君を嫌いと言ったあの夏から
「君が嫌いだ」
律は私の後ろで、ポツリと呟いた。
「私も」
そう返した声が、
思ったより震えていなかったことに驚く。
私たちは幼馴染だった。
今日、その縁を切った。
軽くなった。
同時に、空になった。
振り返らなかった。
振り返ったら、全部壊れる気がしたから。
靴紐がほどけているのに気づいていたのに、
直さずに歩いた。
転んでもいいと思った。
家に帰っても、
部屋は変わらない。
カレンダーも、机も、
昨日までと同じなのに——
律だけがいない。
それが、思ったよりもきつかった。
小さい頃、律はいつも私の少し後ろを歩いていた。
前を歩く私を、
呼び止めもしないで、
でも必ずついてきた。
私が転べば、
無言で手を差し出す。
ありがとうって言うと、
困った顔をする。
あの頃からずっと、
律は優しかった。
優しすぎて、
何を考えているのか分からなかった。
中学に入ってから、
周りが「幼馴染」を面白がるようになった。
「付き合ってるの?」
「また一緒なの?」
「付き合っちゃいなよ」
何度言われたことか
私は笑っていつも誤魔化した。
律も、何も言わなかった。
その沈黙が、
なぜか胸に刺さった。
否定してほしかった
でも、肯定されるのも怖かった
だから私は、
少しずつ律から距離を取った。
律は追ってこなかった。
あの日も、帰り道だった。
夕焼けが強くて、
影が長く伸びていた。
私が言った。
「ねえ、私たちって、ずっとこのままだよね」
律は、少しだけ黙ってから——
あの一言を落とした。
「君が嫌いだ」
背中越しだった。
顔が見えなかった。
だから私は、
笑って返した。
「私も」
本当は、
真逆のことを言いたかったのに。
それから、話さなくなった。
学校ですれ違っても、
視線だけがぶつかって、
すぐに逸れる。
廊下のはじとはじを顔を合わせないようにして歩く
律は何もなかったように過ごしている。
私は——
何もなかったふりをしている。
でも、夜になると
あの声が何度も蘇る。
嫌いだ
その言葉だけが、
夏みたいに熱を持って、
消えてくれない。
ある日、共通の友達が言った。
「律さ、なんか夏から元気なくね?」
胸が、ドクンと音を立てたように思えた。
私だけが傷ついたと思っていた。
でも、違ったのかもしれない。
律は嘘をつくとき、
声が低くなる。
——あの日も、そうだった。
卒業式の前の日。
進路の話で、最後に一度だけ話した。
沈黙のあと、急に
律が口を開いた。
「あのときの“嫌い”……」
私は遮る。
「知ってる。嘘でしょ」
律が、初めてはっきり私を見る。
「……なんで」
「幼馴染だから」
それだけで、十分だった。
付き合うわけでもない。
彼との糸はもう切れてしまっているのだから。
でも最後に、
私は言う。
「嫌いって言われたあの夏から、
ずっと好きだった」
律は泣かない。
ただ、少しだけ笑う。
「俺もだよ」
そんな、話。




