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さくらキャンバス!〜君と見つけた春の光〜  作者: 夜空千咲
第1章 始まり〜文化祭編
8/30

8 過去、現在、私たち。

 夜の八時。

 都内の芸能事務所「エテルネルプロダクション」の一室では、まだ明かりが落ちていなかった。


 会議室の長机を挟み、数人のスタッフがタブレットや資料を前にしている。

 その中で、菊田さくらは姿勢を崩さず座っていた。白いブラウスの襟元が、少しだけ窮屈に感じる。


「次の撮影スケジュールは、夏休み入ってすぐだから。学校との両立、無理しないように」

 マネージャーの木村が穏やかな口調で言った。


「はい、大丈夫です」

 さくらは微笑んで答える。

 その笑顔が、ほんの少しだけ作りもののように見えたのは、長く彼女を見てきた木村だけが気づいた。


 会議が終わり、スタッフたちが次々に部屋を出ていく。

 さくらも軽く頭を下げて扉を開けた。その瞬間、廊下の明かりの下に、缶コーヒーを片手に座る男の姿があった。


「ヤッホー、さくらちゃん」


 柔らかい声。

 見ると、俳優の森下圭吾が笑っていた。

 ライトブラウンの髪を無造作に整え、無遠慮なほど自然な笑みを浮かべている。


「森下さん……こんばんは」

「会議? お疲れさま。最近、学校はどう?」


 その言葉に、さくらは目を瞬かせた。

 思いがけない言葉に、ほんの少し間をおいてから、小さく答える。


「……楽しいです。普通の学校生活、久しぶりで」

「そう、普通ねぇ……。そういう時間、大事にしなよ。後で振り返ると、案外一番きらきらしてるから」


 森下の声は軽い。けれど、どこか本気の響きがあった。

 だが次の瞬間、空気が変わる。


「そういえば――前の学校、芸能学校だったよね。なんで転校したの?」


 さくらの足が止まった。

 息が、浅くなる。

 頭の奥に、ざらついた声が蘇る。


 ――可愛くない。

 ――ウザいなぁ、あんた。


 脳裏に、あの子たちの笑い声がよみがえる。


「……」


 答えられない。

 俯いたその肩に、木村の声が飛ぶ。


「森下さん、その話はやめてください。今は関係ないでしょ」

「ごめん、ごめん。気になっただけ」

 森下は両手を上げて苦笑いしたが、視線だけはさくらから離れない。


 そして、わざとらしく何気ない調子で言った。


「東堂結衣ちゃんと仲良かったって本当? この前のテレビでも、君のこと話してたよ。懐かしいって」


 その名が出た瞬間、さくらの体が固まった。

 唇の端が、かすかに震える。


「……そう、ですか」


 顔を上げないまま絞り出した声は、掠れていた。

 木村が、険しい表情で森下を睨む。


「やめてください。悪趣味です」

「別に悪気はないって」

「もういいわ。行こう、さくら」


 木村はさくらの肩を軽く押して歩き出した。

 廊下の奥、エレベーターへと向かう背中が小さく揺れる。

 さくらは何も言わなかった。ただ、拳だけを強く握りしめていた。


 ――東堂結衣。

 かつての友達。

 けれど、いちばん残酷な言葉を吐いた人。


 彼女の笑顔を思い出すたび、胸が冷たくなる。


***


 一方そのころ、住宅街の一角にある佐藤家。


 テーブルの上には、父と息子、二人分の夕食が並んでいる。

 カチカチと時計の秒針が鳴り響く中、箸の音だけが静かに続いていた。


「テストはどうだった?」

 父の声は低く、無駄のない響き。

「……まあ、悪くはないと思う」

「悪くないじゃなくて、完璧を目指せ。甘えるな」


「……ごめん」

 短く答えた晴大は、味噌汁をすすり、視線を落とした。


 父の口から、次の言葉が落ちる。


「それと――お前、最近絵を描いてないな」


 晴大の手が止まった。

 箸の先で豆腐をつまんだまま、少しだけ顔を上げる。


「……絵なんて、描いても意味ないから」

 自分でも驚くほど、あっけなく出た言葉だった。

 けれど、その瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。


 父は何も言わずに頷き、食器を片づけ始めた。

 晴大は無言のまま立ち上がり、食器を片付け終えて自室に向かう。


***


 静かな部屋。

 机の引き出しを開けると、奥にしまってあったスケッチブックが顔を出す。

 それは、遠い昔、母が晴大に渡したものだった。


『自分の思うままに描いてね』


 柔らかな声が、ふと脳裏に響く。

 あの頃の記憶が、痛いほど鮮明に蘇る。


 ――でも、描いたところで何も変わらない。


 晴大はスケッチブックを閉じ、ため息をついた。

 代わりに、学校のカバンからもう一冊を取り出す。

 その表紙には、少し汚れた鉛筆跡。

 開くと、そこには、菊田さくらの横顔が描かれていた。


 文化祭の準備で笑っていたときの表情。

 無意識のうちに、何度も線を重ねていた。


 ――あの人は、どんな気持ちで笑ってたんだろう。


 スマホを取り出し、検索窓を開く。

 指が「きくたさくら」と打ち込む。

 予測変換の候補に、指先が止まった。


 そして、すぐにため息をつき、画面を閉じる。


「……同級生を調べるとか、変だよな」


 小さく笑って、スマホを机の上に置いた。


――画面に映る彼女ではなく、目の前の彼女を見よう。


そして、自分も自分自身を――


――見よう。

〜小ネタ〜

・「エテルネルプロダクション」→菊田さくら、森下圭吾などが所属する大手芸能事務所。若手俳優を中心にドラマ、バラエティ、SNSなど多方面に力を入れることで有名。

・菊田さくらは今の事務所に中学3年生の頃に入所しました。緊張しながら廊下を歩いていると、明らかに下心ありありな笑顔で近づいてくる若い男性が……!!

そう、それが森下圭吾でした。

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