4 芸能の世界
スタジオの空気は、学校とはまるで違っていた。
ライトのまぶしさ、スタッフの慌ただしい足音、そして「止めて!」という監督の声が響くたびに、空気がぴりりと引き締まる。
菊田さくらは小道具の花束を握りしめたまま、カメラの前に立っていた。
台本通りに笑うだけの簡単なシーン――のはずだった。けれど、どうしても自然な笑顔が作れない。
「はい、カット。……さくらちゃん、表情が硬い」
監督の声は淡々としていた。怒鳴られたわけではない。だが、周囲の疲れた顔がこちらを見る。その度、胸の奥にじりじりと焦りが募る。
「もっと、“恋人を見送る”気持ちを出して。今のはただ笑ってるだけ」
「……すみません」
小さく頭を下げる。何度も深呼吸をしても、肩の力が抜けなかった。
再撮影の準備に入ると、スタッフたちが照明の角度を調整し始める。
そのざわめきの中、どこからか軽い声が聞こえた。
「やあやあ、新人ちゃん」
スタジオの隅で待機していたさくらの前に、ひときわ存在感のある男性が姿を現した。
茶色がかった髪を軽く整え、どこか余裕を漂わせた笑みを浮かべている。
彼の名前は森下圭吾。同じ芸能事務所に所属する先輩俳優で、数々のドラマやCMに出演する人気者だ。
ただし——“女好きの森下”という噂が業界内ではかなり有名でもある。
「お疲れかなぁ?一緒に休んじゃう〜?」
軽く笑う森下の言葉に、さくらは引きつった笑みを返すしかなかった。
この男は、さくらが現在の事務所に移籍した初日、右も左も分からずにいた自分に、必要以上に距離を詰めてきた。
まるで口説くような調子で、「君、可愛いね。新人? 今日、どう?」と冗談めかして言った——。
その一言がずっと頭から離れず、以来、さくらは彼に対して苦手意識を抱いていた。
「……お久しぶりです。森下さん」
「お、敬語か。相変わらず真面目だねぇ」
軽口を叩きながらも、森下は周囲のスタッフやカメラの位置を一瞬で把握していた。
仕事への集中力は本物だと、さくらも頭では分かっている。
——それでも、どこか構えてしまう。
森下の笑顔が、何を考えているのか分からないから。
「……もしかして、緊張してる? 今夜、練習がてら一緒にご飯でも――」
「森下さん、またそういうこと言ってるんですか」
冷静な声がその言葉を遮った。
マネージャーの木村舞香が、腕を組んで立っている。
「あなた、いい年して何してんの。新人いじりもほどほどにしてください」
「おやおや、こわいなあ、木村ちゃん。冗談だよ、冗談」
そう言いながらも、森下はどこか余裕のある笑みを浮かべる。
「冗談でも通じませんよ。さくらは、あなたと違って純真無垢なんですから」
「えぇ、俺だって純真無垢だけどなぁ〜」
木村はため息をつきながらも、完全に怒っている様子ではなかった。
このやり取りは、何度も行われてきたのだろう。
さくらは小さく会釈して、「ありがとうございます」と呟く。
木村はさくらの肩にそっと手を置いた。
「気にしないで。あの人、いつもあんな感じだから」
森下は肩をすくめ、照明の明るさに目を細めた。
「じゃ、頑張ってね。俺ももうすぐ出番だ」
軽く手を振って離れていく背中には、何かを背負っているような静けさが一瞬だけ見えた。
再び照明が灯る。
眩しさの中で、さくらは花束を握りしめた。
――この世界では、笑顔の裏にもいろんな顔がある。
それを少しだけ感じた気がした。
〜人物紹介〜
森下圭吾→誕生日:12月24日、身長:175cm、外見:茶髪、大きな瞳、綺麗とカッコいいが共存する顔




