檻の中の晩餐会
淡いブルーとホワイトの色合いが交わるシンプルでありながら上品なドレス。レースのディテールが優雅さを引き立て、袖口や裾には繊細な刺繍が施されていた。
髪は柔らかなカールでまとめられている。全体的に控えめでありながら、どこか高貴な雰囲気を纏っていた。
緊張した面持ちでアリアは広間の扉の前に立っていた。ドレスの裾を握る手は少し汗ばんでいて、セドリックが横でそっとハンカチを差し出す。
「お嬢様落ち着いて下さい。脅迫状を送ってくる相手とは思えないほど、伯爵は貴族的な場では紳士ですよ」
「うぅ……その“とは思えない”っていうのが怖いのよ、セドリック……」
大理石の床に響く足音、華やかな笑い声とワイングラスの音。中ではもう晩餐会が始まっていた。
そして、扉が開かれる――。
目に飛び込んできたのは、堂々たるキース伯爵の姿。黒に金をあしらった正装、鋭い視線。そして、どこか意地悪そうに口角を上げていた。
「やっと来たな。遅刻は減点だぞ、アリア嬢」
「っ……!」
びくりと肩を跳ねさせるアリア。だがキースはその反応を楽しんでいるようだった。
アリアの姿をじっと見つめる
「見違えたな、アリア嬢。」
アリアは少し嬉しそうに
「……そ、それはありがとうございます。今日のために頑張って――」
最後まで言い終わらないアリアの前にキースの右手が差し伸べられた。
「さあ、おいで。晩餐の主賓席は、君のために空けてある」
「うっ……ど、どこから見ても罠じゃない……」
小声でセドリックにぼやきつつも、逃げられないと悟ったアリアは、そろりそろりと歩を進めた。
「お嬢様、ご安心ください。たぶん命までは取られません」
「“たぶん”ってなにそれこわい!!」
顔を青ざめさせながらも、キースの手を取り「ごくり」と喉を鳴らした。
その一歩一歩が、まるで獣の檻に自ら入っていくような緊張感に包まれていた――。
天井から垂れる黄金のシャンデリアが燭のような光を放ち、大広間を温かくもどこか張り詰めた空間に染め上げている。赤と黒を基調にした内装、テーブルに飾られた深紅の薔薇。まるで舞台のような優美さと、檻のような閉塞感が共存していた。
アリアが着席すると、すかさずキースも隣の椅子に腰を下ろした。華やかな音楽が流れ、長いテーブルには、色とりどりの豪華な料理がずらりと並んでいた。
黄金色に焼かれたローストビーフ、真珠のような帆立のクリーム煮、香ばしいハーブの香りをまとった仔羊のグリル。
中央には、宝石のように輝くフルーツタルトや、淡いバラ色に染まったシャンパンのグラスが美しく揺れている。
だというのに――アリアの手はフォークに届かない。
「……どうした? 食べないのか?」
隣に座るキースの鋭い視線を意識して、思わず手が震えた。
低く、艶のある声。すぐ横から囁かれると、アリアはビクリと肩を跳ねさせた。
「い、いえっ。ただ、その……どんな味か、気になって……」
「なら、食べさせてやろうか?」
「はっ!?」
キースは悪戯っぽく笑いながら、自分のフォークで前菜のひとくちをすくうと、アリアの方へ差し出した。
「……た、食べます! 自分でっ!」
セドリックが静かに料理を取り分けてくれた。
「ご安心ください、アリア様。どんな場でも、私が側におります」
その囁きに、アリアはほんの少しだけ、緊張を和らげた。
(……セドリックがいる。大丈夫。たぶん、大丈夫……!)
「俺からの招待状に怯えながらも、こうして来たんだ? まさか――俺に懐いてきたんじゃないのか?」
「っっ!」
返す言葉に詰まって俯くアリア。その姿を見て、キースは静かに、でも確かに口元を綻ばせた。
アリアの隅で見守るセドリックは、額に手を当てながら小声で嘆く。
「……あれを“口説いてる”って表現していいのかは、甚だ疑問だな……」
キースの隣で赤面しながらも必死に平静を保っていたアリアだったが、ふと、ある言葉を思い出す。
(「手なずければいいんじゃないですか」……そう、グレイソン様が言ってたわよね)
アリアはこっそり横目でキースを見た。高貴で整った顔立ち。だけどどこか気まぐれで、誰の言うことも聞かなさそうなところが――
(……猫みたい)
アリアの中で、何かが決まった。
(ううん、違う。怖がってちゃダメ。懐かせるのは、私の方よ!)
小さく拳を握って決意する。
「……何かを企んでいる顔だな?」
「い、いえ、別に……っ」
慌ててそらしたけれど、内心では思っていた。
(まずは、猫のように距離を詰めて、そっと撫でて……
なで……なでる……? いやいやいや、無理無理無理!!撫ではしない! でも、でも……)
アリアの脳裏に、威嚇する黒猫──いや、黒豹の姿がよぎる。鋭く光る金色の瞳。筋肉の張ったしなやかな体。尻尾をゆらりと揺らして、いつ飛びかかってくるか分からない、あの緊張感。
(ちょっと撫でようものなら、「何のつもりだ」って爪立てられそう……!)
「……さっきから落ち着きがないな、アリア嬢」
アリアはうっかり口走る。
「キース様って……どこか寂しそうで、構ってもらいたそうな……あっ……」
(あぁああ言っちゃった!言っちゃった!!)
キースを黒豹のイメージしながら心の声が口に出していた。
キースは椅子から静かに立ち上がる。目が笑ってない
「……ふぅん。構ってほしい?面白い解釈をするな、アリア嬢。なら、少し……構ってもらおうか?」
そんなアリアを横目で見て、セドリックは静かに心の中でため息をついた。
「子猫と猛獣がじゃれ合ってるようにしか見えない」
(そうだわ……! 猫だって、褒められれば機嫌が良くなるって言うし……!)
アリアは思い切って、にっこりと笑顔を作った。
「キース様は、とても……立派な、牙……いえ、風格をお持ちで……とっても、素敵ですわ!」
──その瞬間、ピキリと空気が凍った。
キースは無言のままアリアの手首を取り、強引に引っ張った。
「きゃっ……!?」
「庭に来い」
低く冷たい声に、アリアは青ざめながら、引きずられるようにして庭園へと連れて行かれた。
見守っていたセドリックは、遠くからぼそりと呟いた。
「……どうして毎回、傷口に塩をすりこむようなことを……」
手を引かれながら、アリアは縋るように謝罪を口にする。
「ご、ごめんなさい、キース様!わたくし、悪気はなかったんです……!褒めた、つもりで……!」
「……あれが褒め言葉になると思ったのか?」
鋭く睨み下ろされ、アリアは小さく震えた。
(に、庭の隅っこで、かじられるのかしら…………)
夜気に満ちた庭園。月の光だけが、静かに二人を照らしている。
「……そんなに怯えた顔をするな。まるで俺が、お前を喰らいでもするみたいだ」
ぷるぷると震えるアリアを見て、キースはわざと冷たく目線を向ける。
「お前、今日はちっともお淑やかじゃないな」
「俺に正々堂々と喧嘩を売るとは……」
「…………」何も言えない。
「見た目は悪くない。今日の淡いドレスはお前に似合っている」
「えっ?」
アリアは思わずその言葉に戸惑った。キースの目が鋭く、自分を見透かすような冷徹な視線を向けている。
「中身が伴っていないなら、どんなに美しくても意味がない、ましてや悪気が無ければ何やっても許されると思うなよ!」
「……せっかく褒めてくれたと思ったのに……」
としゅんとするアリア
キースは口元だけ笑い
「褒めてないとは言ってない。期待外れにさせるなよ、聖剣の加護を持つお嬢様」
「……えっ?」
キースの低く響く声に、私はその場で心臓が跳ねるのを感じた。
ドクンと一拍遅れて、血の気が一気に引いていく。
まるで空気が凍ったようだった。
「……お前が、聖剣の乙女だろ」
――なんで、それを。
忘れていた。いいえ、意図的に忘れようとしていた。
聖剣の乙女なんて、ただの迷信、ただの伝承。
……私はただ、普通に暮らしたかっただけなのに。
「……っ」
喉が詰まったように声が出ない。
視線を上げると、キースがアリアの腕を掴んでいた。
冷たい手じゃなかった。なのに、全身が凍りついた気がした。
「どうした?アリア嬢?!」
――怖い。
この人は、私が“ただのアリア”じゃいけないことを知っている。
聖剣の乙女として――私を、逃がすつもりがない。
「ち、違う……私は……っ」
震える声でやっと絞り出す。
アリアとキースが静かな庭園で向き合っている。周りには誰もいない、穏やかな空気が流れている。しかし、アリアの心は沈んでいて、どこか遠くを見つめていた。