25 何ということでしょう。
「インフルって……本番は明々後日よ!?」
教室へ駆け戻ってきたあまねに、クラス中の視線が集中した。
野木、さくら、晴大も息を切らせながらその後ろに続く。
あまねを呼びに来た実行委員の女子が、眉を寄せてうつむいた。
「うん……今から代役立てるしかないね」
その言葉に、教室は一気に重苦しい沈黙に包まれた。
“そんな大役、自分には無理だ”
――皆がそう言いたげな顔をしている。
そのとき、誰かがぽつりと漏らした。
「……この中で、みんなのセリフ覚えてるのって……」
一瞬の静寂。
ゆっくりと皆の視線が上がり、そして――全員があまねを見つめた。
「……そうね、私しかいない」
あまねは、小さく頷いた。
しかし胸の内では、嵐のように思考が渦巻いていた。
(本当に? 本当に私がやるしかないの?)
不安が押し寄せる。それでも――
考えれば考えるほど、適任は自分しかいないと自覚してしまう。
「……分かった。私が代役をする」
その瞬間、教室の空気が変わった。
驚きと、そしてほんの少しの安堵が混ざった眼差しがあまねに向けられる。
あまねは唇を噛みしめた。
(こうするしかないんだ……)
野木が眉を下げ、遠慮なく心配をぶつけた。
「……委員長、あと三日だぞ? 大丈夫か?」
あまねは一瞬だけ視線をそらし、無理やり笑顔を作った。
「何言ってんの、大丈夫よ!」
その笑顔の裏に、焦りと苛立ちが確かに滲んでいた。
さくらと晴大は言葉を失い、ただ心配そうに見つめることしかできなかった。
「さっ、早速練習しましょ!」
号令とともに、教室は再び動き出す。
皆、委員長の言葉に従って練習に戻った。
***
次の日。
休み時間になっても、あまねは必死に台詞をぶつぶつと唱えていた。
机には広げた台本。頭の中は文化祭のことでいっぱいだ。
そんな彼女に、さくらがそっと声をかけた。
「委員長、ちゃんと寝てる?」
あまねの目の下には、うっすらとクマができていた。
「大丈夫よ!」
あまねは笑って誤魔化したが、余裕のなさは隠しきれていなかった。
***
その日の放課後、あまね率いる2年2組は体育館を借り、本番と同じ動きで練習をしていた。
セリフも動きも順調――
……少なくとも、周りはそう思っていた。
あまねは緑のワンピースに着替え、舞台袖からゆっくりと登場した。
大きく息を吸って、台詞を放つ。
「ちょっと、ここにまだ埃が残ってるじゃない」
目の前に、薄汚れた灰色のワンピースを着たさくらが近づいてくる。
「す、すみません。今すぐ掃除します……」
ここまでは完璧だった。
だが――
あまねは近づいてきたさくらに見つめられ、ふと動きを止めてしまう。
(え? この後、何かあったっけ……?)
頭の中が真っ白になっていく。
そんなあまねの様子を察し、さくらが小さく囁いた。
「次、私を蹴って」
「っ……!」
あまねはハッとし、慌ててさくらの足元に軽く蹴る仕草をした。
さくらは自然に倒れ込み、そのまま台詞を続けようとする――が、
「ちょっと、」
「お義姉さま……!」
二人の声が重なってしまった。
あまねは思わず「ごめん……」と呟く。
さくらは優しく微笑み、「大丈夫」と首を振った。
だが――
あまねの胸の中では、焦りの火が確かに大きくなっていた。
その小さな違和感は、すぐに周りへも伝わっていく。
舞台袖で見ていたクラスメイトたちが、ざわりと目配せをした。
「……今の、ちょっと噛み合ってなかったよね」
「大丈夫かな……本番まであと二日なのに」
そんな小さな声が、体育館の空気をひそやかに揺らす。
誰もあまねを責める気はなかった。
むしろ、無理をしている彼女を見て、余計に心配になっていた。
だが、その“心配”すら今のあまねには届かなかった。
舞台の中央に立つ彼女は、ただ必死に気持ちを整え、前に進もうとしていた。




