22 苦手なあの人。
東堂結衣の言葉に、さくらはその場で固まった。
「調子に乗らないでよね」──その一言が、耳の奥で何度も反響する。
声を失ったさくらの様子をじっと見つめながら、東堂はふっと口角を上げた。
「な〜んてね! 嘘、嘘!」
弾けるように笑う声。
「いやぁ、久しぶりだね、元気してた?」
あまりに急な切り替えに、さくらは一瞬、何が起きているのか分からなかった。
東堂はそのまま歩み寄り、さくらの腕に自分の腕を絡ませる。
「元気、してた?」
もう一度、柔らかい声で問われ、さくらは慌てて笑みを作った。
「……う、うん。すっごく元気だった」
「さくらってば、いっつもふにゃふにゃしてんのにさぁ、よくそれで芸能界やってけるよね〜!」
東堂は明るく笑いながら、軽い調子で言った。
周りにスタッフがいないのを確認しているような、細やかな目線、そして、笑顔。
さくらは苦笑いで返すしかなかった。
「いやぁ、結衣ちゃんこそ凄いよ。たくましくて、1人でも生きてける。カッコいい」
それは本心だった。
けれど同時に、胸の奥ではどうしようもない苦手意識がくすぶっていた。
東堂結衣──彼女の前では、呼吸が浅くなる。
「もぉ〜お世辞はやめて〜思ってないくせにぃ」
東堂は少し笑顔を歪めながらも、軽く肩を叩いた。
「思ってるよ……」
小さく呟いたその言葉は、空気に吸い込まれて消えていく。
東堂の目が一瞬だけ、冷たく光った。
だがその表情は、すぐにまた柔らかい笑顔に戻る。
「……それじゃあね。また」
そう言って、東堂結衣はさくらの腕をそっと外した。
香水の残り香だけが、彼女の存在を示すように残る。
「……うん、また」
さくらは小さく頷いた。
けれどその声には、少しの震えが混じっていた。
***
バラエティ番組の収録が終わり、さくらは木村に見送られて駅へ向かった。
その背中が見えなくなるまで見届けると、木村は小さく息をついて、事務所へと戻った。
夜のロビーには、人の気配がほとんどなかった。
唯一、ソファの一角でコーヒーを片手にしている男がいる。
「げっ……いやぁね。どう頑張っても目の前通るしかないじゃない」
木村は小さく呟きながら、ため息をひとつ。
気まずそうに通り過ぎようとしたその瞬間──
「……ねぇ」
低い声が呼び止めた。
木村は聞こえないふりをして歩こうとしたが、腕を掴まれる。
「ちょ、離してください」
げっと顔をしかめながら、木村は振り向いた。
森下圭吾が、静かに彼女を見上げていた。
その瞳は、普段の軽薄な色をしていなかった。
「……これから仕事?」
穏やかに問う声に、木村は一瞬だけ目を逸らした。
「……そうですけど。あなたはもう仕事ないでしょ。さっさと帰ってください。あと、手を離してください」
森下はパッと手を放し、少し笑って言った。
「いやぁ、だってこんな暗いんだよ? 一人じゃ怖い怖い〜」
いつもの調子に戻ったような声。
だが木村は眉をひそめた。
「何、いい年した男が怖がってんの! カッコ悪い!」
「……分かってるけど。怖いもんは怖いんだよ」
森下は口を尖らせた。
その様子に木村は呆れたように目を細める。
「……そうやって何人もの美女と取っ替え引っ替え遊んでた訳ね。その顔でその台詞、はいはい納得」
森下は苦笑しながら、缶コーヒーをそっと握った。
「遊んでる訳じゃない。ちゃんと同意の上だもん」
少し子供っぽく頬を膨らませる姿に、木村はため息をついた。
「……ふぅん、あっそう」
「……あのさ、ちょっとの間で良いから、隣にいてよ」
突然吐かれたその言葉には、軽さよりも、ほんの少しの寂しさが混じっていた。
「……はぁ!? 嫌よ! そんな無防備なことしません!」
「木村さんには手出さないよ。だって、拒否するし」
「当たり前です!」
そう言いながらも、木村はふと動きを止めた。
──なんか、いつもと違う?
冗談にしては目が真っ直ぐすぎる。
その違和感に、警戒よりも先に好奇心が勝った。
木村はため息をひとつついて、森下の座る長椅子の隣に腰を下ろす。わずかに一人分の距離を空けて。
森下はちらりと横を見て、小さく笑った。
「……ありがと」
静かなロビーに、その声だけが落ちた。
12/1〜12/4は投稿お休みします。




