多機能公セル生産殿
その昔、信長公が亡くなった後に秀吉公が猿から進化する前のことじゃった。家康公が狸に変身するか否かのところに、多機能公という大名がおったのじゃ。多機能公は歴史には埋もれてしまったが、実に多くの功績を残しておる。今日はその話をしようと思うのじゃ。
その当時、まだ多機能公が若き大名の頃だった。ソフトウェア業界には未だソフトウェア・ファクトリーの概念が強く残っておった。ソフトウェアを作るときには、要件定義や設計、実装、テスト、運用保守といった工程に分けておいてじゃな、実装にはプログラミングという西洋伝来の技術を使うことが多かったのじゃ。プログラミングは種子島に伝来した鉄砲のようなもので、とても便利じゃった。いちいち槍やら矢をつがえることなく、次々と弾を撃ちだすことができた。その頃は、銀の弾やら金の弾やらもあったとかなかったという話だったが、それは幻だったという話じゃ。青森のほうにキリストの墓があるとかないとかいう位の UMA のような話じゃな。つまりは未確認なできごとということじゃ。さすがに、プログラミングだけでは銀の弾にはならん。しかし、弾は作らなければ鉄砲も焼くには立たん。弾がなけれが銃剣をつければいいじゃない、と西洋の令嬢が言ったとか言わなかったとかいう話もあるが、それもおぼつかない。銃剣をつけて突撃して、俺は不死身の男だ!などと叫ぶのは随分あとになってからのことじゃ。その頃は、まだ銃剣が無かったので弾を込めるしかなかったのじゃ。
そこで、信長公はプログラマに弾を大量生産させることを思いついた。
「泣かぬなら、泣かせて見せよう、玉だけに」
と云ったか言わないかは知らないが、あまり下品なことは避けておいたほうがいいのじゃ。弾を大量に作るのはコツがあってじゃな、とくに火縄銃の弾の作り方をな、その頃で始めたチャッピーに聞くと「それは答えられません」と言われてしまうのじゃ。まあ、そうだな、火縄銃であっても銃には違いない。殺傷能力があるものを教えてしまうのは、ちょっと AI としてはよくないことなのかもしれぬ。そこでな、信長公は図鑑を見て
1. 火薬を銃身に流し込む
2. 鉛玉を入れる
3. 紙や布で詰めて密閉
4. 火縄を火皿につけて点火
5. 発射!
という手順を編み出したのじゃ。そう、これこそが流れ作業、ベルトコンベアーの発見である。信長公は、この4つの手順をプログラマに覚えさせて、5人で順々に作れることを考えたのじゃ。そうすると実にスムーズに撃てるのだな。5人で分担すれば5人力である。鉄砲からの弾も 5 倍に倍増するのだ。しかもだ、発射している打ち手はひとりなのだから、敵から狙われるのもひとり。つまりは 5分の1 のリスクで済むのじゃな。なんと素晴らしいことだろう。
プログラマ 5 人をこき使っても、1 人分の脱落ですむのじゃ。
信長公は天才じゃな。
しかしな、猿から進化した秀吉公は、もうちょっと工夫をしたのじゃ。
5 人をまとめて、ひとつの集団にしてしまおうという発想じゃ。信長公は、ひとりひとりのプログラマが専属の仕事、つまり火薬を込める係、鉛玉を入れる係、密閉する係、点火する係、そして、打ち手を分けて分業体制を作ったのじゃ。まさしく、ウォーターフォール方式の流れ作業だったのだが、この流れ作業がな、途中の密閉係がサボってしまったり、鉛玉が上手く入らなかったりすると、不具合が発生して大変なことになってしまうのじゃ。つまりは手戻りとか不具合とかいうものじゃな。いちど、不具合がおこってしまうと、分担が分かれ過ぎていて他の担当の仕事がわからなくなってしまうのじゃ。
そこで、秀吉公は考えたのじゃ。
「そうだ、仕事をローテーションして、みなが同じことをできるようになればよいのではないか」
と言ったかどうかは分からないがの、秀吉公はアジャイル開発スクラムを発見したのじゃ。それぞれの工程を分業するのではなく、みなが同じ知識を持っていてローテーションできる体制をくむのじゃ。後にアジャイル開発スクラムには、スクラムマスターとかプロダクトオーナーとかができることになるのじゃが、それは、まあ、のちのことじゃ。秀吉公はもっと大らかにアジャイル開発を考えていたのじゃ。5 人が力を合わせれば 5 人力じゃ。最後にはラグビーボールを蹴って敵にぶつけるのだ。敵はひとりしかいないのじゃがな、5 人でタコ殴りにするという正義の味方にあるまじきことをする...と思うのだが、いやいやそんなことはない。タコ殴り方式は、鬼平の時代でも現代の捕り物でも有効な方法じゃ。皆いっせいにかかれば、ひとりの悪人などたちまち捕まるのじゃ。
秀吉公もそう考えたのじゃな、きっと、たぶん。
ところがじゃな、家康公になった頃には、戦争というものが収まってきて、なにかと銃の腕を磨くことが無くなってしまったのじゃ。実際は冬の陣だとか夏の陣とかがあって、寒くなったり暑くなったりして大変だったのだが、そこは温暖化現象じゃ。エルニーニョ現象というところだな。そんな家康公は「銃の弾なんて、もういらない。弾が作られるまで待つのじゃ」と思ったかどうかはわからないが、弾の役割が戦国時代とは変わってきてしまったのだな。つまりは、芸術的な弾とか装飾的な弾とかがもてはやされる時代にはいっていたわけだ。
5 人いたプログラマも、いつかは離職してしまい、最後に残るのは 1 人だけになってしまったのじゃ。そうなると、ひとりアジャイルという訳にはいかないので、フリーランス状態じゃ。しかしな、技術職であるプログラマは、いわゆるフルスタックになるか、それとも技能工としての職人になるかの選択を迫られてしまうのだな。AI に仕事を奪われるのではないか? とかいう噂もあったのだが、いやいや、大丈夫。実際に弾を作れるのはプログラマしかおらんのじゃ。AI が作っている弾は、まあ、ちょっといびつだったり人前真似だったりするからな。
その時代、家康公の前に立ちはだかったのが多機能公だというわけじゃ。
セル生産という特殊な技術をもってだな、さきの 5 つの工程をひとりでこなすようになったのじゃ。ある意味でなんでも屋のような気もするが、いやいや、そう単純なことではない。創意工夫を凝らすことがプログラマである多機能公の使命となったのじゃ。
つまり、火縄銃を使うときの、火薬を銃身に流し込んだり、鉛玉を入れたりする作業をだな、弾自体に火薬を入れるように工夫をしたのじゃ。しかも、火縄銃では弾に火縄をつけないといけないが、弾のお尻部分を叩くことで発火するようにした、便利なものじゃ。これぞ、多機能公の出番ということだな。
そこからの多機能公の創意工夫は凄まじいものがあってな、ガトリング砲やら大砲やらを発明していくのじゃ。
そうこうしているうちに多機能公から家康公に時代は移る。
ひょっとすれば、多機能公が銀の弾や金の弾を発明したかもしれないのだが、いやいや、そんなことにはならなかったのじゃな。移り行く家康公の世界に、創意工夫の多機能公の芸術的な技術は失われてしまったのじゃ。なかなか惜しいことをしたとは思うがな。なに、時代とはそういうものじゃし、夢のまた夢、妄想というものだからな。ないものねだりをしてはいかんじゃろうて。
【完】
「トコトンやさしい セル生産の本」岩村 宏著 日刊工業新聞社




