歌姫と竪琴弾き 終わらない歌
ミモザは、普段の威勢を置き忘れたように黙り込む。
大騒ぎして飛び出した手前、迎えに来てくれたの、と尋ねるのも何だか気恥ずかしかった。
向き合ったまま、次の言葉が出ないふたりの間にひょっこりと顔を出したのは、深い紫紺色の瞳の少年だった。
「歌姫、迎えが参ったか」
流れる汗を拭っていたセインは、その姿を見てぎょっと身を引いた。
見たことのある古風な衣装、ひと房違う銀色の髪。上から目線の口調もそっくりだった。
ふたりを見上げてる少年――シゲンは、肯定の代わりにほろんと軽やかに弦を弾く。ここにはない竪琴の、悪戯で温かな音色。
歌姫と竪琴弾きは、星の瞬きのような幻音を追って肩を揺らした。ミモザは不思議そうに辺りを見渡し、セインは心底嫌そうに顔をしかめる。
「……お前っ」
確証を得たセインの台詞を遮って、少年はずずいと両手を差し出して見せた。
「これを見よ、竪琴の主」
ずずい、背伸びをして近づける小さな手のひらの上には、数枚の硬貨。
「金?」
「贖いの供物。歌姫と我との楽の分け前ぞ」
人形めいた造作が誇らしげに輝いた。
「成果のほどを、とくと教えてやろうにも、もう日暮れ。我の迎えは参った故、歌姫も行くが良かろう」
ふたりを見上げるシゲンの瞳が、夕陽を受けて石榴色を帯びる。
「さて、歌姫はいずこへ帰るのか」
「……あ」
帰りたい場所。帰る場所。やり取りを思い出して、ミモザは隣に立つ竪琴弾きを見上げる。
「--あの、セイン。ただいま」
「へ、……おかえり?」
とっさに返したものの、疑問符を浮かべるセイン。ミモザは、はにかむように微笑む。長く共に旅をしているが、そんな表情は見たことがなくて。セインはさらに戸惑った。
「本当に、手間のかかることよ。無頼の輩も近づくのに、何とも呑気なもの」
「……聞えてるぞ」
「ちょっと、セイン。さっきから小さい子に態度悪いわよ」
「ていうか、言うの遅ぇよ」
赤ら顔の男が、ミモザの細い腕を取ったのはその時だった。
「よーう、お嬢さん方、俺らと飲みに行こうぜ」
「きゃっ!?」
驚いたミモザが小さな悲鳴をあげ、男の酒臭さに顔をそむける。
いつの間にか、彼らを取り囲むように数人の男が近づいていた。
旅慣れたふたりは、冷静に見渡して男たちの力量を見定める。
相手は3人。これならば……と突破の方策を描いていると、セインの耳に幻の音がほろりと響いた。
(では、主よ)
彼だけをじっと見つめる紫紺の瞳。
(ここまでお膳立てをすれば、あとはいかな不器用でも正しい和音を導けるであろう)
どういう仕掛けか紫弦の竪琴弾きだけに言葉を届ける。
余計なお世話と口に出す前に、まるで風の紗をまとうように一瞬で、少年は他に悟られることなく姿を消した。
(荒事は、我に向かぬ故――)
ほろん、と幻の音が余韻を残す。セインの片腕には慣れた竪琴の重みがかかった。
顔を背けて拒否を示すミモザの小さな肩から、金糸雀色の髪が滑り落ちる。
露わになった肩の真白さが、男たちの欲を刺激した。セインはミモザ愛用のババくさい色合いをした肩かけショールを持ってこなかったことをチラリと後悔する。
目も合わせられないといったミモザの可憐な風情は、華奢な美少女として正しいだろう。けれど。
「おっさん、怪我したくなかったらやめとけよ」
セインは低い声で恫喝した。
意図して声音を作ってはいないが、彼の声は普段から低く掠れているので迫力がある。
夕刻早くから強かに酒を入れている男たちは、一瞬酔いから覚めたかのように目を見開く。
そして声を発したセインが竪琴を持った細身の旅歌いなのを見てとると鼻でせせら嗤った。
「坊主、てめぇこそ怪我する前にどっか失せな」
「細っこいからてっきりこっちもお嬢ちゃんかと思ったぜ」
「違いねぇ!」
3人の男は労働に従事する太い腕をこれ見よがしに示して、大声で笑った。
全く音楽的ではないその響きに、ミモザが眉をしかめる。拳を握りこむ。
男たちは、顔を伏せ続ける少女の様子に気づきもしない。小さな肩の震えに気をよくし、腕を掴まれた時から揺るぎもしない足を見逃していた。
「あーあ、せっかく俺が忠告してやったのに」
セインはため息交じりに呟くのと、澄み渡る春風のような声が上がるのは同時だった。
「ふ、ざけんじゃないわよ、この酔っ払いどもー!」
全くいつもの通りの元気すぎる声に、セインは安堵と苦笑に似た笑いをかみ殺す。
勝負は一瞬。
いや、油断しきった男たちを相手では、始まる前から決まっていた。
幾多の街で唸ってきたミモザの正拳突きが、ずしりと男の鳩尾に決まる。体重の乗った拳は、あっけなく男の腹にめり込んだ。
誰もが反応できないうちに小さな靴が閃いて、延髄をしたたかに打つ。
細く滑らかな脚が露わになる一瞬、ミモザの視界の端でセインが顔をしかめた。
くぐもった呻き声を漏らして男が地面に伏せる。まずひとり。
「っ! 何しやがるこの女!」
他の男が顔色を変えて、彼女を鷲掴もうと手を伸ばした。狙われたのは、彼女の動きから一拍遅れて宙を舞う金糸雀色の髪。
しかし悲鳴を上げたのはミモザではなく、
「ぐあっ」
2人目の男が吹き飛ばされて、近くにあった公園の石壁に激突し、そのまま動かなくなる。
横合いから殴り倒したのは、もちろんセインだった。
「3対1はさすがに卑怯だろ」
ミモザは菫色の瞳を見開いて、自分を助けた相方を振り返る。
「セイ!」
慌てて駆け寄り、彼の手をしっかりと握った。
右手の5本の指、左手に抱えた銀色の竪琴。どちらにも異常は見当たらない。無意識に安堵の吐息をついた。
「ちょっと、あんた竪琴弾きなんだから、怪我するようなことやめなさいよ!」
ありがとうよりも先に文句が飛び出して、当然セインはむっとする。
「お前こそ自分の性別考えろよ、暴発娘!」
「何よっ、人が心配してあげてるってのに、何なのその態度!?」
「仮にも歌姫を名乗る女が、突然暴力的な態度を取るよりマシだろ」
「暴力的って誰がよっ!」
「お前以外にいるわきゃねぇだろっ」
「あんた程じゃないわよ、このバチ当たり竪琴弾き!」
酔っぱらった男はぽかんと口を開き、その様子を眺めた。
鮮やかな手際で、仲間が倒されたというのに。何故ここで痴話喧嘩が披露されているのか。ふつふつと湧く怒りは、体に残る酒気を糧に燃え上がる。
男は腹から唸り声を上げ、ミモザに殴りかかった。
セインはミモザの肩を押しのけるように背後に庇うと、躊躇いもなく竪琴を振りかぶる。
「きゃああああああああああああ!!」
ミモザが甲高い悲鳴を上げた。
セインが投げた竪琴が石の壁にめりこんだ。ドゴンと鈍器の重たい音が響く。
頬スレスレに竪琴が通った男がおそるおそる振り向いて、そのありえない状況にヒィと悲鳴をあげた。
男と同じ表情をしたミモザ。パラパラと壁から石の欠片が落ちる。
竪琴は、凍えるような音で弦をふるわせると、風の紗をまとうように姿を揺らしてかき消える。瞬きの間にセインの手へ戻った。
魔器。冴え冴えとした光を放つ竪琴には、ひとつの傷も見当たらない。
「で、おっさん。まだやる? この竪琴ちょっと特別製で、その昔は城壁を砕いたっていうけど」
いたって普通、むしろやってやった的な満足感を漂わせて、セインが口を開いた。
「そこらのナマクラ剣よりは凶器になるぜ?」
本気の脅しにひるむ男よりも早く、制止の悲鳴をあげたのはミモザだった。
「いやあ、やめてーっ。紫弦の竪琴を粗末にしないでって何度言ったらわかるのよ!?」
再度投げる構えを取ろうとするセインの腕に取りすがるミモザ。
酔っぱらいに絡まれていた時の気丈な姿勢はどこへやら、憧れてやまない竪琴の危機に涙目だった。
「おじさん、早く行きなさいよ。こいつ本気で投げるわよ」
「今度は直接当ててやるから、動くなよー」
「ひ、ひいぃぃ」
「はやく、逃げなさいって」
「ミモザ、邪魔」
「く、お前らおぼえてろよーっ」
ほうほうの体で男が逃げだした後、ふたりもさっさと公園を離れた。
倒れた男たちは、きっと警備隊が見つけて保護してくれるだろう。おそらく。
帰り道の途中、前を歩いていたミモザがふと立ち止まった。
「何だ、帰り道がわかんないのか?」
セインの軽口に応えず、振り返ったミモザは決意をこめて口をひらく。
菫色の瞳がまっすぐに彼ひとりを映した。
「わたし、もっと練習する。しなくちゃ、いけないわ」
それはふたりが蓋をしてきた、目隠しをしてきた問題。
紫弦の竪琴に呑み込まれず、歌を描くための力が欲しかった。帰りたい場所を失わないための技量。
セインはひそかに息を飲み、目を反らし続けることを諦める。こんなに真っ直ぐな目に、嘘をつけるはずもなかった。
「--ミモザの場合は、技量じゃねぇよ」
「練習じゃどうしようもないってこと?」
ミモザは不安に、手を握り合わせる。技術ではないというのなら、持って生まれた才が足りないのか。
彼女の声が揺れたことに気付き、セインは慌てて首をふった。
「いや、技量もまだまだだけど、そればっかじゃなくて内面っつーか、経験っていうか」
「……経験。わたしが人間的に薄っぺらいってこと」
ぼそり、と低く落とすミモザ。
「あー……そう。全体的なの、必要だよな。俺も、お前も」
夕空を仰いで溜息をつくセイン。彼が顔を戻すと、ミモザの菫色の瞳があった。
「わかった。色々頑張ってちゃんと歌えるようになるわ。だから……待ってて欲しいの」
ミモザの瞳は言葉よりも雄弁で、真摯で、まっすぐだった。
じっと見上げる瞳に耐えきれず、片手を伸ばして金糸雀色の頭を引き寄せる。
降参するのは、いつだって彼の方。舞台の選曲も、ささいな喧嘩も、押しかけ歌姫も。
けれど、今回ばかりは負けるわけにはいかなかった。誰よりも、自分に対して。
「お前だけが頑張らなくても、俺が歌わせてやる。……竪琴じゃなくて、俺が」
え、とミモザが顔を上げようとするのを、頭を捕まえたままの腕で阻止をして。
赤く色づく夕暮れの街を、速足に歩きだした。
頭を押され前のめりになったミモザが、ばたばたと手を振り回す。
セインには早足でも、小柄なミモザにとっては小走り状態だ。
「わ、ちょっとセイン、なんで急に走るのよ!?」
「ぐずぐずしてる暇はねぇぞ、もうすぐ出番だろ」
「あ!」
「おま、忘れんじゃねぇよ!」
「覚えてたっ、覚えてたわよ! やああ、もう日暮れじゃないの!」
「だから急げっつーの」
ミモザが走って、ぼやくセインを追い越した。
「ほら、走るわよ。のんびりしてると置いてくからね!」
振り向いた少女が、左手を差し伸べる。
「っ、だからっ、急げっていってるのは俺だし。……置いてかれてたまるか」
最後は口の中で呟いて、セインは竪琴を持たない右手で彼女の手を取った。
――ほろん
駆けていくふたりの足跡をなぞるように、星の瞬きに似た甘い音色がこぼれ落ちた。
始まりより早く 歌をうたおう
あなたに届ける 終わらない歌
昨日と明日をつなぐ この夜
はちみつより甘い 真珠の粒が
波間に溶けて泡になる前に どうか
私を見つけて 抱きしめて
声に出せない あいの言葉
あなたに届ける 終わらない歌
END