9 しろ
「意気地がないのよ」
「しろちゃん」
バラの木の蔭から、一匹の小さな猫が出てきた。この猫もまた寿命以上に生きて、力を蓄えた猫だった。その力はバラの木より遥かに強く、太郎のように人間の言葉を話すこともできるし、それ以上の能力も身に付けているようだ。
「傷つけること以上に関係が壊れるのが嫌で、もし終わるならきれいな思い出のままがいいけど、その終わらせる覚悟もなくて動けずにいる。何も考えず、ぬるま湯の中にいたいよ。ほんと、馬鹿」
しろは腹立たしげに、語気を荒げた。
「そうなのかなあ。でもそりゃ、そういうのは嫌なんじゃないのかな。僕だってつらい思いは避けたいと思うもの」
「馬鹿。太郎も馬鹿ね」
「む、なんだと」
太郎はしろの言葉に少しだけ怒った。
「傷つけなきゃいい、壊さなきゃいいんでしょう。あの人は自信がなくて、つらい思いをしたくないから、幸せになる権利も放棄して逃げているのよ。幸せになろうと思えばなれるし、逃げきろうと思えば逃げ切れるのに、どっちつかずで。よっぽど……。よっぽど、あの人のことが手放し難いのね。だから曖昧に済ませているの。馬鹿みたい」
どうも、腹をたてているようだが、太郎にはその理由がわからない。
しょっちゅうしろは気ままに秋人の家を訪ねてくる。
もし秋人がいれば、しろはのどを鳴らして目一杯甘える。その様子は誰がみても、なついているようにしか見えない。
でも秋人がいない時はいつもこんな調子なのだ。何故か腹を立てている。
「ふうん。よくわかってるね。でも僕には理解できないなあ。好きなら楽しいから一緒にいたいし、嫌いなら不愉快だから会わない。それでいいんじゃないの。どうして気持ちと違うことをしてしまうんだろう」
太郎の言葉に、バラの木は笑うようにさわさわと葉を揺らした。
「可笑しいかな」
首を傾げた。太郎には自分の考えに間違いがあるなんて思えない。
「単純ね」
しろがからかうように言った。
「ごめんなさい、バカにしたわけではないの」
バラの木は慌てて謝った。
それでもまだ、嬉しげに揺れている。
「きっと、太郎さんの単純さが、いつか秋人さんを救うでしょうね」
「え、そうかなあ」
バラの木は、優しくそう言って、太郎は素直に喜んだ。
「だめよ!」
しかししろがそれに口をはさむ。
「救わせない。誰にもあの人を救わせないわ」
しろは強い口調できっぱりとそう言った。その様子に太郎は言いようのない不安を感じる。
「それはどういう……」
太郎が言葉の意味をたずねようとしたが、シロは聞こえない様子で、軽やかに塀の上の飛び乗った。
「それじゃあ私はもう行くわ」
言い終ると同時にしろは塀を飛び降りて、どこかに消えた。