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 7 コースター

 秋人が家を出てから三十分たった。

「秋人くん帰って来ないね」

 酒を置いているコンビニはアパートを出てすぐの場所にある。いつもなら十分もしないで帰ってくるのに、秋人は帰って来ない。

 予想通りだ、今日も秋人さんは逃げてしまった。このまま待っても時間を無駄に消費するだけだろう。

 太郎ははるかの気持ちを想い、胸を痛めた。

「そろそろ帰ろうかな」

 ちびちびと飲んでいたビールを飲み干し、はるかは缶を片付けて立ち上がった。

「すみません」

 太郎が謝ることではないのだが、はるかの気持ちを考えるとそう口にせずにはいられない。

「大丈夫、二人の元気な顔が見れたから、もういいの」

 はるかは笑った。いつものように穏やかな表情だが、心なしか翳りが見える。太郎はそんなはるかにかける言葉がみつからず、立ち尽くした。

「私、やっぱり嫌がられてるのかな。もう、あんまり来ない方がいいかもしれないね」

 去り際にはるかは独り言のようにつぶやいたが、背中を向いていたのでどんな顔をしているか、太郎にはわからなかった。


 太郎は腹を立てていた。もちろん、秋人のはるかへの態度についてだ。 

 秋人ははるかに対してはいつも不誠実で、誤解されるような行動ばかり取っていた。

 太郎が来てからはるかは何度も秋人を訪ねてきたが、いつもこんな風に秋人は逃げ出すように外へ出て、そのまま何時間も帰ってこない。

 太郎が来る前は、はるかは秋人の家に来ても10分もたたないうちに帰っていたようだ。

「秋人くんはあんまり話す気がないみたいで、何を言っても生返事ばっかりなの。二人でいる間の5分は息苦しくて妙に長く感じるよ」

 はるかはふざけたように、しかめ面を作ってみせた。

「それでも顔が見たくなってつい来ちゃうんだよねえ」

 少し黙りこんだ後、ぽつりとつぶやいた。太郎に話しているというより、独り言のようだった。

「でも太郎くんのおかげで一緒の時間が少し伸びたし楽しくなった、ありがとう」

 と、はるかは朗らかに笑った。

 恐らく昔から秋人ははるかに対してそっけなく接していたのだろう。はるかが嫌がられていると考えるのも無理はない。

 しかし、太郎はそう思えなかった。


 ある日のこと、いつものように秋人は酔いつぶれていた。

「だからな、だからな……あれ、何を言おうとしたんだっけなあ」

 ぽりぽりと頭をかいてぼんやりとしている秋人の横で、太郎はボールと戯れていた。酔った秋人は同じ言葉を何度も口にして話が前に進まず、わけがわからなくなってそのうち横になって寝てしまう。

「なんだったかなあ。……いてっ!」

 いつものようにぶつぶつ言いながら横になろうとして、棚に頭をぶつけたらしい。棚に置いていた物が落ちて床に散らばった。そしてその上動揺して机に置いてあった醤油をこぼしてしまった。

「うわ」

 それを見て秋人はひどく慌てた。床に散乱したものを乱暴につかみ台所に行く。酔っているとは思えない素早さだった。

 蛇口をひねり何かを洗っている。醤油がついたのだろう。

 絨毯に着いた醤油は太郎が、ティッシュと机の上にあった布巾をくわえて床に落とし、足で踏を使って丁寧にとりのぞいた。少しだけシミになったが、そんなことは秋人も気にしないだろう。

 秋人は水で洗い流した物を、窓際の洗濯ばさみに挟んだ。それで安心したらしく、大きく息を吐いて再び横になって、そのまま寝てしまった。

 何にそんなに慌てたんだろう。

 太郎は不思議に思い顔を上げて洗濯されたものを見て、納得した。干されているのは深い藍色のコースターだった。それは秋人がたまに、言葉少なにゆっくり飲む時に使うような、物想う静かな夜に秋人の傍にある物だった。


 次の日、はるかが遊びに来て干されているコースターを目にすると、嬉しそうに手に取った。

「使ってくれてたんだ」

「あー。ああ」

 はるかは顔を綻ばせて、秋人はしまったと渋い顔をした。

 コースターについての二人の会話はそこで終わり、後は秋人が外に出て帰ってこない、いつものパターンが繰り返された。

 秋人がいなくなって、コースターが話題になった。

「あのコースター、はるかさんが秋人さんにあげたものなんですか」

「そう。あれはね、私が作ったものなの。秋人さん缶ビールをよく飲むみたいだから、机汚れちゃうかなって」

 はるかは雑貨を作っている作家だが、それだけで生計をたてるのは難しいから、アルバイトもしていると聞いている。

「へえ、そうだったんですね。秋人さん、ちょくちょく使ってますよ。昨日はコースターにちょっと汚れがついて、すごい慌てようでした。他の物にはそんなこと無頓着なのに。大事にしているみたいです」

 太郎の話を聞いてはるかは少し顔を赤くして、初めて見る、とろけそうな笑顔で笑った。

「そうなんだ」

 はにかみながら、はるかは太郎の頭をなでて、それから太郎を持ち上げた。じっとしていられないようだった。

「嬉しい!」

 はるかは太郎を持ち上げたままその場をくるりと回った。


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