09.旅の仲間ができた俺に誰か勇気を分けてくれ
【シルヴァリア王国・王都】
夜明け前の王都に、彼方は戻ってきた。
アッシュの脚力を最大限に活かし、休むことなく駆け続けた結果である。全身は泥と血に塗れたままだったが、彼の瞳には強い意志が宿っていた。
急ぎ戻ってきた彼方を見た王城の警備は、事情を察してすぐに王の元へ伝令を走らせる。
裏門から王城に入り、待機していた侍従に案内され、彼方は再びあの私室へと通された。
「彼方さん!! ご無事で……本当に、よかった……」
侍従が扉を閉めると、すぐさまレオが立ち上がり駆け寄ってくる。その表情には安堵と心配が入り混じっていた。
「ただいま戻りました、レオ陛下」
彼方は膝をつき、一礼する。その泥と血に汚れた姿を見たシズが、やれやれと首を振った。
「おやおや、随分と汚れちまって。……よく頑張ったねカナ坊」
ゆっくりと、大きく息を吐きながら無事を喜ぶシズ。彼方は温かい気持ちが胸に広がった。
言葉少なく送り出してくれた祖母が、心の中でどれだけ心配していたのか。その一端を垣間見たようで、申し訳なくも嬉しい気持ちに包まれる。
彼方は気持ちを切り替え、報告を続けた。
「オーガは、倒しました。村人は全員無事とのことです」
「……ありがとうございます」
レオの言葉に、彼方は首を横に振る。
「いえ。自警団の皆さんが足止めをしていたおかげです。俺一人では間に合わなかったでしょう。……それよりも、オーガが生まれた可能性のある魔素だまりに関して、ご報告があります」
彼方は、禍々しい魔法陣のことを詳細に語った。
オーガが現れたであろう地点にあった石。
その石に、不自然に草が潰されていたことから、最近動かされたのだろうということ。裏に刻まれた魔法陣に血のような茶褐色の塗料。そして触れた瞬間に周囲の魔素濃度が急激に上昇したこと。
その全てを聞いたレオの表情が、みるみるうちに険しくなっていく。
「……魔素を人為的に濃縮する魔法陣、ですか」
「はい。もしかしたら他の魔物の出現も、結界が綻んでいるのではなく、誰かが意図的に魔素を集めて、魔物を発生させているのではないかと」
その言葉に、部屋に重い沈黙が落ちた。
やがて、レオは深く息を吐き、窓の外へと視線を向ける。
「……それが事実なら、敵国の仕業の可能性が高い。各地で同様の魔法陣が設置されているのなら、早急に調査が必要です」
レオは、真剣な眼差しで彼方を見つめる。
「彼方さん。貴方には、魔物を討伐しながらの現地調査をお願いできないでしょうか。魔法陣を見つけ、無力化し、そして可能ならば敵の痕跡を追ってほしいのです」
彼方は、迷わず応じた。
「承知しました。俺にできることなら、何でも」
「……ありがとうございます」
レオは少し躊躇うように口を開く。
「今回の敵は、陰謀を巡らせる狡猾な相手です。もしこれが本当に人為的なものだとしたら、兄様と彼方さん、エリアーデ殿とシズ殿を入れ替えた者どもと同一だと思うのです」
レオはそう言うと一度言葉を区切った。
そして、この決定に自分でも迷いを残しているように見えた。現に、彼方に尋ねる声はどこか申し訳なさそうだった。
「そんな相手に、彼方さん一人で立ち向かわせるのは、あまりにも危険すぎる。……できる限りの補助として、同行者をつけたいのですが、よろしいでしょうか」
「同行者、ですか?」
「はい。信頼できる人物です。事情を話して同行を断られたとしても、秘密は必ず守ってくださる方でしょう」
彼方は少し考えた後、承諾した。
同行をするのならば、事情を話す必要があるだろう。
秘密を知る者は少ない方がいいのだろうが、ただ単に魔物を倒す、元に戻る魔法を探せばいいという話ではなくなった今、信頼できる協力者ができるのはとても心強い。
「わかりました。俺は構いません」
(腕が立つ人なら、戦い方も教えてもらえるかもしれないしな)
オーガとの戦いで、経験不足を痛感した彼方にとっては、戦闘面の相談相手ができるのもありがたかった。
彼方の答えに、レオは深々と頭を下げると侍従を呼ぶ。
「リリアナ・フロストヴェールを、こちらへ」
その名を聞いた瞬間、彼方は驚いた。
(え、女の人の名前……!?)
同行者がどうやら女性らしいと気がついた彼方が、慌ててシズの方を振り向くと、シズは呆れたように笑い、彼方の顔の汚れを拭い始めた。
「ほら、しゃんとしなさい。変なことをしなきゃ去勢されたりせんよ」
「ばあちゃん!」
なんてことを言うんだ!! と大慌てで止める彼方に「いひひ」と楽しそうに笑うシズ。
そんな彼女はしゃがむように彼方に言って、その髪を整え始めた。
「ばあちゃんは、あんたが変なことをやらかさないって信じてるさ」
そう言ったシズは、髪を整え終えると、ポンと背を叩く。
やがて、扉がノックされ、一人の女性が部屋に入って来た。
その姿に彼方は、思わず息を呑んだ。
銀色の髪を後ろで一つに結い、凛とした佇まいの女性。年齢は彼方と同じくらいだろうか。整った顔立ちには、どこか憂いを帯びた美しさがある。
身に纏うのは、淡い青みがかった白のドレス。華美な装飾は一切なく、シンプルで清楚な印象を与える。まるで、自らを飾ることを拒むかのような質素さだった。
(き、綺麗な人だぁ)
彼女は、レオに一礼すると、彼方に視線を向ける。
その瞳には、複雑な感情が渦巻いているように彼方には見えた。じっと見つめる彼女に、どうしていいのかわからなかった彼方は真っ直ぐに見つめ返した。
リリアナは、その視線を受けて、少しだけ戸惑ったような表情を浮かべる。
「お呼びでしょうか、レオ陛下」
静かで、涼やかな声。それでいて、どこか優しさを感じさせる響きだった。
「ええ。リリアナ、貴女に話すことがあります。……どうか、座ってください」
リリアナは、促されるままに椅子に座った。彼方とシズも、それぞれの席につく。
深く息を吸い込んだレオ。そして、先ほどとは変わり、王としての立ち振る舞いで静かに語り始めた。
「リリアナ。これから話すことは、この国の命運に関わる機密故、貴殿の返答に関わらず一切の他言を禁じる」
「承知いたしました」
リリアナの即答に、レオは視線だけで応えた後、彼方とシズを見ながら口を開いた。
「まず、状況の説明をする。……彼ら二人は、我々の知るアッシュとエリアーデではない。異界の地より魂だけを入れられた佐藤彼方、その祖母の佐藤シズである」
リリアナの表情が、一瞬凍りついた。その視線は彼方の方を向く。
その視線を受け、彼方は自ら口を開いた。
「今、レオ陛下がご説明してくださった通りです。……できれば詳細を説明させてください」
彼方は深く息を吸い込むと、全てを語り始めた。
日本という国から来たこと。意図せずアッシュと身体が入れ替わってしまったらしいこと。そしてシズもまた同じように大賢者エリアーデと入れ替わっていること。
説明の途中、リリアナが静かに口を開いた。
「……お話は理解しました。ですが、一つだけ」
彼女の声は、震えていた。
「……アッシュ様の魂は、今どこに?」
その問いに、彼方は胸を突かれた。
彼女が真っ先に気遣ったのは、自分の驚きや混乱ではなく、アッシュ本人の安否だった。その問いが彼方の心に重く響く。
「アッシュさんは、俺の身体に入っているようです。仮説なので、確定ではありませんが……」
彼方は、エリアーデのメモから見つけた身体交換魔法に関して、できる限り説明した。
リリアナはそれら全てを黙って聞いていた。
彼方が全てを語り終えると、部屋に重い沈黙が落ちた。リリアナは伏せていた目をゆっくりと上げ、窓の外の空を見つめている。彼女の銀色の瞳が何を映しているのか、彼方には分からなかった。
やがて、彼女は決意を宿したように、まっすぐに彼方を見つめ返した。
「……納得がいきました」
彼女の呟きに、彼方は目を見開いた。
「納得って……?」
何か変な噂でも立っているのだろうか、と焦る彼方にリリアナは微笑む。
「先ほど、お会いした時に違和感があったのです。視線が、いつものアッシュ様とは違うと」
そして、申し遅れました、とリリアナは自己紹介を始めた。
「改めまして、わたくしはリリアナ・フロストヴェール。アッシュ様の元婚約者でございます」
「こ、婚約者!?」
彼方の驚いた声に、リリアナはふふふと笑う。
「元、でございます。アッシュ様が王の道を捨てられた日に、わたくしも元の肩書きがつきましたの」
軽く説明するリリアナに、彼方は混乱しながらも飲み込むことにした。
レオが申し訳なさそうな顔でリリアナを見つめており、リリアナはそれを視線だけで柔らかく制しているのが彼方の目にも理解できたからだ。
どうやら、険悪な状況での婚約破棄ではないらしい。
リリアナは改めて彼方へと視線を戻すと、確認するように口を開いた。
「私は、アッシュ様が戦闘に出るたびに報告を受けておりました。入れ替わったのが数日前なのだとしたら、昨日オーガを倒したのは貴方なのですね??」
柔らかく問いかけるリリアナに、彼方は頬をかく。
「はい。……でも、アッシュさんとはまるで比べられ無いほど不格好な戦い方だと思うので……褒められると少し恥ずかしいです」
(本物のアッシュさんの元婚約者さんからしたら……あんな戦い方は無様に映るかもなぁ)
と、脳内でも自虐に走る彼方を見透かしたように、シズがポンと肘で小突いた。
「そんないきなり戦闘に花開いてたまるかい。カナ坊は、カナ坊なりに頑張ってるんだから胸を張りな」
シズの茶化すような、それでいて温かい言葉に、彼方は少しだけ笑いが込み上げた。
そしてリリアナの続く言葉に、彼方は胸を突かれる。
「どんなに不格好でも、あなたはアッシュ様の責務と、レオ陛下の願いを引き継ぎ繋いでくださったのでしょう?? 命をかけてその未来も紡いでくださろうとしている。そのことは、重々理解致しました」
リリアナは、レオに向き直った。
「レオ陛下。私に、何をお求めでしょうか」
この問いに、レオは王としての立ち振る舞いをやめたようだった。
オーガの発生地点で発見された魔法陣の説明を終えた後、レオは真剣な表情でリリアナに告げる。
「リリアナ。彼方さんは各地の魔物発生地点を調査することになります。ですが、一人では危険すぎる。これから相対するのは、兄様たちの身体を入れ替えた相手と同じかも知れぬのです。……それゆえに貴女に、同行を頼みたい」
リリアナは、少しだけ目を伏せた。
「どうして、わたくしなのでしょう」
その問いに、レオは即答した。
「貴女が一番、戦士アッシュと連れ立って歩いていても違和感がなく、自らの身を守れる。そして……なにより信頼できるからです」
貴女の努力を私はよく知っている。と、付け加えたレオの言葉に、リリアナは心を決めたように前を見据えた。
「……私は、戦場に立つことを選ばなかった身です。アッシュ様の守るべきものを増やすだけだと、氷魔法を習得しながらもアッシュ様の戦地への同行を諦め、身を引きました」
リリアナは、しばらく沈黙した。
「……それでも、今この時のために役に立てるならば、全ては無駄ではなかったのですね」
そして、彼女は柔らかく微笑む。
「私は、アッシュ様を愛していました。今もその想いは変わりません。ですが、貴方もまた、この国のために戦ってくださっている。ならば、私は貴方を支えましょう」
リリアナは、彼方を真っ直ぐに見つめた。
「アッシュ様が命を懸けて守ろうとしたこの国と民を、私にも守らせてください」
その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。
「……ありがとうございます」
彼方は震えた声で答えた。
ここまで理解し、前向きな返答がもらえるとは思っていなかったのだ。
「事態の解決を進め、アッシュさんと俺たちが元に戻るのが最終目標です。それまでどうかお願いいたします」
彼方の差し出した手に、リリアナは驚きつつも握り返した。
「……こっちでは、お嬢さんに握手を求めるのは普通なのか、確認はしたかい??」
「あ」
シズの的確な指摘に、彼方が情けない声で応じると、リリアナはこの日一番の軽やかな笑い声をあげた。
そうして、両者が少し言葉を交わした後、レオが最初の目的地を告げる。
「最初の調査地点は、北の森です。そこでも、魔物の発生が報告されています。明朝、出発してください。それまでに、準備を整えておきます」
その言葉に、彼方とリリアナは同時に了承したのだった。
【その夜:彼方の部屋】
報告を終え、各々に用意された部屋に案内された彼方はベッドに倒れ込んだ。
疲労が、どっと押し寄せてくる。
王都まで駆け戻り、昼頃になった先ほどまで横になっていなかったのだ。精神的な疲れからひどく眠気が襲ってくる。
(明日には、また旅立たなきゃな)
それでも、いくらか気分はよかった。
向かう先に何者かの悪意が見えても、明日からの旅路は同行者がいる。それが何よりも心強かった。
(ばあちゃんには心配かけちゃう……けど……)
そんな申し訳なさを感じながら、彼方は眠りについた。
夢も見ないほどの深い眠りに落ちた後、彼方はノックの音で目を覚ました。
「カナ坊、入るよ」
シズの声だった。
外を見れば、やや薄暗くなっていた。
シズの声に応える為、彼方は起き上がる。
「ばあちゃん、どうしたの?」
彼方の問いかけにシズは、小さな革袋を彼方に手渡した。
「これ、持っていきな」
「これは……?」
「魔法陣を刻んだ石さ。追加で作ったんだよ。10個入ってるからね」
彼方は、革袋を受け取りながら、シズの顔を見つめた。その顔には少し疲れた様子が見て取れる。
「ばあちゃん、無理しないでよ」
「あたしは大丈夫さ。これぐらい、なんてことはない。それより、カナ坊。無茶はするんじゃないよ」
シズは、優しく彼方の頭を撫でた。
「本当はもっと持たせてやりたい。でも、あんまり多すぎても邪魔になっちまうからね……。カナ坊、あんたはよく頑張ってる。だから、頼むから無事に帰ってきておくれ」
「……うん。ありがとう、ばあちゃん」
シズは、微笑むと部屋を出ていった。
彼方は、革袋を大切に荷物に詰め込むと、再びベッドに横になった。
明日からの旅には確かに不安や恐れはあった。
それでも、シズのこの石がお守りのように彼方の心の荷を軽くしたのだった。
【翌朝:シルヴァリア王国・王都正門】
朝日が昇り始めた王都の正門で、彼方とリリアナは旅立ちの一歩を踏み出そうとしていた。
リリアナは、昨日のドレス姿とは打って変わって、茶色の革鎧に身を包んでいた。
アッシュが着ているものと似た、実用的な戦士の装備だ。
腰には短い剣を帯び、背には小さな荷物を背負っている。その姿は、まさに旅の戦士のようだ。
二人を見送りに来たレオとシズが、それぞれ声をかける。
「彼方さん、リリアナ殿。どうか、ご無事で」
「必ず、戻ってきます」
彼方の返答に合わせるように、リリアナも静かに一礼した。
が、その時、彼方はふと思い出したように口を開いた。
大事なことを、一つ報告し忘れていたのだ。
「そういえば、レオ陛下。オーガ戦の時、手袋をつけたまま石を投げちゃったんですけど、オーガに触れた途端に魔法が発動したんです」
「……手袋をつけたまま投げたのに、ですか?」
レオは、驚いたように目を見開いた。
「もしかすると、魔物が魔素の塊だからかもしれません。魔素の塊である魔物が触れたことで魔法が発動した可能性は……あり得ない話では無い」
レオの声には、興奮が滲んでいるように彼方には聞こえた。
「もしそれが本当なら、魔法の可能性が大きく広がります!! これからの戦闘時、可能なら確認してみてください。……ですが、無理はしないように。貴方の命が、何よりも大切ですから」
彼方は、レオの言葉に深く応じた。
「わかりました」
その横でシズは、リリアナに小さく囁く。
「うちの孫をよろしく頼むよ。あんたも、どうか無事に帰ってきておくれ」
「……ありがとうございます。シズ様。どうかお任せください」
こうして彼方とリリアナは、二人に見送られ王都を後にした。
北の森へと続く道を、歩き始める。
新たな旅路が、今、始まったのである。
【王都正門・見送りの後】
二人の姿が遠ざかっていくのを見つめながら、レオとシズは並んで立っていた。
レオは、彼方とリリアナが旅立った方角を見つめたまま、静かに口を開く。
「シズ殿。お知恵を授けてくださりませんか?」
唐突とも思えるレオの問いに、シズはきょとんと振り向いた。その素直な反応に、レオは少し照れたように笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「彼方さんとリリアナ殿に頼ってばかりではいられません。この国の産業は弱くなってしまった。新たに何かしらを他国に売るようにしたいのですが……私には知恵が足りぬのです」
そしてレオは深く頭を下げた。
「シズ殿の魔法陣を石に刻む発想はお見事でした。先入観のある私には、思いつかなかったでしょう。だからこそお願いいたします。私に力を貸してください」
シズは、少し考えるように空を見上げる。
「……あたしもこの国のために何かせんと、顔向けできないね」
そして、シズは優しく微笑んだ。
「あたしの知ってることでよければ、全部役に立てておくれ」
レオの表情が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます」
二人は、遠ざかる彼方とリリアナの背中を見つめながら、これから先に思いを馳せた。
王都に残された者たちもまた、自分たちにできる戦いを始めたのである。




