6 はるかさん
ある日いつものように秋人の家に行くと、先客がいた。
「はるかさん、どうも」
後姿だったが、横に結んだ長い髪を見れば、いやそれを見なくても、太郎にはここにいるのが誰かすぐにわかる。太郎が知る限りで、秋人の家を訪ねてくるのははるか一人しかいないからだ。
「太郎ちゃん、こんばんは」
はるかはにっこり微笑んだ。
同時に秋人はほっとしたように太郎を見る。
この人はまた、と太郎は秋人の表情を見て言いたくなるが、はるかの手前我慢する。
「あ、僕もうちょっと散歩してきます」
はるかの気持ちを考えて出ていこうとする太郎を、秋人は必死に引き留めた。
「何言ってんだよ、こっちにこいよ。みんなで遊ぼうぜ」
口調は軽いが、強引だった。はるかさんが可哀そうだと太郎はため息を吐いた。
「僕今日はやめときます」
それでは、とドアから出ようとする太郎を、秋人がひょいと持ち上げる。
「ちょっと、離してくださいよ」
太郎は手足をばたつかせる。秋人はそれを見ていつものように笑った。
秋人が手を離したのは太郎を部屋の中央に降ろしてからで、秋人は太郎が出ていくのを阻むように、出入り口の傍に腰を下ろす。どうしたって出ていかせてくれそうにはないと、太郎は諦めることにした。
「全くもう」
笑っている秋人に太郎は呆れてしまう。
「太郎ちゃん、一緒にお話ししましょう」
あからさまな秋人の態度に気づかなかったのか気にしていないのか、はるかも楽しそうに笑っていた。
はるかさんがそう言うならしょうがないと、太郎はその場に座り込んだ。
しかしどうにも居心地が悪い。二人が太郎を見ている。気まずいような楽しいような、妙な空気だ。
「よし、飲むか」
秋人はそういって勢いよく立ち上がり、二本ビールを出してきた。
はるかも一緒にビールを飲む。秋人もはるかもしゃべらない。口数の少なさを誤魔化すように、ビールをちびちび飲む。目が宙をさまよったりする。二人同時に何か言おうとして、言葉がかぶりすぐに黙り込む。
そんな風にして数分が経った。
いつもこうなんだ。
心の中でため息をついて、太郎はしゃべりだした。しゃべらずにはいられない雰囲気があった。
「秋人さんまた無茶な飲み方して、寝ないで下さいよ。はるかさん、秋人さんね、飲むだけ飲んで、気がついたらいつもおなか出して寝てるんですよ。」
太郎はそう言ってはるかの方を向いた。
いらないことを言うなよと秋人は太郎の頭にぽんと手をやる。
「夏の暑い時期ならいいけど、今みたいに寒いと体に悪いから、気をつけてくださいね」
ぶつぶつ言う太郎に、秋人は缶をくわえてふふふと笑う。はるかも一緒に笑っている。
太郎は二人の笑顔にほっとした。少し空気も軽くなったようだ。
「心配してるんですよ、僕は。はるかさん、僕布団を下ろせるようになったんですよ。ええっと、このテーブルから押入れの上の段に飛び乗って、布団を口にくわえて体重をかけて下ろすんです。そうすると布団は落ちるんですけど、口にくわえた僕も落ちるんですよ。この前はそれでつぶされて大惨事で」
太郎は夢中でしゃべった。少しいつもより言葉を多めに使い、精一杯にしゃべった。
「太郎ちゃん器用だね。えらいえらい」
「いやあ」
はるかは太郎の頭を優しくなでたので、太郎は少し照れてしまう。
「えらくない」
それを見て秋人は太郎を持ち上げ横に移動させた。少しすねたようだ。
「俺体なんか壊さないもん」
そっぽを向いて子供のように言い放った。
唇を突き出したまま、ビールを飲む。飲みにくそうだ。
そんな秋人に太郎はまた呆れる。
「何言ってるんですか。ろくにご飯も食べないでビールばっかり飲んでるくせに」
「そうなの?ちゃんと食べたほうがいいよ」
「いや食べてないわけではないというか、ちゃんとでないことはないというか」
何やらぶつぶつと秋人は缶をくわえたまま言っているが、何を言っているのかよくわからない。
しゃべり終えたのか、ビールをゆっくり飲み干して、一息ついた。
「まああれだな、もう一杯飲もうか」
秋人が仕切りなおすようにそう言って冷蔵庫に移動した。
「あれ、お酒がない」
太郎はちょっと嫌な予感がした。経験に基づく、当たる確率の高い予感だった。
「買いに行ってくるから後はよろしく」
秋人は財布をつかみ、声をかける暇もなく外へ出ていった。
ばたんとドアは閉まって、太郎とはるかは部屋に取り残された。
「行っちゃったね」
「行っちゃいましたね」
太郎とはるかは顔を見合わせた。