6 放課後、彼らは。
放課後の美術室。窓から差し込む夕日が、絵の具の瓶を赤く照らしていた。
菊田さくらはぼんやりと空を眺めながら、椅子に腰掛けている。
その隣では、佐藤晴大が筆を洗いながら静かに言った。
「……無理してるの?」
「え?」
思わず顔を上げたさくらは、何のことか一瞬分からなかった。
「無理……って、何が?」
晴大は筆を布で拭いながら、目を伏せた。
「分からない。ただ……菊田さん、たまにちょっと、疲れてるように見える」
その言葉に、さくらは小さく息を呑んだ。
「……そっか。そうかも。でも、自分で選んだことだから頑張らなきゃ、ってね」
「……そう」
晴大はそれ以上、何も言わなかった。
けれどその静けさが、かえって彼女の胸を締めつけた。
さくらは自分の座る机を見下ろしながら、呟くように言う。
「……本当はね、たまに苦しくなる。完璧な自分でいようとするほど、本当の自分の不完全さが際立つの。本当に完璧な人は、こんなことしないんじゃないかって。いちいち、こんなことで悩まないんじゃないかって」
夕日が二人の間をゆっくりと染めていく。
晴大は黙ったまま筆を置いた。
その胸の奥に、父親の厳しい声がよぎる。
“東大に入れ”“勉強こそが価値だ”。
他人の完璧を追い求める苦しさを、彼は知っていた。
「……分かるよ」
それだけ言って、晴大はさくらの隣に座った。
彼の声は穏やかで、どこか温かかった。
さくらは驚いたように彼を見たが、すぐにふっと微笑んだ。
少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
そして、ふいに顔を上げて言った。
「ねえ、佐藤くん」
「ん?」
「……私に、絵描いてよ」
突然の言葉に、晴大は一瞬目を見開いた。
「……俺が?」
「うん。佐藤君の目に映る“私”を、描いてほしいの」
そう言って笑うさくらの表情は、どこか寂しげで、どこか救いを求めるようでもあった。
晴大は少しだけ考え、それから静かにうなずいた。
「……いいよ」
さくらは嬉しそうに微笑む。
その笑顔は、これまで見たどんな笑顔よりも自然で、優しかった。
***
同じころ、体育館ではバスケットボールの音が響いていた。
野木駿介がドリブルから軽やかにステップを踏み、シュートを決める。
「ナイス、野木!」
部員たちの声が飛ぶ。野木は汗を拭きながら笑った。
その様子を、ドアの影から新宮あまねが静かに見つめていた。
バスケットボールが床に弾むたび、胸の奥が少しだけざわつく。
ふと、軽く咳がこみ上げる。
胸を押さえて小さく息を整えながら、彼女は目を細めた。
「……ほんと、体力バカね」
口ではそう呟いたが、その声にはどこか羨望が混じっていた。
息を切らさず走り回る野木の姿。
あんなふうに、思い切り体を動かせたら――そんな淡い思いが胸に浮かぶ。
野木がふと顔を上げ、彼女を見つけた。
ぱっと笑って手を振る。
あまねは慌ててぷいっと顔をそらした。
「……調子乗らないでよ」
でもその頬は、夕日に照らされてほんのり赤かった。
***
しばらくして、校舎の廊下。
野木とあまねは一緒に帰ろうと並んで歩いていた。
ふと、あまねが美術室の前で立ち止まる。
「……まだ明かり、ついてる」
野木も覗き込む。
夕暮れの光が差し込む中、見えたのは、机を挟んで向かい合う二人の姿。
さくらが笑って、晴大が少し照れたように頬をかく。
「むむっ、いつの間にあいつ、さくらちゃんと……!?」
野木が恨めしそうに見つめる。
「あんた、邪魔すんじゃないわよ」と、あまねが一言言うと、2人はあまねが野木を引っ張る形で、その場を離れた。
窓越しの美術室では、淡い夕日がゆっくりと沈みゆく。
その光に照らされて、さくらの茶髪が金色に輝いていた。
彼女の笑顔はどこか遠くて、けれど確かに、優しい光を宿していた。




