26 落ち着いて、リラックス。
夕方の空は赤く滲み、校門の影が長く伸びていた。
あまねは野木と並んで、ゆっくりと駅へ向かって歩いていた。さくらはすぐに現場へ向かわなければならず、正門で慌ただしく別れた。晴大も途中の駅で降りていき、車内には二人だけになった。
電車が静かに揺れる。
あまねは窓の外をぼんやり見つめ、野木はその横顔ばかり気にしていた。
「……委員長、体大丈夫か? 寝てるか?」
低く、ためらうような声。
あまねは前を向いたまま返した。
「それ、さくらにも言われた。そんなに不健康に見える?」
「……見える」
短い返事が、車内の冷たい空気に溶ける。
「……そう」
それ以上、あまねは何も言わなかった。
電車の走行音だけが淡々と続く。
「大変だろうけど、無理だけはするなよ」
ようやく絞り出した野木の言葉に、あまねは小さく笑った。
その笑みは、いつもの強情な笑いではなく、自分を誤魔化すための薄い膜のような笑いだった。
「……無理しないとダメなのよ」
「委員長――」
「あんたには分かんないわよ」
その声は鋭く、思いがけず冷たかった。
「あと2日しかないのよ。なのに私はセリフもろくに言えない。動きも下手くそ。こんなんで本番迎えられるわけないじゃない」
野木の喉がひくりと動く。
「分かってる。けど、」
「分かってない。あんたは何にも分かってない」
あまねは、疲れ切ったような、それでいて張り詰めた声で続けた。
「そうやって言えるのは、所詮他人事だからよ。やってみなさいよ。私の代わりに、やってよ」
言葉が、矢のように飛ぶ。
野木は口を開きかけたが、何も言えなかった。
その沈黙を見て、あまねはふっと笑った。その笑いは自嘲に近く、悲しみすら滲んでいた。
「ほらね。無理でしょ。そうやって簡単に言うのよね。あんたはいっつもそうよ。何も分かってないから楽観的になれる。そんな奴の言葉なんて、全く響かないから」
野木は深く俯く。
あまねは、言いすぎた、と胸が少し痛んだ。だが、弁明するにはあまりにも遅かった。
二人は黙り込んだまま、電車は終点へと向かっていった。
***
翌朝。
教室にはどこか重い空気が漂っていた。
あまねと野木の間には、目に見えるほどの距離があった。
話すこともなく、視線を合わせることもない。
その様子を見たさくらが首を傾げた。
「……あの2人、何かあったのかな」
晴大はちらりと二人を見て、小さく肩をすくめた。
「……さぁ。珍しいな……」
あまねの目の下には、昨日よりも濃いクマが浮かんでいた。
休み時間もメモを読み、口元で小さくセリフを唱え続けている。
数人のクラスメイトがひそひそと囁く。
「委員長……大丈夫かな」
「なんか前より焦ってる感じ」
心配と不安が、じわじわとクラスに広がっていった。
***
夕暮れの教室。
あまねは黒板の前に立ち、
「これが、最後の練習だから。明日は絶対成功させようね」
と力強く言った。
だが、返ってくるクラスメイトの表情は、気合というよりも――
明らかな心配 だった。
***
体育館には本番さながらのセットが組まれ、空気が一段と張り詰めていた。
全員が深く息を吸う。
あまねは胸に手を当て、何度も自分に言い聞かせていた。
(これが最後。これが最後。私なら、できる……)
その様子を見ていたさくらが、そっと近づく。
「失敗しても良いからね」
あまねは思わず顔を上げ、まっすぐさくらを睨む。
「どういうこと? 失敗なんて絶対ダメよ」
強い声だった。
だがさくらは穏やかな笑みのまま、あまねの背中に手を置いた。
「大丈夫。そんくらいのスタンスの方が、かえって成功するもんだよ」
「……そんなわけ」
「ううん。あるよ。だって、委員長、緊張してるでしょ?」
さくらはあまねの手をそっと指差した。
その手は、わずかに震えていた。
あまねはハッとして、慌てて両手を隠す。
「良いの良いの。緊張しないで、リラックス。失敗したら、私がフォローするし。それに、誰も責めないよ」
あまねは唇をきゅっと結んだ。
「……頑張る」
「うん」
その優しい笑顔に、あまねは少しだけ呼吸が楽になった。
すぅっと息を吸って、吐く。
――こんなに簡単なことが、今までどうしてできなかったんだろう。
「行こう。最後のリハ、全力で!」




