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ルナの小さな冒険

作者: 王太白

「早くしな」

愛子があたしをせきたてる声が、塀の上から聞こえる。あたしはその辺りの木とか箱とかを足がかりにしながら、塀の上に登ろうとするが、なかなか登れない。塀が高いというのもあるけど、何よりもあたし自身が運動神経ゼロなのだ。こんなことになるぐらいなら、普段からもっと鍛えておけば良かった…。今さらながら、自分のダラダラした生活が悔やまれる。あたしは十五年も生きてきて、今まで何をやってたんだろう…。女子校の寮から夜中に抜け出すことさえ、ろくにできないのだ。

「んもう、何やってんのよ。しょうがないなあ、あたしの手につかまりな。引き上げてやるから」

愛子が上から手を伸ばしてきた。あたしがつかまると、愛子が力をふりしぼって引き上げてくれた。

「しっかりしてよ、もう」

ようやく塀の上まで登ったあたしを、愛子がなじる。

「ごめんなさい」

あたしには、そのぐらいしか言えなかった。

「いいよ、もう。それより早く塀の外に降りよう」

そう言うと、愛子はさっさと塀の外に降りていった。あたしも愛子の後について、下に降りる。ふたりとも無事に降りたのを確認すると、あたしたちはお互いに腕を組んでガッツポーズをして、ニヤリと笑った。

「うちみたいな『お嬢さま学校』の連中には、夜の八時ごろに寮を抜け出すような『不良娘』なんかいないだろうねぇ。みんな、お嬢さまを絵に描いたような生真面目な子ばっかりだから。あんたは、寮から抜け出そうとするだけでも、度胸があるほうだよ」

愛子が少しうれしそうに言った。あたしも、うなずいて笑った。

「さあ、街へ遊びに行こう。レストランでごちそうを食べたりカラオケで歌ったりするんだ」

あたしたちは退屈な女子校の寮を後にして、街へくりだした。


 あたしの名前は、元木ルナ(もとき ルナ)。ある私立のミッション・スクールに通う、十五歳の女の子である。ただし、うちの学校は普通じゃない。中高一貫教育の女子校というだけではない。全寮制で、寮の門限は六時、消灯は十時、起床は五時、さらに五時半から講堂で聖書を朗読し、神父さまの講話を聞き、賛美歌を歌う。その後、朝食を食べ、普通の学校と同じように授業がある。育ちのいい娘ばかり集めて礼儀作法と教養をたたきこむ、伝統重視の学校なのだ。あたしだって十二歳でここに入ったときは、それなりに勉強し、本も読んだのだが、最近この学校がイヤになってきた。真面目に勉強するのに疲れたのだ。それに、本にも興味が持てなくなった。だいたい、「世界の人々は、お互いに愛しあわねばならない」とか、「暴力では何も解決しない。暴力を使わずにもめごとを解決しろ」とか言うけど、その言葉を本に書いたやつに聞いてみたい。「おまえは本当にそんなことができるのか?」と。あたしも普段からできるだけ腹をたてないようにしているつもりだが、怒りが心の奥でフツフツとわきあがるとき、どうすればいいのか。他人を恨み、ねたみ、衝動的にけんかをしてしまうとき、どうすればいいのか。「他人を嫌う本当の理由とは、ねたみである」と、どこかの本に書いてあったのを覚えている。インド独立運動の指導者で、非暴力主義者として知られているマハトマ・ガンディーでさえ、「非暴力は暴力より優れている。でも、私は非暴力によって奴隷となるインドよりも、暴力によって自由になるインドを望む」と言っているぐらいである。明治時代の革命家、幸徳秋水も、最初こそ、「暗殺と爆弾は十九世紀の遺物である」と言って、武力革命を否定したにもかかわらず、政府による弾圧で投獄された後に、明治天皇暗殺計画をもちかけられると、「これからは、そういう人間も必要になるかなぁ…」とつぶやいて、暗殺計画に賛同しているぐらいである。十九世紀のロシアで「ナロードニキ」と呼ばれた革命家たちも、そうだった。彼らは、「テロリズムは、あらゆる政治闘争の中で最悪の手段である。だが、それは奴隷的屈従よりはましだ」と主張して、積極的に反政府テロを推進した。世界に名だたる文豪であるドストエフスキーも、「世界を愛する者は、隣人さえも愛さない」と小説の中で書いている。愛や非暴力で、もめごとが解決すると信じているやつらは、他人から攻撃されたことがないのだ。他人と深くつきあわず、いつも距離をおいてつきあっているのだ。自分の気持ちを他人とぶつけあったことのないやつは、悪意がどういうものなのかを知らない。そんなやつに何がわかるというのか。そう考えたとき、むしょうに学校から飛び出したくなった。

それからのあたしは、勉強も手につかず、一人で悶々としていた。こんな抽象的な理屈ばかり習って一体何の役に立つのだろう。興味もわかないし、勉強する目的もわからない。親や先生は、「勉強さえできれば、いい大学にも入れるし、就職や結婚にも有利だ」と言うが、自分の将来の就職や結婚のためだけに勉強するのなら、まっぴらだ…。だいたい、いい会社に就職したり、金持ちで家柄の申し分ない男と結婚したりすることが、そんなにいいことなのか…?

ちょうど、そんなときだった。寮で同じ部屋の上条愛子かみじょう あいこが声をかけてきたのは。

「ルナ、あんた、学校が面白くないんでしょ。学校で習ってることを頭が受け付けなくなったんでしょ。顔に書いてあるよ」

痛いところをつかれて、あたしはびっくりした。

「別に隠さなくてもいいよ。あたしだって似たような気持ちになったことがあるもん。あんた、今、寂しさと虚しさで心がいっぱいなんでしょ。真っ黒な闇に押しつぶされそうなんでしょ」

あたしは背筋が寒くなるのを感じた。かつて優等生だった自分が心の奥にしまいこんで表に出さなかったことを、自分で認めたくなかったことをズバリと言われてしまった…。

「そう、にらまないでよ。ルナを嘲笑うつもりで来たんじゃないんだから。あたしが言いたいのは、夜中に寮から出て街へ遊びに行かないか、ということよ」

以前のあたしなら、間違ってもそんな誘いに乗ることはなかっただろう。しかし、あのときのあたしは、心が渇いていた。心を潤してくれる水が欲しかった。何か新鮮なワクワクするようなことを体で感じたかったのだ。こうして、あたしたちは寮から抜け出した。部屋のベッドには大きな人形を入れて、二人とも寝ているように見せかけながら。


八時すぎの街は、あまり人が多くなかった。飲み屋、予備校などは、わりと人が多かったけど。毎日、家族を食わせるために遅くまで働いて、その後で一杯飲むのを楽しみにしてる大人たち……将来、いい会社に入るために必死で勉強してる受験生たち……それに較べると、あたしたちの悩みなんて、ちっぽけなものだと、不思議と思えてくる。

「この定食屋で何か食べようよ。ここ、安くておいしいんだよ」

愛子があたしを誘った。ふと見上げると、看板がかかっていて、中から美味そうなにおいがただよってくる。あたしたちは、においに引かれるようにして定食屋に入った。

店内は客が大勢いた。けっこう繁盛しているみたいだ。

「ハンバーグ定食くださぁい」

空いてる席にすわると、すぐに愛子が声をあげる。あたしは、しばらくメニューをながめてから、アジフライ定食を注文した。

しばらくして、店員が運んできた料理を食べてみて、あたしは大満足だった。寮のまずい食事に比べて、格段に美味いのだ。(こんなことを言うと、寮のおばちゃんに悪いけど)「すごくおいしいよ」

「来てよかったでしょ」

愛子と談笑していると、気分が晴れてきた。たまには学校や寮の規則にさからってみるのもいいもんだ。あたしたちは時間のたつのも忘れて話し続けた。


どれくらい時間がたっただろう。ふと、あたしが顔を上げると、あたしたちの席のすぐ横を、団体客が通り過ぎるのが見えた。その連中の顔の異様なこと、ひげもそらずに伸び放題にしているやつ、髪がボサボサのやつ、目が飢えた獣のようにギラギラしてるやつ、そんなのばっかりだ。服装にしても、ヨレヨレの服ばかり着てて、しまりがない。こいつらがまともじゃないのは、一目でわかる。一体、何の団体だろう。想像したくもない。そう思って、あたしが目をそむけようとしたとき、見覚えのある顔が目に入った。太っていて、髪とひげがぼうぼうに伸びていて、大きなメガネをかけた男。間違いない、椎葉四郎しいば しろうだ。あたしが小学校のころ、よく一緒に遊んだ近所のお兄ちゃん、四郎だ。その後、四郎は遠くの進学校に通うために引越してしまい、あたしも全寮制の女子校に進んだので、もう何年も会っていなかったのだ。あのころの知的でりりしい四郎とは似ても似つかない姿に変わり果ててしまったが、それでもあたしには一目でわかった。四郎兄ちゃん、あたしと離れている間に一体どうなってしまったの…。あたしはぼうぜんとして、言葉が出てこなかった。そのとき、四郎があたしのほうを見た。

「ルナ…、ルナじゃないか。久しぶりだなぁ…」

何か訴えかけるような目で、というか、何となくいやらしい目つきで、あたしを見て言った。

「いやあああ、あんた、誰よぉ。あたし、あんたなんか知らない」

あたしは猛烈な吐き気と嫌悪感にさいなまれながら叫んだ。小学校のときの思い出が、ガラガラと音をたてて崩れていく。これが、あたしが実の兄妹のように遊んでいた四郎兄ちゃん?内気で友達の少ないあたしにいろいろなことを教えてくれた四郎兄ちゃん?違う。こんなやつが、あの四郎兄ちゃんであろうはずがない。あたしの知ってる四郎兄ちゃんは、もっとりりしかった…。

「ルナ、俺だよ、椎葉四郎だよ。覚えてねえのか」

四郎の顔に、動揺の色が浮かんだ。それが、恨み、ねたみ、悲しみ、憎悪の入りまじった表情に変わるまでに、時間はかからなかった。

「そうかよ…、ルナ…、おまえまで俺をそんな目で見るのかよ。くそったれ。おまえらは皆そうだ。俺の成績がいいときは媚びへつらうくせに、一度下がり始めると手のひらを返したようにさげすむんだ。そうだよな、『長いものには巻かれろ』『泣きっ面に蜂』とは、よく言ったもんだ。しょせん、この世は、そんな薄汚いやつらばかりなのさ。そいつらが皆でグルになって俺をいじめるんだ。俺の気持ちなんて、誰もわかってくれない…」

吐き出すように言うと、四郎はあたしの襟首をつかんで押し倒した。

「きゃああ、何すんのよ、変態」

あたしは四郎を払いのけようとしたけど、腕力が違いすぎて、どうにもならなかった。「こらぁ、ルナに何すんだい、この変態野郎」

愛子が四郎につかみかかろうとしたが、他のやつに取り押さえられてしまった。四郎があたしを押さえつけている間に、誰かがあたしの後頭部を何か硬いもので殴った。あたしはそのまま気を失ってしまった。


 どれくらい時間がたったろうか。頭がズキズキ痛む。その痛みで目が覚めた。どうやら、手足を縛られているみたいだ。まわりは真っ暗で何も見えない。ここはどこだろう。愛子はどうなったんだろう。どこからか、話し声が聞こえてきた。隣の部屋からだろうか。

「四郎、何ということをしてくれた…。組織からの命令が出てないのに勝手に女を誘拐してきて、ただで済むと思ってんのか」

男のどなり声が聞こえる。

「申し訳ございません。つい、頭に血がのぼって…気がついたら…」

「言い訳など聞きたくないわ。この始末をどうつける気だ。貴様が起こした不祥事のために警察が動き始めているんだぞ。組織が革命の準備を進めていることが警察にばれたらどうするんだ?」

「…それは…その…」

「まあ、やってしまったことは仕方がない。そのうち、組織から命令が出るだろう。それより、あの女を組織の構成員にしてしまえ」

「ルナを、ですか」

「そうだ。ついでに、もうひとりの女もだ。逃げられて組織の事情を警察に話されたら、やっかいだ。構成員にできないのなら、殺せ」

「わかりました」

「よし、これで今日のミーティングを終わる。偉大なる革命家『ネチャーエフ』に対し、敬礼っ」

「……」

 ちなみに、(あたしの知ってる範囲内だと)ネチャーエフは十九世紀のロシアの革命家で、革命組織を史上最初に作り上げた人物だと言われている。「細胞」という五人組の末端組織を作り、細胞間の横の連絡を断ち切り、上部の機関からの指令を受け取って命令通りに行動させるだけに終始させることで、組織の上部の機密情報が警察に漏れるのを防いだというのだ。革命に対する、その真摯な行動は、同時代の革命家バクーニンをして、「神なき信者」「言葉なき英雄」と言わしめたほどである。現に、ネチャーエフが監獄にぶちこまれた際に、仲間が裏ルートで監獄内のネチャーエフに会い、「我々は皇帝の暗殺を計画しているが、皇帝を殺せば監獄の警備は強化され、あなたを脱獄させられなくなる。かと言って、あなたを脱獄させれば、皇帝の警護は強化されて暗殺は不可能になる。あなたを脱獄させるか、皇帝を殺すか、選んでほしい」と問うた際に、ネチャーエフは迷わずに、「私のことはいいから、皇帝を殺せ」と言っている。もっとも、組織の結束を守るために、組織のやり方に疑問をいだいて組織から抜け出そうとした仲間を、皆で殺害するなど、残虐な一面もある。(この点は、『人をいじめる理由』として、『誰か一人をグループ全員でいじめることで、グループを団結させることができるから』と答えるいじめっ子グループと酷似している)

 ちなみに、後にロシアの十月革命を成功に導いたレーニンも、ネチャーエフを賛美し、彼の革命のやり方を踏襲しているぐらいである。

「ついでだが、ネチャーエフは、『革命の遂行のためには、仲間が警察に捕えられても、見捨てねばならぬことがある』と本に書いてあったのを忘れるな! これは、四郎、おまえが捕らえられた場合にも言えることだ!」

「…はい…」

「では、解散」

大勢の人の足音が聞こえる。とにかく、こいつらがヤバい連中だということは、はっきりした。どうやって逃げたものか。あれこれ考えていると、ドアが開いて、誰かが明かりをつけて、入ってきた。全部で三人、そのうち一人は四郎だ。後の二人は知らない。四郎が口を開いた。

「ルナ、おまえだけは俺のことを理解してくれると思ったのに…。高校になじめずに不登校になった俺の気持ちを理解してくれると思ったのに…」

「ちょ、ちょっと、四郎兄ちゃん、何があったのか知らないけど、有名な進学校でしょ。なんで不登校なんか…」

「高校の勉強になじめなかったんだよ。うちの高校は、社交的で勉強もできる生徒ばかり集まっていた。皆、毎日何時間も遊んでいながら、俺と同じぐらいの成績、いや、それ以上の成績をとっていた。俺みたいに趣味や話題の少ない人間にとっては、全くなじめない連中だった。勉強も中学校に較べるとハードで、要領の悪い俺にとっては、きつかった。そんな俺に対して、あの連中が向ける軽蔑と哀れみは、我慢できなかった」

 四郎がそんなことを考えていたなんて、意外だった。昔の四郎兄ちゃんは読書家だったし、いろいろなことを知っていた。あたしが興味を引かれることは、けっこう知っていたのだが…。ただ、あたしたち二人とも、社交的ではなかった。外で遊ぶよりも、家の中で本を読んだり絵を描いたりするほうが好きだった。それだけに、他人の趣味や考え方を、心のどこかで軽蔑したり拒否したりするところがあったのかもしれない。そんな四郎にとって、努力せずに何でもできる「秀才」型の人間、自分に無いものをたくさん持っている人間は、ねたみと憎悪の対象だったのだろう。

「それで、いつの間にか不登校になってしまった。家にひきこもっていると、自分がみじめに感じられて、それに較べて他のやつらが幸せそうにしているのが憎たらしくて…。そのとき思ったのさ、俺みたいにみじめな人間を作り出した世間に復讐してやろうってね。それで、近所の大学生が作った、この革命組織に出入りするようになった。ここの連中は皆、学校で落ちこぼれた元優等生さ。皆、革命のために死ぬつもりだ。組織にすべてをかけているんだ。俺たちの気持ちを理解せず、軽蔑したやつらを地獄にたたきこんでやるためにな」

 後で聞いた話だが、その大学生は某私立大学人文学科の二年生で、「兄弟の中でひとりだけ出来が悪い」と、親に言われ続け、ヤケクソになった挙句の果てに、親兄弟や世間に復讐しようとして組織を作ったそうだ。

おまけに、「俺みたいなつまらない人間は、どこかの国に拉致されたほうがいい!」などと言い始め、北陸のほうに上陸してきた北朝鮮の工作員にわざと捕まって、自ら北朝鮮に行き、金正日に会い、「偉大なる首領様を慕って、資本主義の害毒に染まった日本帝国主義から逃亡してきた、勇敢なる兵士だ!」と絶賛されたうえに、北朝鮮の尖兵として、金正日から組織の資金と武器を提供され、日本に再上陸してきたのである。彼は、1970年代に日本中を震撼させた赤軍派のように、北朝鮮の援助によって、日本の国家権力に挑戦しようとしたのである。彼らにとって赤軍派は崇拝の対象でさえあったのだ。(もちろん、金正日が日本をかく乱するための捨て駒である。ボロっちい拳銃などの他に、装備らしい装備は供与されていない。彼らは、そのことを熟知していながら、わざわざ北朝鮮の尖兵になったのだ)

彼らの理論をかいつまんで引用すると、

「我々は現代の革命軍である。この世には、生まれながらに天賦の才能や実力を持てる者と、持たざる者とがいる。我々は、持たざる者の側だ。

 この世には、四つの階級がある。

第一階級:民間企業でのしあがっていける者

第二階級:公務員なら何とか勤まる者

第三階級:医者か教師しか勤まらない者(いわゆる『でもしか教師』も含まれる)

第四階級:何の職にも向いてない無能者

である。我々は第四階級だ。この世とは、第一階級が第四階級をして、第一階級の後塵を拝せしめて、第四階級には、ほんのお情け程度の分け前を与える仕組みになっている。第四階級であるからには、こんな我々でも生活できるようにするための社会革命を起こす権利と義務がある。これは、持てる者と持たざる者との社会戦争だ!」

である。要するに、まともに働けて社会で尊敬されてるやつらが、とことん憎たらしいらしい。

「ところで、ルナ、俺たちの組織のことを知った以上は、組織の構成員になってもらう。俺たちと一緒に革命のために死んでくれ。いやだと言うのなら、今ここで死んでもらう」

 冗談じゃない。あたしだって学校がイヤでたまらないけど、こんな若いみそらで死ぬのはまっぴらだ。だいたい、こんな狂気じみた連中と一緒に死んだりしたら、あたしまで狂人扱いされてしまう。あたしが迷っているうちに、四郎の隣の男がナイフを抜いた。こいつら、本気だ。目が憎悪に燃えている。特に四郎の目は、憎悪で赤く血走っていた。

「どうした、ルナ、おまえも結局、俺を理解してくれないのか。俺たちを嘲笑うのか。おまえもその辺りの傲慢なやつらと同じなのか」

「四郎兄ちゃん…どうしてそんなに荒んだ目をしてるの…どうしてそんな乱暴なことを言うの…。昔はもっと優しかったよ。あたしの大好きだった四郎兄ちゃんは、優しくて知的で…」

「言うな。それ以上言うなあああ!」

 四郎の絶叫が響き渡る。目つきが一段と険しくなった。ふいに、四郎の手が伸びてきて、あたしの首をつかんだ。

「うぐっ…、な、何を…」

そのまま、ものすごい力で締め上げる。手足を縛られているあたしには、なす術もない。

「おまえなんか…おまえなんか…死ねええ…!」

 その後は、もう言葉になっていなかった。四郎の顔は、既に狂人の顔だった。あたしは痛みと息苦しさのためにだんだん薄れていく意識の中で、四郎の寂しさ、孤独を感じたような気がした。


 気がつくと、病院のベッドの上だった。

「ルナ、あたしよ。わかる?」

 愛子が心配そうにあたしの顔を覗き込んで言った。あたしは愛子のほうを見て、うなずいた。

「よかった。ごめんね、あたしがルナを誘ったりしなければ、こんなことには…」

 愛子はあたしに抱きついて泣きじゃくった。

「このホートー娘、さんざん親に心配かけおって…」

 泣きながら叱りつける両親の姿もあった。父も母も、わざわざ仕事を休んで、あたしのために駆けつけてくれたのだ。自分が、いかに両親に対して申し訳ないことをしたか、しみじみと感じた。

 後で聞いた話では、あたしが首を絞められている最中に警察が踏み込んできて、アジトにいた連中をほぼ逮捕し、あたしと、別室に監禁されていた愛子を救い出したそうである。四郎は警察に捕まるのを拒み、近くにあったナイフでのどをかき切って自殺したそうだ。ただ、組織にとって、このアジトは最近作られた支部のひとつに過ぎず、幹部の大学生たちをはじめ、組織は相かわらず健在である。

 あたしと愛子は、先生や両親にこっぴどく怒られ、しばらく謹慎させられた。その後も、あたしは相かわらず悶々として勉強が手につかなかった。でも、あの事件以来、少しだけ変わったような気がする。以前から興味のあった、絵を描くことに、本気で取り組み始めたのだ。そのうち、絵を通じて友達もでき、だんだんと学校にもなじんでいった。今思えば、あれほどあたしを絵に駆り立てたものは、あたしの首を絞める四郎の姿だったのかもしれない。あたしの首を絞めながら、四郎は泣いていた。人生の目的を失い、孤独と寂しさに打ちのめされた、みじめな姿で…。自分の唯一のよりどころであった学業で失敗し、他に趣味も特技もなく、親しい友人もいない四郎にとって、あたしと遊んだ思い出だけが心の支えだったのかもしれない。おそらく、あたしと無理心中して、二人だけの国へ行こうとしたのだろう。そんな四郎の姿を見てあたしは思った。勉強一筋に生きてきて、何が残ったのだろう。結局、勉強でしくじったら、後は何も残らない。自分の存在理由がなくなってしまう。それまでのあたし自身も、そうだった。勉強して良い学校に入っても、勉強以外の特技、生き甲斐がなければ、無気力になるだけだ。それ以来、あたしが生き甲斐として取り組んだことが、絵だったのだ。

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