外伝①-1・燕真の思い出~莉花と愛犬
-8年前・美宿市-
6月の地区中学陸上大会。成績優秀な選手は、県大会~地方ブロック大会~全国大会と駒を進めるが、大半の中学3年生にとっては、このレースで引退となる最後の大会になる。
市立平本中学校の陸上部は、部員の少ない弱小チームだった為、他の部活から長距離向きの生徒を集めて、どうにか参加をしていた。寄せ集めなので、優秀な成績など期待はしていない。次年度以降の新入部員の為に、陸上部を存続させなければならないので、体裁を整える為に参加をする程度である。
寄せ集めの長距離選手の中に、少年・【佐波木燕真】の姿があった。ユニフォームに付けているゼッケンは60番。所属はバスケットボール部だが補欠。だからといって、練習をサボっているわけではなく、いつも、がむしゃらに練習をしていた。ただ少し、ゲームメイクのセンスが低い為に、強豪レベルの平本中では、スターティングメンバーには選ばれない。
バスケの試合は、ゲーム中、ずっと、休む暇無く走り回っている為、体力が無いと話にならない。日々の練習の半分(体育館を使えない日)はランニングや連続ダッシュや筋トレなどの基礎体力作りになる。そのお陰で、陸上部ほどではないが、燕真は長距離走には自信があった。
3000m予選で、同レースにあまり早い選手がいなかったので、燕真は3位でゴールして決勝レースへの参加資格を得る事ができた。口では「え~マジかよ!」「聞いてない!」「キツい」と文句を言っているが、内心は嬉しい。決勝レースに残った他校の選手は、皆、長距離専門のトップクラスの選手ばかり。燕真がこのレースを勝ち抜いて、県大会に進む事など不可能である。しかし、「もう少し頑張れば、奇跡が起こせるのでは?」と期待をしてしまう。バスケ部スタメンには選ばれなかったが、それくらいのキツい練習には耐えてきた自信はある。
3000m決勝に出場する選手達の招集が会場内にアナウンスされ、燕真は、皆から激励をされて集合場所に向かった。1周400mのトラックを7周半も走る長いレースを、一日で2回も走るとは思っていなかった。
男子の3000m決勝レースのアナウンスが場内に流れる。他校の連中の真似をして、スタート練習をしてから、スターティングラインについて、合計18名でスタートの合図を待つ。燕真に与えられた立ち位置は第1コース、つまり一番内側になる。
空に向けられたスターターピストルの音が鳴り響き、一斉にスタートをする。
少しで遅れた。ライバル達が、あっという間にインコースに傾れ込んできて、走りたかったコースが塞がれる。燕真は少しアウト側に逃げてコースを確保して、後ろから3番目でトップ集団を追う。1週目が終わるまでには1人に抜かれて、後ろから2番目になったが、体力が尽きたわけでは無い。
密集して走っていたライバル達が徐々にバラけて、インコースに並んで、序盤の順位が安定してきた。一歩アウト側に出ればコースはクリアなので、燕真は追い上げを開始する。1人・・・2人・・・ゆっくりではあるが、着実に抜いていく。走る専門の陸上部に混ざって、バスケ部の自分が健闘をしているのが気持ち良い。
1000mを走り終えた頃には、順位は中盤くらいにまで上がっていた。「もしかしたら、本当に良い記録が出せるのでは?」と思えてくる。
だが、厳しいトレーニングはしていても、3000mという決められた距離で、体力を使い切るトレーニングなどしていない燕真には、3000m決勝レースは未知の世界だった。レースはまだ半分終わった程度なのに、息が上がって、足が重たくなってきた。残り3周を越えた(1800m通過)あたりで、足が前に出なくなってきて・・・前の選手を無理に追い越そうとして、後ろから抜きに来た選手と接触をして、当たり負けた燕真だけが転倒をする。
後方から来る選手達に追い抜かれながら立ち上がり、再び走り出した。しかし、転んだ時に足を捻ったらしくて痛い。既に体力が限界に来ていて、今までと同じペースでは走れない。後続から次々と追い抜かれて最下位になってしまった。ノロノロと走るのが恥ずかしい。ラスト1周を前にして、トップ集団に周回遅れにされる。
トップ選手達は次々とゴールをして、会場の観客達から、大きな声援が送られる。
恥ずかしくて仕方なくて、動揺をしながら周囲を見回して走る。会場の皆が、ゴールした選手達を見ていて、自分には誰も興味を持っていない。もしくは、情けない姿を笑っているように思えてくる。
もう、良い記録なんて臨めない。レースタイムに、極端に遅い汚点を残すだけになるのが解ってしまう。心が折れそうになる。リタイアをしたくなってきた。
「ガンバレ!60番!!」
燕真を、懸命に応援する女の子がいた。聞き間違いではない。スタンド席の前を通過する時に、間違いなく「60番」と言った。小学校低学年くらいの小さな女の子だった。女の子が何処の誰なのかは解らない。どんなに頑張って走っても、最下位は覆らない。だけど燕真は、女の子の声援を勇気に変えて、最後まで諦めずに走りきる事にした。
「ガンバレ!60番!!」
もう、足が前に出ないが、「前に進みたい気持ち」を力に変えて懸命に走る。途中で止めてしまったら、女の子の期待を裏切るような気がした。
ゴールをした時、会場のみんなが、自分に声援を送っている事に初めて気付いた。投げ出さずに最後まで走った燕真には、温かい拍手が送られていた。スタンド席にいるツインテールの女の子も、懸命に拍手を送ってくれている。
他の選手からは1周以上の差を付けられていたので恥ずかしかった。もっと活躍をして、上位入賞は無理でも、せめて、真ん中くらいの順位で拍手を貰いたかった。でも、少しだけ嬉しかった。
無様に走り終えた後、医務室で「捻挫」を告知された燕真は、大会帰りの公園でブランコに座り、痛めた足首を眺めていた。この足では、バスケの最後の大会には出場できない。しかし、どうせ補欠。レギュラーが故障した時か、勝ちが決まったゲームにしか、出場をする機会は無い。
「捻挫した足を口実にすれば・・・試合に出られない大義名分になるか・・・。
あれ?・・・俺、何、言ってんだろ?バカじゃね?」
溜息をついて顔を上げると、公園の入り口で、先ほどのツインテールの女の子が、燕真を見つめていた。眼が合うと、何故か女の子は逃げ出そうとする・・・が、途端に公園入り口の車止めポールに足を引っ掛けて、持っていたお菓子をぶちまけて転んだ。
燕真は、痛めた足を引きずりながら女の子に近付き、女の子を抱っこして立たせ、服に付いたホコリを祓ってやる。
「・・・60番?」
「・・・ん?」
「ゼッケン60番の人?」
「あぁ、そうだよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「応援してくれて、ありがとな」
「・・・うん」
「膝・・・同じになっちゃったな」
「・・・ん?」
不思議そうに眺める女の子に対して、自分のズボンの裾をめくって膝を見せる燕真。女の子の膝と同じ、転んだ時の傷がある。
「あ!痛そう!」
「君もな」
「・・・うん」
バラ巻かれたお菓子を拾い上げ、袋に入れて女の子に返す燕真。女の子は、袋からお菓子を1個出して、燕真に差し出す。
「・・・食べる?」
「ん?・・・あぁ・・・ありがとう」
燕真は、苦笑しながら、女の子の手の平にあるお菓子を摘まんで、口の中に放り込んだ。ただの駄菓子なんだけど、とても美味しく感じられた。
-数日後-
燕真が公園の前を通ったら、同級生の松莉花が、ベンチに座って、穏やかな表情で公園内を眺めていた。燕真は、彼女が愛犬を亡くして、ここ数日間、落ち込んでいたことを知っている。だけど、今日は落ち込んだ顔をしていないので、「立ち直ったのかな?」と思って声を掛けてみた。
「こんな所で、何をやってるんだ?」
「あっ!佐波木君!ちょっと、バンちゃん(愛犬)の事を思い出していたんだ」
「そっか」
「ねぇ、佐波木君?」
「ん?」
「こんな体験をしたんだけど、信じてくれるかな?」
莉花は、不思議な話をしてくれた。
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一昨日まで、莉花は、愛犬を亡くした事で落ち込んでいた。「もっと健康管理してたら」「友達と遊ぶことを優先させて、親任せにしてた」「『遊ぼう』って寄ってきたのを、疲れてるからって邪険にしちゃった」と、あれこれ思い起こして悲しみ、後悔をしていた。
「何時までも悲しんでちゃダメ」
幼い少女がと声を掛けてくれた。俯いていた莉花は、少女の膝に絆創膏が貼ってあるのを眺めてから、顔を上げる。ツインテールの少女は、透き通った瞳で真っ直ぐ莉花を見つめていた。
「大っきくて強そうな犬に吼えられて泣いちゃったお姉ちゃんを、
わんちゃんが守ってくれたんだね?」
「・・・え?」
「迷子になったお姉ちゃんを、わんちゃんが迎えに来てくれたこともあったの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
少女が話してくれたことは、莉花が未就学時代経験した事実。言うまでもなく、まだ生まれているとは思えない目の前の少女が知るはずがない。その後も、莉花と愛犬しか知らない事を、少女は、まるで自分が見ていたかのように語ってくれた。
「・・・ど、どうして知ってるの?」
「お姉ちゃんの直ぐ隣に、わんちゃんが居て、教えてくれるの」
「・・・えっ?」
莉花の隣に愛犬などいない。莉花は「少女がいい加減なことを言ってる?」とも思ったが、それでは、莉花と愛犬しか知らない事を話せるわけがない。「自分には見えない愛犬が、少女には見えている」と解釈をする。
「わんちゃんね、お姉ちゃんにお礼を言ってるよ」
「・・・そうなの?」
「お姉ちゃんが悲しんでたら、わんちゃんが天国に行けないの。
だから元気になって欲しいって言ってるけど、
声がお姉ちゃんに届かないから、わんちゃんも寂しそう」
「・・・そっか、そうなんだ?
ならさ、私もお礼を言ってるって伝えてくれる?」
「それゎァタシが言わなくても大丈夫。ちゃんと、わんちゃんが聞いてるよ」
亡くなった愛犬の現状を2~3聞いたくらいで気持ちがクリアになるわけがない。だけど、莉花は「私がシッカリしなきゃ」と気持ちを切り替える努力をする。
「あっ!」
「どうしたの?」
少女が視線を上に向けたので、莉花も釣られて上を見るが、特別な物は何も見えない。少女にだけは、愛犬の身体が優しく暖かな光に包まれて、空に向かって上昇していくのが見える。
「わんちゃんが天国に行くよ」
「・・・そうなの?」
「でもね、これで終わりじゃなくて、お姉ちゃんのことを天国から見てるって」
莉花には、少女の言い分が少しも経験できない。しかし、少女が視線を上に向けた直後から、少しだけ体が軽くなったような気がする。それは、憑いていた愛犬が莉花から離れたからなのだが、莉花には解らない。
莉花が、空に向けていた視線を地上に戻したら、少女は公園の外に居た。
「ぉ腹空ぃたから帰るねっ!バィバ~ィ!」
「あっ、ちょっと・・・・・」
慌てて追いかけたけど、通りに出た時には少女の姿が見当たらなかった。
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「どう?佐波木君、信じてくれる?」
「た、確かに不思議な経験だな」
燕真は、莉花の体験談を全く信じられなかった。少女にからかわれていたとしか思えない。だけど、次の言葉を聞いて、莉花の不思議な体験が「事実かも」と考えを改めた。
「佐波木君は知らないかな?
小学校の低学年くらいで、お人形さんみたいに可愛らしいツインテールの子」
「・・・え?」
「近所の子だと思うんだけど、名前、聞きそびれちゃったんだよね」
「ツインテールで、もしかして、膝に怪我とかしてた?」
「あっ!そう言えば、膝に絆創膏を貼ってたかも。佐波木君の知ってる子!?
お礼を言いたいから会わせて!」
「ゴ、ゴメン、多分、同じ子だと思うんだけど、俺も1回会っただけ。
この公園で落ち込んでる時に、慰めてくれて、お菓子をくれたんだ」
燕真も莉花も、その後しばらくは、ツインテールの少女を探したが、彼女に再会する事はないまま、やがて高校受験のシーズンになり、少女を思い出す機会は減った。
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幼い女の子の名は、源川紅葉。
その日は、母の姉が住む隣県に遊びに来ていた。たまたま、伯母の娘が陸上部の県大会の日で、会場が近所だったので応援に行った。そこで紅葉は、たった1つだけ、強く興味を引かれた事に出会う。男子の長距離走で、中位グループを走っていた選手が転倒をした。だけど、立ち上がって、一生懸命走っている。
「ガンバレ!60番!!」
諦めずに走り続けた“ゼッケン60番”の姿は、幼かった紅葉にも「頑張る」と言う気持ちを植え付けていた。
その日の夕方、伯母の家の近所の公園で、紅葉は少年と再会をして、幼いながら、少年の優しさに惹かれた。
翌日、また少年に会いたくて、公園に顔を出す。だが残念ながら、少年は居なかった。代わりに、少年と同じ歳くらいのお姉ちゃんが、ベンチに座っていた。
「・・・お姉ちゃんの隣」
寂しそうに俯いているお姉ちゃんの隣に、普通の人には見えない犬がいる。感覚で「この公園が、お姉ちゃんと犬が遊んだ思い出の場所なんだ」と理解する。犬は、懸命に、お姉ちゃんに何かを伝えようとしているが、お姉ちゃんは気付かない。
紅葉は、少し気になったが、「自分には関係無い」と立ち去ろうとした。知らない人と話すのは苦手。だけど頑張った60番を思い出して立ち止まる。60番は、見ず知らずの自分を助けて優しくしてくれた。陸上競技場に居た沢山の人に「頑張る」の大切さを教えてくれた。自分も60番みたいに、他人を幸せにしてあげたい。
「何時までも悲しんでちゃダメ」
勇気を振り絞った紅葉は、お姉ちゃんに近付いて話しかける。自分にしか見えない犬のことを説明したら、最初は怪訝な表情だったお姉ちゃんが、最後は笑顔になってくれた。ずっと寂しそうだった犬は、嬉しそうに尻尾を振りながら天国に上がっていった。紅葉は、人に喜んでもらうことが素敵なことと知る。
それまでの紅葉は、周りからは「お人形さんみたい」と評価されていた。可愛らしいけど、温和しくて人見知りで、友達が居なかった。
他の人には見えない物が見える。見てしまうと悲しい気持ちになって、でも、その気持ちは、周りの人とは共有できなくて、「悲しくなっちゃう」気持ちを理解してくれない友達なんて、要らないと思っていた。
だけど、60番に勇気をもらって、紅葉は変わった。その日以降、無駄に「頑張る」ようになった。紅葉にしか見えないなら、力になってあげようと思う事にした。
紅葉の父と母は、紅葉が変わるキッカケになった60番に、内心で感謝をする。




