第六話
「はぁっ……はぁっ……」
湿った風を切りながら、タケルは森の奥を駆けていた。額から垂れる汗が顎を伝い、首筋に冷たく流れ落ちる。
「こ、こんなことなら……もう少し真面目に練武場に通っときゃよかった……。」
息を切らせながら呟く声は、木々に吸い込まれて消える。
同年代の生徒たちが放課後に汗を流していた練武場。
だが大和統一後の時代に“武”を磨く意味を、彼はとうに見失っており、“うつけ”と囁かれても反論する気にもなれなかった。
大和国に代々続く将軍家。側室として仕えていた母も自分が小さかった頃は優しかった記憶がある。
かつては、そんな母に褒められたくて何事にも努力していた。「神童」と呼ばれるたび、胸を張って笑うことができた。
――けれど、次の将軍が異母兄弟の中から選ばれたあの日、
母はあっさりと家を去り、別の男のもとへ消えた。
きっと、世継ぎの一人として息子をを産んだ時点で相当な額が彼女に振り込まれたことなのだろう。もう御役御免というわけだ。
その時から、存在意義という言葉はタケルの中で音を立てて崩れた。もはや"大和"という姓ですら嫌になり何度も変えたいと思ったが、少年が一人で生きていくにはまだこの名前に縋るしかなかった。
安アパートのテレビに映る、画面の向こうで輝く異国の少年たちが、羨ましく見える。
学舎から帰宅すると、スマホのゲームで時間をつぶすだけの自分を直視することが出来ない。
もしクロエと出会わなければ――自分が羨望の眼差しを向けていた彼、彼女等も同じ様に何かしらの悩みを抱えていることにも気づかなかっただろう。
自分も、ただ世界を羨んで終わっていたのかもしれない。
「うおっ!? ……っぶな!」
考え事をしていたからか、スリッパのまま歩く足が木の根に躓き、体が前に倒れかけた。
即席の槍が胸元をかすめ、慌てて手を放し地面に転がる。スウェットの裾からのぞく脚には無数の擦り傷が滲んでいた。
息を整え、再び歩き出す。
どこにルミナス陣営のクリスタルがあるのかも分からない。
ため息をつくと槍を支えに近くの木にもたれ掛かる。
「足も痛いし、相手のクリスタルも見当たらない。こんなんじゃ、探し回ってる内にこっちのクリスタルが破壊されるんじゃないかな……」
そんな独り言を口にした瞬間、
頭の中に冷たい声が響いた。
『ルミナス陣営のアランが、アビス陣営のミルラによって倒されました』
「ミルラ……よかった。これなら確かに僕が残る必要はなか――
『アビス陣営のミルラが、ルミナス陣営のベスによって倒されました』
――った……」
音が遠のく。
胸の奥から、長い間沈めていた苛立ちがせり上がる。
重い腰を上げ、血の滲むスリッパのまま先のわからない道を進み始めた。
――下らない。
何を怖がって、何を避けてきたんだ。
今は過去を悔いる時じゃない。
歩け。歩け。歩け。
拳を合わせたあの小さな手。
恐怖に震えながらも、誰かのために戦う彼女の姿。
今思えば、あの時には彼女は一人で残るつもりだったのだろう。相手の斥候役を倒した時点で。
『死にはしないが、死を体験する』
それでも前に出る勇気を、自分はここで目の当たりにしたんだろう。
仲間に託された想いがあるんだろう。
そして……任されたなら応える。自分だって大和男児の端くれだ。
「……光が……」
木々の隙間に、白く滲む光が見えた。
森を抜けると、そこにはアビス陣営と対をなすような石造りの高台。
その中央で、純白のクリスタルが静かに浮かび、
その前に、小柄な人影が立っていた。
「光よ、その力をもって邪悪なる者を打ち倒せ――《ディバイン・ピラー》!」
瞬間、空気が震えた。
タケルの背筋を稲妻のような衝撃が走り抜ける。
幼い頃、何度も打ち合いの最中に感じた危険を知らせるその予感に反射的に地面を転がり、身を伏せた次の瞬間……、視界を焼くほどの光柱が天に向かって立ち昇る。
世界が、白く塗り潰された。
……そして、音が戻ったとき、
さっきまで立っていた場所は半径五メートルほど、まるで抉り取られたように何も残っていなかった。
焦げた土の匂いが鼻を刺す。
タケルは震える手で槍を掴み直すと、何故か恐怖よりも先に胸の奥が熱くなっていた。




