01.泣いてもいいぞと誰か言ってくれ
「シルヴァリアが最強の戦士、アッシュよ。……そなたの肩に全てを委ねてしまう、この愚鈍な王を許してくれるか」
玉座と呼ぶにはあまりにも簡素な椅子の上で、王と名乗るにはあまりにも幼い少年が、一人の青年に問いかけた。
謁見の間には、埃と心労の匂いが満ちている。集まった側近や使用人たちの服装も上等とは言い難く、それがこの国の疲弊を如実に物語っていた。
それでも、この国が国として機能しているのは、ただ一点。民がこの国を、そしてこの幼い王を愛しているからに他ならない。
問いかけられた青年は、それを重々承知していた。
やがて青年——アッシュは顔をあげ、黙したまま強い意志を宿した瞳で幼い王を見つめ返す。
「……すまない。どうか……どうか、民を救ってくれ」
絞り出すような声に、アッシュはついにゆっくりと頷いた。
その無表情な顔の裏で、彼の心が絶叫していることなど、誰一人として知る由もなかった。
(——ヤッベェことになったぞ……!)
冷や汗と脂汗が、背中を同時に伝っていく。
なんなら涙も出そうだ。しかし、必死の形相でこちらを見つめる幼い王の前で泣き出すわけにもいかず、奥歯を噛み締めて耐える。
(やるしかない。やるしかないんだ)
内心を必死で隠し、生まれて初めて感じる魂が軋むほどの重圧に耐え、彼は口を開いた。
「……この身に、代えましても」
そう答えたのは、最強の戦士アッシュ。
……の身体につい数日前に憑依してしまったごく平凡な青年、佐藤彼方。
ことの始まりは、数日前であった。
――――――
「いやいやいやいや、無理無理無理無理無理!」
(絶対に夢だ。これは夢に決まってる!!)
先ほどまで、自室のベッドで寝転がりながら、新発売のゲーム情報をウキウキで調べていたはずだった。
日本人。もう少しで社会人。
社会の荒波に揉まれる前のしばしの自由を謳歌していた、ごくごく普通の青年である。
それなのに。
瞬き一つ。
たったそれだけで、視界は凶悪そのものの二足歩行のブタ——オークが涎を垂らしながら迫ってくる、薄暗い森の中に変わっていた。
(なんで森!? なんで化け物!?)
脳内は当然パニックだ。
瞬きをする前は、スマホの画面でドット絵のクラシカルなゲーム情報を見ていたはずなのに、目を開けたら最新ゲームも真っ青な高解像度の化け物がいるのだから、たまったものではない。
夢だろうがなんだろうが怖いものは怖いのである。
そして意味がわからないのである。
彼方はよくわからない叫び声を声に出しながら、いつの間にか握られていた身の丈ほどもある巨大な剣を、ただ無我夢中で振り回した。
(わー! 夢ってすごーい! こんな重たいデカい剣、リアルじゃ絶対無理なのにー!)
恐怖のあまり妙に冷静になった頭の片隅で、そんなことを考えた。これを現実逃避という。
そのヤケクソで振った一閃が、幸運にもオークの首筋を捉えたらしい。
肉を断ち、骨を砕く、あまりにも生々しい感触が腕に伝わって、凄まじい鳥肌が立ってしまった。
(なんでこんなにリアルなんだよ……)
あまりのことに呆然としていると、やや遅れて豚の化け物が地に伏す振動が伝わって我に返る。
ほぼ号泣しながら、それでも何とか落ち着きを取り戻した彼方は、事切れたオークを恐る恐る確認した。
(も、もう動いたりしないよな……?)
と覗き込んだ化け物の死体。
その首は、胴体から完全に離れ切り落とされていた。
彼方は完全に号泣した。
「うううう……。夢にしても……趣味が悪すぎる……」
あまりにも感覚がリアルだ。
なんなら視覚情報もリアルだ。
だが、それ以上深く考えるのはやめた。
深く考えられるほど頭は落ち着きを取り戻してはいなかったし、なんとなく嫌な結論に行き着いてしまいそうな予感がしたのだ。
改めて化け物の死体をチラリと見て、今度は吐き気が出てきそうな彼方は慌てて視線を逸らした。
夢だろうとなんだろうと化け物の死骸のそばに居続けるのは御免だ。
(一刻も早く立ち去りたい!! 気持ち悪すぎる!)
と彼方はぐるりと周りを見渡した。
さて、どこに移動しようかと薄暗い森のなかを目を凝らすと、誰かが進んできたような草の踏み跡に不自然に折られた木の枝が点々と続いていることに気がついた。
「……木の枝を道標にして歩いていたのか」
(誰が。……俺が??)
と、またもや思考の渦に入りそうになるのを慌てて止める。
心許ない目印だが、ないよりはマシだ。
彼方はまるで自分の過去を消すかのように、その木の枝を一つ一つ足で払い、痕跡を消しながら歩き続けた。
やがて森を抜け、見えてきた小さな集落の光景に彼方はようやく安堵のため息を漏らした。
やっと薄暗い森から抜けられた安堵が全身を包み込む。
この集落にも見覚えはないが、化け物の死骸が転がる森よりは遥かに安心できる場所に違いないのだ。
香ばしい、何かを焼く匂いが漂ってくる。
(人がいるぞ!)
その事実だけで強張っていた肩の力が抜けた。
——その時だった。
「アッシュ様! アッシュ様がお戻りになられたぞ!」
「オーク討伐、お疲れ様でございました!」
集落の者たちが、次々と家から飛び出してきた。
抜けたはずの肩の力が、再び入ってしまうほどの歓迎ムードに彼方の顔から血の気が引いた。
全員が自分のことをアッシュと呼ぶ声が、やけに耳に残る。
身分の高そうな老人が、深々と頭を下げて感謝を伝えてくるが、その言葉は右の耳から左の耳へと抜け落ちていく。
(やっぱり……なんか、嫌な予感が……)
必死に考えないようにしていた最悪の結論が、脳をじわじわと侵食してくる。見たこともない建築様式。見たこともない服装。
夢にしては、あまりにも出来すぎている。
到底自分が夢の中で想像できると思えなかったのだ。
彼方は泣きたくなった。
「はい! アッシュ様! お水をお持ちしました!」
小さな女の子が木の器を差し出してくる。
ありがとうございます、と無意識に受け取ったその器に、水面が揺れていた。
そしてそこに映り込んだ顔を見て、彼方は完全に思考を停止させた。
銀にも見える、色素の薄い髪。
彫りの深い整っているがどこか影のある顔立ち。
それは、断じて「佐藤彼方」の顔ではなかった。
(いやいや、ないないないない。疲れてるだけだ。リアルな夢を見てるだけだって! 別人になった夢を見ることもあるさ!)
そう心の中で必死に否定した瞬間。
あまりの衝撃に、身体が勝手に後ずさった。
ゴンッ!!
背後にある井戸の縁に、思いきり踵をぶつけてしまったのである。
「……っつぅ……!!」
鈍く、それでいて鋭い、紛れもない現実の痛み。
じんじんと熱を持ち、脳天まで突き抜けるような、あまりにもリアルで、あまりにも間抜けな衝撃。
彼方は、自分のぶつけた踵と、水面に映る見知らぬ「戦士」の顔を、交互に見た。
「……とっても痛いんだが……」
佐藤彼方。日本人。しばらくしたら社会人。
これが彼のあまりにも衝撃的なジョブチェンジ、一日目の話である。
オリジナルで小説を書くのは初めてでワクワクしています!完結まで書き切りますのでどうかよろしくお願いします。