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さくらキャンバス!〜君と見つけた春の光〜  作者: 夜空千咲
第1章 始まり〜文化祭編
9/30

9 体育館、2人の間のバスケットボール。

 昼休みの体育館は、静かだった。

 外では駆け回って遊ぶ生徒の笑い声が響いているというのに、ここにはボールの転がる音も、掛け声もない。

 新宮あまねは、ほんの少し肌寒い空気を感じながら扉を押し開けた。


「野木、早くしてよ。昼休み終わっちゃう」

「わかってるって。忘れ物取りに来ただけだから」


 野木駿介は軽い足取りで更衣室の方へ向かう。

 あまねはその後ろを追いながら、苦笑いを浮かべた。

 ――まったく、またバスケ部のユニフォームでも置きっぱなしにしたんでしょ。


 やがて野木が手にバスケットボールを持って戻ってくる。

 あまねが怪訝そうに眉を寄せると、彼はニッと笑った。


「なにそれ。忘れ物ってボール?」

「いや、これはついで」

「……は?」


 野木はドリブルをしながら、あまねの前にボールを差し出した。


「ちょっと、シュートしてみてよ」

「はぁ? 無理よ。私そういうの――」

「元・女バスだろ〜? いけるいける!」


 からかうような声に、あまねの頬がぴくりと動いた。

 あの頃の記憶が、少しだけ胸の奥をくすぐる。

 けれど、今はもう関係ない――そう思いながらも、彼の視線に押されて、仕方なく両手でボールを受け取る。


「……ちょっとだけだからね」

「お、やったね」


 軽く構えて、リングを見上げた。

 深呼吸をひとつして、シュート。


 ボールは、リングの手前で落ちた。

 あまねは苦笑し、眉をひそめる。


「ほら、言ったじゃない。無理だって」

「でも綺麗だったけどなぁ、もう一回!」

「もうしない!」


 ぷいっと顔を背けたあまねに、野木はおかしそうに笑った。

 床を転がるボールを拾い上げ、そのままシュート。

 綺麗な弧を描いて、ネットの中に吸い込まれる。


「……何よ、自慢?」

「違う違う。ただ、懐かしくて」

「懐かしい?」

「ほら、中学のときさ」


 その一言で、あまねの動きが止まった。

 ふと目を細め、遠くのゴールを見つめる。

 記憶が、静かに巻き戻っていく。


* * *


 ――あれは、中学一年の春だった。


 新しい体操服の匂いと、体育館の埃っぽい空気。

 友達に誘われて、あまねは女子バスケ部に入部した。

 “みんなでやれば楽しいよ”という言葉を信じたかった。


 けれど、初日から体は思うように動かない。

 ボールを追いかけるたびに胸が苦しくなり、咳が止まらなくなる。


「だ、大丈夫? 新宮さん」

「うん……ごめん、ちょっとだけ……」


 そう言いながらも、何度も咳込む。

 周囲の視線が気になった。

 自分だけが遅れていること、自分だけができないことが、何より怖かった。


 ――なんで、私だけ。


 部活の後、ひとりで体育館の隅に座り込むことも多かった。

 あの頃のあまねは、いつも自分を責めていた。


 そんなある日の放課後。

あまねはバスケットボールを横に置いて、隅の方にちょこんと座っていた。チームメイトは各自、休憩や自主練に励んでいる。

 すると突然、隣の男子バスケ部のコートから「おい」と声が飛んだ。


 顔を上げると、こちらをじっと見つめる少年が立っていた。

 汗をかいた額に髪が張り付き、手にはボール。


「大丈夫?」

 その声は、思っていたよりずっと優しかった。


「え、あ……うん」

 あまねが立ち上がると、少年は少しだけ笑った。

 まだ声変わりも終わっていないような、幼さの残る笑み。


「なんか、めっちゃ咳してたから」

「平気。私、喘息なの。ちょっと走るとダメになるんだ」

「そっか。でも、無理すんなよ。ちょっとずつでも、やってれば上手くなるし」


「……本当?」

「うん。俺がそうだからな。最初はボールもまともに扱えなかった。でも、続けてたらちょっとだけ上手くなった」


 その言葉に、あまねは少しだけ笑った。

 その少年――野木駿介は、ボールを軽く放ってみせた。

 ボールはリングに当たって跳ね返る。


「ほら、まだ外すし」

「ふふ、確かに」

「だからさ、その、お互い頑張ろうぜ」


 その笑顔が、眩しく見えた。

 胸の奥で、何かが温かく灯った気がした。


* * *


 ――記憶が戻ると、体育館には静かな昼の光が差し込んでいた。

 あまねはぼんやりと、ゴールを見上げる。


「……あのときのこと、覚えてたんだ」

「そりゃ覚えてるよ。あのあとすぐ、お前泣きそうになってたじゃん」

「泣いてないし」

「本当かなぁ〜?」


 野木が笑いながら言うと、あまねは小さくため息をついた。

 けれど、その口元にはほんのり笑みが浮かんでいる。


「結局あの後、すぐバスケ部辞めたよな」

「まぁね。身体と相談した結果」

「うん、それもアリだな」

 野木は少し間をおいて、真面目な声で続ける。

「まぁこれからも、無理せず、だな」


 不意にそう言われて、あまねはピタリと止まった。

 顔を上げると、野木が穏やかに笑っている。

 どこか、あの中学生の頃の面影をそのままに。


「……分かってるわよ」

 その声は少しだけ柔らかくなっていた。


 2人の間を、ボールが転がっていく。

 昼の光が差し込み、体育館の床に淡い影を落とす。


 その静かな空間に、あまねの小さな呟きが溶けた。


「――懐かしい、本当に」


 野木は何も言わず、ただ頷いた。

 ボールを拾い上げ、リングへと軽く放る。

 ボールは再び、綺麗な弧を描いて吸い込まれた。


 その瞬間、あまねの胸の奥に、あの春の匂いがよみがえった。

 そして、自分でも気づかないほど小さく、微笑んでいた。


〜小ネタ〜

・中1のときの野木は今より小さくて可愛かったそうです。あまねは、あの頃の野木を返せと嘆いています。

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