20 ニ人の関係
ドラマの放送開始を控えたある日。
菊田さくらは共演俳優・森下圭吾とともに、番宣のためのバラエティ番組に出演することになっていた。
撮影場所は都内のテレビ局。
慌ただしく走り回るスタッフたち、照明の眩しい白いスタジオ、そして緊張と笑いが入り混じる空気――。
その中で、マネージャーの木村がスケジュール表を片手に、いつものように淡々と指示を出していた。
「さくら、トークコーナーは5分。変に構えず、自然体でね」
「……はい」
返事をしながらも、さくらの声は少し上ずっていた。
これまで何度もバラエティに出てきたはずなのに、今日は胸の奥がざわついている。
その理由は分かっていた。――名前を聞いた瞬間から。
今回の共演者の一人に、東堂結衣という名前があった。
彼女は、さくらがかつて通っていた芸能学校の同級生であり、そして――さくらをクラスで孤立させた張本人だった。
木村はそんなさくらの表情を横目で見て、静かに声をかけた。
「大丈夫。さくらは何も気にしないで良いから」
その短い言葉に、さくらはわずかに唇を噛み、頷いた。
そうだ、自分はもうあの頃のままじゃない。前を向かなくちゃ――そう言い聞かせる。
――そのときだった。
「あ〜! さくらちゃん! 久しぶり〜!」
明るく響く声。振り向くと、スタッフに囲まれて現れたのは、髪をふわりと巻いた女性――東堂結衣だった。
テレビで見慣れた笑顔を浮かべ、まるで昨日会ったかのように手を振ってくる。
「あ、うん……久しぶり」
さくらは思わず身体を固くした。
笑顔を作ろうとしたけれど、頬が引きつってしまう。
心の奥で、忘れたはずの痛みが小さく軋んだ。
その様子を、少し離れた場所から森下圭吾がじっと見つめていた。
彼の瞳は、静かに事の様子を捉える。
「これ、差し入れ〜! スタッフさんにもどうぞ!」
東堂はそう言って、小さな紙袋を取り出した。中には上品な焼き菓子の詰め合わせ。
木村にもディレクターにも愛想よく手渡しながら、場を明るくしていく。
――まるで、昔のことなんてすっかり忘れたみたいに。
さくらはその様子をただ見つめていた。
懐かしさも、怒りも、悲しみもない。ただ、胸の奥がひどく冷たい。
自分の記憶の中の東堂結衣と、今目の前にいる彼女が、同じ人間だとは思えなかった。
「それじゃあ、また撮影で〜!」
そう言って笑顔で去っていく東堂。
残されたのは、香水の甘い香りと、さくらの手の中にある小さな焼き菓子だけ。
「……」
さくらはそれを見つめたまま、動けなかった。
包装紙の上から伝わる手の温もりが、どこか居心地悪い。
そんなさくらを見て、木村が静かに口を開いた。
「集中」
短く、けれど芯のある声だった。
叱るでも、慰めるでもない。ただ、前を向かせるための一言。
さくらはゆっくり顔を上げる。
木村の瞳には、変わらない信頼の光が宿っていた。
それに背を押されるようにして、彼女は小さく頷いた。
「はい」
そのとき、別のスタッフが声をかけに来た。
「菊田さん、トーク部分の打ち合わせお願いします」
さくらは深呼吸をして、作り笑顔を浮かべる。
「はい、すぐ行きます」
彼女が立ち上がると、森下圭吾が一瞬その背中に目を向けた。
そして、さくらがスタッフと話している隙に、木村のもとへと歩み寄る。
「あっれれ〜?さっきの子、新人ちゃんと同じ学校だった子じゃないの〜?」
木村が振り返る。
冷静な表情の奥に、少しだけ苦いものが浮かんでいた。
「ええ、そうです。それが、何か?」
「……別に〜。でも、新人ちゃん表情硬かったように見えたけどぉ?」
「……あのねぇ、まず、新人ちゃんって何ですか?さくらは子役時代も合わせたらあんたと同じくらい芸歴あるんです。 それと、誰のこと言ってるのか分からないからやめてください。普通に、ややこしいです」
目を合わせないようにしているのか、森下圭吾からは木村の顔がよく見えない。
だが、森下圭吾は何かを悟ったように「ふぅ〜ん」と呟いた。
「君は新人ちゃんのこと、大事にしてるんだね」
突然の言葉に、木村さんの肩がぴくりと動いた。
それに気づいたのか気づかなかったのか定かではないが、森下圭吾は続けて言う。
「君たちってさ、仕事上の関係、って感じじゃないよね。」
「……何言ってるの。さくらは俳優、私はそのマネージャー。それ以上でも以下でもない」
木村は少し早口で言葉を放った。
「えぇ、そうかなぁ。そうかぁ。うぅ〜ん、」
森下圭吾は唸るように声を出して、言った。
「君は新人ちゃんのことを、まるで自分を見ているかのように見つめるときがあるよね」
森下圭吾の薄茶色の瞳は、遠く、どこかを見つめているようだった。そしてまた、木村の瞳もどこか別のところを見ていた。
「……そんなわけ、ないでしょ。さくらと私が同じなわけないんですから」
「……ふぅん、そうかぁ。まぁ、君はマネージャーだもんね」
「……はい、そうです。私はマネージャーなんです」
木村は淡々と言い、そのまま手元の資料に目をやった。だが実際は焦点が定まらず、目線がページの上をさまよう。
その様子を見ていた森下圭吾はふっと笑いながら頭の後ろで手を組んだ。
「木村ちゃん、今夜空いてる?」
その軽薄な態度に、木村の顔は少し引き攣った。
「……空いてません」
「えぇ、悲しい!」
「そうですか、良かったですね!!」
木村はピシッと言うと、そのままスタスタとさくらの方へ歩いて行った。
森下は静かに「悲しいなぁ」と呟いた。
再び視線を向ける先には、スタッフに囲まれ、笑顔を浮かべるさくら。そして、木村の姿。
木村の横顔は、どこまでも責任感に溢れ、それでいてどこか1人であった。




