10 誰か
今日のシフトは朝から夕方まで下川、夕方から夜まで秋人、そして店長が朝から夜の通しではいっていた。
この店は立地条件が悪いせいか売り上げが振るわず、経費削減のためにバイトを減らして店長が長めに働いているが、休みが被って代わりを探すのが難しいこともある。特に朝や昼は、学校があり学生をあてにしづらい為、代わるのはたいていの場合はフリーターの秋人なのだが、今回は休んだ人間の代わりに下川が朝のシフトにはいった。
「その日は休講が重なってるから大丈夫ですよ」
などと言う下川に、勉強を嫌ってバイトに逃げたのではないかという秋人の追及に「どうですかねえ」と下川はふざけてみせた。
「ほいじゃ、おかさん店長、あとはよろしくお願いします。おつかれさまでした!」
仕事を秋人に引き継いだあと、笑顔を残し下川は去って行った。
客のいない店内に、音楽が流れる。賑やかな人間がいなくなると、音楽があっても静かに感じる。
「下川君はほんとに大丈夫かね。成績は落ちたりしないだろうか。ちょっと心配だなあ」
誰もいない自動ドアを見つめながら、店長はつぶやいた。
「心配することないでしょう、あいつはなんだかんだいって、ちゃんとやる人間ですよ」
仕事のこなし方を見ていればわかる。下川は要領が良いだけではなく、真面目で手を抜かない人間なのだ。普段ふざけてはいるが、状況を見て切り替えが出来る賢さもある。
「そうだね、そうだよね。下川君を信じよう。それじゃあ僕はお客さんが少ないうちにジュースの補充に行ってくるから、何かあったらすぐ呼んでね」
店長が補充に行った後もなかなか客が来なかったので、秋人はレジ周りの掃除を始めた。
その様子を真っ白で小さな猫がドアの外からのぞいていた。猫はしばらくそこにいたが、つい、と踵を返して走り出した。
下川はポケットに手を入れてリュックをがちゃがちゃ揺らし、歩きながら機嫌よく歌っていた。
『下川』
下川は公園の前で誰かに呼び止められた。
誰かがいる。
下川は突然の出来事に頭がついていけず、もやがかかったように記憶が曖昧になる。
『下川』
誰だろう。俺の名前を呼んでいる。
何故だか近くにいるのに顔が良く見えず、下川にはそれが誰だかわからなかった。
「誰?」
下川は正直に問いかける。
『俺だよ。お前の友達。わかんないのかよ、ひどいなあ』
声の主は下川をじっと見つめた。
顔は良く見えないのに、目だけははっきりと見える。
下川は声の主と目を合わせると、ようやく目が覚めたように、記憶が浮かんできた。
そうだ、こいつ、俺の友達だよ。
下川は声の主が自分の友達であることを、理解した。
「あ、ああ。ごめん、ぼんやりしてたわ。悪い」
『いいよ。そんなことより、お前ムンレクていう店知ってるか?』
「いや、知らない」
『隣の町にある雑貨屋だ。そこにお前の好きそうなかわいい子がいるから、食事に誘うといい。いきなり誘うと怪しまれるかもしれないから、お前が働いているコンビニの名前と場所でも教えるんだ』
友達は下川の目をじっと見ながら、いたずらっ子のように、くすくすと笑っている。下川の目はうつろであった。
ムンレク……食事……コンビニ……。ムンレク、食事、コンビニ、ムンレク……。下川は心の中で反芻した。
『それじゃあまたな。がんばれよ』
「お……おう。またな……」
友達はすぐに下川の前から姿を消したが、その後もしばらく下川は公園の前にしばらく立ち尽くしていた。