痣があるのだ。

「…死にたいと願うほど、死ねなくなる呪い。」

いつもの俺なら馬鹿らしいと切り捨てて終わりだっただろう。

しかし、今の俺は自分でもよく分からない感情に支配されていた。

「…つまり、死にたくないと願わない限り呪いは解けないってことか?」

目の前の、自分よりも不幸な少女を、切り捨てることなんてできなかった。

「アス、支度しろ。お出かけだ。」

会話を強制的に終了させ、俺は普段着に着替え始める。

アスが若干赤面していたが、気にしない。

「…どこ行くの?」

「今日一日、お前を満足させてやる。」

それも、呪いが解けるくらいにな。


「ありがとうございましたー。」

愛想笑いの店員に一瞥もくれることなく、俺は財布の中を確認した。

「いらない本とかCDとかDVDとか、どうしてこんなに大金になるほど無駄遣いしてたんだろうな…。」

余裕がないにしても娯楽は欲しい、結果、リサイクルショップに売りさばいたところ、6万に至った。

この後のことを考えている時も、アスが後ろからちょこちょことついてきた。

小動物みたいで可愛らしい。

「じゃあ、アス。行ってみたかったところとかあるか?」

「…え、ええと。そんなに急に言われても。」

なんだがいじりがいがある。

「じゃあ、とりあえず水族館でも行ってみるか。」

…水族館?とアスが聞き返してくる。

「こういうときは遊園地が一般的な流れだけど、セオリーって嫌いだし、俺が水族館好きだし。」

そういうと、アスがふふっと小さく笑った。

「アス、笑うと可愛いんだからさ、もっと笑おうぜ。」

素直な感想を述べると、アスは真っ赤になった。

「…善処する。」

結局それから、アスは終始俯いていた。

はて、何か怒らせることを言ったかな。

「アスはさ、この街にいつからいるんだ?」

そっと話題を変えることにした。」

「…先週。」

「そうか先週かー、…最近だな。」

驚いた、といったら嘘になる。

思えばこのような目立つ子ならどこかで見ていてもおかしくない上、そんな子を見て覚えてないはずがない。

「じゃあ、俺がこの街の良いところを目一杯教えてやる。」

俺は大人として、この子を助ける義務がある、気がする。

そっと片手を差し出すと、おどおどしながら手を握ってくれた。

「手握ってくれてありがたいよ、ごめんな。」

俺そう告げると、アスは上目遣いでこちらを見てくる。

「…なんで、謝るの?」

「水族館着いちゃったんだ、財布取り出したい。」

我ながら雰囲気ぶちこわしである。

アスは、繋いでいる手と、俺の財布の位置を確認し、右手を繋いだままじゃ財布を取り出せないことを察したようで。

「…じゃあ、こっち。」

と、俺の右側から左側へ移動した。

そういうことじゃなかったんだけどな、恥ずかしいんだよ、やっぱり。

「大人二人。」

アスを放置するようにチケットを買い、そのまま入場する。


「…お魚、いっぱい。」

感心した様子で水族館をぐるりと見渡すアス。

一方俺はというと、水族館に感激する歳でもないためボーッとアスを観察していた。

水族館には始めてきたんだろうな…、反応を見るからに、俺はそう感じた。

生まれてすぐに神社の巫女、として色々させられていたのだろう。

父親の話をするとき表情が曇っていたような気もするし、あまり娯楽は与えてもらえなかった、と考えていいだろう。

自分はそれに比べてみると、ゲームもある程度やってたし、あんな父親でも出かけたりした。

不幸だと考えていた俺の人生は、アスからすれば幸福だったのかもしれない。

「…タカ、どうしたの?」

考えごとをしていると、アスがこちらをジッと見ていた。

「いや、何でもない。」

こんな弱気な俺をアスに見せて不安にさせたらどうするんだ。

「じゃ、今十時だから、一時くらいまで回ってこいよ。俺はここで待ってるからさ。」

俺が本心面倒だったため座りながらそういうと、アスが俺の腕にしがみついて来るや否や

「…タカと一緒がいい。」

といった。

「しょうがないな、とでも言うと思ったか。」

軽くアスをデコピンし、すっと立ち上がる。

「今回は特別についていってやる。」

アスがふわっと微笑み、俺の腕から離れ、代わりに先ほどのように手を握ってくる。

歩きにくい、というと、じゃあ私がリードしてあげる、といって手を離そうとはしなかった。


結局、一周だけで飽きなかったアスとイルカショー、餌やり体験などもまわり、気がつけば日が暮れていた。

「…次はどこ行くの?」

まだまだ遊び足りないとは思っていたが、ピンピンしてるとは思ってなかった。

「次で最後だ、今日のところはな。」

しょんぼり、そんな音が聞こえそうなアスをつれて、水族館の外にある観覧車へとたどり着いた。

「これ乗ったら帰るか。」

むー、とアスがうなったがアスの返事など聞いていない。


順番待ちなど皆無なほどガラガラの観覧車に乗り込み、座席に座る。

「…、なぜ隣に座る。」

観覧車で二人ならせめて向かいに座ってくれないとバランスが悪い。

「…私、不安だったの。」

隣にちょこんと座ったアスが唐突に口を開いた。

「…今まで男の人が優しくしてくれたとき、ろくなことが無かったの。」

「それはまた大変だったな。」

「…タカは、私に優しくしてくれた。だから何かされるんじゃないかって、ずっと怯えてた。」

「そんなことする勇気はない。」

「…タカは、優しいままだった。」

「俺は、優しいからな。」

「…嬉しかった。楽しかったよ、今日。」

「それはよかった。」

「…タカ、有り難う。」

アスは、涙を流しながら俺の方を見ながら微笑んでいた。

「…アス、見てみろ。」

?、と首を傾げ、涙を拭きながら俺の指さす方向を見た。

「…すごい、綺麗。」

俺の指先の景色は、俺が住んでいるこの街を、全て写すものだった。

「これを見せたかったんだ、俺の街だからあんまり見たくもないだろうけどさ。」

「…そんなこと、ないよ。綺麗だよ、タカの街。」

またもや目一杯の笑顔だった。

俺はぎこちない微笑みを、アスに向けた。


「…疲れたね。」

水族館からの帰り道、俺たちは並んで歩いていた。

傍から見たら、どう見えるだろうか。

「…家族、かな。」

?、と首を傾げるアスに、慌てて何でもない、と誤魔化す。

「まったく、徒歩で行った俺たちが悪いんだが、遠いな…。」

家の鍵のストラップに指を通し、ぐるぐる回しながら歩いていた。

「っとと。」

ふとした拍子に道路側に落ちてしまった鍵、それを拾いに行きながら、どうでもいいことを考えていた。

(こういう時って、大概車が突っ込んでくるんだよな)

「タカ!」

アスが初めて大きな声を出した、とかどうでも良い感想は置いておこう。

やはり、車が規定外な速度で突進を仕掛けてきた。

「よっと。」

俺は後ろに下がって、反対車線へ逃げた。

けたたましいクラクションに耳を塞ぎ、アスの方向へ歩いていこうとしたときだった。

俺が逃げた方向に、トラックが来ていたのだった。

気付けずに立ち尽くしていた俺を、何かが突き飛ばした。

アスだ、さっきの車が来たときから駆けつけていたらしく、タイミングがピッタシだった。

迫ってくるトラックとの距離がもう殆どないことなんて見ていなかったからなのか、俺の体は意に反して予想外の動きを見せた。

とっさにアスの腕を掴み、抱き寄せ歩道まで飛んだ。

直後通り過ぎるトラックに冷や汗をかきながら、俺の宙に浮いたままの体は地面に叩きつけられる。

顔をしかめながらも、俺の上に収まっているアスの安全を確認し、すーっと息を吸った。

「ふざけるなよ!」

アスの体がビクッと震える。

「さっき、自分を犠牲にしようとしただろ?」

「…私は、死なないから。」

「死なないからって痛い思いをして他人を助けて良いことだと思ってるのか?」

「…タカが、死ぬくらいなら。」

一歩も引かない、互いに強情だ。

「お前が傷つくところを見てまで助かる気は無いんだよ!」

「…!」

「もういい、帰るぞ。」

観衆の間をくぐり抜け、家を目指す。

アスも、俯いたままついてきていた。


「ほら、晩飯。…さっきは怒鳴って悪かったよ、助かった。」

ハンバーグをテーブルの上に並べ、非礼を素直にわびる

「…私も、命を粗末に扱っちゃったから。」

「俺も、悪いのは俺なのについつい気恥ずかしくてアスに当たっちまった。」

言い終えると二人して笑った。


そして俺たちは、また眠りについた。

「…タカ、私、今幸せだよ。」

澄んだ声は、誰にも届くことなく消えていった…。


「おはようアス。」

「…おはよう、スーツなんか着てどうしたの?」

そう、俺は今サラリーマン時代を思い出してスーツを着込んでいる。

「秘密だ、じゃあ暫くおとなしくしててくれよ。」

家を出ようとすると、アスが腕を掴んできた。

「ごめんな、寂しいかもしれんが我慢してくれ。」

アスの腕をふりほどき、俺は自宅をあとにしたのだった。



「すいません、ミスをした上に勝手に辞表なんて出してしまって。もう一度だけ、働かせてください!」

俺は失業した(正確には辞表を出した)会社の上司に土下座をしていた。

理由は簡単だ。

アスとともに生活していくなら金が必要になる。

まだ給料も残っているものの、じきに尽きる。

ならなくなる直前に悩むくらいなら早めに対処しておこうとおもったのだ。

「…なにが君をそこまで動かせたのだろうな。」

「え?」

上司は改めて俺を見、

「前までの君なら、絶対に頭を下げなかった。プライドが高くて私も取っ付きにくかったのだ。」

少し微笑んだのだった。

「三日後、もう一度来てくれ。そのときに君の決意を聞こう。」

「三日…。」

「私には十分すぎる時間だ、しかし今の君には少し足りないかもしれない。」

決意を固めるのは、今はまだ早いんじゃないかな?その言葉の意味が俺には分からなかった。


「ただいま、待たせてすまんな。」

帰宅したものの、なぜか物音一つしなかった。

「アス?」

返事はなかった、しかし靴はあったから外出はしていないはずだ。

「アス、…アス!?」

そこにはアスがいた。

しかし、なぜだか苦しそうに倒れていたのだ。

近寄って顔をのぞき込んでみると、真っ青な顔で微笑み、お帰り、といった。

「たぶん、貧血だから大丈夫…。」

大丈夫なわけあるか、と俺は素早くアスを抱え布団に運んだ。

心配で頭を撫でてやると、呼吸のリズムが一定になってきた。

「…タカ、もう大丈夫だよ?」

「…、死んじゃうんじゃないかって、初めて思ったよ。」

親父が死んでも涙どころか泣き言一つもらさなかった俺にとって、大事な人が死ぬということが、どんなものか見当もつかなかった。

「…えへへ、私は死なないからへーきへーき。」

苦しそうに微笑んだアスを、俺は優しく抱きしめた。


「…寝たな。」

寝つけるるまで横にいてほしいと頼まれていたため横にいた俺は、深夜零時にとある決意を決めたのだった。

「…俺って、女に免疫無いから単純なのかな。」

それとは別に、俺は今日から日記を付けることにした。


次第に夜は、更けていった。


「…起きて、朝だよタカ。」

か細い声に小さな手が俺を起こしてくれた。

幸せって、こういうのなのかな…、と馬鹿なことを考えつつ体をゆっくり起こす。

「おはよう、アス。」

今日も出かけないといけないんだ、とアスに言い聞かせ、朝ご飯を済ませると手早く用意をし、家をでた。


「いらっしゃいませ。」

綺麗な店だったから、ついつい緊張してしまう。

「十号の指輪で、…これいいな。これを二つ買いたい。」

「おや、プロポーズなされるのですか?」

茶化したように笑う店員。不謹慎だぞ。

「まあそんなところだ。あ、俺は十号じゃないぞ。」

「かしこまりました、それではお客様の指のサイズを測らせていただきますね。」

こちらへどうぞ、その誘いがまるで新世界の扉を開くみたいに希望にあふれていた。

俺には結婚なんて深い言葉はわからない。

恋なんてありふれた言葉の重さもわからない。

失恋の恐怖だって知らない。

それでも俺は、明後日、アスにプロポーズしようと思っている。

出会ってまだ三日、四日だが、そんなの関係ない。

俺は表情が硬いから分からないかもしれないけど、いわゆる一目惚れって奴だったのだろう。


指輪のために貯めた貯金は、無情にもレジの中へと喰われていった。

「有り難うございました。」

内心ウキウキしていた俺は、反応の悪い自動ドアにぶつかりそうになりながら店をあとにした。

アスがどんな返事をしてくれるかなんてわかりもしなかったが、俺は将来設計まで完璧に建てていた。

バカバカしいと昔なら思っていただろうけど、今は違う。

俺がアスを幸せにするはずだったのに、気付けばミイラ取りがミイラだ。

今の俺はきっと笑顔なんだろう、こんな俺を見たらアスはまた笑うんじゃないかな。

そんな顔のままで家に帰ってきた俺の笑顔は、血の気とともに引いていった。

アス!、と俺が叫んだ先には、絨毯を真っ赤に染めるほど吐血したアスの姿があったのだ。





「原因はわかりません、病名、それすらも不明です…。」

「そんな…、あんたそれでも医者かよ!?」

倒れたアスは、確実に貧血ではないことは誰が見ても分かる。

アスを抱え走ってきたのは、都内でも有名な病院だった。

「私も医者として最善を尽くしますが…、もってあと三日。彼女が不死身でも無い限りは助からないと思います。」

彼女が、不死身でない限りは…?

そうだ、アスは死なないんだ。心配することは無いじゃないか…。

俺は安心しながらアスのいる病室へと向かった。

「…あ、タカ。」

そこには、儚げに病室の窓から吹く風に揺られている少女の姿があった。

「…俺、本当に怖かったよ。もってあと三日だって言われたとき。でもアスは死なないんだ。だから大丈夫だ、すぐ退院できるから我慢してくれよ?」

俺のそんな言葉を聞き、いつも以上にか細い声で、うん…、と言った。

結局俺は、面会時間ぎりぎりまでアスのもとへ居た。

死なないと言ったって、不安なものは不安なのだ。


「多可さん!」

俺が呼ばれたような気がしてそちらを向いたが、すぐに返事を返したナースがいたことから俺ではないと悟った。

が、しかし。

誰かに似ている気がしていた。

多可と呼ばれた、俺と同じ名字のナースが、どこか見覚えがあった。

「母さん…?」

とっさに呟いたのはそんな言葉だった。

小さいときに俺を親父のもとへ残し、一人旅立っていった母親。

覚えているはずもない、ない。しかし…。

その声が聞きたくなった俺は、もう少し近づいてみることにした。

「302号室の患者さん、あの神社の神主さんと同じ病状なんだって…。」

「そう、なの…。」

短い返事だったが、やはり聞き覚えがあった。

それよりも引っかかってしまったのが、「神主さんと同じ病状」だと言うことだ。

神主さんとは、アスの父親のことなのだろう。

それが本当なら、アスはすぐに死んでいてしまっていたんじゃないのか?

不死身じゃなかったら、本当に死んでいたんじゃないのかな。

そう思うと、不安で仕方なかった。

「あの、面会時間はすでに終了していますので、お見舞いの方ならすいませんが…。」

母親かもしれないナースが、俺に声をかけてきた。

「すみません、もう帰るつもりですので。それでは。」

一度も顔を見ずに、俺は病院から帰るとすぐに日記を付け、着替えることなく眠ってしまった。


あれは、紛れもなく母親なのだろう。



正午を告げるサイレンのかすかな音で目が覚めてしまった。

不気味すぎるほどに静かで寂しい目覚めだった。

「アス、は居ないんだったな…。」

しゃっきりしろ、と自分に渇を入れ、俺は病院の前に花屋へ向かった。


「お待たせ、アス…。」

俺が背中に花を隠したまま病室に入ると、アスは目一杯微笑んでくれた。

「これ、さ、見舞いに花。」

わあ、とアスが歓喜の声を上げた。

「クロッカスっていうんだ。綺麗だろ?」

「…うん、すごく綺麗。」

ありがとう、と言ってくれたのが、とても嬉しかった。

「なあ、アス。」

「…なあに?」

「アスは、俺のことどう思ってる?」

どうしても気になっていたのだ。

俺はアスが好きだ。

だけどもアスはどうかはわからない。

「…大好きだよ。」

「…そうか、俺もだ。」

そういって頭を撫でてやると、アスが若干赤面しつつ俯いた。

「…タカは、青春してるの?」

え?と素っ頓狂な声を上げてしまった。

「俺の青春はとうに過ぎ去ったさ。」

「…じゃあ、裏切られるのが怖いの?」

質問の意図が理解できなかった。

「…散々人生に振り回されてるんだ。今更なにも怖くないよ。」

怖いことは一つだけあった。

アスが、居なくなってしまうこと。

「…。」

アスは、外を見たままだった。

「…もう暗いんだな。そろそろ帰らないと。」

うん、また明日も来てくれる?という質問に対し「当たり前だ」、と返した。

なんたって、明日はプロポーズしようと決めていた日なんだ。


「面会時間は終了しましたよ?」

「わかってます。」

また母親に注意された。

「貴方、あの子のお見舞いに…?」

あの子というのが、アスのことだと、理解するのに時間はかからなかった。

「それが何か?」

「大事な人なんですか?」

敬語で聞いてくるとは、確実に俺の顔を覚えていないな、と察した。

「そうですよ、俺にとっては光そのものです。」

そう言うと、ナースはプッと吹き出した。

「…何がおかしいんですか。」

「いえ、すいません…。私は、大空さんの担当でよく話をするんですが、大空さんもあなたと同じことを言っておられたので…。」

「アスが、俺のことを?」

「あの人は、私にとって光みたいな人だったんです…。と。」

「光…。」

「辛いかもしれませんが、明日も来てあげて下さいね。」

「はい、勿論です。」

それでは、と母親はいってしまった。


家についた俺は、あることを思い出した。

「日記、病院に忘れちゃったな…、アスに明日のことしられてなかったらいいけど…。」

俺は別の不安を抱きながら、眠りについた。


やけに、この一週間は短く感じた。

アスという不思議な少女に出会い、幸せにしてやると宣言した俺。

結局彼女は幸せだったのだろうか。

俺の願いは届いたのだろうか。

届いていて欲しくはなかった。

だが、俺の予想が正しければ


アスの呪いは、解けている。



もってあと三日、と言われてからもうすぐ丁度三日がたつ、午後1時半。

俺はアスの側にいた。

俺もアスも、ずっと窓の外を見ていた。

「…ねえ、タカ。」

唐突にアスが口を開いた。

「…なんだ?」

俺は、アスの手をずっと握っていた。

「…私ね、貴方に出会えてよかったなあって、思えるようになったんだ。」

「…俺も、だ。」

葉が擦れる音ですら鮮明に聞こえるほど、静かだった。

「…貴方と出会えて、ほんとに短い時間だったけど、一生に負けないくらい楽しいと感じたんだよ。」

「…俺もだ。」

「水族館に行ったり、一緒にご飯食べた、これくらいしか出来なかったけど、一生の思いでにしたいの。」

「…おれも、だ。」

視界がぼやけてきたのは、おそらく気のせいでは無かった。

「…私ね、貴方といれて、楽しかった。」

「…あぁ。」

声を出すと、涙が出ていることが気付かれてしまう。

「…嬉しかったよ、一緒に観覧車に乗ってくれたこと。貴方が、トラックにひかれになったときに私が身を挺して守ろうとしたことに、怒ってくれたこと。心配してくれたこと。」

タカの街、ほんとに綺麗だった。と呟く。

「…アス、俺は、お前のことが」

「…私、幸せだったよ」

好きだ、と言い切る前にアスの手が、力なく垂れてしまう。


アスは、涙を流しながら動かなくなった。


「アス、アス…。アスぅ…!」

アスは、氷のように、冷たく美しい姿のまま、息を引き取ったのだった。

俺は、赤子のように泣きわめき、心配そうに様子をうかがっていたナース、母さんにすがりつくように涙を流しきった…。





「…こちらの日記は、貴方のですか?」

俺が落ち着いたのを見計らい、俺の日記を差し出してきた。

「…昨日、アスの病室に置き忘れてたんです。」

俺は日記を受け取り、つい二日前に書いた内容に目を通していった。

三日しかつけないはずだった日記は、不幸にも二日分しか書くことが出来なかった。

びっしりと張り巡らされた文字、二日間のこととは思えない量だった。

出会い、アスが見せた仕草、表情、思いでの全てを、書き記していた。

そして、最後のページに、子供のような字で書いている文字列を見て、俺は驚愕した。

『どうやったら、タカと結婚できるかな』

開いた口が、塞がらなかった。

アスと俺が同じ気持ちだったこと、それが何より嬉しかった。

枯れていたはずの涙は、俺の意に反してまた溢れだした。


アスは、自分が死ぬと分かっていたんだろう。

死にたいと願うほど死ねない呪い、死にたくないと願えばどうなのだろうか。

そして父親と同じ、謎の病気にはかかっていた。

死ねない体には病気は無いものと同じ。

死にたくない、幸せを願ってしまえば、病気は体をむしばむ。

恥ずかしい話だが、アスは俺のことが好きなんだと信じてやまなかった。

「少しだけ、アスに触れてていいですか?」

母さんはこくりと頷き、病室から静かに去った。

「…クロッカスの花言葉。俺が知ってるのは、『あなたを、待っています』。」

花瓶にさしてあるクロッカスを撫で、呟く。

「死なないやつなんて、絶対に居ないんだ。」

クロッカスの花弁が一枚落ち、床に落ちる。

「嘘、下手だったんだな。貧血なわけないじゃないか…。」

俺は、貧血だって言って倒れたアスを見て、遠くへといってしまうのではないか、と悟っていた。

「絶対にあり得ない、助かるんだって思いこんでも、俺は信じられなかった…。」

俺は、

「ずっと君を忘れない。」

忘れずに、前へと歩き始めるんだ。

手をそっと握り、俺は病室をあとにした。


「…。」

俺がいなくなった病室の前、一人のナースが泣いていた。

「…大きくなったね、大人になったね、誉。」

俺はその人と、二度と会うことは無かった。

俺自身が、会わないと決めたんだ。

会ってしまうと、今までたまっていた辛さが全て流れ出してしまうから。



「三日前とはまた違う決意をした目。」

上司は俺にそういった。

「若さ故の過ちの元。そして若さ故の進歩の兆しだ。」

「…それは、どういう意味でしょうか。」

それは、君自身が決めることなんだよ。と上司は言った。

「君は、ここになくてはならない人間だ。人としての辛さを知っているから、他人の痛みをわかってやれる。」

君は、もう決意を固めてくれたんだね。上司の言葉は、とても深い意味を纏っている気がした。

そして、三日前とは違う微笑みを向け、

「宜しく頼むよ、誉君。」

といった上司の顔は。今でも忘れない。



「多可さん、この後飲みに行きませんか?」

元気がいい若い社員が俺のもとへと駆け寄ってくる。

藤中とかいう新人社員だったかな、落ち着きがない奴だ。

「会社の中では多可所長って呼べと言ったろ。」

物わかりの悪い後輩の頭にチョップをいれる。

「すみません、所長。」

にへへ、と笑う顔はどうにも憎めない。

俺はあの後、所長に任命され、その二日後に後輩が出来た。

会社にとって俺は今無くてはならないとあの上司が言っていた。

正直あの上司の言うことは謎が多すぎて信頼できないが、そんなことは関係ない。

生きる気力をもらったから、俺はそれを無為にするわけには行かないんだ。

この後俺は、とある病院との間に大きな快挙を上げ、副部長に昇格することになるのだが、それはまた別の話。






あるところの病室に、死んでいるのか生きているのかすらわからない女性がおりました。

葬儀場へと運ばれてしまうことが決まりはしたが、死んでいるものだと誰も認識できませんでした。

女性は左手の薬指に綺麗な指輪をはめ、とても幸せそうに微笑んでいる姿は、まるで…

はい、ということで初投稿でございます。

特に書くこともないのですが、1つだけネタバレをすると

クロッカスの花言葉は、

「あなたを、待っています。」

「青春の喜び。」

「裏切らないで。」

自分が知っているのはこれだけでございます。


さて、ほかに書くことがないのでこれにて。

また会いましょう!

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