11-1・麻由の過去(小中学校)
文架駅から徒歩で10~15分ほどの距離にある穂登華町に、葛城麻由が一人で住むマンション=ヘブンズパレス穂登華がある。
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「まゆちゃん、ロングも似合ってるけど、
ツインテールにするとイメージ変わって可愛いよ」
放課後に、女子トイレの鏡の前で、クラスメイトの真奈が麻由の後ろ髪でツインテールを作ってみる。今までとイメージが変わり、表情が明るく見えて、こういうヘアスタイルも、たまには悪くない。
帰宅をした麻由は、鏡の前で何パターンかのツインテールを作って、自分に一番しっくりくるヘアスタイルを探す。明日、学校に行ったら、みんなが「可愛い」と褒めてくれるかな?期待で胸が高まる。
だけど、翌日のクラスメイトの反応は、麻由の期待をアッサリと裏切った。
「ァンタみたぃな地味な子が、急にツィンテールなんてして、可愛ぃつもり?」
「なにそれ、くれはのマネ?全然似合ってないんだけど」
クラス内のイケてる女子グループの紅葉と美穂が、麻由のツインテールを馬鹿にする。紅葉は、性格が明るくて、クラス内で一番人気のある女の子で、いつもヘアスタイルをツインテールで決めている。ツインテールを作る時に、彼女を意識をした。彼女みたいな明るくて人気のある女の子に、少しくらいは近付けるかな?と思った。だけど、本人に否定されたら、もうどうにも成らない。
麻由を笑う紅葉と美穂の後ろで、他の女子達もクスクスと笑っている。誰も、イケてる女子2人には逆らえない。麻由は、クラスメイトみんなから否定された気分になる。動揺しながら教室内を見回すと、麻由に「似合う」と言ってくれた真奈まで、少し申し訳なさそうな表情で苦笑いをしている。
イケてる女子2人は、麻由への当てつけのように、いつも麻由と一緒に居る真奈に向かって「アンタもに変だと思うでしょ?」と同意を求める。真奈は小さな声で「うん」と頷くことしか出来ない。
麻由は顔を真っ赤にして、教室を飛び出して、女子トイレに駆け込む。皆に見られるのは恥ずかしいので、個室に入って、直ぐにツインテールを解いて、いつものロングに戻す。眼にはいっぱいの涙が浮かんでいた。気分が悪くなって、朝食を吐き出す。まだ気分が悪くて、個室から出ることが出来ない。
でも、麻由は、個室から出られない本当の理由を、自分で知っていた。気分が悪いからではない。クラスメイト達に会いたくないからだ。
始業のチャイムが鳴って、皆が教室内に入り、廊下が静かになる。麻由は、自分のクラスを通らないようにして保健室に行き、「気分が悪い」と言って、休ませてもらうことにした。保健室のベッドに潜り込んだ麻由は、布団を被って溢れる涙を隠した。悔しくて仕方が無い。でも、どうすれば良いのか解らない。
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「ゆ・・・夢・・・か」
目を覚ましたら、そこは、保健室ではなく、自分の部屋。
今見ていたのは夢だが、ただの夢ではない。登場人物は違うが、小学校時代に、実体験をしている。
当時の友達に奨められて、少し期待して髪型ツインテールに変えて、翌朝、クラス中の笑いものにされた。友達も笑っていた。その日は、保健室に逃げて、2時間目が終わる頃に早退をした。麻由は、その時「クラス内の権力者には、何をやっても勝てない」と知った。それ以降、ツインテールが嫌いになった。
それまでの麻由は、クラス内での発言力を持たない温和しいグループだったが、決して、露骨にいじめられているわけでは無かった。だけど、その日からは皆が変わった。先ずは、ズル休みを白い目で見られ批難された。仲間外れにされたり、クラス内でいじめられるようになった。イケてる女子グループが、麻由を見て、コソコソと小馬鹿にして笑っている。それまで友達だったはずの子には、話しかけても無視をされる。クラス内の権力が、麻由外しに傾いてしまうと、誰も助けてくれない。麻由は泣く日が増えるようになり、学業にも身が入らず、それまで比較的良好だった成績は、だんだんと落ち始めた。
ベッドの中で踞る麻由の表情は、学校で見せる気丈な生徒会長の顔とは違う。まるで、捨てられた子犬のように弱々しい。
-朝・優麗高の弓道場-
誰よりも早く登校してきた麻由が、弓道場の控えで正座をしている。
結局、嫌な夢を見て以降、深い眠りにはつけなかった。瞑想をしたいのだが、嫌な事ばかり思い出す。
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幼稚園の頃に両親を亡くし、祖父に引き取られて育てられたが、祖父も、麻由が小学校低学年の頃に亡くなった。この頃になると、周りの親が自分の子に「麻由ちゃんとあまり仲良くしない方が良い」と擦り込むようになる。幼い麻由は、あまりピンと来なかったが、麻由の母は、母の父親から結婚を許されず、かけおち同然に、麻由の父と結婚をしたらしい。
祖父の他界後は、祖父の工場の従業員に育ててもらったが、血の繋がらない他人の世話になるのは、気ばかりを遣って窮屈だったので、思春期になって中学に上がると同時に、世話になった家を出て、祖父の家で独り暮らしをするようになった。
独り暮らしを始めた4月の最後の日の深夜。郵便受けにゴトンと何かが落ちる音がした。恐る恐る郵便受けを見たら、現金100万円が入った封筒が投函されていて驚いた。一体誰が置いていったのか?身内のいなくなった麻由に、貰うアテなんて無い。だけど、放っておくことは出来ない。間違って置いていったのなら、使っちゃ拙いでの、タンスの奥に保管しておくことにした。
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「ユウ高~・・・ファイッ、オー、ファイッ、オー、ファイッ、オー!」
グラウンドで朝練をする野球部の掛け声で、麻由は我に返った。そろそろ皆が登校をしてくる時間だ。いつまでも弱気な表情ではいられない。麻由は、無理をして気丈な生徒会長の顔を作る。
-文架大橋の東詰にあるコンビニ-
雑誌コーナーで、美穂が立ち読みをしながら、時間を確認する。「そろそろかな?」と窓の外を眺めたら、自転車に跨がった紅葉と亜美が、大通り対面で信号待ちをしていた。美穂は、お菓子コーナーを眺めていた真奈を呼んで、一緒にコンビニを出る。
「ちぃ~すっ!」 「おはよう!」
「紅葉ちゃん、亜美ちゃん、おはよ~!」 「お~っす!」
最近は、このコンビニで待ち合わせをして、4人で登校をしている。
「美穂ちゃん、また、バイクで来たの?」
「バイクじゃなくて原チャリな!」
「同じでしょ?」
「全然違うよ!」
「ァタシに乗せてっ!」
「オマエ、運転した事あるのか?」
「紅葉ちゃんは免許無いでしょ!」
美穂は、駐車場に行くと、ヘルメットを被って、原付バイクに乗る。優麗高は、学校に届け出をすれば原付の免許は取得して良いが、原付での登校は禁止されている。言うまでもなく美穂は、校則違反をしているのだ。何度か亜美が注意したが、「遠いから歩くと疲れる」「バス代がもったいない」「自転車が無い」「盗んでも良いなら自転車通学する」と言って、聞く気が無い。
ちなみに、美穂の原付は、学校の近くにあるショッピングセンター(スーパーあやか)の駐車場に止めて、そこから徒歩で登校をする。
-優麗高-
「おはようございます!」
「おはよう、葛城さん。いつも熱心だね」
麻由は、毎朝、教務室に行って、全学級の学級日誌に目を通す。これは生徒会長の必須業務ではないのだが、日誌を読むと、自分の目の届かないところで起きたことや、各生徒の考え方や性格を、何となく把握できるのだ。本日見た限りでは、特に面白い日誌は無い。
毎日読んでいると、時々、目を引く日誌に遭遇する。そんな時は、ページの上に記入された日直の名を確認する。『日直・源川紅葉』は何度か見た。高校1年の時は、別のクラスに「明るい」を大幅に超越して「騒がしい」子が居ることは知っていた。生徒会長になって、権限を行使して学級日誌に目を通すようになり、どうでも良い日常的なことを特殊な視点で表現したり、一般人には理解できない壮大なことを書いたりする『源川紅葉』に、興味を持つようになった。
そして、最近は『源川紅葉』を目で追うようになり、ハッキリと意識するようになった。・・・「少し目障りだ」と。
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小学校時代、クラスメイトの麻由への嫌がらせは、しばらく続いたが、小学校6年生の春になると少しだけ環境が変化した。6年生になってから担任が替わるのは珍しいことなのだが、4月から赴任してきた高島麗子という女の先生が、麻由達のクラスの新しい担任になる。
「皆さんの中から、誰か一人に、
私のお手伝いをしてくれる“先生の手伝い係”をしてもらいたいと思っています。
誰かやってくれる人はいませんか?」
「し~~~~~ん」×クラス全員
「立候補はいませんか・・・
では、葛城さん、断る理由が無ければ、引き受けてもらえませんか?」
「え!?・・・あっ!・・・は、はい、わかりました」
先生は、いつも独りでいる麻由を気にしてくれた。先生の手伝いを麻由に頼んだり、誰もやりたがらない飼育委員の仕事を麻由に依頼して、一緒にメダカの水槽の水替えをした。いじめの対象が先生と一緒に居る為に、クラスメイトの嫌がらせは徐々に少なくなった。
麻由自身、先生に信頼されてることが嬉しくて、少しずつ元気を取り戻し、小学校卒業の頃にはテストで100点を取って名前を読み上げられる常連になるほどに、落ち込んだ成績も回復した。ただし、一度壊れた友情が回復することはなく、卒業まで、麻由が孤立したままなのは変わらなかった。
麻由と同じ国絡小学校の卒業生は、ほぼ全員が、文架北中学校に入学をした。言うまでもなく、麻由をいじめていたイケてる女子も一緒の中学校だ。
小学校6年生の1年間を経て、麻由が子供心に学んだのは、「先生に気に入られれば守られる」ってことだった。誰よりも早く提出物を出したり、教務室に授業の質問に行ったり、いつも笑顔で挨拶をして、麻由は担任に気に入られる努力をする。
しかし、担任がほぼ全ての教科を教えてくれる小学校とは違って、担当教科とホームルーム以外に接点のない中学の担任では、目が行き届かないところが沢山あった。
廊下にある掲示板を見ながら、「どの部活動に入ろうか?」と考えていたら、小学校の頃に絶縁をした友達が、久しぶりに話しかけてくれた。麻由は「友達に戻れる?」と淡い期待をする。一緒に部活見学に行こうと言われて、何の疑いも持たずに体育館裏に連れて行かれた。
「アンタさぁ・・・最近、調子に乗ってるよね?」
麻由は過去の友達に騙されていたと知る。体育館裏には、小学校の頃のイケてるグループの女子達が待ち構えていた。彼女達は“いじめの対象”が“守る術”を失うタイミングをずっと待っていた。いじめを止めたわけではなく、高島先生が邪魔でいじめることが出来なかっただけ。でも、もう、麻由を守ってくれる先生はいない。
「小学の時、私たちのこと、高島にチクっただろ?
中学に入ってまで、同じ事をするつもりなの?」
「また同じ事したら、男子の先輩達に頼んで、アンタを処刑するよ!」
「自分じゃ何も出来なくて、いつも、先生の陰に隠れていた弱虫のクセに!」
麻由は小学校の先生に、彼女達のことを密告などしていない。先生が、異変に気付いて、麻由を気に掛けてくれたのだ。
「わ、私は何もしていないよ。悪いのはアナタ達じゃないの?」
少しだけ勇気を振り絞ってと反論したが、いじめっ子の怒号で掻き消された。彼女達は、ニヤニヤしながら「聞こえなかったから、もう一回言え」と言うが、もう怖くて声が出ない。何も悪い事なんてしていないのに「謝れ!」と言われて、蚊の泣くほどの小さな声で「ごめんなさい」と言いそうになる。「なんで、自分ばかりがこんな眼に?」と切なくなる。
「アンタ等、そこで何やってるの!?」
大きな声が投げかけられて、いじめっ子達が動きを止めた。麻由達を見付けて駆け付けてきたのは、3年で生徒会長の坂上弘子先輩だった。いじめっ子達は「何もしていない」「話をしていただけ」と言うが、見抜いていた先輩は「自分が生徒会長のうちは、いじめなんて一切許さない!」と一喝をする。相手が悪すぎると判断した“いじめっ子達”は、「またね、麻由!」と友達のフリをしながら去って行った。
「大丈夫だった?」
「・・・は、はい」
「あんな、格好ばっか一丁前で、中身の無い奴等なんて、
強気で反撃すれば怖くも何ともないよ!」
先輩は、いじめっ子達を追い払った後、ヘタレていた麻由を見て微笑む。とても格好良く感じた。だけど、先輩の言う「強気で反撃」なんて理想論でしかない。それが出来る人は良いが、出来ない人も沢山居る。
「勉強でも、スポーツでも、何か一個で良いよ。
努力して、あんな奴等に負けない、自信の持てる物を作りなよ」
「自信・・・ですか?」
「そう、自信だよ。他人の力を借りるんじゃなくて、自分に自信を付けちゃうの。
そうすれば、あんな奴等は寄ってこなくなるよ。
あいつ等がキミに寄ってくるのは、キミを見下して、
何をやっても、キミになら勝てるって思ってるからなんだよ。
自分たちじゃ、何も出来ないクセしてさ」
坂上弘子先輩には、坂上鈴奈という妹が居た。坂上姉妹は、1年前に転校をしてきて、あっという間に校内の人気者になったらしい。弘子先輩は頼りがいのある素敵な先輩だった。鈴奈は男子にも一目置かれるほど勝ち気で活発な同級生だった。麻由は「弘子先輩や鈴奈みたいになりたい」と感じた。
先ずは、苦手ではない勉強を頑張ることにした。学校での授業に集中して、家庭学習は手を抜かず、解らないところは積極的に先生への質問をしてカバーした。スポーツも頑張った。今まではバスケットボールやバレーボールでは、ボールが廻ってこないように人の影に隠れていたが、鈴奈の牽引もあって、無理をしてでもボールを取りに行くようにした。顔面でパスを受けたりして、沢山失敗をしたが、周りのみんなは、頑張っている麻由のフォローや応援をしてくれた。
「入学した頃に比べて、良い表情になってきたね。
2年生になったら、鈴奈と一緒に生徒会に入りなよ。
麻由なら、きっと、出来るはずだよ」
「一緒に頑張ろうね!」
卒業間際の弘子先輩に勧められ、憧れの先輩の背を追いたくて、2年生になってからは、友達の鈴奈と一緒に生徒会活動に参加をした。そして、3年生になって、新生徒会長の鈴奈を補佐して活躍した。
中学卒業と同時に、坂上姉妹は転校をしてしまう。麻由は寂しかったが、鈴奈と「ずっと友達」と約束をする。
高校1年生の時、新しい友達と一緒に行ったショッピングセンターで、偶然に小学校時代のイケてる女子2人に会った。彼女達が、どの高校に進学したのかは解らない。麻由が挨拶をしたら手を振って返したが、その顔は少し引き攣っているように見えた。小学校時代みたいなイケてる女子には見えなかった。
「彼女達は?」
「小学校の同級生です。
でも、いじめられていたから、あまり良い思い出はありません」
一緒にいた友達に聞かれたので説明したら、友達は不思議そうに首を傾げた。
「麻由ちゃんが?あんな子達に、いじめられていたの?ちょっと想像できない」
「う~ん・・・元気なかったけど、なんか有ったのでしょうか?
小学校や中学校の頃は、もっとイケてたのに」
「イケてた?嘘でしょ、あんなのが?そんなふうには見えないよ。
それに、どう見ても、麻由の方がイケてるよ」
「・・・・・・え?」
始めて実感をした。いつの間には、麻由は、いじめっ子達を超えていた。そう言えば、中学2年になって生徒会活動を頑張っていた頃からは、彼女達が麻由にイヤミを言うことも無くなった。彼女達は、自信に満ちた麻由を「もう、いじめることが出来ない」と判断したから、寄ってこなくなったのだ。
麻由が、イケてるいじめっ子達を超えるまで、5年近くかかった。5年間は、とても長かったように思える。今ならば「私は変わった」と自信を持って言える。
余談になるが、優麗高に入学した直後、麻由は、田村環奈を見て、鈴奈と錯覚をした。しかし、1学年上だったし、顔は似ていたけど雰囲気は違った。以降、麻由は、田村先輩の事を何となく意識するようになる。
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麻由が、この地位を得るまで、5年もかかった。我ながら努力をしたと思う。だけど、何の努力もせずに、いつの間にか、自分の真後ろにいて、麻由のトップを脅かす者がいる。
「ち・・・ちがう、真後ろなんかじゃない」
仮に、目の前で何かのトラブルが発生した時、麻由ならば、一歩立ち止まって考えて、自信と経験に裏打ちされた対処法を選んで、解決の為に足を踏み出すだろう。だが、多分、彼女は違う。麻由が立ち止まって思案している間に、トラブルに向かって突っ走っていく。きっと、麻由が対処法を考えて、一歩踏み出した時には、2歩も3歩も先を走っている。一刻を争うトラブルの時に、一歩も立ち止まって考える余裕なんて無い。羽里野山遠足の時がそうだった。自分には出来ないことを、彼女は平然とやってのける。彼女は麻由が持っていない物を持っている。
「・・・真後ろではなく、私の先を走っている」
優麗祭以降、過去に置いてきたはずの“嫌な思い出”を夢で見るようになった。「私はもう弱虫ではない」と意識するほど、イライラとして“嫌な思い出”が繰り返される。
麻由の表情が悔しそうに歪む。足下にある影が、八本足の昆虫の姿に変化をする。そして、小さく不気味な唸り声を発したら、麻由の全身から湧き出た“誰にも見えない黒い靄”が、八本足の影に吸い込まれていく。
「葛城さん・・・怖い顔してどうしたんだい?何か考え事かな?」
出勤をしてきた教頭先生に声を掛けられて、麻由は我に返る。同時に八本足の影は、何の変哲もない普通の影に戻った。




