歌姫と竪琴弾き けんかする
始まりより早く 歌をうたおう
あなたに届ける 終わらない歌
「よーう、お嬢さん、俺らと飲みに行こうぜ」
赤ら顔の男が、ミモザの細い腕を取った。
顔を背けて拒否を示す彼女の肩から、金糸雀色の髪が滑り落ちる。
露わになった肩の真白さが、男たちの欲を刺激した。目も合わせられないといった可憐な風情は、華奢な美少女として正しいだろう。
けれど。
「おっさん、怪我したくなかったらやめとけよ」
セインヴァルカイトは低い声で恫喝した。
意図して声音を作ってはいないが、彼の声は普段から低く掠れているので迫力がある。
夕刻早くから強かに酒を入れた男たちは、一瞬酔いから覚めたかのように目を見開く。
そして声を発したセインが竪琴を持った細身の旅歌いなのを見てとると鼻でせせら嗤った。
「坊主、てめぇこそ怪我する前にどっか失せな」
「細っこいからてっきりこっちもお嬢ちゃんかと思ったぜ」
「違いねぇ!」
3人の男は労働に従事する太い腕をこれ見よがしに示して、大声で笑った。
全く音楽的ではないその響きに、ミモザが眉をしかめる。拳を握りこむ。
男たちは、顔を伏せ続ける少女の様子に気づきもしない。小さな肩の震えに気をよくし、腕を掴まれた時から揺るぎもしない足を見逃していた。
「あーあ、せっかく俺が忠告してやったのに」
セインはため息交じりに呟くのと、澄み渡る春風のような声が上がるのは同時だった。
「ふ、ざけんじゃないわよ、この酔っ払いどもー!」
勝負は一瞬。
いや、油断しきった男たちを相手では、始まる前から決まっていた。
ミモザの正拳突きが、男の鳩尾に決まる。体重の乗った拳は、やすやすと男の腹にめり込んだ。
誰もが反応できないうちに、小さな靴が閃いて延髄をしたたかに打つ。
細く滑らかな脚が露わになる一瞬、ミモザの視界の端でセインが顔をしかめた。
くぐもった呻き声を漏らして男が地面に伏せる。まずひとり。
「っ! 何しやがるこの女!」
他の男が顔色を変えて彼女を鷲掴もうと手を伸ばした。狙われたのは、彼女の動きから一拍遅れて宙を舞う金糸雀色の髪。
しかし悲鳴を上げたのは彼女ではなく、
「ぐあっ」
2人目の男が吹き飛ばされて近くの塀に激突し、そのまま動かなくなる。
横合いから殴り倒したのは、もちろんセインだった。
「3対1はさすがに卑怯だろ」
ミモザは菫色の瞳を見開いて、自分を助けた相方を振り返る。
「セイ!」
慌てて駆け寄り、彼の手をしっかりと握った。
右手の5本の指、左手に抱えた銀色の竪琴。どちらにも異常は見当たらない。無意識に安堵の吐息をついた。
「ちょっと、あんた竪琴弾きなんだから、怪我するようなことやめなさいよ!」
ありがとうよりも先にそんな文句が飛び出して、当然セインはむっとする。
「お前こそ自分の性別考えろよ、暴発娘!」
「何よっ、人が心配してあげてるってのに、何なのその態度!?」
「仮にも歌姫を名乗る女が、突然暴力的な態度を取るよりマシだろ」
「暴力的って誰がよっ!」
「お前以外にいるわきゃねぇだろっ」
「あんた程じゃないわよ、このバチ当たり竪琴弾き!」
酔っぱらった男はぽかんと口を開き、その様子を眺めた。
鮮やかな手際で、仲間が倒されたというのに。何故ここで痴話喧嘩が披露されているのか。ふつふつと湧く怒りは、体に残る酒気を糧に燃え上がる。
男は腹から唸り声を上げ、ミモザに殴りかかった。
セインはミモザの肩を押しのけるように背後に庇うと、躊躇いもなく竪琴を振りかぶる。
「きゃああああああああああああ!!」
ミモザが甲高い悲鳴を上げた。
時は少し遡る。
旅歌いのミモザは、竪琴に合わせて歌を奏でていた。
ほろんほろんと零れる音の一粒ずつが、柔らかな光に包まれるようでミモザは嬉しくなる。
窓辺に腰を掛けた旅相棒――セインヴァルカイトが持つ竪琴は、希代の名器と謳われる程の名品だった。
銀色の竪琴に、淡い光を紡いだかのような5本の弦。一番左の1弦だけが紫紺に染められていた。
古えから奏者たちの手を渡り、受け継がれてきた楽器である。
それを弾く彼の腕もまた、『紫弦の竪琴弾き』として認めらたもので……ミモザとそう変らぬ年でありながら多くを持つその才に、羨む気持ちを抑えられない日もあった。
彼女は音に飲み込まれないよう、声量を上げた。
その声は時に春風のように甘く澄み渡り、時に深淵を見る森のように深く響いて聴く者を魅了する。
歌う時のミモザは、普段の勝ち気な性格から想像もつかないほどたおやかだ。
窓から差し込む午後の陽を受け、背を覆う金糸雀色の髪が輝く。曲に合わせて見えない絵を描く指先に、帆船が進む波が幻のように呼び起される。
小さな古い宿の1室は、俄かの舞台になった。
「それは誰もが知る物語 千の星と万の海と億の知識を求めた男の たったひとつの物語――」
歌声の余韻は弦が紡ぐ和音と絡み、夕刻を迎える空に解け消えていく。
「ふふ、今日もばっちりね」
声の調子は変わらず好調だった。ミモザは満足の笑みを浮かべてセインを仰ぎ見る。
「だな」
彼は満足の笑みを浮かべて頷いた。
万事雑な性格のセインも、音に対してだけはとてもうるさい。
そういえば音だけじゃなくて、ミモザの足癖の悪さにもうるさい。自分の方がそれ以上に口が悪いというのに。
けれど彼女は、セインの音に対する真面目さをとても信頼していた。
「俺の方はもうちょっと指慣らしがいるけど、何の曲が良い?」
目まぐるしい驟雨のような音を散らしながら、セインが尋ねる。
「何でも良いの?」
「おー、何か適当に」
頼む、と続く言葉よりも指の動きに集中しているようだった。この早弾きの練習曲も、もう少しで終わりに差しかかる。
少し考えたミモザは「ハイ!」と右手を挙げた。
「あなたの青」
提案されたのは、子どもでも知っている優しい恋の歌。初恋にはにかむ初々しい少女を描いた、ミモザの得意曲だった。
「却下」
「えー?」
「甘ったるすぎて好みじゃない」
「我儘。それじゃ、こないだセインが作った歌」
「……」
「曲名何だっけ? 練習しとこうよ。もしかしたらここで、お客さんにお披露目できるかもしれないし」
良いアイディアにぽんと両手を打って、ミモザは階下を指さした。
彼女たちはここ数日、林檎の蹄亭を定宿として歌を披露している。次の街までの路銀を稼ぐにはあと数日必要だったが、その日数は腰を落ち着けて練習をする時間でもあった。
「曲名決めてないし、お前はだめ」
2度美味しい提案を、セインは低く退ける。ミモザはむっと唇を尖らせた。
「さっき何でも良いって言ったじゃない」
「忘れた」
「何ですって、この鳥頭。わたしに歌わせなさいよ!」
セインはわざとらしく耳を塞いだ。ミモザは菫色の瞳を危険に細めて、その腕を引き下げる。
「そんな記憶力だから果物屋でお釣り間違えるのよ、このばかばかばかばか!」
歌姫を名乗る技術力を遺憾なく発揮して続けられる言葉は、息継ぎなしで酷く長く連なった。
彼女の声がセインの耳で残響のように木霊する。旅歌いとして鍛えられた耳が受けているダメージは、常人よりも大きいだろう。
「ッ、うるせぇ」
セインが獰猛な唸り声をあげた。優男風の外見から思いもよらない程の迫力がある。
といっても、彼の声は元々が低く掠れているので普段よりやや低い程度。それでも十分に聞く者を恫喝する響きを帯びていた。
しかし、言い合いなんて日常茶飯事なミモザは、全く気にしない。この程度でいちいち怯えていたら、彼の相方なんてつとまらないのだ。
「何よ大嘘つき鴉声」
「ざけんな、誰が鴉だ」
「あんたのことに決まってるでしょ」
「お前、この声だってなぁ、一般ウケはしねぇけど一部には好評なんだぞっ」
「それなら熟女か玄人のおねーさまばっかり相手にしてるお店で歌えばー?」
「どんなとこだそこはッ!? ならお前はガキのお遊戯会だな」
「わたしのどこが子ども向けなのよ!?」
「歌い方に決まってんだろ」
「何言ってんのよ! 私の歌は聴いた人が涙して、特に恋の歌なんて若い女の子たちに大評判なんだからねっ」
「あーはいはい、お子様向けだからな」
「これだからガサツ男はやぁね。乙女心の極地って言われてんのよ」
「それがガキだって言ってんだろ、どれ歌ってもみんな乙女乙女オトメ」
「そ、そんなことないわよ」
「一変調子で伴奏してる方が萎える」
「なによ、ばかセイン! バカーーーっ」
「うるせぇ叫ぶな!」
「大きな声出してんのは自分で――もごぐっ」
セインの手の平で口を塞がれ、ミモザはじたばたと手を振り回す。
手をどけようとしてる内に腕を引かれ、くるりと反転されるとミモザは完全に不利になった。小柄な彼女はセインの腕に抱え込まれてしまう。
「喉に負担かけんなアホ!」
「うーーー」
耳元に低く落とされたのは、歌姫の商売道具を守るための正論だ。
ふたりの喧嘩はいつもこんな風に幕を下ろす。
本番を数時間後に控えたミモザは、悔しさを滲ませた瞳で睨みあげるが、これで黙るつもりはなかった。
「だったら、歌ってみせなさいよ」
「は?」