2 絵を描く理由
どのくらいで改行するべきなんでしょうか。
分からないので、色々試してみようと思います。
季節は少しずつ夏へと傾き、窓から差し込む光が白く強くなってきた。
昼休み、教室では誰かが笑い、誰かが走り回っている。
そんな喧騒の中で、菊田さくらはふと、静かに微笑んだ。
転校して数日。もうこの学校の空気にも少し慣れてきた。
芸能活動をしていることはすでにみんなに知られているけれど、意外なほど誰も距離を置かない。
佐藤晴大もその一人だ。彼は有名人だとか、テレビに出てるだとか、そんな話題を一度も口にしない。
ただのクラスメイトとして話しかけてくれることが、さくらには何よりも嬉しかった。
――普通の高校生みたい。
そう思えることが、こんなに温かいなんて。
その気持ちが、ふとした瞬間に胸の奥をくすぐる。
だが、その温かさの裏で、さくらは時折、昔の記憶を思い出してしまう。
前の学校で、クラスの子たちに陰で言われていたこと。
「テレビで見るより可愛くない」、「どうせ裏では性格悪い」。
笑って流したつもりでも、心の奥には小さな棘が残っている。
――忘れよう。今は違うから。
そう自分に言い聞かせて、さくらは首を小さく振った。
放課後。
美術室の扉をそっと開けると、窓際に座る佐藤晴大の姿が見えた。
筆を動かす音と、風に揺れるカーテンの音だけが、静かな部屋を満たしている。
「また来ちゃった」
「……別に、いいけど」
晴大は少し照れたように笑う。
さくらはその隣に腰を下ろし、彼の手元を覗き込んだ。
淡い光に照らされたキャンバスには、柔らかな風景が描かれている。
それはどこか、懐かしいような温もりを感じさせる絵だった。
「すごいね。なんか、見てると落ち着く」
「……ありがとう」
しばらくの沈黙のあと、さくらが小さな声で尋ねた。
「ねえ、どうして絵を描いてるの?」
晴大は筆を止め、少しだけ空を見上げた。
「……昔、母さんが教えてくれたんだ。色の作り方とか、筆の扱い方とか。……一緒に描いたりした」
その言葉を口にした瞬間、空気が少しだけ変わった。
優しいけれど、どこか遠くを見るような声。
さくらは不思議に思いつつ、続けて尋ねた。
「そっか、今も一緒に描いたりしてるの?」
一瞬、晴大の手が止まる。
そして、少しだけ間を置いて答えた。
「……いや。今は、描いてない」
それだけを言って、彼はまた筆を動かした。
その横顔は静かで、どこか切なげだった。
さくらはそれ以上、何も言わなかった。
窓の外では、夏の風が少し強く吹き、絵具の匂いがやわらかく流れていく。
2人の間に流れる静けさは、なぜか心地よかった。
そのとき、晴大が小さく口を開く。
「……ありがとう」
「え?」
「来てくれて」
顔を見ずに言うその声は、不器用だけど真っ直ぐだった。
さくらは笑ってうなずいた。
「ううん。また来るね」
そう言って、夕暮れの光が差し込む美術室をあとにした。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
晴大はしばらく動けずにいた。
――また、来る。
その言葉が心の中に残る一方で、別の声が蘇る。
重く、冷たい、低い声。
「絵なんて描いて何になる。そんなものは時間の無駄だ」
「お前は東大理三に行け。わかったな」
あの声が頭の奥にこびりついて離れない。
何度も否定され、押し潰されるようにして過ごしてきた日々。
その中で、筆を握ることだけが、自分を保てる唯一の場所だった。
晴大は息を整え、静かに目を閉じる。
夕焼けに染まる窓辺で、彼の絵筆がまたゆっくりと動き出した。
それは誰にも見せない小さな抵抗であり、
彼自身の心をつなぎとめる“約束”のようだった。




